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秘密結社パンデピス  作者: ゆきやま
33/42

鶴田邸でお勉強会を

~前回のあらすじ~

 マスターバブーンを生還させることに成功したミスティラビット。

 その功績を認められ、ノコギリデビルから幹部候補に指名されてしまう。

 普段通りの生活を続ける中、本人のあずかり知らぬところで着々とレールが敷かれているようで……。

-- 6月26日(月) 8:15 --


 チュンチュンというスズメの鳴き声と、道路を行き交う車の音が聞こえる。

 久しぶりの晴れの日となった月曜日、薄く波打つカーテンのような雲が青空に浮かび、太陽が燦燦とした光を山々へと注いでいた。


 道路の逆アーチの上を横切るように架かる線路の上を、2両編成の電車がガタンゴトンと音を立てて走っていく。

 レッドドラゴンと初めて会った日に壊れたバイパスの道もようやく完全復旧し、もうどこにもカラーコーンは置かれていない。

 この通学路で登校するのもずいぶん久しぶりだ。


 平和の匂いを取り戻したバイパスを通り抜け、校舎へ続く十字路を左に曲がる。

 衣替えして白いシャツを纏った生徒たちの姿がまばらに見えて、光が反射して眩しいくらいだ。

 生徒たちが吸い込まれるように校門に向かって流れていき、私もその中へと紛れ込んでいく。


 ゆーくんはもう登校済みなのか、残念ながら玄関前では会うことができなかった。

 でも、朝のニュースで大々的に顔が映っていたから気力は問題なく充填できている。

 私の弟は新潟県のヒーローの後継者であり、今やテレビに雑誌に引っ張りだこなのだ!


 そんな有名人まっしぐらなゆーくんだけど、現在も普通に登校している。

 以前、ゆーくんに会えない寂しさで錯乱状態になっちゃったから、今思えば登校を続けているのも私が気を遣わせちゃったせいなのかもしれない。

 いつか弟離れしないとな~。


 私は内履きに履き替えると、急いで自分の教室へと向かった。


「おはよー」

「おはよー! ……よっしー?」


 挨拶をしたら輝羽ちゃんが太陽かと思わんばかりの笑顔で私を見てきた。


「え、な、なに?」

「よっしー、髪型変えたんだねっ!」


 そう、今日は少しだけ頑張って髪型を整えていたのだ。

 癖のないストレートっぽい髪型である。

 そのせいで、いつもよりちょっぴり遅い登校になってしまったのだけれども。


「おー、似合ってますよ~!」

「メガネも外したんだな」


 いつものメンバーがずずいっと並んで私に迫ってくる。

 もう完全に気心の知れたメンバーではあるけれど、囲まれると少し落ち着かない。


「うん、頑張ってみたんだけど、うまくいかなくって……」

「大丈夫だって! 可愛くなってるよ!」

「うんうん、輝いて見えますよ~」

「あのリボン付けないのか?」


 前髪を弄りながら言うと、3人は口々に言った。

 皆は褒めてくれるけど、輝羽ちゃんのコスメと比べたら雲泥の差だ。

 どうせならしっかりした髪型にしたい。


「できれば輝羽ちゃんのお化粧の方法を教えてほしいんだけど」

「いいよ、私が教えてしんぜようっ!」

「むぅ~、私もファッションなら頑張れますよ~!」

「あまり褒めなくていいからな? きぅ、ぷに、よく調子に乗るから」


 わいわいと話をする中で、少しだけ零くんと目が合った。

 零くんはすぐに赤くなって目を逸らしちゃったけど、それを久くんや周りの男友達が目ざとく見つけて騒ぎ立てている。

 うーん、いつも通りの反応だから、私の髪型が良くなったのかどうかいまいち分からない。

 少なくともガッカリはされていないようだし、今はそれで十分かな?


「ねぇ、ぷに子! (うち)によっしーを呼んでもいいよね?」


 今、輝羽ちゃんは家の建て替え中でぷに子ちゃんの家に居候中である。

 人を呼ぶとしても、ちゃんとお世話になっている家族の了承を得てから、という手順はきちんと守っているようだ。


「構いませんよ~」

「そんじゃ、また土曜日にでも集まるか?」


 そんな感じで、とんとん拍子にコスメのアドバイスの日程が決まっていく。

 あ、でも土日はマズイ!

 私の正体は秘密結社パンデピスの怪人であり、基本的に土日は組織の活動に参加しているためだ。

 それをバカ正直に言うわけにもいかない。何とか誤魔化さないと……!


「あ、あのぅ、私はもしかしたら用事が入るかもしれなくて。平日じゃダメ?」

「そうなの? 私たち、平日は部活がな~」

「新人大会に向けて頑張りますよ~!」


 輝羽ちゃんは水泳部であり、中越大会で敗退、ぷに子ちゃんのバドミントン部も地区大会1回戦での敗退だった。

 手ごたえありの結構いい勝負をしていたみたいなので、この2人はかなり悔しがっていた。

 今はやる気に満ち溢れていて、次の大会へ向けて頑張っているのである。


「この中じゃ勝ち上がってるの、私だけか」


 そんな中、バレーボール部の弘子ちゃんだけはまだ戦いを続けている。

 7月に入ったら全国出場の切符を掛けて県大会を戦うのだ。

 地区大会では快勝続きだったし、周りの期待も高まっている。頑張ってほしいな。


「よっしー、大丈夫そうだったら教えてよ」

「うん、……あまり期待しないでね?」

「気長に待ちますよ~」

「土日、ダメそうか、そっかー……」


 なぜか弘子ちゃんが一番残念そうだった。何だか意外だ。


「はーい、みんな朝の会始めるよ~」


 星先生と黒川先生が教室に入ってきて着席を促し、みんな自分の席に戻っていく。

 朝の点呼が終わり、今日の連絡事項のところで黒川先生がバトンタッチで前に出た。


「えー、みなさん、今週末からテスト期間なので部活動はお休みになります」

「えー……!」

「おぉ~!」


 生徒たちの残念そうな声と喜びの声が両方とも聞こえる。

 勉強嫌いの輝羽ちゃんやぷに子ちゃんは嫌そうな顔をしていた。

 逆に喜んでいるのは運動部の一部かな?

 弘子ちゃんも少しだけ嬉しそうだった。練習、キツイって言ってたからな~。


「テスト期間にやればいいということではなく、普段から準備をしっかりしておくように」

「「「はーい」」」


 輝羽ちゃんとぷに子ちゃんはしぶしぶと言った感じで返事をしていた。


「テスト期間は部活ができませんから、今頑張りましょう!」

「え、と、星先生……。いえ、何でもないです」


 星先生はバレーボール部の監督で、しかも全国大会出場を目指しているから、そっちの方に気が向いちゃってるみたいだ。

 黒川先生も部活に対して少しは理解してきたのか、ツッコミを放棄して引き下がっちゃった。

 そして弘子ちゃんは星先生の張り切りようを見て、無の境地に至ったような顔をしている。

 練習、増えるんだろうな。

 頑張って、弘子ちゃん! 私は応援しかできないけれど……。


「それでは、今日も一日、元気にすごしましょう!」


 朝の会が終わり、1時間目の授業の準備時間が始まる。

 元気な星先生の声と反比例するかの如く、輝羽ちゃん、ぷに子ちゃん、弘子ちゃんは揃って机に突っ伏していた。



-- 6月30日(金) 6:15 --


 輝羽ちゃんとぷに子ちゃんが元気いっぱいに、弘子ちゃんがやけくそ気味に気合を入れて日々を過ごしていき、お休み前の金曜日になった。

 日課となっている朝の牛乳配達が終わり、私は家路の途中にある商店街を歩いていく。


 今週末は今日も含めてまた雨続きになるみたいで、今も小雨が降り続いている。

 だんだんと気温も上がってきており、雨がっぱの中が蒸れてちょっと気持ち悪い。

 シャワーを浴びる時間は無さそうだが、せめて着替えてから登校した方がいいかもしれない。


「勉強に集中したいし……」


 来週からテスト期間だけど、私はいつでもテスト勉強中と言っても過言ではない。

 ただ、目標が期末テストに絞られる分、その出題範囲を重点的にやり直すだけである。

 今回のテストで、久くんの連勝を止めるべく全力で戦うつもりだ。


「やるぞーっ!」


 勢いよく腕を突き上げて――。

 ドゴンッ、と脇からやってきたスクーターに弾き飛ばされた。


「おぅふ!?」


 私は真横へと撥ね飛ばされて、水泳のクロールみたいなフォームで地面の上に倒れこむ。

 パシャっと水しぶきが上がり、手のひらと脇腹にビリビリとした痛みを感じた。

 服も汗どころじゃないくらい汚れてしまったので、着替えてから登校することは確定である。


 こんな迷惑な所業をしてくるのは1人だけだろう。

 スクーターに乗った人物は軽やかに地面に降り立つと、軽く手を上げて挨拶してきた。


「やぁ、おはよう、好美ちゃん。また雨なんて嫌になっちゃうね」

「おはよう、じゃないですよぅ! どこから飛び出してくるんですか!」


 悪びれることも無く挨拶してきたこの人は篤人さんだ。

 表向きは運送会社のドライバー、裏社会では私と同じ秘密結社パンデピスの構成員である。

 彼は私が怪人であることも、怪人化する前から怪人並みの耐久力を持っていることを知っているため、頻繁に乗り物で体当たりをするというイタズラを行ってくるのだ。


「私じゃなかったら大怪我ですからね!」」

「いやぁ、ごめんごめん。雨だとやっぱり滑るよねぇ」

「どれだけ滑ったらこんな所から飛び出すことになるんですか……」


 篤人さんが出てきた場所に目をやると、そこは飲食店で、飛び出せそうな道は無い。

 三角飛びくらいしないと無理なんじゃないかという場所だ。

 わざとやっているのは疑いようもないとしても、本当にどうやったのやら……。


「好美ちゃん、『やるぞー』とか気合いを入れていたけど、テスト近いの?」

「聞いていたんですか? まぁ、そうですけど……」


 うーん、聞かれていたのは恥ずかしいな。

 我ながら叫んでしまうなんて、やる気が迸りすぎてしまっていたようだ。


「じゃあ、ちょうどよかったかもねぇ。今週末はお休みになりそうだよ」

「え? そうなんですか?」


 休みというのは秘密結社パンデピスの活動のことである。

 それは朗報だけど、いったい何でまた?


 私の武術の適性テストにいた怪人は、銃使いが最後の1人としてまだ出撃前だったはず。

 彼に何かあったのだろうか?


「あの、"羊さん"に何かあったんですか?」


 羊さんというのが、その銃使いの怪人のことである。

 【ゴートガンナー】という怪人で、昔から私も知っている怪人の1人だ。

 私の適性テストでレーザーガンが暴走し、ダメージを受けて治療していたから出撃予定が後回しになっていたはずだ。


「いや、彼は関係ない……でもないかな? 戦いには参加するみたいだし」

「えーと、どういうことですか?」

「実は、先週から群馬県との境でいざこざが発生していてね……」

「群馬県……?」


 篤人さんは声を潜めて話し始めた。

 どうやら秘密結社パンデピス自体がお休みというわけじゃなくてトラブルが発生したみたいだ。


「幹部のムーンベアは知っているよね?」

「はい、もちろんです」


 ちょっと前まで知らなかったけど、幹部6人のうちの1人であり、私も共闘したことがある。

 ツキノワグマの怪人で、ラフな戦い方をする女性の怪人だ。


「彼女は群馬県と新潟県の境界線を守っているんだよ」

「あ、幹部ってそういう仕事をしているんですか?」

「そうだよ。他県の組織からの侵略を止めたり、交渉したりするのが役割だね」


 なるほど、ムーンベアは秘密結社パンデピスの縄張りを守る、防衛隊長としての役割を担っていたのか。

 そうなると、他の幹部も県境を守っているのかな?

 ノコギリデビルやカラガカシは違うかもしれないけども。


「それで、群馬県の組織がこそこそ動いているという情報を得ていたんだけど、その連中とついに接触したんだよ。そしたらすぐに戦闘開始さ」

「えぇ!? 大丈夫なんですか?」

「お互いの組織の規模から考えたら負けることは無いと思うけど、群馬県って秘密結社が(ひし)めく激戦区だからねぇ」


 あまり油断できないってことかな?

 そうなると、確かに県内で騒ぎを起こしている余裕は無いかもしれない。


「県境の山深くで、ほとんど人もいないところで戦っているみたいだよ」

「目立たない場所を選んでいるってことですか? ヒーローが出てきたら面倒ですもんね」

「そうだね。それ以上に、元から相手が隠れていたってのも大きいと思うけどね」

「なるほど~」


 そんな場所なら、巻き込まれる人もいないかな?

 私と篤人さんは巻き込まれた一般人をこっそり救出して回っているのだけれど、今回の件では私たちが出る必要は無さそうだ。

 だが、そうなると1つの疑問が湧き上がってくる。


「あ、あの~、私は出なくてもいいんですか?」


 私は少し前に幹部候補とかいう地位(ポスト)を押し付けられてしまったのである。

 幹部の仕事が別組織からの防衛なのであれば、戦闘に参加させられそうなものなのだけど……。


「いや、逆に"出るな"って言われているよ。幹部候補の話が正式に周知されたんだけど、この戦いで手柄を立てようと考えた怪人たちが我先にと参戦しているから」

「あぁ、それで……」


 そういった怪人たちにチャンスを与えてやれってことか。

 血気盛んな怪人たちがたくさんいるし、幹部たちもそれで十分という判断をしたのだろう。


「僕はちょくちょく様子を見に行くけど、好美ちゃんはお休みで問題なしさ」

「はい、分かりました」


 それなら遠慮なくお休みさせてもらおうっと。


 土日の予定は空白になった。

 これなら輝羽ちゃんにメイクアップの技術を教えてもらうことも、勉強することもできる。

 今日が金曜日というのもちょうどいい。学校へ行ったら輝羽ちゃんたちに伝えなきゃ!


「それじゃ、僕はこの辺で失礼するよ」

「はい。……あっ、安全運転で帰ってくださいね!」

「分かってるってば。じゃーね~!」


 スクーターに乗り込んだ篤人さんは軽く手を上げて去っていった。

 軽く手を振ってそれを見送り、私も家路へと向かって歩き出す。


 うーん、土日に活動が無いなんてサイコー!


 圧倒的な開放感に、思いっきり大きく伸びをする。

 ルンルン気分になった私は、雨の本町通りをスキップ交じりで通り抜けていった。



-- 6月30日(金) 8:15 --


「おはよー」

「おはよー」


 朝の教室へと足を踏み入れ、いつものメンバーと挨拶を交わす。

 今週はずっと三つ編みメガネは封印していて、いろんな髪型で登校していた。

 輝羽ちゃんが色々と髪型を弄ってくるので、それを覚えようと頑張っているのである。


「よっしー、今日はハーフアップなんだねっ!」

「今日は一段とオシャレさんですよ~」

「この髪型、ハーフアップっていうんだな……」

「昨日、教えてもらった髪型の復習だよぅ」


 今日はどうしようかと輝羽ちゃんは目を輝かせている。

 まだまだ着せ替え人形、……とは少し違うかもしれないけど、髪型の研究は続きそうだ。


 さっそく、輝羽ちゃんが後ろに立って髪を弄ってくる。

 私はされるがままになりながら、降って湧いた朗報をみんなに伝えた。


「そうそう、土日は予定が空いたんだ~」

「そうなの!? じゃあ遊べるねっ!」

「待ち合わせ場所、どうしましょうか~?」


 輝羽ちゃんとぷに子ちゃんが嬉しそうにワイワイと騒ぎ始める。

 私、ぷに子ちゃんの家に行ったことないから、どんなところなのか楽しみだ。

 ぷに子ちゃんはお菓子の大会社の社長令嬢だし、もしかして大豪邸とかに住んでいるのかなぁ?

 そんな家、この辺で見た記憶は無いけども。


 ちなみに輝羽ちゃんはパンデピスに自宅を壊されたため、ぷに子ちゃんの家に居候している。

 再建築が済むにはまだまだ掛かりそうということだった。


「――それじゃ、ここに集合だね?」

「うん、いいよ」

「楽しみですよ~!」


 輝羽ちゃんグループで話し合いを行い、待ち合わせ場所はクロスナインということに決まった。

 集合は割と早めの8時だし、どうやら1日中、みっちり遊ぶ予定でいるみたいだ。


 はしゃぐ輝羽ちゃんとぷに子ちゃんを眺めていると、弘子ちゃんがこそっと話しかけてきた。


「シー……。あのさ、よっしー、頼みがある」

「え? なに?」

「これ、読んで」


 そう言ってノートを破って作った手紙を渡してきた。

 こんなことをしてくるということは、あの2人には秘密にしておいて欲しいようだ。

 いったい何が書いてあるんだろう?


「はーい、皆さん、着席~!」


 教室に担任の星先生が入ってきて、私たちのグループも解散して自分の席に戻った。

 なお、私の髪型はサイドテールっぽく結ばれていて、しかも、しっかり整っている。

 相変わらず手際が良いなぁ。

 なお、輝羽ちゃんの髪型と左右対称になるような感じである。

 嬉しいけどちょっと恥ずかしいかも。


「えー、来週はテストと漢字検定があります。黒川先生もよく言っていますが、やっぱりお勉強も大事ですから、みんなで良い点が取れるように――」


 点呼が終わって今日の連絡が行われている最中、私は今のうちにと思って、こっそり弘子ちゃんが渡してきた手紙を開いて目を通した。

 その中に書かれていた内容はたった1つのお願いである。


『あいつらに勉強を教えてくれ。私じゃもう無理』


 ……弘子ちゃん、苦労しているなぁ。


 明日から1週間は部活禁止で、テスト勉強期間である。

 本来、『部活に費やす時間は勉強しろ』という期間なので1日中遊びっぱなしなのはいけないのだけど、輝羽ちゃんとぷに子ちゃんの様子を見る限り、放っておいたら勉強しなそうだ。

 今までは、それを弘子ちゃんが頑張って勉強させようと1人で奮闘してきたのだろう。

 前回の中間テストでもあの2人の面倒を見ていたみたいだけど、その2人の結果が散々だったことに項垂れていたっけ。


 あの時、次は私も協力すると言ったことを覚えている。

 友達との約束は守らなきゃね!


 私はノートの切れ端に『任せておいて』という一文だけを書いて弘子ちゃんに渡しておいた。

 1日中ずっと一緒にいるだろうし、ちゃんとお勉強させてみせますとも!



-- 7月1日(土) 5:15 --


 ザーザー振りの雨が地面に薄く流れる川を作る中、私は雨がっぱを着用して自転車を漕いでいた。

 牛乳瓶を入れたカゴが、小さな振動でカチャカチャと音を鳴らしている。

 7月ともなればそんな大雨でも寒さは感じられず、むしろ少し涼しくなって気持ちいいくらいだ。


 お得意様の家々に牛乳を配り歩いていると、道路の先から走ってくる人が見えた。

 ……よし、今日の髪型は大丈夫!

 雨がっぱで見えにくいけど、昨日教えてもらったサイドテールを完全コピーである。

 朝っぱらから気合を入れて髪を整えてきた自分自身に"良くやった"と言いたい。


 ウインドブレーカーを着用し、帽子をかぶってやってきたのは防衛隊員のアズマさんである。

 ちょっとでも気を引けたらいいんだけど……。


「おはようございます、アズマさん」

「おはよう、好美ちゃん! おっ? 今日もカワイイ髪型してるね」

「ひゃい!?」


 うぅ、予想以上にストレートに褒められてしまった。

 もしかして気づいてくれるかな? くらいの期待しかしていなかったので破壊力が半端ない。

 私の顔、赤くなってないかな?


「き、輝羽ちゃんにいろいろ教えてもらってて……」

「へぇー、そうなんだ」


 何とか言葉をひねり出したけど、もういっぱいいっぱいである。

 気を引いた後のこと、全然考えていなかったよぅ……。


「実はさ、そのことで零が困ってたよ」

「ふぇ? 零くんが? 何でですか?」

「毎回、同じ誉め言葉しか思いつかないってさ」


 そう言ってアズマさんが苦笑いを浮かべる。

 そういえば、髪型を変える度に似合っているとか言ってくれていたっけ。

 私は嬉しかったけど、本人はそんなことで悩んでいたんだ。


 零くんはヒーロー、ブルーファルコンに変身する私の同級生であり、なぜか私に好意を持ってくれているのである。

 彼の告白は断ったのだけれど、私に彼氏ができるまでは諦めるつもりはないみたいだ。

 私なんかより可愛い子、零くんの周りにたくさんいると思うんだけどなぁ。

 そっちを選んじゃえばいいのに。


「優輝も喜んでいたぜ? やっと普通にオシャレする気になってくれたって」

「ゆーくんも、そんなこと言ってたんだ……」


 そういえば昔、私が地味少女を目指すと言った時に不思議そうな顔をしてたっけ。

 私としては怪人だとバレないように、目立たなくしようと必死だったんだけどな。


「これから先も、好美ちゃんはどんどん綺麗になっていくんだろうな~」

「う、えーと、そうなればいいんですけど……」

「そうなる! 間違いない!」


 力強く断言されてしまった。

 嬉しい反面、ご期待に添えることができなかったらと思うとちょっと怖い。

 今日、しっかり輝羽ちゃんにお化粧のいろはを学んでおかなきゃ!


「あと、零も更にカッコよくなっていくだろうぜ! 優輝も、だけどな!」


 ゆーくんがカッコよく……。それはいいかも……。

 今はカッコいいというよりは可愛いという感じがしっくりくるけど、成長するたびにそれも変わっていくんだろうな。

 今から既に楽しみである。


 あー、あと、零くんは……。

 いくらカッコよくなってもヒーローだからなぁ~。

 怪人の私とは相容れない存在だから、いくらアピールされても意味が無いんだよね。


「あの2人は絶対モテるだろ? 羨ましいよ、ホントに」

「確かに、アイドル並みにモテていますけども……」


 私が一番カッコいいと思っているのはアズマさんです!

 ……なんて、本人には言えそうもない。

 将来、もし本当に綺麗になれるのなら、今すぐなりたいんだけどなぁ。


「それじゃ、俺はそろそろ行くよ。またな!」

「はい、頑張ってください」

「おうっ!」


 グッとガッツポーズを取って、アズマさんは雨の中へと消えていった。

 うーん、もっと牛乳飲んだら背が伸びたりしないかなぁ?

 無理かなぁ……。


 溜息を1つ吐き出して自転車を漕ぎだそうとしたところに、1台の車が近づいてきた。

 それは見慣れた軽トラであり、乗っている人物も見慣れた相手だった。

 車が停まって窓ガラスが開き、相手が顔を覗かせる。


「おはよう、好美ちゃん。精が出るね~」

「おはようございます、篤人さんもご苦労様です」


 やってきたのは篤人さんだった。

 普通に登場してきたので、ごくごく普通の会話を交わす。

 わざわざ突進なんてしてこないで、こういう普通のやり取りが続けばいいんだけどなぁ……。

 と、一人でしみじみ考えていると、篤人さんが何やらビニール袋を取り出して渡してきた。


「ちょっと量は少ないけど、果物を持ってきたよ」

「え? 果物?」

「そうそう。焼き菓子に使えそうなもので、でも、普通じゃないやつだね」


 普通でいいんだけどな~。

 などと思いつつも、何だろうと思ってガサゴソとビニール袋をまさぐる。

 その中に入っていたのはオレンジ色をした、しなしなの物体だった。

 篤人さんは普通じゃないやつとか言っていたけど、なんだこれ?


「これはね、(あんず)のドライフルーツさ」

「へぇ~、杏ですか」


 しなしなになっているけど、こういったものって確か甘さが上がるんじゃなかったっけ?

 量が少ないっていうけど、単に水分が抜けて体積が少なくなっただけで、それなりの量が入っているように思う。


「ぜひ、これで何か作ってみてよ」

「いいですけど、なんで杏のドライフルーツ? これなら普通にオレンジとか桃とか……」

「そこはほら、普通じゃ売っていないようなものを好美ちゃんなら作れそうだからさ」


 面白半分みたいだけど、一応は期待されているってことでいいのかな?

 確かに焼き菓子に使うにしては王道ではないかもしれないけど、そこまで変なチョイスでもないし、探せばレシピはありそうだ。

 たぶん美味しい物を作れるんじゃないかと思う。

 うまく作れたら、篤人さんのご近所さんへのおすそ分けにするのもいいと思うし……。


「分かりました、頑張ってみますね」

「うん、よろしく! 余ったのは食べちゃっていいからね。……さて、世間話はこのくらいで」


 篤人さんがそう言った後、私をちょいちょいと手招きした。

 きっと秘密結社パンデピスの連絡だろう。

 私は素直に軽トラの運転席の窓へ顔を寄せた。


 篤人さんが声を潜めて話し始める。

 彼の伝えてきた内容は、予想通り組織からの情報だった。


「相手の組織が判明したよ。群馬県の秘密結社の1つ、【邪紋(じゃもん)】だったみたいだ」

「邪紋……? すみません、聞いたことが無いです」

「仕方ないよ。小規模の組織で、生まれたてみたいだし」


 群馬県の秘密結社はさながら戦国時代のように乱立している。

 戦いに敗れて崩された組織が別の組織に統合されたり、あるいは別々の組織の生き残りが手を組んで別の組織になったりすることは日常茶飯事だ。

 そのせいなのか、怪人の全体量は多いはずなのに短命な組織の割合が大きいのである。

 確か2~3か月くらい前にも、一番大きい組織がヒーローたちに潰されたという話を聞いた。


「全体で7人の怪人だけで構成されているみたい。今は5人だけど」

「そうなんですね。確かに少ないかも」

「ひとりひとりの実力はそこまで高くはないみたいだよ」


 なんだ、それならあっさり勝てるかな?

 すでに2人程、倒されているみたいだし。


「まぁ、パンデピス(うち)からは返り討ちに遭った怪人が既に10人ほど出ちゃってるけどね」

「うぇ!? な、なんで!?」


 思いっきり負けてる!?

 まったくもって想定外な戦況に、思わず声を上げてしまった。


「死者は出ていないから、そこは安心して。傷だらけで撤退したのがそれだけいるってこと」

「それは良かったですけど……」


 なんでまた、そんな相手にいいようにやられているのだろう?

 うちの怪人たちの方が強いみたいだし、勇んで参加したはずなのに……。


「あ、もしかして足の引っ張り合いが起きたんですか?」

「半分正解。あと半分は、相手はチームプレイに優れているみたいなんだよ」

「うわぁ……」


 パンデピス(うち)とは正反対の組織みたいだ。

 うちの怪人は基本的に1対1でヒーローに挑むので、チームプレイをする怪人は皆無である。

 恐らく、相手の怪人たちに囲まれて各個撃破されてしまったのだろう。


「一応言っておくけど、普通は、あーいうスタイルの方が多いからね。パンデピスが特殊なんだよ」

「いろいろと変ですもんね、うちの組織」


 わざわざヒーローと1対1で戦っているからね。

 負けても許されたりとか、暗殺が御法度で目立つ行動が推奨されたりとか、とにかく特殊である。

 どうしてそんなルールになっているのかは分からないが、ノコギリデビルが何の意味も無くそんなことはすることは考えにくい。

 何かしら狙いがあるのだろうけれど、今のところ不明だ。


「それでも、アーマードボアが1人を倒したから戦況は変わるはずさ」

「おぉ、さすが!」

「4対1で戦って、さすがに勝てずに大怪我をして撤退したみたいだけどね」

「いやいや、十分じゃないですか……」


 ひとりひとりが弱くてもチームプレイが得意な4人に襲われたらたまったものじゃないはず。

 そんな状況で1人だけでも倒してくるなんて、素直に凄いと思う。

 これなら、アーマードボアも幹部候補に名を連ねることになるんじゃないかな?


「ムーンベアがやる気になっていたらあっさり勝てていたかもね」

「あれ? やる気にならなかったんですか?」

「最初はやる気もあったんだけど、実は、最初にあっさり1人を倒しちゃったから」

「あぁ、そうなんですね……」


 確かに、ムーンベアは相手が弱いと思ったら別の怪人に戦いを譲ってしまいそうだ。


「えーと、ムーンベアの戦闘は1対1だったんですか?」

「いや、ムーンベアも複数人に囲まれたみたい。でも、攻撃で傷を負ってもお構いなしに攻撃して1人倒したって聞いたよ」


 防御を一切考えないで1人を狙いうちにしたってことかな?

 その戦法もムーンベアらしいと思う。

 強引な力押しの一点突破に、相手の方が不意を突かれた形になったのかもしれない。


 そして、怪人の1人が欠けた状態になったのなら、チームプレイで戦う相手にとっては相当な痛手だったはずだ。

 きっとムーンベアならそのまま押し切って全滅させることもできたんじゃないかと思う。

 やる気が無くなりさえしなかったら、だけど。


「それで、残りの6人は他の怪人に任せることにしたんだよ。そうしたら大苦戦でさ~」

「アーマードボアが出てくるまで負け続きだったわけですか」


 私の言葉に、篤人さんが苦笑いしながら頷いた。


 パンデピスの怪人は6人で一緒に戦いに行くとか、絶対しないだろうな。

 みんな手柄を求めて、相手を出し抜くことしか考えていなかっただろうし。

 その結果、何の成果も出せずに逃げ帰った怪人多数という状態になってしまったのだろう。


 ただ、それでも今までの話を総合的に考えると、パンデピスが負けるビジョンはまるで見えない。

 なんならムーンベア1人で残り5人全員を相手しても勝てそうだ。


「怪我人だらけって聞いて焦りましたけど、負ける要素は無さそうですね」

「まぁね。今日か明日には決着がつくんじゃない?」

「それなら良かった」


 私は組織を抜けたいと思っているし、秘密結社パンデピスが無くなるのは個人的には問題無い。

 しかし、もし代わりに別組織が台頭する場合は話が別だ。

 パンデピスよりももっと碌でもない組織である可能性の方が高いためである。


 うちも大概は大迷惑ではあるんだけど、大量殺戮や軍事行動を目的としている組織の方がヤバイから、組織同士の抗争には勝ってもらうに越したことは無いのだ。


「そういえば、邪紋、でしたっけ? 何の目的でこっちに来たんですか?」


 怪人7人でちょっかいを出してくるなんて、さすがに無謀な気がするけど……。


「縄張り争いに負けて追い出されたみたいだよ。居場所が無くてこそこそしてたってわけさ」

「そういうことですか」


 やむにやまれぬ事情というやつなのだろう。

 だけど、だからといってこっそり動かれたら怖いし、パンデピス側としても排除する以外に選択肢は無いんじゃないかと思う。


 彼らも、ちゃんとムーンベアに話を通していたら関係は変わっていたのかな?

 きっともう遅いのだろうけれど……。


「そんな感じさ。焼き菓子、楽しみにしてるね」

「はい、任せてください」


 秘密の話が終わり、最初から世間話だった風にまとめてから篤人さんは車を発進させた。

 走り去っていく車に手を振って、それを見送る。


「……気にしても仕方ないか」


 邪紋という組織の目的が何であれ、きっと月曜日には消えてなくなっている。

 命が散ることに思うところは有るけれど、それはお互いに覚悟の上。

 裏社会同士の小競り合いなのだから、助ける必要もなければ気に病む必要も無いはずだ。


「よし、切り替えて行こうっと」


 今日はもう組織の話はお終いだ。楽しい週末のことを考えよう!


 もらった杏に鼻を近づけると、漏れ出た甘い香りが少しだけ私の空腹を刺激した。

 お化粧に、お勉強に、お料理と、今週は忙しい。

 家庭菜園のお野菜も収穫時だし、トウモロコシと枝豆の植え替えもしなければいけない。

 憂いている時間なんてないのである。


 自転車を漕ぎだすと牛乳瓶がキンと小気味よい音を奏でる。

 それを聞きながら、私は次の配達場所へと自転車を走らせた。



-- 7月1日(土) 8:15 --


 雨の中、色とりどりの傘を4つ並ばせて、私たちはクロスナインの通りを歩いていた。


 今日の私は蛇の目傘ではなく普通の傘だ。

 あれはパンデピスの武器を隠すためのものなので、あまり持っていきたくないから、今日はお父さんと一緒にお家でお留守番である。


 それと、背中にはくすんだ青いリュックサックを背負っており、その中にはお化粧用品と筆記用具が入っている。

 弘子ちゃんもグレーのリュックサックを背負っていて、たぶん私と同じように勉強の道具が入っているんだと思う。


 先頭を行くのは道案内役の輝羽ちゃんと、その真横にいるぷに子ちゃんだ。

 時々こっちを振り返りながら、持っている傘をくるくると回しながら、自分たちもくるくると回りつつ元気よく歩いていく。


 ぷに子ちゃんの家はJESCO通りを爪有大橋方面に通り過ぎ、少し奥に入ったところにあるらしい。

 そっち方面は田んぼと住宅があったと思うけど、豪邸を見た記憶は無いから不思議だ。

 ぷに子ちゃんの家はメイド長がいるほどの邸宅のはずである。

 それだというのに、目に映るのはどれも常識の範囲を出ない普通の家ばかりだ。


 私の疑問をよそに、輝羽ちゃんとぷに子ちゃんは意気揚々と歩いていく。

 やがて、1件の家の前に止まって玄関の扉を勢いよく開けた。


「ただいまー」

「ただいまですよ~」


 その家は、外の壁は明るいベージュのような色合いの木造建築で、屋根は雪が自動的に滑り落ちる雪国仕様のコーティングがされている濃いこげ茶色の金属でできた屋根だ。

 車庫だけちょっと大き目かもしれないけど、それも一般常識の範囲内である。


 ここがぷに子ちゃんの家?

 普通の家だ……。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 もとい、全然普通じゃない。

 いきなり、まさにメイドって感じのメイドさんが出迎えてくれた。

 しかも4人、綺麗に左右に分かれてこちらにお辞儀をしている。

 あまりの出来事に驚きの声を上げることもできなかった。


「お邪魔しまーす」

「お、お邪魔します」


 弘子ちゃんは慣れたもので、気楽な感じで挨拶をしている。

 私も慌てて挨拶をして、おっかなびっくり玄関の敷居をまたいだ。


「傘をお預かりいたします」

「うん、ありがとー」

「ありがとですよ~」


 傘を放り渡し、靴も脱ぎ散らかして、輝羽ちゃんとぷに子ちゃんが家の中へと入っていく。

 差し出されたスリッパを完全無視してドタドタと駆けていった。

 お気遣いを完全無視していることに、私の方が礼儀作法を気にしてアタフタしてしまう。


 ただ、その傍若無人っぷりを見て、何だかお姫様っぽいと感じてしまった。

 ああいう態度も許される感じがするというかなんというか……。

 2人とも、なんだか似合うんだよなぁ。ずるいなぁ……。


「私たちも行こう」

「う、うん……」


 弘子ちゃんはさっさと差し出されたスリッパをはいて奥へ向かって行く。

 その姿は良くも悪くも普通のお友達っぽい所作で、気負いのなさを感じさせた。

 対して私はというと、なんだか王侯貴族の城にでもお呼ばれしたかのような気持ちになって、傘の露を払い、丁寧に相手に渡し、脱いだ靴を綺麗に揃えてから中へと入った。

 大丈夫だよね? 失礼なことしていないよね?


「よっしー、行くよ?」

「ま、待ってぇ~!」


 置いて行かないで、心細いよぅ!

 私は慌ててみんなの後を追いかけ、家の中へと向かった。


 1つドアを潜ると、そこにはとても明るくて広い間取りのダイニングが広がっていた。

 洋風の造りで、フローリングの床の上にテーブルと大きなソファが置いてある。

 大きな壁掛けのモニターが備え付けられており、朝のテレビ番組が流れていた。


 こんな大きいテレビ、初めて見たかも。


「でも、メイドさんが何人もいる家なんだよね……」


 リビングが少し広めだけど、それ以外は普通だ。

 とてもじゃないけど、何人もの召使いを雇うようなお家じゃない気がする。

 お掃除も1~2時間あれば私一人でどうにかできてしまいそうだ。


「うーん?」

「お、よっしー気づいた?」


 弘子ちゃんが私の呟きを聞いてニヤリと笑った。

 私の感じた違和感が正解だと言わんばかりの態度である。

 やはり、この家には何か秘密が……?


「えへへー、それじゃ、さっそく向かいますよ~」

「え、向かうってどこに?」

「こっちこっち~!」


 ぷに子ちゃんと輝羽ちゃんに連れられて、私は奥の部屋? へと通された。

 いや、それは小部屋ではあるのだけど、入り口が自動ドアになっており、そのドアの裏側には見たことがあるようなボタンが並んでいる。

 2F、1F、B1F、B2F、B3F……。どう見てもエレベーターのボタンだった。


「あの、これって……」

「じゃあ、私の部屋に行きますよ~!」


 ぷに子ちゃんが最下層であるB10Fのボタンを押した。

 地下10階って、高さで言ったら新潟市の市庁舎より高いんじゃ……。


「座って座って!」

「う、うん、ありがとう」


 普通のエレベーターと違って何故か高級そうなソファが置かれている。

 ものの数秒で目的地に着くだろうに、変なところで贅沢だ。

 あ、でも、パンデピスの本部へ向かうエスカレーターに椅子があった方が良いかもしれない。

 あっちは数分ほど乗っているからね。


 ピッポーン、という音が鳴って、エレベーターが到着してドアが開いた。


「……うそぉ」


 思わず声が漏れてしまった。

 目の前には宮殿かと思わんばかりの華美な装飾品が並ぶパーティー会場になっている。

 部屋の奥にはステージがあって、そこにはグランドピアノが鎮座していた。


「ここはピアノのレッスンルームですよ~」

「練習場!? ここが!?」


 防音の関係でピアノが地下にあるのは分かる。

 だけど、このホールの内容は練習場の域を完全に逸脱していた。

 地上の家よりも明らかに広い空間で、長机の上にはレースのテーブルクロスが掛けられ、その上に煌びやかな燭台が立っている。

 

 脳内に、ワインや七面鳥のグリルが並ぶイメージが思い浮かんだ。

 ここは王侯貴族のお城か何かだろうか?

 もし結婚披露宴の会場として公開したら、下手なパーティー会場より人を集められそうだ。


「いつ見ても凄いよねっ!」

「いつの間にかこうなっちゃったんですよ~」

「ここまでするか、って感じだよな」


 ぷに子ちゃんが言うには、最初は普通のピアノ練習場だったらしい。

 まぁ、私にとってはその時点で凄いと思うけども。


 練習を続けるうちにご両親がせっかくならピアノの発表会をしようとアレコレ入れ始め、やがてどこに出しても恥ずかしくない中世風のパーティー会場が出来上がってしまったそうだ。


「えーっと、もしかして他の地下室もこんな感じなの?」

「さすがに全部じゃないですよ~」

「だ、だよね?」

「ゴシック調なのはここだけですよ~。他はレストランとか、プールとか、大浴場とか、コンビニとか、メイドさんたちの居住区とか……」

「えぇ!?」


 私が"こんな感じ"と聞いたのは規模のことであって、中世風とか近代風とかの差じゃ無いんだけど、ぷに子ちゃんにはうまく伝わっていなかったみたいだ。

 話を聞いて確信してしまった。恐らく全部の階がこんな感じの規模なんだと思う。

 お店まであるなんて、もはや1つの街みたいな家だ。


「上にいけばおやつが貰えますよ~」

「上?」


 ダンスホールの脇には1つ上の階へ続く階段もあり、真ん中は吹き抜けになっている。

 どうやらその先にレストランやビュッフェがあるようだ。

 専属の調理師が交代で勤務していて、今日も朝ご飯はここで食べていたんだとか。

 お金もちってすごい……。


「まだ8時半にもなってないだろ? あとにしなよ」

「そうだね、先にぷに子の部屋に行こっ!」


 輝羽ちゃんが音頭を取って、ぷに子ちゃんの部屋へと向かうことになった。

 パーティー会場の奥、これまたオシャレなカーペットが敷かれた通路をみんなに案内される。

 途中にあったお手洗いまでもが一流ホテル並みなんじゃないかという豪奢さだったし、こんなところに住んでいたら感覚がおかしくなっちゃいそうだ。


 廊下を行くと、廊下を挟んで両側にドアが現れた。

 それぞれのドアには"FUJIKO's Room"と"KIHANE's Room"という看板が垂れ下がっている。


「ここが私の部屋ですよ~」

「あ……」


 案内された部屋に通された時に、私は思わず呆けた声を発してしまった。

 ちょっとくしゃっとしたベッドや、ほどほどに散乱したお人形さんやゲーム機が目に映る。

 床にはふんわりした毛の長いカーペットが敷かれているけれど、コモリホームセンターで見たことあるような、常識の範囲を出ないカーペットだった。


「普通だ……」


 そう、普通の女の子の部屋である。ちょっと広いかもしれないけど。

 でもこの部屋を見た瞬間に、さっきまでお姫様のように遠い存在に感じていたぷに子ちゃんが、急速に私の知っている友達のぷに子ちゃんへと戻ってきてくれたような気がした。

 今まで薄れていた、お友達の家に遊びに来たって感覚が一気に蘇る。


 普通の部屋でよかったぁ。


「よっしー、どんな部屋を想像していたの?」

「そうですよ~。聞きたいですよ~!」

「さあ答えろ、よっしー。普通じゃない部屋ってどんな部屋なんだ?」

「うぇ!? どんなって言われても……」


 正直、明確なイメージがあるわけじゃないんだけど……。

 言葉にするならどんな感じかなぁ?


「うーん、白雪姫の魔女の部屋、みたいな……」

「魔女?」

「喋る鏡は持っていませんよ~!」

「その人って白雪姫の義理の母じゃなかったっけ?」


 ワイワイと話しながら、みんな思い思いの場所に腰を掛ける。

 輝羽ちゃんだけは準備するからと、自分の部屋にコスメ用のアイテムを取りに戻っていった。

 私はカーペットの上に正座して、リュックサックを置いた。


「よーし、さっそく始めるよ~!」


 コスメ用品を携えた輝羽ちゃんがどたどたと戻ってきて、さっそく私の前に座る。

 前回みたいに私のメイクアップをする気でいるみたいだけど、そうじゃないんだよなぁ。

 今回は、私自身が自分でメイクアップを施すためのやり方を教えてもらうのである。


「あの、私が教えてもらう側なんだから、私自身にされても困るっていうか……」

「え? ……あっ、そっかぁ!」


 輝羽ちゃんが間違いに気づいて持っていたファンデーションのクッションから手を離した。

 相変わらず、しっかりしたコスメセットだと思う。

 ……う、もしこれが必要って言われたらその時点で考えないといけないかも。


「よっしーがいつも使ってるやつってどんなの?」

「あ、持ってきたよ」


 リュックサックを開いて自分のコスメセットを取り出した。

 元々はお母さんからもらった古いやつで、足りなくなったものは随時買い足している感じだ。

 メーカーもバラバラで、統一性は無いかもしれない。


「お古なんだけど、何とかなりそう?」

「へー、いいじゃん! 大丈夫っ!」


 輝羽ちゃん曰く、特に道具に問題は無いらしい。

 ただ、私の雰囲気に合うものとそうでない物が混じり合っているようなので、ファンデーションは別のものが良いんだとか。

 さっそくレッスンが始まり、私は輝羽ちゃんのアドバイスを受けながらお化粧していった。


 道具はあってもきちんとした使い方が分かっていないものもあったし、勉強になったと思う。

 しばし、ファッション知識の雑談をしながらメイクアップに努め、やがて一通りの完成を見た。


「「「おぉ~」」」


 私とぷに子ちゃん、弘子ちゃんの声が重なる。

 ちゃんと私の持ってきた道具でも綺麗にメイクアップできた。

 この間のメイクに引けを取らない出来栄えである。凄い!


「ありがとう、輝羽ちゃん!」

「ふっふ~んっ! 私の手に掛かればこんなもんよ!」

「お見事ですよ~!」

「こればっかりは、きぅの技術を認めるしかないな」


 次は髪型についてなんだけど、これはすぐに終わった。

 そもそも今週ずっと弄られ続けていたから、ある程度の知識が付いていたのである。

 自分でパパッと髪型を整えて、確認してもらうだけでOKを貰えた。


「で、どれがいいと思う?」


 輝羽ちゃんがみんなに質問した。

 毎回別の髪型にするのも落ち着きがないし、どれがいいか決めようという話になったのである。

 ちなみに、個人的にポニーテールだけはNGを出そうと決めていた。

 戦闘員30号だった時の髪型だったから、正体が露見しないように避けたかったのである。


「えー、ちなみにアンケート結果によると……」

「うぇ!? アンケート取ってたの!?」

「聞き込み調査しましたよ~」

「いつの間に……」


 輝羽ちゃんがお友達ノートをめくりつつアンケート結果を披露した。

 順位が高い順に、内巻き、三つ編み、ストレート、くびれ、ハーフアップ、外ハネ、ポニーテール、サイドテールである。


「三つ編み、なんでこんなに順位が高いんだろう?」

「見慣れてるから、っていう理由みたいだよっ!」

「ストレートは優等生イメージで選ばれていましたよ~」

「サイドテールが順位低いな。可愛いと思ったんだけど」


 サイドテールにした時は輝羽ちゃんとの鏡面対象の髪型だった。

 個人的には印象に残っているし、悪くなかったんだけどな。


「サイドテールは、たぶんきぅのイメージが足を引っ張ったんだろうな」

「どういう意味よ!」

「言葉のまんまの意味だよ!」

「あわわ、2人ともケンカしないでよぅ!」


 危うくヘンテコな争いが勃発するところだったけど、私が宥めたら矛を収めてくれた。

 本気のケンカじゃなくて、じゃれ合っていただけみたいだ。


 それにしても、内巻きが一番人気があるんだね。


「しばらくは内巻きにしよっかな」

「いいんじゃない?」

「ちなみに、零くんは三つ編みを選んでいましたよ~」

「いや、零くんはむしろ三つ編み以外にハートが耐えられないってだけだろ」


 弘子ちゃんの推測を聞いて、全員がうんうんと頷いている。

 よく分かっていらっしゃる。

 零くんはたぶん、そんな理由で三つ編みを選んだんだろう。

 一番好きな本当の髪型はどの髪型なのやら。


「それじゃ、次は私の番ですよ~!」

「え?」


 やる気に満ち溢れたぷに子ちゃんがクローゼットをパカっと開けて、いろんな服を取り出した。

 いやいや、買えないよ? 買うつもりも無いし!


「あの、服はお金がかかるからちょっと……」

「ぷに子の持ってる服、全部高いじゃん!」


 私がやんわり断ると、輝羽ちゃんも同意してくれた。

 こんな御殿に住むぷに子ちゃんがお勧めする服なんて高いに決まっている。


「安い服でコーディネートするの、輝羽ちゃんの方が上手そう」

「がーん、ですよー!」

「あぁ、核心を突いちまったか……」


 ぷに子ちゃんがよよよ、と崩れ落ち、弘子ちゃんに慰めてもらっていた。

 私の輝羽ちゃん、ぷに子ちゃんの評価は間違っていなかったってことかな?

 いくら似合う服があっても、買えないんじゃ意味無いもんね。


「こうなったら遊びますよ~!」

「こうならなくっても遊ぶ予定だったけどね!」


 2人は勢いよく立ち上がってニンマリと笑った。

 切り替えが早いなぁ。


「プール行く?」

「バドミントンの方が……」


 あぁ、室内運動場もあるんだ。

 いや、そんな気がしたから、もう驚かないけどね。


「失礼いたします」


 いつぞやのメイド長さんがノックして部屋に入ってきた。

 手にはオレンジジュースとイチゴを乗せたお盆、じゃなくてトレイを持っていた。


「あ、もう10時?」

「おやつの時間ですよ~!」


 メイド長さんが直々に1人分ずつのおやつを配ってくれている。

 これは100%果汁のオレンジジュースに違いない!

 私はスーパーのチラシでよく見ているので分かるのだ!

 ……高いから、飲んだことはあまり無いんだけどね。


「「「いただきま~す」」」


 挨拶をしてイチゴとオレンジジュースをいただいた。

 イチゴもかなり高いやつではないかと思われる大粒サイズで、口に含むと酸っぱさよりも瑞々しい甘さがジュワっと口いっぱいに広がっていく。

 よく熟れているようで、型崩れしていないのに白い部分まで濃い甘みがぎっしり詰まっていた。


 オレンジジュースはオレンジを凝縮したような美味しさで、ちょっとだけつぶつぶが残っている。

 スーパーのチラシに乗っているやつと言ったけど、間違いだったみたい。

 たぶんだけど、オレンジを絞って自家製ジュースを作ったんじゃないかな?


 ふとメイド長を見ると、おやつを堪能している間も部屋の中にいてじっと待っていた。

 こういうのって、いったん部屋を出て行くのかと思っていたんだけど、違うのだろうか?

 少し気になって、私は声を掛けることにした。


「……メイド長さん、ぷに子ちゃんに何か用事があるんですか?」


 私の声に、はしゃいでいたみんなの視線がメイド長に集まる。

 メイド長はそれを静かに受け止め、口を開いた。


「お嬢様、輝羽様、奥様からの伝言です。次のテストで平均点以下を取ったら家庭教師を付ける、と」

「「えっ!?」」


 ぷに子ちゃんと輝羽ちゃんがイチゴを持ったまま固まっていた。


「そ、そんな……! 助けてください~」

「お断りいたします。これはお嬢様のために必要な事です」

「な、なんで私までっ!?」

「大切な娘さんを預からせていただいているのに、勉学を疎かにさせては鶴田家の名折れ。奥様も、輝羽様の御両親に顔向けできないと悲しんでおられました」


 うーん、立派なお母さんだ。

 ちゃんと自立した人間になるように教育を施すつもりのようである。

 2人にとっては青天の霹靂みたいだけど、今のまま勉強しないのは危険だもんね。


「というわけで、勉強期間はわたくしが勉強を見させていただきます」

「い、いえ、そんな、そこまでしなくてもいいですよ~!」

「うんうん、私たち、自分でやるから!」


 メイド長の申し出を2人が必死に断っていた。

 でもこの2人、目を離したら絶対遊ぶんだろうな。手に取るようにわかる。


 輝羽ちゃんとぷに子ちゃんが私と弘子ちゃんに目で助けを求めてきた。

 うんうん、助けてあげますとも。

 私なりのやり方で、ね!


「大丈夫です、私が見ますから」


 手を上げて宣言すると、メイド長が私を見た。

 もともと弘子ちゃんに頼まれてお勉強するつもりで来たのだから、渡りに船というものだ。

 私はリュックサックをひっくり返し、中に入っていた勉強道具をドサドサと取り出す。


「これは私が用意したテストです。これでまずはみんなの実力を測ります。その後は必要に応じて課題を確認します。これが学校から出ている宿題のプリントの束なので……」


 私の様子を全員が口をあんぐり開けたまま見ていたけど、お構いなしにプランをお披露目する。

 一番最初に衝撃から我に返ったのはメイド長だった。


「なるほど、そもそも勉強するつもりで道具を持参されていた、と」

「はい、これを見たら信じていただけるんじゃないかと思いまして」


 私の主張を聞いて、メイド長は優しく微笑んだ。

 まぁ、後ろでは約2名が青くなっているわけだけれども。


「分かりました。わたくしよりもずっと適任のようです。好美様、よろしくお願いいたします」

「はい、承りました。さっそくビシバシやっていきます!」


 ギン、と後ろの2人を睨みつけ、筆記道具を持参させてホールへと出た。

 人数分の机が無いとテストしにくいからね。

 輝羽ちゃんもぷに子ちゃんも観念したらしく、大人しく私のテストを受ける気になったようだ。


 その後、1日かけて国語、算数、理科、社会、英語の5教科のテストを行った。

 一部はメイド長に答え合わせを手伝ってもらい、それぞれの得点を確認していく。


「弘子ちゃん、まだ勉強前だろうけど、結構いい点が取れてるよ」

「よーし、やったぜ!」


 さすが、2人に勉強を教える側だけあってちゃんと勉強できていると思う。

 普通に勉強していけば平均点より高い点数が取れるはずだし、心配ないかな。


「ぷに子ちゃん、全部、予想の平均点を下回ってるし、特に算数と英語がかなり厳しいかな」

「うぅ、どうかご内密に~……」


 無理だよ。すぐ後ろでメイド長が見てるもん。

 勉強が嫌いと言いつつ、どこかで努力していると信じたかったんだけどなぁ。

 ぷに子ちゃんはかなりの努力が必要になると思う。


「で、輝羽ちゃんなんだけど……」

「う……」

「これは本気で取り組む必要があるね」

「うぇえ!?」


 とにかく酷いの一言で、たぶん小学生の方が高い点数を取れると思う。

 このままでは輝羽ちゃんはダメになってしまう。

 どうやら、私が本気を出す時が来たようだ。


「さて、それではそれぞれに課題を出します」

「課題……?」

「輝羽ちゃんは今日中に小学2年生までの計算ドリルと漢字ドリルを終わらすこと」

「うぎゃああ!?」


 こんな程度で叫ばないでほしいんだけど。あと数時間あれば十分できるんだから。


「ぷに子ちゃんは英語の単語を発音しながら書き取り、とりあえず30個を10回ずつね」

「ぶ、物量がぁ~!?」


 お勉強は物量だよ、ぷに子ちゃん!


「弘子ちゃんはテスト範囲を見て行けば大丈夫だから、何か質問されたら教えてあげてほしいけど、基本的に自分のお勉強を優先してくれていいよ」

「あぁ、分かった」


 弘子ちゃんは特に指示が無くても平気だ。

 面倒を見なければいけない人数が減るだけでありがたい。


「宿題、たくさん出されたぁ……!」

「宿題?」


 なんだ、宿題って?


「え? もう3時過ぎてるし、これって宿題じゃないの?」

「あぁ、違うよ輝羽ちゃん」


 私は輝羽ちゃんの肩にがっしりと手を乗せた。


「ちゃーんと終わるまで面倒を見るからね!」

「ひぃいい!?」


 逃 が さ ん!

 宿題なんか出したって絶対にやらないでしょうが!

 どんだけ時間が遅くなっても最後まで見ていますとも!


「め、メイド長、遅くならないうちに送ってあげた方が~……」

「好美さんのご両親にはわたくしの方から連絡させていただきます。何ならお泊りいただいても」

「ひゃあああ!? 悪化しましたよ~!」


 お泊りは難しいかな、朝にアルバイトがあるし。


「すみませんが、お泊りは難しいです」

「ほっ、良かったですよ~」

「その代わり、学校へ1週間ほどお迎えに来ていただけませんか?」

「ふぇ!?」


 この2人はとにかく目を離しちゃいけない。

 驚いているぷに子ちゃんたちには構わず、私はメイド長に直談判をした。


「連れて帰って勉強させますので」

「うぎゃあああ!?」

「ひにゃあああ!?」


 2人とも泣き叫んでいるけど、絶対に譲りませんから。

 私は逃げ出そうとした2人の腕をがっしりと掴んだ。


「絶対に勉強してもらうからね」

「う!? よっしー、力つよっ!?」

「ビクともしませんよ~!?」


 ひとまず怪人パワーで確保した。

 絶対に逃がさん! 私は今日から1週間、鬼となる!


「ここまでしろとは言っていないんだけど……」


 弘子ちゃんがボソッと呟いた。

 甘いよ、弘子ちゃん。

 人間、やらなければならない時に投げ出したらダメなんだよ!


 その後、私は嫌がる2人に有無を言わさず勉強をさせて帰宅した。

 とにかく効率的に、かつ物量をこなしてもらわないといけない。

 まずは時間割を作って、メイド長にお手伝いしてもらう手順も整えて……。


 私は明日以降の予定もしっかり考えてお勉強の準備を整えていった。



-- 7月2日(日) 7:30 --


「おーい、帰ったぞ~」

「あ、お帰りなさーい」


 玄関の方からお父さんの声がする。

 迎えに行くと、その手にはお野菜が詰まった布の袋が抱えられていた。


「ほれ、採ってきたぞい!」

「うん、ありがとう。大変だったでしょ?」

「ひゃっひゃっひゃ! そうじゃな、意外と大変じゃったわい!」


 今日、私が新聞配達に行っている間、お父さんにはお野菜の収穫をお願いしたのだ。

 本当は私が行くつもりだったんだけど、今日もお勉強会があるから手が回らなかったのである。


 ちなみに、お父さんは白髪禿げ頭であり、言葉遣いもおじいちゃんっぽいが、まだ30代だ。

 秘密結社パンデピスのマッドサイエンティストであり、その風貌が組織内では貫禄を出すのに役に立っている……のかもしれない。


「あの規模の畑でも、結構な量になるんじゃな」


 お父さんがナスを1つ手に持ってしみじみと呟いた。

 (うね)1つだけでも大量に採れるから、私も最初に収穫した時には驚いたっけなぁ。

 農家の人ってあれをアール単位で行うんだからすごいと思う。


 採ってきてもらった物はきゅうりとナスである。

 少し大きくなりすぎているものや、表面がざらざらしてしまっているものもあるけれど、おおむねちゃんと育ってくれたようだった。

 後でぬか漬けや漬物にしてしまっておこう。

 あ、土地や道具を貸してくれている農家のおじいちゃんおばあちゃんにもおすそ分けしなきゃ!


「ついでに植え替えもしてきたぞい!」

「え? それも?」

「あぁ、途中で篤人くんに合流してのぉ、バッチリじゃわい!」

「篤人さんも手伝ってくれたんだ」


 そろそろトウモロコシと枝豆の植え替えを行う時期であり、鉢植えで育てた苗を畑に移し替えなければと思っていたのである。

 まさかそこまでやってくれていたとは。何かしらお礼をしないといけないかな?


「たまには土いじりも楽しいもんじゃな!」

「ありがとう。ご飯できているよ」


 今日の朝ごはんは、白米にお味噌汁、納豆、玉子焼きとほうれん草のお浸しだ。

 一応、昨日の夜に作った麻婆豆腐の残りと、イカと里芋の煮つけも出してある。

 おみそ汁の具はシンプルに豆腐とわかめだ。

 明日からはナスも入れてみようかな?


 お父さんが手を洗って、食卓に着く。

 私はもう食べ終わったので、配膳したらしばらくのんびりだ。


「いただきまーす」

「はーい」

「うむうむ、労働の後のご飯は格別じゃな!」


 お父さんが食べ始めるのを横目に、私は何となくテレビを眺めた。

 先日はパンデピスの襲撃が無かったこともあって、ニュースで各地のイベントやグルメがメインで放送されている。

 平和っていいなぁ~。


「ふぅむ、まだ朝日岳の戦いは防衛隊にバレていないようじゃのう」

「あー、邪紋とかいう組織と戦っているやつ?」

「そうじゃよ。なかなか熾烈な戦いをしているみたいじゃからな!」


 残り5人の怪人たちを相手に、まだまだ戦いは続いているようだがニュースにはなっていない。

 篤人さんの見立てでは今日中に決着が着くって話だったはず。

 結構苦戦しているみたいだし、それまで防衛隊に見つからないといいんだけど。


「ところで好美や、今日も友達の家に行くんじゃろ?」

「うん。というより、次の木曜日までずっと行くことになりそう」


 最後までお勉強の面倒を見るつもりでいるからね。

 でも、そうなると晩御飯はしっかり作ることができないかもしれない。

 お鍋とか焼肉とか、煮たり焼いたりするだけの料理にして、下拵えだけしておけばいいかな?


 どのみち、今日は準備が間に合わないからカップラーメンで我慢してもらうとしよう。

 お父さんにとってはご褒美でしかないかもしれないけども。


「ごめんね。ちょっと迷惑かけちゃうかもしれないけど」

「ひゃっひゃっひゃ! 遠慮することは無いわい! ワシだって料理くらいできるしな!」

「……しないじゃん」

「する必要が無かっただけじゃわい!」


 やっぱり放っておこうかな?

 いや、そうしたらカップラーメンばっかりになるからダメだ。

 当初の予定通り、仕上げだけお願いする形で準備するのがベストだろう。


「洗い物くらいはやっとくから、気にせず行ってこい!」

「うん、分かった。よろしく」


 軽く野菜や肉の備蓄状況を確認しておいて、メモを取っておいた。

 足りない物があったら帰りにスーパーにでも寄っていこう。


 私はリュックサックの中に数枚のチラシを放り込み、玄関を出て行った。

 ついでに今日は伊達メガネも装備しており、完全に家庭教師モードである。

 私の眼鏡が唸るぜ!



-- 7月2日(日) 13:30 --


 鶴田家のメイドさんたちのご厚意により、みんなで昼食をいただいた。

 食休みを終えて勉強を開始してから僅か数分後。

 頭からプスプスと煙を出していた輝羽ちゃんがとうとう限界を迎えたようだ。


「あ~! もうヤダぁああ~!」


 絢爛豪華な燭台のついたテーブルに、バンッと手をついて立ち上った。

 と思ったらそのまましおしおと萎えてテーブルに顔を突っ伏してしまう。

 逃げなかったのは偉いと思うけど、本当に精神力が持たないところまで来てしまっているらしい。


「助けて弘子~!」

「可哀想だけど、きぅを本当の意味で助けてるのはよっしーだと思う。あきらめて勉強しろ」


 弘子ちゃんは共感こそすれども甘やかすことは無かった。

 この中じゃ一番、輝羽ちゃんたちの学力をどうにかしなきゃと思っていた人物だからね。

 弘子ちゃんから頼まれなかったら、私も本気で取り組まなかっただろうし。


「私も付き合いますから、頑張りましょ~」

「ぷに子まで……」

「私だって辛いんですよ~……!」


 ぷに子ちゃんも、悲壮感を漂わせながら教科書と向き合っている。

 輝羽ちゃんよりちょっとマシ程度だから、本人も努力が必要だということは理解しているのだろう。

 こちらは文句も言わず、覚悟をもって取り組んでくれているようだった。


 ところでこの2人、面倒を見始めて分かったのだが地頭は悪くない。

 私のカリキュラムを守ることさえできれば一気に飛躍することも可能なんじゃないかと思う。

 一にも二にも、とにかく集中力だ。

 やる気を出させることが肝心である。……それが一番難しいんだけどね。


 さて、どうすればいいんだろう?


「頑張った分だけ何かちょうだいよ~! 褒められるだけじゃヤダ~!」

「おま……、勉強を教えてもらっておいて更に強請(ねだ)るんかい!」


 弘子ちゃんはわがまま扱いしていたけど、そういえばご褒美を設定していなかったっけ。

 頑張った分だけ何か良いことがないと張り合いは無いだろうし、もしそれでやる気が出るというのなら悪くない提案かもしれない。


 ただ、私ができることってなると、お料理くらいかな?


「ナスとししとうの天ぷらなら出せるけど……」

「そんなんじゃヤダぁ!」


 そんなの呼ばわりされた。地味にショックだ。

 自信あるのに……。


「そう? 私、ソレめっちゃ欲しいんだけど」


 でも弘子ちゃんにはむしろ刺さったようだ。

 どこかで披露する場があったらご馳走してあげたいな~。


 まぁ、それはそれとして、輝羽ちゃんへのご褒美を先に決めないといけない。

 あとは何ができそうかを悩んでいたら、ぷに子ちゃんが突然、パンッと手を合わせた。


「あっ、いいこと思いつきました! みんなで海に遊びに行きましょ~!」

「海!? 良いね、さすがぷに子!」


 海か~。

 輝羽ちゃん、泳ぐの好きみたいだし、遊びに行くのは良い案だと思う。

 ただ、私は土日にパンデピスの活動があるので参加できないかもしれない。

 そう思っていたら、なんと夏休みになってからだとぷに子ちゃんが言いだした。


「遊びに行くのは8月に入ってからですよ~!」

「え、なんで?」

「いろいろと準備があるんですよ~! その代わり豪華にしますよ~!」

「豪華ならオッケー!」


 輝羽ちゃんとぷに子ちゃんが元気を取り戻していた。

 夏休みなら土日を避ければ何とかなるだろう。


「私、夏休みは結構忙しいんだけど……。まぁ、1日くらいなら」

「2泊3日ですよ~!」

「ええぇ? どこに行くつもりなの?」

「まだ秘密ですよ~! さぁ、勉強しますよ~!」


 ぷに子ちゃんは何やら計画しているみたいだけど、はぐらかされてしまった。

 しかも勉強し始めてしまったので、こちらからその手を止めさせるわけにもいかない。

 元気を取り戻した輝羽ちゃんとぷに子ちゃんは目を見張るほどの集中力を発揮していた。

 うぅ、聞きたいけど、ますます止めるわけには……!


 結局、その日はとんでもなく勉強が捗った。

 輝羽ちゃんとぷに子ちゃんはテンションが上がると頑張れるらしい。

 今後も何かしら気を引くご褒美を考えておかなくちゃ!


 あと、海に行くことについては土日を避けてもらうように、ぷに子ちゃんにお願いしておいた。

 快くオーケーを貰えたので、これでホッと一安心である。

 8月に3日間、みんなに付き合うことが確定してしまったけど、まぁいいや。

 お父さんにも後で伝えておこう。



-- 7月3日(月) 7:00 --


「「いただきまーす」」


 月曜日の朝、お父さんと一緒にいただきますの挨拶をして、朝ご飯を食べ始めた。


 今日はいつもの献立に加え、冷やしておいた新鮮なキュウリと味噌を用意してある。

 味噌の甘さとキュウリの瑞々しさ、それに加えて素晴らしい歯ごたえ。

 新鮮なキュウリはただ味噌を付けただけで十分にご馳走だ。

 噛むたびにパリポリといい音が鳴り、それがより美味しさを引き立てている。


 お父さんと一緒にキュウリを齧っていると、テレビのニュースにレッドドラゴンとブルーファルコンの姿が映った。

 キャプションには『秘密結社パンデピス 他県の組織と抗争か!?』という文字が躍っている。

 どうやら戦っていることがバレてしまったみたいだ。


「結局、見つかっちゃったんだね」

「ひゃっひゃっひゃ! そりゃ3日も4日も戦ってりゃバレるわい!」


 先週の木曜日あたりからずっと抗争状態になっていたんだっけ?

 身を隠している時間もあっただろうけれど、随分と長く戦っていたものだと思う。

 結局、どういう決着になったのやら。


『2つの陣営に分かれていた怪人たちでしたが、ヒーローたちが到着した頃には秘密結社パンデピス以外の怪人は姿を消し、そのパンデピスの怪人たちも蜘蛛の子を散らすように逃げたとのことです。この件について矢木参謀長は……』


 ニュースを見る限りだと、決着が着いたあたりでヒーローたちが現れたのかな?

 篤人さんなら詳しく知っているだろうし、そのうち教えてもらえるんじゃないかと思うけど……。


「お父さんは何か知らないの? どっちが勝った、とか」

「情報は無いが結果は見えとる。ワシに連絡が来ていないことが答えじゃわい!」


 確かにそうかも。

 もし、よほどの劣勢ならお父さんのところにも連絡が来るはずだ。

 私や篤人さんの見立て通り、パンデピスの勝利で終わったと見て間違いないだろう。


「どうせなら邪紋の連中も、表立って暴れてくれれば良かったのじゃがな!」

「えー、何で?」

「どんな能力で、どんな怪人か気になるじゃろ?」

「いや、別に」

「ぬぅ……ロマンの分からん奴め!」


 お父さんは怪人の改造が気になるみたいだけど、私はどっちかというと巻き込まれる人たちの方が気になっちゃうよ。

 迷惑だとしか思えないから、怪人にロマンなんか感じられるわけがないのだ。

 邪紋に対しても、表社会に悪影響を与えない形で戦ってくれたことだけは感謝したいと思う。

 おかげで輝羽ちゃんたちのお勉強に集中できたし。


「そうそう、今日は夜遅くに帰ることになると思うから、お鍋の準備だけしておくね。具材を入れて中火で煮ればいいだけだから」

「マメじゃのぅ。別に放っておいてくれてもいいんじゃぞ?」

「ダーメ! お父さんに任せたらカップラーメン生活になりそうなんだもん」

「分かった分かった! 言うとおりにするわい!」


 お父さんを言いくるめ、私は夕飯の準備を進めるため台所へ向かった。

 もう鍋っていう季節じゃないけど、辛さで食欲増進を狙ってキムチ味にしておけばいいや。

 野菜を切り、調味料を計量して容器に入れ、お肉も取り分けて、全部お盆に乗せて冷蔵庫へ入れておけば準備完了である。


 夕飯の支度を済ませるともう学校へ行く時間だ。

 新しい髪型もきちんとセットして、登校の準備も完了である。


 なお、今日も伊達メガネを装備中だ。私の決意の表れである!

 日曜日までは基礎部分のレベルアップだけで終わってしまったから、残り3日間が勝負だ。

 輝羽ちゃんとぷに子ちゃんには是非とも良い点を取ってもらわなければいけない。


「それじゃ、行ってきまーす!」

「おー、行ってらっしゃーい!」


 小雨がパラつく中、右手に傘を、左手に決意を握りしめ、私は家を飛び出していった。



-- 7月6日(木) 8:45 --


 お勉強の毎日が過ぎていき、ついに戦いの日がやってきた。


「……」


 輝羽ちゃんが机に両肘をつき、組み合わせた手の甲に顎を乗せて目を閉じている。

 静かに集中力を高めているようだ。

 周りのみんなも、いつもと違う輝羽ちゃんの様子に戸惑っている様子である。


「輝羽から物凄いオーラが出てるぜ……!」

「あれは、どっちなんだ? 諦めの境地なのか、気合が入っているのか」


 渡くんと修一くんもその様子に気付いてひそひそと話し合っている。

 中には現実逃避などと揶揄(からか)う友達もいるようだが、そうではない。


 この5日間、輝羽ちゃんは頑張った。

 最初こそ嫌々ながらやっていた様子だったが、後半は手ごたえを感じていたはず。

 私には輝羽ちゃんが高得点を取れるという自信があるのだ!

 そして、それは私だけが感じていたわけではなかったようである。


「ふっふっふ、うちらの大将を甘く見てもらっちゃ困るぜ。貴様等に奴は倒せない」


 弘子ちゃんが腕組みをし、不安を煽る実力者みたいな言い回しで語った。

 何かの漫画やアニメのようなノリである。

 そして、調子のいい渡くんがそれを見て即座に言い返した。


「何ぃ!? 俺と最下位争いを繰り広げていた輝羽が、修一に勝てるとでも!?」


 バッと手を広げ、片手で相方の修一くんを指し示した。

 言い返すのは良いんだけど、自分じゃなくて修一くんの威を借りるのはどうなんだろう?


「お前もっと頑張れよ……」


 案の定、修一くんには呆れられていた。

 修一くんには私たちグループにおける弘子ちゃんポジションというか、苦労人の匂いを感じる。

 もしかしなくても、渡くんのお勉強を見てあげていたんじゃないかな?


「はーい、それじゃ、みんな教科書しまって~」


 教室にテストを持ってきた星先生が入ってくると、みんなが机の上を筆記用具だけにする。

 ついに戦いの時が来た。


 プリントが裏返しで配られ、テスト開始の合図で一斉にみんながひっくり返した。

 静かな教室に、鉛筆が答案用紙を埋めるカリカリという音だけが小さく聞こえてくる。


 チラリと輝羽ちゃんを見ると、順調に鉛筆を動かしているように見えた。

 あの様子ならきっと大丈夫だろう。


 頑張って、輝羽ちゃん!

 私は心の中でエールを送ると、目線を目の前のテストへと戻し、自分の戦いへと戻っていった。



-- 7月6日(木) 15:15 --


 キーンコーンカーンコーン……。


 1日の終わりを告げるチャイムが鳴り、期末テストの1日が終わった。

 残すは明日の漢字検定のみ。

 私はそっちにも全力で取り組むのだけれど、期末テストに照準を合わせていた輝羽ちゃんとぷに子ちゃんは今日のテストで一区切りである。

 まぁ、どさくさに紛れて漢字も勉強してもらっていたし、そっちにも好影響は出るはずだ。


「終わったぞぉ~!! 永い永い戦いだった!! 俺は自由だー!」


 全てをやり終えた輝羽ちゃんのテンションがものすごく高い。

 両手を天に向かって突き上げたかと思えば、そのまま独楽(コマ)のようにクルクルと回転しだしたりと、とにかく動き回っている。


「まぁ、きぅ程じゃないけど解放感は感じるね。今回は私も頑張ったし」

「テストの結果が楽しみです~」


 ぷに子ちゃんもかなりの手ごたえを感じていたようだし、2人に付き合っていた弘子ちゃんも一緒にしっかり勉強していたから、良い点が取れるんじゃないかな?


 私自身は、どうなんだろう?

 人に教えることで理解の手助けにはなったけど、今回は厳しいかもしれない。

 相手が久くんじゃなかったら余裕なんだろうけども……。


 まぁ、今回は別に負けてもいいかな。

 私もやり切ったという気持ちでいっぱいだからね。


「……今日も勉強するとか言わないよね?」

「あ、したい?」


 私がにこやかに答えると、輝羽ちゃんとぷに子ちゃんは大慌てで首を振った。

 半泣きになっているし、そんなに嫌なの?


「また次のテストで頼むわ」

「ちょ、弘子!?」

「弘子ちゃん!?」

「いや、じゃないとお前らサボるだろ?」


 弘子ちゃんの言葉に、2人は顔を見合わせてガックリと項垂れた。


無限(むげん)にやれなんて言わないよぅ。でも、前より良い点を目指した方が良いと思うよ」

「それ、今回以上に頑張らなきゃダメじゃん!」

「これ以上は無理ですよ~!」

「いや、普段からちょっとずつやれよ。本来、一気にやる必要ないんだからな?」


 弘子ちゃんが私の言いたかったことを言ってくれた。

 うーん、私もちょくちょく、お勉強を見てあげた方が良いかもしれない。

 テスト前になるまで何も行動しなかったから、その点は私も反省しないと!


「明日の漢字検定、実は2人とももう勉強済みだから大丈夫だよ」

「え? そうなの!?」

「漢字ドリル、やったでしょ?」

「えぇ!? あれがそうなの!?」

「うん」


 4級なら合格できる実力はあると思うし、頑張ってほしいな。


 校門を一緒に出て、最初の交差点で私は輝羽ちゃんたちと別れた。

 今日はメイドさんたちのお迎えも無しなので、寄り道してから帰るようだ。


 私は漢字検定の準2級で久くんと勝負である。

 良い点が取れるように、頑張って勉強しようっと!

 今度は自分の番だと気合いを入れて、私は家路を急ぐのだった。



-- 7月8日(土) 5:30 --


 漢字検定を終えて、私はルンルン気分で牛乳配達の自転車を漕いでいた。

 思った以上に調子が良くて、高得点が狙えるという手応えがあったのである。

 合格、貰えるんじゃないかな?


 内巻きの髪型にももう慣れて、手早くパパッと整えることができるようになった。

 家庭教師モードもOFFなので、今日から伊達メガネともしばらくサヨナラだ。


 カコンと鳴る牛乳瓶入れに牛乳瓶を入れて、私は次の家へと急ぐ。

 今日は曇りのち雨の天気予報だし、お布団は干せそうにないかな?

 そんなことをぼんやりと考えながら道を曲がると、そこには見知った顔が並んでいた。


「おっ! おはよう、好美ちゃん」

「おはよう、好美さん」

「おはようございます、アズマさん、零くんも!」


 今日は2人でランニングかな?

 そう思っていたら、後ろからもう1人遅れて出てきた。


「あ、おはよう、姉さん」

「ゆ、ゆーくん!?」


 弟のゆーくんが一緒にランニングをしていたようだ。

 ゆーくんはヒーローとしては半人前で護衛対象だからと、自由に外へ行けなかったはずなのに。

 まぁ、実際は半人前とか言いつつ普通のヒーロー並みの戦果を出しているんだけどね。


「あの、もう外に出てもいいの?」

「いや、残念だけどそうじゃないんだ。条件付きなんだよ」


 期待を込めて尋ねたのだが、アズマさんから否定が返ってきた。それは本当に残念だ。

 でも、条件さえクリアできるなら出かけられるらしい。

 それなら今日みたいに運よく出会える日もあるかもしれない。


「今は僕らと一緒の時だけだよ」

「事前に申請したり、準備が色々あって大変なんだ」


 ゆーくんは面倒くさそうに言っているけれど、それでも嬉しそうだ。

 トレーニングのためだったとしても、広い空の下で身体を動かせるのが楽しいのだろう。


「優輝の成長には教官もびっくりしていたぜ! 戦闘経験や能力的にはそろそろ"半人前"は取り払っていいんじゃないかって言うくらいに認められてるよ!」

「もうジェットパックの使い方も完璧だし、出撃の手順も間違わないからね。日々の訓練だって、だんだん先輩の防衛隊員たちについていけるようになってきてるよ」


 アズマさんも零くんも、ここぞとばかりに誉めそやしている。

 いや、どちらかというと自慢話に近いかもしれない。

 私は怪人という立場もあってヒーローの活動は褒めにくいんだけど、弟としての面は自慢したい側だから、その気持ちはよく分かる。


「皆さんが丁寧に教えてくれたから……」


 ゆーくんは照れながら謙遜していた。

 我が弟は礼儀正しく、奥ゆかしいな~。

 ホント、すごく良くできた弟なんですよと声を大にして言いたい。


「この前の戦いにも出てくれていればなぁ~。1体くらい倒せたかもしれないのに!」

「怪人を倒したいのは山々ですけど、他の地域に怪人が出たらまずいでしょう?」

「教官も悩んでましたもんね」

「分かってるって! 分かってはいるんだけどさ~!」


 アズマさんが言っているのはパンデピスと邪紋の戦いのことだと思う。

 いつもとは違う状況だったから、防衛隊もヒーローの戦力を慎重に振り分けたみたいだ。

 もし、全員が出て来ていたら何人かやられちゃってたかも。


「怪人たちはかなりケガしていたみたいだし、チャンスだったんだけどな~!」

「そうなんですか?」


 怪人たちが怪我人だらけってことは、最後の最後までしぶとく抵抗されたに違いない。


「うん。僕たちが見たところ、ほとんどの怪人がそうだったよ」

「上空の映像から見ていても結構な人数がいたよ。パンデピスの怪人ってあんなにいるんだね」


 そんな一目で分かるくらいの多人数で挑んで、返り討ちに近い状態にされてしまっていたのか。

 どうせまた足の引っ張り合いか、単独行動をしていたのだろう。

 パンデピスの怪人たちも学習しないなぁ……。


「今週末、もしかしたら怪人が出ないかもって教官が言ってたぜ!」

「戦える怪人が残っていない可能性が高いらしいよ。出てきたらもちろん容赦しないけど」

「僕、しばらく待機だけになるかも……」


 なるほど、確かに多くの怪人たちがケガしちゃってるなら出撃できる怪人がいないかも。

 上杉教官って、もしかしたら内部にいる私よりもパンデピスを分かっているかもしれない。

 ベテランの防衛隊員の経験って凄いな。


「平和な週末になるといいですね」


 こればかりは敵味方なく、心の底からそう思った。

 お互いに穏やかな週末が過ごせるといいな~。


「それじゃ、そろそろ行こうぜ! じゃーな、好美ちゃん!」

「またね、好美さん!」

「バイバイ!」

「うん、また! 車に気を付けてね~!」


 私は走り去っていくみんなに手を振って、その姿が建物の陰へ消えるまで見送った。

 牛乳配達を再開するため、私も自転車に跨ってペダルを漕ぎ始める。

 まだ半分弱くらい残っているし、今日は少し急がないといけない。


 ゆーくんとの遭遇で気分よく疾走していると、今度は見慣れた軽トラが私の目に映った。

 こちらに向かってゆっくりと走ってきて、傍らまで来るとその場に停車した。


「おはよう、好美ちゃん」

「おはようございます、篤人さん」


 運転席から出てきたのは篤人さんだ。

 どういう風の吹き回しか、今日は普通に登場してくれたようだ。


「今日は安全運転ですね」

「うん。……うちの連中がケガ人だらけだから、これ以上増やすわけにはいかないからね」


 後半は声を潜めつつ、少しおどけるような声色でそう言った。

 私は轢かれてもケガはしないだろうけど、念のため、やめておいたようである。

 まぁ、ケガをしようがしまいがやめてほしいのだが。


「あれから1週間たったけど、どうも不安定な状況みたいでね。出撃予定が未定なんだよ」

「それって、もしかして今日だけじゃなくて明日もですか?」

「うん、そうだよ。ケガ人が多くて編成に苦労しているみたいでね」


 アズマさんたちが言っていた通り、本当にケガをしている怪人が多いみたいだ。


「ブラッディローズもケガしたんですか?」

「そうじゃないんだけど、彼女が出るくらいならケガを押しても出るっていう怪人が多くてさ」

「ケガしたまま出撃って、むざむざとやられにいくようなものじゃ……」

「そうだね。だから幹部も困ってるんだよ」


 荒くれ者たちを率いる苦労がしのばれる。

 私だったら匙を投げたくなる状態だ。


「そんなわけで、今日は地下基地に行こうか」

「はい、分かりました」

「うん。また迎えに行くよ!」


 私が了承の意を返すと、篤人さんはそのまま軽トラで走り去っていった。

 本部に顔を出すことが確定してしまったが、休みになりそうな気もするんだよね。

 無駄足じゃないかとも思うけど……。


「別にいっか。何もないなら、それでいいし」


 今日と明日は恐らく、出撃は取りやめになるんじゃないかと思う。

 私は気楽に構えることに決めて、再び自転車を漕いで次の配達場所へと向かった。



-- 7月8日(土) 10:00 --


 地下1階の大会議室にて、私、ノコギリデビルはひとりで書類を眺めていた。

 数多くの怪人たちが邪紋との戦いに挑んだが、戦果を上げた者は片手で数えるほどしかいない。

 多くの者は返り討ちに遭い、傷だらけの体で逃げ帰ることになってしまっていた。


「まったく、ここまでいいようにやられるとはな……」


 幹部候補の席をちらつかせ、やる気を出させていたことがマイナスに働いてしまった。

 我先にと戦場へ突っ込んでいき、罠に嵌っては敗走を繰り返す我が組織の怪人たちの姿は、相手からはさぞ滑稽に映ったことだろう。

 ただ、それでも負けるはずのない戦いではあったし、事実、勝利をものにすることはできた。


「勝利と引き換えに、今日明日の出撃は見送ることになったがな……」


 今日、ミスティラビットがその気なら任せることも視野に入れていたのだが、やはりというかなんというか、本人に出撃したいという意思は無かった。

 まぁ、そう言うだろうと思っていたから特に気にはしていないのだが。


 むしろ、マスターバブーンから武術の指導を受ける方が今の彼女にとっては重要だろう。

 来て早々、マスターバブーンに捕まって闘技場へ連れて行かれたようだ。

 先週は武術の訓練ができなかったようだし、今日明日はみっちり練習してくれたらいい。


 私が今回活躍した一握りの怪人たちの資料を見比べていると、エントランスの方からどよめきが上がったのが聞こえた。

 その後、すぐに受け付けの戦闘員からのコール音が響く。


「私だ。どうした?」

『グレンオーガ様がお着きです。ご案内してもよろしいでしょうか?』


 受け付け嬢の声が微かに震えている。

 どうやら随分、恐ろしいと感じているようだが、それは致し方あるまい。


「ふふふ、ついに来たか。大会議室へお通ししろ」

『かしこまりました』


 受け付け嬢は努めて冷静沈着に受け答えしてくれている。

 奴は彼女に手を上げることはあるまい。

 だが、エントランスにいた怪人たちは果たして無事だろうか?

 戦闘の音が聞こえなかったことを考えると、最悪の事態にはなっていないはずだが……。


 私は基地に残っていた怪人たちを心配しつつ、彼を出迎えるために席を立った。

 会議室の扉の前で待機していると、程なくして扉が開かれた。


「ふふふ、久しぶりだな。グレンオーガ」

「ぐははは! 元気そうでなによりだ、ノコギリデビル!」


 現れたのは私より2回りほど大きい、鬼のような風貌の怪人だった。

 豪快な笑い声も、溢れんばかりの覇気も依然と変わらない。

 いや、頭に冠のように備え付けられた火焔型土器は一部欠けたままになっているようだ。


「その兜は直さないのかね?」

「ぐははは! これはこのままでいい! 名誉の傷よ!」

「ふふふ、あの戦いは納得のいく戦いだったということか」

「もちろんだ! あの戦いこそ俺が求めていたものだったからな!」


 そう言って満足げに笑っている。

 まったく、私としては彼が死ぬほど追い詰められたと聞いて耳を疑ったものだがな。


「立ち話も何だろう。こっちへ――」

「ノコギリデビル、こ、コイツ、いったいなんだってんだ!?」


 席に案内しようとしたところに、エントランスにいた怪人たちがなだれ込んできた。

 ふむ、猿と犬の問題児どもに、ゴングコングか……。

 見たところ、ケガをしているようだが、あれは邪紋との戦いでできた傷に違いあるまい。


「あぁ、別に喧嘩なんかしちゃいねぇよ?」

「ふふふ、そのようだな」


 おおかた、彼の迫力に飲まれて何もできなかったのだろうが、それでも己のプライドと負けん気だけで正体くらいは知りたいとここに来たのだろう。

 その気概ある行動に免じて、少しくらいサービスしてやろうではないか。


「ふふふ、ここにいる幸運な諸君らに紹介しておこう。……彼は怪人グレンオーガ。私たち幹部の上に立つ、大幹部の1人だ」

「おう、グレンオーガだ。よろしくな!」


 いっそ朗らかというくらいの気さくな挨拶をするグレンオーガに対し、見に来た怪人たちは言葉を失っているようだった。

 それもまた仕方あるまい。

 今までトップシークレットだった幹部の、更に上の存在など、彼らは知る由もなかったことだ。


 6人いる幹部の上に、大幹部と呼ばれる怪人がいる。

 その数は3人。

 そのうちの1人が、この怪人グレンオーガだ。


 全身は縄文式の紋様が描かれた土くれのプロテクターで覆われ、火焔型土器を模した兜を被っている大男である。

 その彼のベルトで、幹部よりも更に大きいバッジが輝きを放っていた。


「ふふふ、幹部を1人増やすには大幹部の承認が必要なのでな」

「さっき聞いたぜ。どんな奴が候補なんだ? 強そうな奴はいるか?」

「さて? まだ君には及ぶまいが、届きうる逸材なら心当たりがあるがね」


 グレンオーガは喜びに目を見開いて私を見た。

 そして後ろにいる怪人たちを順番に注視する。……が、すぐに視線を戻してしまった。

 グレンオーガは彼らではないと見定めたのだろう。

 注視された3人は縮み上がり、はっきり言えばそれだけで格下だと分かってしまったからだ。


「おい、本当にいるんだろうな? がっかりさせんじゃねぇぞ?」

「ふふふ、届きうる逸材と言っただろう。まだまだ粗削りな者たちだ。あまり仲間を怖がらせないでくれたまえよ?」


 さすがに、今すぐ彼のお眼鏡に叶うというわけではないからな。

 グレンオーガの戦闘力は、まさに別格。

 幹部が束になって戦っても勝てるかどうかは分からない。

 そのくらいの実力差があるのだから。


「……グレンオーガ。戻ってきていたのか?」


 ふと、入り口の方から鈴の音のような声が聞こえた。

 入ってきたのはブラッディローズである。

 普段の無感情な声とは違い、少しだけ喜びの感情が入っているように聞こえた。


「久しぶりだな、ブラッディローズ! 俺としたことが、心配かけちまったぜ!」

「ふん、心配なんぞしていない」

「ぐははは! ならいい! まぁ、俺が簡単にくたばるわけねぇからな!」


 グレンオーガも随分と楽しそうに話すようになったものだ。

 顔は笑っていてもいつも何かに怒っている、そんな雰囲気を出していた男だったが……。


「ふふふ、最初に見て欲しい怪人がいる」

「ほ~? ってことは、ブラッディローズじゃねぇってことか」


 ニヤリと挑発的に笑うグレンオーガに、ブラッディローズは少しムッとした表情を見せていた。


「ふふふ、ブラッディローズは私の想像を超える怪人の1人だよ。まだ君には届くまいが……」

「ぐははは! その評価、悪くねぇな!」


 事実、彼女の成長速度には目を見張るものがある。

 いずれグレンオーガに迫ることができる怪人の1人だろう。


「ふふふ、私が推薦するのは、怪人ミスティラビット。彼女を最初に見て欲しい」


 グレンオーガの目の前に資料を差し出したのだが、彼はそれを見ずに、すぐに返してきた。


「俺の許可を貰いたいんだろ? なら、言いてぇことは分かるよな?」

「ふふふ、やはり、直接見なければ納得できんか……」

「おうよ! そんなの見るだけ時間の無駄だ!」


 グレンオーガは実力主義の怪人であり、その評価基準はいたって単純だ。

 強ければいい――。

 いや、強くなければ幹部とは認めないと言い直した方が良いだろう。


「ミスティラビットなら幹部にしても良いと思うぞ?」

「ぐははは! ブラッディローズも推薦するってのか? それは楽しみだぜ! だがな……」


 突如、グレンオーガが腕に力を籠める。


 その腕からは青黒い炎が噴き出し、たちまち大会議室が熱気に包まれていく。

 私が見ていた資料はその熱気に負けて炎が灯り、あっさり燃え尽きて灰になってしまった。

 まったく、相変わらず周りの迷惑を考えない男だ。


「判断するのは俺だ。ぐははははは!」


 その圧倒的な力と高笑いに、見ていた怪人たちが後ずさりする。

 ブラッディローズも少々たじろいだようだが、根性で耐えているようだ。


「ふふふ、そのくらいにしてくれたまえ」

「ぐははは! (わり)ぃな、力加減は昔っから下手でよぉ!」


 そう言いつつ炎を引っ込める。

 彼には威嚇をする意図は無く、資料を燃やすイタズラくらいの感覚なのだろう。

 そのイタズラのせいで、怪人たちが腰を抜かしているようだが。


「ふふふ、グレンオーガ、君の強さの尺度に合わせていたら誰も候補が残らんよ」

「ぐははは! お前が見どころあるっつったんじゃねーかよ! ……んで、どーすんだ?」

「そうだな……。現幹部と見比べて判断するというのは如何かね?」


 それなら、比較対象は少なくともグレンオーガではなく別の幹部1人で済む。

 現幹部と同程度の実力を示すことができるなら、グレンオーガは納得してくれるはずだ。

 また、これは試金石でもある。

 ミスティラビットがダメなら他の幹部候補もグレンオーガのお眼鏡には叶うまい。


「まぁ、いいぜ。だが、相手となる幹部は俺から指定させてもらう」

「ふふふ、もちろん構わんよ。誰にするのかね?」


 一応聞いてはみたものの、グレンオーガなら選ぶのは1人だろう。


「俺の知る、幹部内で一番強い奴に決まっている。……ジゴクハッカイだ!」

「ふふふ、承知した」


 やはりそう来るか。

 どうやらジゴクハッカイにはこちらにご足労願わねばならんようだな。

 彼はグレンオーガに苦手意識はあるだろうが、遅かれ早かれ会う必要はあったことだろう。

 この機に顔合わせまで済ませてしまうとするか。


「来週、さっそく彼に出てもらうことにしよう。ケガ人多数でちょうど困っていたところだ」

「ぐははは! 楽しみにしているぜ! ……ブラッディローズ、おめーが来ることも楽しみにしてるぜ! じゃあな!」


 満足そうに大笑いしながら、グレンオーガは大会議室を出て行った。

 やや焦げ臭い匂いの残る大会議室に静寂が訪れる。


「……随分大人しくなったようだな」


 ブラッディローズがポツリと呟いた。


「あれで!?」

「前はどうだったんだよ!」

「さすがに恐ろしい……」


 ブラッディローズのひと言に、入り口の怪人3人がどよめいている。

 私以上に、ブラッディローズはグレンオーガの変化を感じ取っていたようだな。


 彼の目的は唯一つ、怒りのまま戦い身を投じることだったはずだが、ヒーローと戦わせろというひと言すらなかった。

 いったいどういう心境の変化があったのやら……。


 大幹部グレンオーガ。

 かつて暴虐の限りを尽くした秘密結社パンデピス最強の怪人。

 もしその生存をヒーローたちが知ったら、果たしてどのような顔をするのだろうな?



-- 7月12日(水) 16:30 --


 キーンコーンカーンコーン……。


 終業を告げるチャイムが鳴り、帰りの会が終わって生徒たちが席を立った。

 私たち輝羽ちゃんグループも席を立つと、連れ立って廊下へと急ぐ。

 期末テストの結果が出ており、廊下に張り出されているのだ!


 いつもなら2位だけど、そこに私の名前は無い。

 私は期待を込めて1位付近の名前を確認する。

 だけど、1位にも私の名前は無い。


「さ、3位……?」


 そう、私の名前は3位の枠に収まっていた。

 世界が崩れ落ちたかのようなショックが私を襲う。

 ふらついた私を、弘子ちゃんが慌てて支えてくれた。


「よっしー、しっかりしろ!」

「れ、零くんにも負けたぁ……」


 1位には小海久、2位に氷月零の名前が刻まれている。

 久くんに負けるのは、まぁいいと思う。

 でも、まさか零くんにまで負けるとは思っていなかった。


 せっかく先週末は出撃もなくて平和に過ごしていたのに、ハンマーで頭を叩かれた気分だ。

 もう泣きそうである。


「おい、久ぃ。何か言ってやれって!」


 弘子ちゃんが久くんを見つけて、何やら言葉を引き出そうとしている。

 やめて、慰めなんていらないんだから!


「俺は好美さんがいてくれて張り合いがあると思っているぞ」


 久くんが気負いのない声でそう言った。

 慰めじゃなくて、好敵手として私を認めてくれている?

 そんな言い回しに少しだけ心が軽くなった。


「まさか、負けるとは思わなかったよ。今までだいたい1位を取れていたのに……」


 しかし、その後ろからきた零くんの言葉には何だか腹が立った。

 私も久くんも眼中になかったってこと?

 ずいぶん簡単に1位を取れるみたいなことを言ってくれるじゃないの……!


「もっとちゃんと勉強しておけば良かったかな?」

「うぇ!?」

「ちょ、零くん、ちゃんと勉強しないでアレなのかよ!?」


 弘子ちゃんが私の言いたかったことを代弁してくれた。

 適当に勉強して私より上なの?

 おのれ、天才めぇ!


「そう簡単に負けるつもりは無い。零にも、好美さんにも」

「さすがだ。僕も負けっぱなしは嫌だから、また挑戦させてもらうよ」

「うぅ、次こそは……」


 私の言葉は完全に負け惜しみなんだけど、言わずにはいられなかった。

 久くんへの返事というより、どちらかというと零くんに対しての気持ちの方が強いけども。

 本気ならまだ納得できるけど、適当な勉強をしたっぽい零くんに負けたのはやっぱり許せん!

 それを考えると、零くんを撃破してくれた久くんにはむしろ感謝の気持ちしかない。


 悔しい気持ちが少し落ち着いた頃、今度は輝羽ちゃんとぷに子ちゃんが騒ぎ出した。


「な、無い? あれ、無い? どこ!?」

「私のも見つかりませんよ~!?」


 最下位付近から名前を探していた輝羽ちゃんとぷに子ちゃんが、真ん中くらいまで来たところで困惑の声を上げていた。

 また最下位に向かって探し始めるけれど、何往復しても見つからないみたいだ。


「おい、おいっ! きぅ、ぷに子!!」


 今度は弘子ちゃんが大声を出した。

 近くに居た私がびっくりするぐらいの大声である。


 呼ばれた2人が近づいてくると、弘子ちゃんが順位表の一部を指さした。

 22位 萱森 弘子。

 16位 鶴田 富士子。


 そして、10位 三条 輝羽。


「「「えぇ~~~!?」」」


 10位に入った人物に気付いたクラスメイト達も一斉に騒ぎ出した。

 誰もが目を擦り、何度も順位と名前を確認している。


「うぉおおおお~!?!?」


 輝羽ちゃんは良く分からない叫び声を上げていた。

 自分でその事実が受け止められていないようである。


「16位! 私、16位ですよ~!!」


 ぷに子ちゃんもかつてないほどの好成績を残し、目に涙を浮かべながら叫んでいた。

 2人とも本気で頑張っていたけれど、これは奇跡といってもいいのではないだろうか?


「まじか……たった1週間で……」


 弘子ちゃんもかつてないほどの好成績だった……のだが、それ以上に輝羽ちゃんとぷに子ちゃんが自分より上の順位だったことにショックを受けているようだった。

 一緒にお勉強はしていたんだけど、放任しちゃったのが良くなかったのかなぁ?


 なお、それ以上にショックを受けている人物がこの人である。


「お、お前、さては偽物だな!?」


 渡くんがわなわなと震える手で輝羽ちゃんを指さしていた。

 言いたくなる気持ちは分からないでもないけど、さすがに失礼だよ。

 輝羽ちゃん達は頑張ったから順位が上がったのだ!


「現実を見ろよ、学年最下位……」

「な、なんでだぁ~~~!?」


 修一くんが渡くんの肩を叩いていた。

 ……というか、渡くん最下位だったのか。

 今度は渡くんのお勉強を見てあげた方がいいのかなぁ?


「あ゛り゛がどぉ゛~! よ゛っしーの゛お゛がげだよ゛ぉ~!」

「ちょ、輝羽ちゃん! 何を言ってるか分かんないよぅ!」


 辛うじて感謝してくれているというのは分かったけど、涙声で聞き取れなかった。

 えぐえぐと泣いていて、顔がぐしょぐしょになっている。


「……好美さん、学年1位を取るよりとんでもないことをやっていないか?」

「……私もそう思う」


 必死に輝羽ちゃんをなだめる私の後ろで久くんと弘子ちゃんがそんなことを話していた。


 その後、ぷに子ちゃんがメイド長に吉報を届けると、その日のうちに焼肉パーティーをするという企画が持ち上がった。

 御両親も飛んで帰ってくるらしい。相変わらず対応が早すぎる御両親である。


「よっしーちゃんは絶対参加ですよ~! 弘子ちゃんもですよ~!」

「えぇ!? いいの?」

「私もか」

「うっしゃー、祝勝会だーっ!!」


 どうやら逃がしてくれないみたいだ。


 それにしても、焼肉パーティーか。

 まぁ、ね。

 ほら、せっかくですし? ご馳走になろうかなぁ。



-- 7月12日(水) 17:00 --


「うぅ、うぅううう~……!」


 星先生が泣きながらチョキチョキと学校便りの一部を切り抜いている。


「まさか、輝羽ちゃんがこんなに頑張るなんて~……」


 そう、彼女が先ほどから切り抜いているのは三条輝羽さんの躍進の記事だ。

 あまりに突然、最下位付近の生徒が優秀者の中に飛び込んできたので記事になったのである。

 最近、ヒーローがいることで担当者の先生が張り切って情報を集めているようで、今日発行の学校便りだというのに、きっちりと期末テストの情報が載せられていたのだ。


 ちなみに、以前にもバレーボール部が地方大会で優勝した記事を切り抜いていた。

 星先生は日ごろから気に入った記事をノートに貼っているのである。


「どうやら、好美さんが面倒を見たようですね」


 輝羽さんは努力が足りない生徒だと思っていたし、正直に言えば私は半ば諦めていた。

 しかし、ミスティラビットの正体であり、怪人ブラックローチこと私、黒川翔の恩人でもある佐藤好美さんが、そんな三条さんを上位に導いたのである。

 もはやこれ以上、彼女に驚かされることは無いと思っていたのだが……。


「本当に凄いです……! 私、感動して涙が……!」

「えぇ、私もそう思います。本当に、言葉になりませんね」


 勉強を軽視している節はあるものの、星先生も"頑張る"点においては正しく評価されるようだ。

 三条さんが躍進した陰には相当量の努力が伴ったことだろうし、本当に頑張ったと思う。


 それと、鶴田さんや萱森さんまで軒並み順位を上げている点も見逃せない。

 無論この2人が順位を上げたのは本人の努力によるものであることは言うまでもないことだが、好美さんの取り組みが与えた影響が大きかったこともまた間違いないだろう。

 私より一回りも二回りも年下だが、好美さんに対しては尊敬しかない。


 同時に、私は私自身に対して不甲斐なさを感じていた。

 本来、この役目は好美さんではなく、私たち教師が担うべきものだったのではないだろうか?

 "頑張れ"と口に出すだけなら容易いが、本当に頑張ってもらうことは何と難しい事か。

 それを成し遂げた好美さんは、本当に見事という他ないと思う。


 ――最近、私は怪人として強くなる努力がまるっきり足りていなかったと痛感している。

 そして今も、私は教師として努力できていたのかと自分に問いかけていた。

 私にもまだまだできることが有るのではないだろうか?


「おや? ……我がクラスに最下位の子がいますか」

「あぁ、渡くんですか。彼も開眼してくれるといいんですけど……」


 星先生は私が不機嫌にならないかと心配している様子だった。

 でも、それは不要な心配だ。

 今、この場で私が不機嫌になる権利など、あるはずもない。


 彼が頑張れていない原因の一端は私にあるに違いないのだから。


「……よし、決めました! 私は彼の成績を平均以上にしてみせます!」

「えぇ!? 急にどうしたんですか?」

「あぁ、いえ、教師としてやるべきことを見定めたってだけですよ」


 彼をどうにか私の手で導いてあげることはできないだろうか? そう考えていたら、自然と決意が口に出てしまっていた。


 すごく難しいし、彼自身が頑張らなければ達成できない目標だ。

 きっと手探りの連続で、苦しい挑戦になるだろう。


 だが、明確な目標ができて、久しぶりに少しだけワクワクしている自分もいる。

 それと、渡くんに勉強を少しだけ得意になってもらいたいという気持ちも……。


「さて、頑張らなければなりませんね!」


 彼にとって必要なのは何なのか、まずはそこから調べてみようか。

 それと、三条さんたちにどんな指導をしたのか、好美さんにも確認しておきたいところだ。


 私は腕まくりをすると渡くんの採点結果に目を通し、まずは理解できているところと、できていないところをまとめていくのだった。



-- 7月12日(水) 19:00 --


【特務防衛課 新潟県 十日前町市 支部】


 夕食時になり、食堂に隊員たちが入ってきて、がやがやと騒がしくなってくる。

 零と優輝も学校から戻ってから専用の訓練を行い、腹をすかせた状態でやって来ていた。

 今日はハンバーグがあるから、あいつらはアレを選ぶだろうな。


 俺が焼き魚と煮物付きの和食を食べていると、後ろから飛竜もやってきたようだ。

 飛竜はハンバーグの定食をさっさと選び、零たちの方へと向かって行く。

 軽く挨拶を交わし、さっそく世間話に花を咲かせているようだ。


 比較的大きな声で話しているため、それなりに声が聞こえてくる。

 俺は何とはなしにあいつらの会話に聞き耳を立てた。


「みどりちゃんが元気ないんだけど、何か知らないか?」


 おや、樋口が落ち込んでる?

 ついさっき会った時には普通だったが……。


 時間的に仕事じゃなさそうだし、そうなると候補に上がるのは優輝に関連することだろう。

 飛竜も同じように考えたからこそ、優輝がいる席に向かったんだろうな。


「優輝、何か知らないか?」

「え?」


 さっそく本人に尋ねているが、どうも心当たりがないようだ。

 何かあったかと頭をひねっているが、いつまでもうんうんと唸るばかりである。

 しかし、隣にいた零には思い当たることがあるようで、横から口を挟んでいた。


「もしかしたら、優輝のテスト結果のせいかもしれません」

「テスト結果? どんな結果だったんだ?」

「え? いや、悪くはなかったですけど……」


 そういえば、学生は期末テストの時期か。

 夏休みに入ったら全員で温泉にでも行こうと思っているが、補習とか無いよな?


「そんで、結果は?」

「忙しかったし成績落ちるかなって思っていたんですけど、学年1位を取ってしまって……」

「おおっ!? すごいじゃんか!」


 飛竜がテスト結果の順位に驚いている。

 よくよく思い出したら優輝は前回のテストで好成績だったはずだし、心配は要らなかったな。

 それにしても、まさか学年1位を取るとは……。

 中学でのテストとはいえ、100人以上の生徒がいる中で1番を取るのは秀才の証だ。

 周りにいた隊員たちもその話を聞いて、ちょっとした盛り上がりを見せている。


「でも、それで何でみどりちゃんが落ち込むことになるんだ?」


 まったくだ。

 樋口も喜びそうなもんだが、何で逆に落ち込むことになるのやら。


「樋口さん、点数が悪かったら勉強を教えてあげると約束してたんですよ」

「あぁ、それでか!」

「え? その約束をしたのって中間テスト前だったはずですけど……」


 なるほど、優輝と一緒に居る大義名分が無くなってがっかりしているってわけか。

 学年1位じゃ文句のつけようもないだろうしな。


 それにしても、樋口もアプローチを全く隠さない奴だな。

 それを本気にしていないのは優輝本人くらいで、もはや周り全員がその気持ちを知っている。

 そんな樋口にアタックを続けているなんて、飛竜も一途というか諦めが悪いというか……。


「よし、そのまま頑張れ!」

「飛竜さん……それでいいんですか?」


 あからさまな飛竜の態度に零も呆れているようだ。

 飛竜も飛竜でアプローチを隠さないんだよなぁ。

 恋に関しちゃ似たり寄ったりな2人だと思うんだが、想い人のベクトルはバラバラだ。

 あの2人、それぞれで見たら両者ともモテるはずなのにな。


 ……そういえば零もモテるのに恋には恵まれないな。

 ヒーローたちは恋に勝てない呪いにでもかかっているのだろうか?


「優輝くん、いる?」


 盗み聞きを楽しみながら食事をしていると樋口が食堂にやってきた。

 飛竜は落ち込んでいると言っていたが、今はそうでもないように見える。

 にこにこと笑っており、機嫌も良さそうだ。


「みどりちゃん、こっちこっち~!」


 優輝はもぐもぐ口を動かしていたので返事をできないでいたが、隣に座る飛竜が手を上げて樋口に向かってアピールしている。

 樋口は優輝を見つけると嬉しそうにテーブルへと向かって行った。


「樋口さん、どうしたの?」

「今回、優輝くんが1位を取ったご褒美でーす!」


 そう言って手に持った紙袋から何やら取り出した。

 出てきたのはイチゴのショートケーキである。


「いいの?」

「もちろん! おめでとう優輝くん!」

「ありがとう!」


 ありきたりなお祝いではあるけれど、優輝もこのプレゼントは嬉しそうにしている。

 こういった反応はヒーローじゃなくて年相応の少年だ。

 優輝のやつ、まだ中学一年生なんだよなぁ……。


「おっ! ケーキ、いいなぁ!」

「これは優輝くんのだから、飛竜くんのじゃないからね?」

「えぇ~!? 俺も欲しいんだけど……」


 それを見て飛竜が羨ましがっている。

 お前にケーキをプレゼントする理由が無いだろうに。


「僕は学年2位だから、1位になったら僕にもケーキもらえますか?」

「お、おい、零!? お前まで……」

「あはは、いいよ~。1位を取ったらお祝いしてあげるね」


 さらっと零がそんなことを言っていた。

 まぁ、ケーキ1つをおねだりするくらい可愛いもんだし、零は単にケーキが食べたくなっただけかもしれんな。

 いつでも買ってやることはできるが、こういったものは特別感がある方が嬉しいもんだ。

 ぜひ1位を獲得するために頑張ってほしい。


「え、じゃあ俺は?」

「うーん、国家公務員試験に合格したらにする?」

「それ、めちゃくちゃ大変なヤツ!」

「警察官になるために必要な試験ですよね? 久くんが挑戦しようとしていますよ」


 久くんってアルフ号の飼い主の彼か。

 警察庁に入るわけじゃないなら不必要な資格なんだが、彼はそっちに行くつもりなのか?

 いや、もしくは将来の選択肢を増やすために取得しようとしているのかもしれないな。

 久くんは空手部でもエースだと聞いているし、零も良い友人を持ったもんだ。


「久くんが学年1位で、凄く頭が良いんですよ。今回、見事に負けましたから」

「じゃあ無理だ。零より頭が良いとか俺じゃ勝てないって!」

「別に久くんに勝つ必要があるわけじゃないですけど……」


 飛竜は国家公務員試験と聞いて早々に諦めていた。

 少なくともケーキ1つのために頑張るようなものではないから、これは仕方ないだろう。

 樋口ももう少し手頃なものを選んでやればいいのに。


「というか、そんなにケーキが欲しい?」

「みどりちゃんのを貰いたいんだって!」

「このケーキ、別に私が作ったわけじゃないんだけどなぁ……」

「あれ、そうなの?」

「あのね飛竜くん、ケーキを作るのって時間がかかるんだよ?」


 樋口が持ってきたのは市販のケーキみたいだ。

 確かケーキは1つ作るのに数時間かかるんじゃなかったっけ?

 さすがに仕事が終わってから準備するのは難しいだろうな。


「へー、カップケーキなら早かったりする?」

「あれも2時間かかるけど……。何でカップケーキ?」

「そんなにかかるのかぁ。この間、好美ちゃんから貰って、……あっ!?」

「え? どうしたの?」


 突然、飛竜が『しまった!』という顔をした。

 そしてテーブルに肘をついて頭を抱える。


「俺、お返しを渡してない! すっかり忘れてた!」


 そんな声を出す飛竜に、周りの隊員たちも何人か慌てている。

 そのうちの1人が声を上げた。


「おい、飛竜! ゴールデンウィークのアレ、まだ渡してなかったのか!?」

「す、すんません!? 忘れてましたぁ!」

「もう時間が無いぞ! 明日渡してこい!」

「了解!!」


 先輩の隊員にどやされて、飛竜は平謝りしていた。

 話の内容から考えてお返しの品なんだろうが、日持ちしない物なのか?


「まだ大丈夫だと思うけど……!」


 飛竜は一気にメシを食って平らげると、大急ぎで食堂を出て行った。

 何を渡すのか分からんが、好美ちゃんに迷惑はかけないようにしてほしいもんだ。


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