象さんと休日
~前回のあらすじ~
弟の優輝を訪ね、防衛隊の秘密基地で歓迎された好美は、そこで一晩を過ごす。
元気を取り戻しつつある好美は、パンデピスの活動が無い日曜日の朝を迎えるのだった。
-- 6月11日(日) 6:00 --
ピピピピピピ……。
聞きなれない目覚まし時計が鳴り響き、私は意識を覚醒させた。
時計を覗けば6時と表示されている。
普段の生活なら大寝坊だと大慌てになるところだが、今日は新聞配達のアルバイトはお休みすると事前に伝えているので慌てなくても大丈夫だ。
ベッドの縁についている目覚まし時計のボタンを押し、音を止めた私はもぞもぞと動き出す。
「うーん……!」
ベッドの上で膝立ちになり、大きく伸びをしてから起き上がった。
いつもより1時間半も長く寝てしまっていたのは、思いのほかベッドが心地よかったからだろうか?
私、佐藤 好美は今、防衛隊の寮にお邪魔している。
先週、急に弟のゆーくんと離れて暮らすことになり、私は精神面で不調をきたしてしまった。
そんな私を心配したお父さんが、ヒーロー、ブルーファルコンの正体である零くんに『1日だけ一緒にいさせてやれないか』とお願いしたことで、私は防衛隊の基地に招かれたのである。
おかげさまで昨日はゆーくんとずっと一緒に居ることができたし、かなり元気が取り戻せていた。
さて、起きたのはいいけど、朝ご飯の時間まであと1時間くらいある。
それまで何をしていようか?
そういえば、ゆーくんはいつも7時くらいまでは眠っていたはずだが、今の生活ではどうなのだろう?
セットした覚えのない目覚ましが鳴っていたし、防衛隊員はみんなこの時間に起きるのかな?
ちょっと声を掛けてみよっかなぁ。
いそいそと最低限の身支度を整えて部屋の外に出てみると、すぐそこに樋口さんが立っていた。
昨日も見たジャージ姿で、タオルや小さな水筒を手に持っている。
「あ、おはよう、好美ちゃん」
「おはようございます。……あの、樋口さん、なんでここに?」
「優輝くんがちゃんと起きているか確かめようと思って」
どうやら私と同じ目的でここにやってきて、ちょうど鉢合わせしたようだった。
「わざわざ起こしに来たんですか?」
「まぁ、ね。訓練はかなり厳しいから、疲れていて目覚ましに気付かないこともあるかもしれないし」
そう言って、ほんの少しだけ頬を赤らめている。
樋口さんは大義名分を振りかざしているが、どうやらただ会いたかっただけっぽい。
普段は余裕のある大人のお姉さんなのに、ゆーくんに対しては恋する少女の顔が見え隠れしている。
ただ、起こしに来るのはどうなんだろう?
可愛らしいと思う反面、行き過ぎた行為のような気もするんだけど……。
じゃあ私はどうなんだって? 私はお姉ちゃんだからいいのだ!
「優輝くん、たまに寝癖が付いたままになっていることがあるから」
「あー、結構ありますよ。ゆーくん、割とそういうことに無頓着だから」
朝に顔を洗うついでに髪の毛まで濡らしていることがある。
でも、寝癖が取り切れずにそのままになっていることもあるのだ。
「ゆーくん、顔を洗うまで少しぼんやりしてますから」
「そうなんだね~。そのうち服を反対に着ちゃいそう」
「あー、ありましたよ、実際に!」
「やっぱり、あるんだ!」
そうやってゆーくん談義で盛り上がっていたら、ドアがガチャリと開いて本人が顔を覗かせた。
「2人とも、おはよう」
「「お、おはよう」」
少しトーンが低い『おはよう』にちょっとした不機嫌さが混じっている。
うぅ、はしゃぎすぎてしまった。
まさか樋口さんとここまで盛り上がってしまうとは、不覚である。
「ゆーくん、防衛隊は6時に起きるのがルールなの?」
「ううん、そんなことないよ。朝ご飯の時間は決まってるけど、かなり余裕はあるよ」
「樋口さん、何でゆーくんを起こしに来たんですか?」
「だって、今日から朝練するって聞いたから……」
あぁ、樋口さんはマネージャーっぽいことをするつもりだったからジャージを着ているのか。
となると、そのタオルと水筒もゆーくん用?
昨日、本人がサポートをやりたくてやっていると言っていたが、嘘や謙遜ではないようである。
「優輝くん、これから走りに行くんでしょ?」
「うん、室内練習場で身体を動かすつもり」
ゆーくんは動きやすいジャージを着て、室内用の運動靴を履いている。
朝の体操や軽い運動は体調を良くするというし、アズマさんもよく朝にジョギングをしているから、それに倣ったのかもしれない。
……まてよ? ゆーくんと樋口さんが室内にいるってことは――!
「私もちょっと走ろうかな」
「私も見学の続きをしよっかな」
「来るの? 別にいいけど、ただ走るだけだよ?」
ゆーくんは時間がもったいないと言わんばかりに移動し始めた。
私と樋口さんもゆーくんと一緒にエレベーターに乗り込み、下の階にある室内練習場へと向かう。
地下基地に行くと、昨日と比べて少し薄暗いような気がした。
時間的な感覚が狂わないように、明るさを調節していたりするんだろうか?
エレベーターを降り、地下の秘密基地を行けば隊員たちとよくすれ違った。
朝から活気に溢れており、私たちは行き交う隊員たちと挨拶を交わしながら歩いていく。
やがて室内練習場に着くと、そこには先客がいて汗を流していた。
「お、みどりちゃん、好美ちゃんに優輝も! おはよう!」
「おはよう、飛竜くん」
「おはようございます、アズマさん」
「おはようございます」
やっぱりアズマさんが居た!
ゆーくんが室内にいるし、そのゆーくんを追って樋口さんが一緒に来る可能性がある。なら、それを目当てにアズマさんもいるのではないか? という私の予想は見事に的中した。
昨日はアズマさんとあまりお話しできなかったから、少しの時間だけでもお話ができるのは嬉しい。
それに、樋口さんにアズマさんを独占されてなるものか!
「飛竜くん、外に走りに行かないんだ?」
「あぁ、今日から優輝が朝練するって聞いてたからな。まだ室内しか許可されてないだろ?」
「え、ゆーくんと走るため?」
「いや、もし来たらストレッチを手伝ってやれって教官の命令……というか頼み事だな。身体をほぐす手伝いをしてやってくれってさ」
アズマさんがここにいるのは邪な理由じゃなかったみたいだ。
己の欲望に忠実なのは私と樋口さんだけである。反省しよう……。
それにしても、ゆーくんって大事にされているんだなぁ。
いずれ新潟のヒーローを引き継ぐのだから、当然といえば当然かもしれないけど。
「そういえば、零くんは?」
二人一組のストレッチをするのであれば、体格が近い零くんの方がいいんじゃないかと思う。
昨日も2人でストレッチしていたわけだし。
「あぁ、あいつもそろそろ来るはず」
「零くんは今日、お休みだから来ないんじゃないかな? だから上杉教官も飛竜くんに頼んだんでしょ?」
「みどりちゃん。零は、あいつは絶対に来る!」
アズマさんが妙に力強く断言した。
「そうなの? なんで?」
樋口さんはこっちに来て日が浅いから、私と零くんの関係をまだ分かっていないらしい。
全国ニュースにもなったんだけど、見ていなかったのかなぁ?
「おはようございます!」
「お、噂をすれば……」
零くんがジャージ姿で現れ、挨拶してきた。
急いで来たのか、少しだけ息を弾ませているし、また寝坊しかけていたのかもしれない。
「お、おはよう、好美さん」
「うん、おはよう、零くん」
「……なるほどねぇ」
そして、樋口さんには一瞬で私たちの関係性がバレたみたいだ。
零くんってすっごく分かりやすい照れ方をするからね。
それと、あの照れた顔を向けられるとなんだか私まで恥ずかしくなるんだよなぁ。
もしかして私の顔も赤くなっていたりするのかな?
「……"姉さんと氷月先輩が付き合っている"って噂が無くならない理由、分かった気がする」
「うぇ!?」
「周りから見たら、そりゃ誤解もするよ」
気付けばアズマさんと樋口さんがそろってニヤニヤしながらこっちを見ていた。
そっかぁ、傍からはそう見えちゃってるのかぁ……。
「よーし、そんじゃ、軽く走ってから柔軟体操やってみるか!」
アズマさんの掛け声で私を除く全員が室内競技場のトラックへと向かって行き、ゆっくりした速度でジョギングを始めた。
私は荷物番としてその場に残り、体育座りをしながらみんなの様子をぼんやりと眺める。
アズマさんは掛け声の音頭をとりつつ、みんなと楽しそうに走っていた。
アズマさんも、結構、不思議な人だと思う。
ヒーローである零くんやゆーくんにも慕われているようだし、今も自然とリーダーみたいな立ち位置になっているのだ。
上杉教官の愛弟子って感じがするし、防衛隊の中でも一目置かれているのかもしれない。
30分くらいでジョギングが終わり、その後ストレッチや柔軟体操を行っていったん解散になった。
ゆーくんがシャワーを浴びるというので、私もついでにシャワーを浴びてさっぱりした後、一緒に食堂へ向かった。
社食の食堂は和洋のみを選択できて、一食分のご飯が綺麗にお盆に乗せられている。
おかわりは食堂のおばちゃんに言えばよそってもらえるみたいだ。
私とゆーくんは揃って和食をチョイスした。
和食のメニューは、卵かけごはんに細長い長方形の味付け海苔、鮭の塩焼き、白菜の浅漬けにお味噌汁、そしてパックの牛乳だった。
自宅ではあまりしない組み合わせだけど、日本の朝ごはんって感じがするラインナップである。
お盆を受け取っていると、そこでも続々と朝練のメンバーが集まってきて、全員揃ってわいわいと騒がしく朝食をいただくことになった。
なんだか、家族が増えたような感じがする。
この朝食の時間が過ぎれば、楽しかった私の見学会も終わりである。
でも、もう十分! 私は元気いっぱいだ。
朝食を終えて、私は1晩お世話になった自室へと戻った。
「――これでよし!」
ベッドのお布団や毛布を綺麗にたたみ、帰り支度を済ませた私は1階へと向かった。
「ありがとうございました」
建物の入り口前で、私はお別れと感謝の言葉と共に頭を下げた。
お見送りの引率は上杉教官とアズマさんがやってくれた。
それと、ゆーくんと零くんも一緒に挨拶にきてくれている。
「あぁ、気を付けて帰るんだぞ!」
「じゃあな、好美ちゃん!」
「ゆーくん、零くんも、また学校で」
「うん、また」
「さようなら、好美さん」
手を振る4人に私も手を振って応え、家へと向かって歩き出した。
家にゆーくんがいないとはいえ、学校で会うことができる。
心の準備が整ったから、今度は狼狽えなくても済みそうだ。
空は相変わらずの晴天で、温かい日差しが降り注いでいる。
今の私は心に光が満ち足りていて、幸せいっぱいだ。
そうそう、今回はお父さんにも助けてもらっていたっけ。
カップラーメン好きだし、1つ買ってあげてもいいかな?
もちろん野菜も食べてもらうつもりだけど、そっちも腕によりをかけた料理を作ってあげよう。
少しだけ優しい気持ちになった私は、冷蔵庫の中身を思い出しながら自宅への道を辿っていった。
-- 6月11日(日) 13:00 --
お昼ご飯が終わり、お片付けに取り掛かろうとした矢先に『ピンポーン』とインターホンが鳴った。
私は手に持ったお盆でガチャガチャとお皿を流し場まで運び、急いで玄関に向かっていく。
「ごめんくださーい!」
「はーい! ……あれ、輝羽ちゃん?」
「私たちもいますよ~」
「よっ、昨日ぶり」
輝羽ちゃん、ぷに子ちゃん、弘子ちゃんの、いつものグループメンバーが集まっていた。
「やーっとお休みの日に会えたねっ!」
「昨日も会ったけど……」
「予定が何もない日では初めてですよ~」
「公開演習の時も会ったと思うけど……」
「今日も午前中は部活があったし、よっしーも見学だったけどな」
「むぅー、細かいぞ弘子! 午後からヒマなんだからいいの!」
「私の話も聞いてよぅ!」
さっそくガヤガヤと騒がしくなる。
せっかく訪ねて来てくれたわけだし、私も秘密結社パンデピスの活動が無い休日は貴重だから、こういう日に招き入れるのはアリだろう。
お父さんの姿ももう見られちゃっているし、問題はオールクリアだ。
「ひゃっひゃっひゃ! 好美の友達が来るのは珍しいのぅ!」
「「「こんにちは~!」」」
「おぅ、こんにちは」
そのお父さんが玄関まで出てきて、輝羽ちゃん達と挨拶を交わすとそのまま長靴を履き始めた。
「あれ? お父さん、どっか行くの?」
「ちょいと動物たちの様子を見にのぅ」
そう話すお父さんは、いつもの白衣ではなく、作業しやすそうなツナギを着ていた。
様子見というよりはがっつりお世話をしに行く時の格好である。
「服が様子見って感じじゃないみたいだけど」
「ひゃっひゃっひゃ、まぁそうじゃな! 今回はインド象じゃから、腕が鳴るわい!」
「あのさ、飼えるの? ここ雪国だよ?」
「まぁ何とかするわい!」
そうなのだ。
過去最大級の動物、インド象が坂の上にある"ふれあい広場"に来ていると聞いている。
動物たちを飼っているのはお父さんであり、私はまだ象さんを見ていない。
というより、そもそも本当にインド象がいるのだろうか?
私としては未だに半信半疑だ。
「よっしーはもう見たのか?」
「ううん、まだ見ていない」
「じゃあ見に行きますよ~!」
「……う、うん、分かった」
つい頷いちゃったけど、私が"ふれあい広場"に行ったら問題にならないかなぁ?
私は秘密結社パンデピスの怪人であり、人間の姿でも怪人並みの力を出すことができる。
それが関係しているのか、かなり動物たちに嫌われやすいのだ。
一応、懐いてくれた動物がいないでもないので、できれば象さんには嫌われないといいのだが。
私たちは玄関を出ると、坂道をテクテクと登っていく。
5分も経たないうちに、お目当ての"ふれあい広場"へと到着した。
"ふれあい広場"は完全無料で出入り自由な空間である。
持ち込んだ餌をあげるのは基本的にNGだが、お父さんが持ってきた餌なら代わりにあげたりできるし、写真を撮ったり触ったりしてもOKだ。
ただ、動物を触るのは自己責任であり、動物の説明と共に注意事項の看板が立てられていた。
今は『象さんは来たばかりだから、まだ近づかないでね』と大きく書かれている。
そしてこの動物たち、実は秘密結社パンデピスの改造手術用の実験動物である。
ここで何かしらのデータを得て、改造手術に使っているのだ。
ただ、実験動物とはいえ酷いことはしていないみたいで、私からは普通に飼っているだけに見える。
今も木の柵の中で、アルパカやトナカイたちがのんびり身体を地面に横たえて日光浴をしていた。
平和だな~。
「象さんって、あれかな?」
輝羽ちゃんが広場の奥の方にいる象さんを見つけ、指さした。
こちらにお尻を向けた状態で座り込んでおり、動く気配が感じられない。
それと、想像していたよりも小さな、子供の象さんのようだった。
「ぜんぜん動きませんよ~?」
「ふーむ、慣れない環境で怖がっておるみたいじゃな」
せっかく来たけど、象さんと触れ合うこと自体が難しそうだった。
ずっと向こうを向いてるし、顔を見ることすらできないのでは面白みに欠ける。
見に来た人もすぐに帰ってしまうのか、私たち以外に人はいなかった。
「ねぇねぇ! どうすれば象さんと仲良くなれるかなっ!?」
残念な雰囲気になりかけていたが、そんな空気なんかお構いなしとばかりに輝羽ちゃんが言った。
遠くに座る象さんをみて、楽しそうに目を輝かせている。
私もそんな輝羽ちゃんの様子に当てられてしまったようで、あのちっちゃな象さんの気を引けないか、だんだんチャレンジしたくなってきた。
「カワイイお花を持ってきたら懐いてくれたりしないかな!」
「私もお花に一票ですよ~!」
輝羽ちゃんとぷに子ちゃんは夢いっぱいの提案をしていたけど、これってどうなんだろう?
「えー、こういうときは餌付けじゃないか?」
「うーん、私も食べ物のほうがいい気がするけど……」
弘子ちゃんは無難に餌やりしたら仲良くなれるんじゃないかと意見を述べた。
私もそれに賛成である。
まぁ、私が餌やりして懐いてくれた動物はいないんだけどね……。
そんな私たちのやり取りに気を良くしたのか、お父さんが大笑いしながら話に入ってきた。
「ひゃっひゃっひゃ! 面白い実験じゃな! こいつで好きなモンを買って来い!」
そう言って千円札を4枚取り出し、私たちに1枚ずつ手渡した。
「軍資金じゃ! 商店街ならいろいろ手に入るじゃろ!」
「え、いいの!?」
「もちろんじゃ! 余った分も返さんでえぇぞ!」
お父さんが太っ腹な面を見せているが、動物たちに関わる費用ってことは、これってたぶん秘密結社パンデピスのお金だよね?
本当に軍資金だから困る。
私は組織のお金は受け取りたくないし、できる限り使い切るようにしよう。
「よーし、みんな行こう!」
「突撃ですよ~!」
「走らなくたっていいだろうが」
「あ、私も行くから待って」
私たちはドタドタと走りながら商店街へ向かうことになった。
お金を受け取った輝羽ちゃんたちは大はしゃぎで、何を買ってくるかの話で盛り上がっている。
私も動物に嫌われたいわけじゃないから、この機に大好物を引き当てて仲良くなれるようにしたい。
商店街をあちこちまわり、私たちはそれぞれ象さんが気に入りそうなものを購入した。
輝羽ちゃんとぷに子ちゃんは宣言通りに花を購入していた。
数が少なくならないように、2人合わせて2千円分の花束である。
私はリンゴを2つ、高いやつを買ってみた。
象さんが食べているイメージがあるので、きっと気に入ってくれるんじゃないかと思う。
弘子ちゃんはキャベツや白菜、ニンジンなどの野菜類を買っていた。
草食動物だし、こちらも無難なチョイスだ。
結構な量になっていたけど、余ったら持って帰るのかな?
「戻ってきたよーっ!」
「おー、お帰り~!」
お父さんは奥の方でトナカイの寝床に干し草を敷き詰めなおしていた。
そのお父さんを避けるように、象さんも少しだけこっちの方に近づいてきている。
「ひゃっひゃっひゃ! いろいろ買ってきたのぅ!」
「ねぇねぇ、さっそく上げてみていい?」
「いいぞ~! ただ、柵の中には入らんようにのぅ!」
「はーい!」
輝羽ちゃんが高めの柵に上半身を預け、花束を象さんに向かって突き出した。
「おーい、こっちこっちー! これ見て~!」
「……プォ?」
あ、反応した。
望み薄かなと思っていたのに、色とりどりの花を見て興味を抱いたようだった。
うーん、意外だ。
「プレゼントだよ~!」
「パォオ!」
「おぉー、こっち来ますよ~!」
「ちっちゃいはずなのに大きいな……!」
象さんが立ち上がって、小走りでこっち側にやってきた。
かわいいんだけど、子供でも身体が大きいから迫力が凄い。
「きぅ、プレゼントするんだよな? 花束の包装はいらないんじゃないか?」
「あ、そうかも!」
輝羽ちゃんは花束を包み込んでいる白い紙や透明なフィルムを外し、改めて象さんの前にそれを差し出した。
象さんは長い鼻を器用に動かし、匂いを嗅いでから花束を綺麗に受け取った。
なんだか絵本の世界に紛れ込んだかのような、妙にファンタジックな光景が目の前に広がっている。
輝羽ちゃんが妖精か何かに思えてきた。
「パォオ!」
像さんは『ありがとう』とでも言うかのように、受け取った花を大きく掲げた。
それを見た輝羽ちゃんとぷに子ちゃんが顔を見合わせて大喜びしている。
「喜んでる喜んでるっ!」
「大成功ですよ~!」
「へぇ~、意外だな」
「うん……」
象さんは長い鼻で持った花束を目の前に持って来てじっと眺めていた。
それから少しずつ下の方へずらしていって……。
『むしゃ』
「「「あっ!?」」」
そのまま食べてしまった。
象さんがもっしゃもっしゃと口を動かしている。
私たちは全員、口を開けてその光景を眺めるしかなかった。
「た、食べちゃった!?」
「美味そうな匂いでもしたのかな?」
象さんの表情はというと、『なんか苦い』みたいな顔をしているように見える。
あまりお口には合わなかったようだ。
それならリンゴはどうだろう? 気に入ってもらえるかな?
「輝羽ちゃん、これも上げてみる?」
「いいの? やってみる!」
お父さんを見ると頷いていたので、あげてしまって問題なしということだろう。
私がやったら嫌がられる可能性があるし、ここは輝羽ちゃんにお任せしよう。
ところが、輝羽ちゃんがリンゴを差し出すと、象さんは匂いを嗅いだ後で鼻を引っ込めてしまった。
あれぇ? お父さんからの許可も出たのに!
ついさっき、お花の香りに裏切られたから警戒しちゃったのかなぁ?
「まさかの失敗……。よっしーのは絶対に大丈夫だと思ってたのに」
「いや、まだだよ!」
輝羽ちゃんはリンゴを一口、シャクっと齧ってみせた。
満面の笑みを見せ、『大丈夫だし美味しいよ』とアピールしている。
そして、口をもごもご動かしたまま、そのリンゴをもう一度、象さんの前に差し出した。
「んぃっ!」
「パオオ」
象さんは理解したのか、今度は素直に受け取って、そのまますぐに口の方へ持っていった。
シャク、シャクと小気味よい咀嚼音が聞こえてくる。
今度の象さんの表情には『おいしい』と書かれているようだった。
「パォオオン!」
「気に入った? 良かったー!」
象さんはリンゴだけじゃなく輝羽ちゃんのことも気に入ったようで、長い鼻を伸ばしてきた。
輝羽ちゃんは手を伸ばして握手? したのだが、そのまま鼻で手や服に吸い付かれて大変そうだ。
「ひゃああ!? 吸い付いてくる! 吸い付いてくるよ!」
「おぉー、近いです! 凄いですよ~!」
「うん、まぁ、仲良くなれたみたいで良かったよ」
弘子ちゃんは近づいてきたアルパカに白菜を上げていた。
野菜に興味を持って近づいてきたアルパカがいたので、そっちを構いたくなってしまったみたいだ。
弘子ちゃんもアルパカに懐かれるのは時間の問題だと思う。
「ふむ、どうやら問題なさそうじゃのう」
「仲良くなれたーっ!」
「パォオオン!」
「ひゃっひゃっひゃ! 見事じゃわい! どうせなら身体を洗ってやってくれんか?」
お父さんは柵を一部だけ開き、私たちを招き入れるとホースを指さした。
そのホースからは水がたくさん出ており、大きな木桶に水を注いでいる。
「インド象が水浴びするじゃろうから、適当にホースの水でも掛けて手助けしてやってくれぃ」
「はぁーい!」
「ブラシとか無いんですか~?」
「ひゃっひゃっひゃ! 濡れてもいいんなら貸してやるぞぃ!」
お父さんがデッキブラシから柄を無くしたようなブラシを2つ出してくれたのだが、ぷに子ちゃんと弘子ちゃんが腕まくりをしてそれを奪い取っていった。
むぅ、私もリンゴを武器に突進していくべきだろうか?
「パオオッ!」
「ぷゎああ!?」
「うひゃぁ、ですよー!」
豪快な象さんの水浴びに巻き込まれ、ぷに子ちゃんと弘子ちゃんはたちまちびしょ濡れになってしまった。
さっきまでと打って変わって、象さんもたいそうご機嫌である。
……やっぱり私はしばらく安全圏に撤退しておこう。
今、突撃していったら、漏れなくシャワーを浴びることになりそうだ。
輝羽ちゃんがパシャパシャと水をかけ、ぷに子ちゃん達もきゃあきゃあとはしゃぎながら、ごしごしと象さんの皮膚にブラシをかけていく。
輝羽ちゃんはしばらくブラシのところに水を掛けていたが、急にホースを潰して、勢いよく弘子ちゃんの頭に放水を喰らわせた。
「ぷわっ! おい、きぅ! おまえわざとだろ!?」
「そんなことないもーん!」
空っとぼけながら、輝羽ちゃんは今度はぷに子ちゃんにホースの水を浴びせる。
「ひゃん!? ちべたいです~!」
「あー、ごめんね、ぷに子~。弘子が急に怒るからさ~」
「おま、私のせいにすんな!」
弘子ちゃんが怒って輝羽ちゃんに向かって行くが、輝羽ちゃんは逃げながら放水で追撃を行う。
もう完全に遊びに変わっていた。
寝そべっていたトナカイさんが起き上がり、ととと、と端っこの方へ逃げていく。
「ぷに、協力してきぅを倒すぞ!」
「りょーかいですよー!」
「プオォ?」
2人掛かりでもうまく逃げ回る輝羽ちゃんだったが、でっかい放水が上から掛かってきた。
「パォオオン!」
「ぎゃーっ!?」
はしゃぎまわる輝羽ちゃんたちを見て混ざりたいと思ったのか、象さんがまさかの援護射撃をしていた。
鼻から放たれた水は見事に輝羽ちゃんに直撃し、完全にびしょ濡れである。
「おー、ナイス!」
「象さん、完璧ですよー!」
「パォオオ!」
「こらぁ! やったなぁ~!」
再びホースを持った輝羽ちゃんが反撃に転じ、応戦した弘子ちゃんがブラシを投げつけ、ぷに子ちゃんは象さんを盾にして逃げ回り、大騒ぎである。
「お父さん、あれ、良いの?」
「ひゃっひゃっひゃ! 構わん構わん! なんならお主も混ざってきたらどうじゃ?」
お父さんは止めるつもりもないようで、作業をしながら大笑いである。
混ざったら濡れちゃうでしょうに。
……と思って前を見たら、ホースを持っている輝羽ちゃんが怪しい笑みを浮かべて私を見ていた。
「よっしー、覚悟ーっ!」
「ひゃあああ!?」
輝羽ちゃんの放水を受けて、私も結局びしょ濡れになってしまった。
思ったより寒くもないし、気持ちいいんだけど、反撃の手段が無い……。
こうなれば、禁じ手『ホース踏んづけ』をお見舞いしてやろうか?
-- 6月11日(日) 15:00 --
「楽しかったですよ~!」
「最高だったねっ!」
「あーあ、びしょびしょだ」
「周りも水浸しだね」
遊びに遊んで、みんなくたくただ。
残っていたリンゴをしゃくしゃくと食べて、象さんも満足げである。
「おぅい、お主ら、もう1つ頼みがあるんじゃ」
「なんですか~?」
「ご迷惑かけたんで、何でもやりますよ。……きぅが!」
「何で私だけっ!?」
弘子ちゃんが輝羽ちゃんに全部押し付けようとしていた。
輝羽ちゃんは反発して理由を求めていたけど、まぁ、日ごろの行いかなぁ?
「ひゃっひゃっひゃ! 大したことじゃないわい!」
お父さんは動物たちの部屋の掃除と、寝床の準備を終えている。
もう目立ったお仕事は無さそうだけど、何を頼むつもりなんだろう?
「この子に名前を付けてやってくれぃ! 『インド象』のままというのも味気ないからのぅ!」
「えー、いいの!?」
「責任重大だな……」
「あぁ、頼むぞぃ! ちなみに、この子は女の子じゃからな!」
「じゃあ、可愛い名前を考えますよ~!」
輝羽ちゃんたちは腕を組みながら唸り始めた。
3人はひたすら頭の中で、あーでもない、こーでもないと考えているようで、少し待ってみたけど、案の1つもなかなか出てこない。
びしょ濡れなんだから、早く着替えないと風邪ひいちゃうよ?
私も少し考えてみよう。
変に奇をてらったような名前じゃないほうがいいよね?
「……ハナちゃんでどう?」
最初に花を食べちゃったのも衝撃的だったし、象さんの特徴といったらやっぱり長い鼻だ。
ハナちゃんなら覚えやすいし可愛らしい。
「おっ!?」
「それ、いいっ!」
「よっしーちゃん、天才ですよ~!」
みんな一発で気に入ったみたいだった。
「今日からあなたの名前はハナちゃんですよ~!」
「パォオオンッ!」
名前のことを分かっているのか、象さん改めハナちゃんも嬉しそうに返事をしていた。
そして、また輝羽ちゃんに鼻で吸い付いていた。
輝羽ちゃんも少しは慣れたのか、ちょっと楽しそうである。
「っくしゅん!」
いけない、くしゃみ出ちゃった。
それを聞いたみんながクスクス笑っている。
「ひゃっひゃっひゃ! 風邪ひかんようにな!」
「それじゃ、帰るかぁ」
「また来るね~っ!」
「さようなら~!」
「プォオ……?」
ちょっと寂しそうなハナちゃんに手を振って、私を含めた輝羽グループは"ふれあい広場"を出た。
坂を下り、家の前で3人と別れて家の中へと入っていく。
私はさっそく濡れた服を着替えて、放ったらかしになっていたお皿洗いをするために台所へと向かった。
「好美~、ワシゃ少し出かけるぞーい!」
「あ、はーい! 行ってらっしゃーい!」
お父さんに挨拶した後、我が家の車のエンジン音が聞こえ、遠ざかっていった。
たぶん、ハナちゃんや他の動物たちをお世話するのに足りない物があったのだろう。
私はジャージャーと水を出しながらお皿やお茶碗を洗っていく。
……パキッ! と小枝が折れるような音が聞こえた。
ん、何だろう?
木造住宅の我が家では、突然、木が軋むような音が聞こえることがある。
今の音はちょっと遠くから聞こえたような気もするけど……まぁ、何でもいいか。
私は早々に頭の中から疑問を消し、鼻歌混じりにお皿洗いの続きを始めた。
この時の私はその出来事に気づいていなかった。
数分後、私は血相を変えて街を走り回ることになるのである。
-- 6月11日(日) 15:15 --
「悪いな、客に重い方を持たせちまって」
「重いっつっても、牛乳2本だけだぜ? てか、客だなんて思うなよな!」
百貨店のミリオンドールからの帰り、俺、福納 修一は家に遊びに来ていた 渡と一緒に買い物袋を持って歩いていた。
渡とおやつを買いに出た時に、運悪くおふくろに目を付けられちまった。
買い物に行くならついでにお使いしてこいと財布を持たされて、今から家まで戻るところだ。
せめておつりで好きな物買えとか言ってくれりゃいいのに……。
「牛乳、振りまくってバターにしてやろうか?」
「面白そうだけど、ぜってー怒られるからやめとこうぜ!」
俺の嫌がらせの提案を渡があっさりと受け流した。
渡のやつはノリがいいだけで結構まじめなんだよな。
ふざけることはあっても、悪意のあるイタズラは滅多にしない。
本人は『そんなことしなくても面白いことはたくさんあるだろ』とか言ってた。
コイツは頭が悪い癖に、妙に真理を突くようなことを言うから侮れん。
「なぁ、象がいる」
「はぁ? なに意味わかんないこと、を……!?」
道路の先から、小さめの象がどすどすと小走りでこちらに向かってきていた。
渡の言葉通りのはずなのに、本当に意味わかんねーよっ!
周りにいた人たちもぎょっとした表情で象を見ていた。
何でこんなところに象がいるんだ?
……あ、まさか!
「おい、渡! リンゴ買ってこい! ダッシュで!」
「お!? おう! 分かった!」
財布を渡に放り投げると、渡は牛乳が入った買い物袋をその場に置いて駆けていった。
すぐ近くの八百屋でリンゴ1個を買うと、大急ぎで戻ってきた。
「買って来たぜ!」
「ナイス! とりあえず、あの象を止めるぞ!」
下手したら交通事故が起きちまうし、あのスピードと大きさなら、俺でもなんとか手懐けられるかもしれない。
目の前まで迫ってきた象に、リンゴがよく見えるようにアピールしつつ声を掛ける。
「おやつの時間だぞ~! ほら、リンゴ!」
「お、おい修一、轢かれるって!」
目の前に迫ってきた象を見て、渡が俺の身体を引っぱる。
大丈夫、象の進行方向からは外れているし、避けることもできる速度だ。
俺はアピールを続けたが、残念ながら成功しなかった。
象がちらりとこっちを見た気がするんだが、リンゴを無視して目の前を通り過ぎていってしまった。
くそっ! うまく気を引くことができなかったか。
「……なぁ、修一。なんで象がいるんだ?」
「たぶん、あれだろ? "ふれあい広場"の……」
そう、あれは"ふれあい広場"から逃げてきた象だと思う。
あの広場、好美ん家が管理者で動物の世話をしていると誰かが言っていた。
いろんな動物がいるって話だし、象がいるとしたらそこしか考えられない。
「あーっ、あそこか! トナカイとかカンガルーとかがいる!」
「カンガルーっていたっけか?」
「ん? 今はいないんだっけ?」
渡とどんな動物がいたかを話していたら、普段着を着た好美がパタパタと走ってくるのが見えた。
凄く慌ててる様子だし、まず間違いなくさっきの象を追いかけてるのだろう。
「おーい、好美~!」
「あ、修一くん、渡くんも! あの、こっちに……」
「象なら向こうへ行ったぜ!」
俺は渡と一緒に象が向かった方向を指さした。
「あれ、お前んとこの"ふれあい広場"の象か?」
「うん、逃げ出しちゃったみたい。足跡を追って来たんだけど、すぐに消えちゃってて……」
「足跡? コンクリートにかよ?」
「水遊びした直後だったんだよぅ。じゃなかったら、絶対気づけなかった」
渡と好美のやり取りでも、好美は早口で喋っていた。
まだまだ焦っている様子だ。
事故が起きたらヤバいから、その気持ちは分かるぜ。
「すまん、俺がうまく止められたら良かったんだけどよ」
リンゴを見せながら、残念ながら失敗してしまったことを伝える。
「修一くん、思い切りがいいね」
「たぶん広場の動物だって思ったからな。それより、すぐ追いかけろよ。俺たちも後で行く」
「う、うん、ありがとう!」
好美は軽く頭を下げて、象が向かった方へ走っていった。
人がざわざわしているし、目撃者は多いからそのうち追いつくんじゃないかと思う。
「さっさと牛乳を届けて、俺たちも……」
「修一、目の前を見ろ」
渡の指さした先を見ると、俺たちの目の前にトナカイが居た。
テクテクと歩いてきたそのトナカイが立ち止まり、俺の持っているリンゴをじっと見ている。
俺は渡と顔を見合わせた。
おいおい、もしかして……。
柵、壊れっぱなしなんじゃねーか?
-- 6月11日(日) 15:18 --
ハナちゃんの脱走を知って慌てて追いかけてきたものの、その姿はまだ発見できない。
さっき修一くんたちから得た情報を頼りに真っすぐ進んでいく。
私と同じ方向に走っている人も何人かいて、その人たちもハナちゃんを追いかけているんだと思う。
かなり近くにいるはずだ。
ハナちゃんが脱走する理由として考えられるのは、寂しくて輝羽ちゃんたちを追いかけていることくらいしか思い当たるものが無い。
輝羽ちゃんはぷに子ちゃんの家に居候しているってことは知っているけど、残念ながらぷに子ちゃんの家の場所を私が知らないのだ。
知っていたら先回りすることもできたかもしれないのに!
前を走る人が交差点を曲がった。
輝羽ちゃん、お願いだから近くに居て……!
祈りながら交差点を曲がり、私はハッと息を呑んだ。
そこには恐れていた交通事故の現場の光景が広がっていたのである。
スクーターが横転し、搭乗者と思しきヘルメットを被った人が尻もちをついた状態で放心していた。
ハナちゃんはいないみたいだけど、まず間違いなくハナちゃんの起こした事故である。
「だ、大丈夫ですか!?」
「え、好美ちゃん!?」
「……ん? あ、あれ? もしかして、篤人さん?」
尻もちをついていた人がヘルメットを脱ぐと、やっぱり篤人さんだった。
いつもと違い、顔から生気が消え失せている。
「あの、篤人さん、インド象を轢いたんですか?」
「今回は僕が轢かれた側だよ! なんで象がいるの!?」
生気のない顔に怒りが滲み、少し元気になったように見えた。
篤人さんにしては珍しく憤っており、やり場のない怒りに声を荒げている。
まぁ、インド象がここにいること自体が理不尽だし、事故に巻き込まれたのだから仕方ないが。
「"ふれあい広場"から逃げ出しちゃったみたいなんです。どっちに行ったか分かりますか?」
「どっちもなにも、すぐそこにいるよ」
篤人さんが指さした先には人だかりができていて、その真ん中に小っちゃくハナちゃんの鼻が見えていた。
座っているのか、特に動く気配は無いようだ。
よーし、なんとか追いついた。
「ねぇ好美ちゃん。この場合、保険って効くのかなぁ? ……っていうか、信じてもらえるかな?」
「わ、私に聞かれてもわかりませんよぅ!」
保険の要綱をよく読んでくださいとしか言えることがない。
本当にインド象に当たったかどうかを聞かれたら、証言のお手伝いくらいはできるんじゃないかと思うけど。
スクーターがボロボロになって傷心している篤人さんも気になるが、今はハナちゃんを連れ戻すことが先決だ。
私は人だかりへと突撃し、人垣をかき分け、その中心部へと身体を捻じ込ませていった。
何とか最前列まで入り込むと、先ほどまで一緒にいた友人たちと目が合った。
「よっし~……!」
「輝羽ちゃん、ごめん!」
輝羽ちゃんが涙目で私を見て、助けを求めてきた。
輝羽ちゃんはまたもやずぶ濡れになった状態でハナちゃんの側に寄り添っている。
ここは道の駅クロスナインの側にある水の広場【キハナレ】である。
時折りイベントをやっている水遊びの場だ。
輝羽ちゃんたちは帰る前に、どうせもう濡れているからと寄り道をしたのだろう。
「びっくりしたよっ! ハナちゃんが付いてきてたんだもん!」
「ご、ごめんってば! たぶん柵が壊れちゃったんだと思う」
というか、ハナちゃんが壊しちゃったんだと思う。
もっと強い柵じゃないと、子供とはいえ象さんは止められなかったようだ。
「……で、みんなはここで水浴び?」
「違いますよ~……」
「私たちは水を蹴っていただけだったんだけど、ハナちゃんは水浴びだな……」
足元を濡らすだけのつもりが、ハナちゃんの乱入で盛大に水をかぶったらしかった。
ぷに子ちゃんと弘子ちゃんも完全に水浸しになって意気消沈している。
たぶん、ハナちゃんを押しとどめようと頑張ってくれたのだろうが、ハナちゃんにとっては遊んでもらっているという認識しかないかもしれない。
そのハナちゃん自身は、周りに子供たちが集まって来ていて楽しそうである。
寂しくなくなったからか、大人しくしてくれていたようだ。
「はぁ~……」
私は安堵なのか溜息なのか分からない息を吐き出し、ハナちゃんに声を掛けた。
「ハナちゃん、帰ろう」
私はハナちゃんの頭を優しく撫でながらお願いしたのだが、そっぽを向かれてしまった。
まだ帰りたくないと言いたいらしい。
ただでさえご迷惑をかけているのに、ここに居座られたら更に怒られてしまう。
「も~、わがまま言わないで、帰るの!」
「パォオオン!」
やだやだをするハナちゃんも可愛いんだけど、どうにか動いてくれないと困る。
私が鼻の根元を掴んで引っ張ると、ハナちゃんは気分を害したようで急に立ち上がった。
そのままちょん、と相手を押すような感じで私にぶつかってくる。
ぐい、と押し出す程度の力だし、嫌な気持ちになっても手加減してくれているようだ。
この子はとてもやさしい性格をしていると思う。
だからこそ、できれば力づくで連れ帰るとかはしたくないんだけどなぁ……。
いやいや、そもそも力づくで何とかしてしまったら怪人バレしてしまうし、どうしよう?
「プ、プォ!?」
「あ、ごめんごめん」
ぼーっと考えごとをしている間、ハナちゃんは私を押しのけようと徐々に力を強くしていたようだ。
でも、私は怪人の力を持っているから耐えることができてしまう。
ハナちゃんは全力のパワーでも微動だにしない私に驚いているようだった。
そして、それが恐怖に変わるのに時間は掛からなかったようだ。
ハナちゃんは押すのをやめて後ずさると、輝羽ちゃんの後ろに隠れるように移動した。
「パォォ……」
「あれ、どうしたの、ハナちゃん?」
怖がってる。
うぅ、結局こうなっちゃうんだよね。
何も事態は良くなっていないし、ハナちゃんには嫌われてしまうし、私も泣きたくなってきた。
そうやって困り切っていたところ、輝羽ちゃんが明るく声を上げた。
「ハナちゃん、私が一緒に行ってあげる!」
「プォオ?」
「お家に帰るよ~っ!」
「パォオン!」
歩き出した輝羽ちゃんに、ハナちゃんはとことこと付いていった。
ハナちゃんは輝羽ちゃんをお姉さんと見ているのか、言うことを聞いてくれそうである。
頼りになるなぁ、輝羽ちゃん。
ハナちゃんが移動し始めたことで一緒にいた子供たちもくっついてきた。
みんな揃っての大移動である。
私は輝羽ちゃんに任せることにして、刺激を与えないように後ろの方からそれを追うことにした。
一時はどうなることかと思ったけど、なんとか事態が収束しそうだ。
あぁ、よかっ――
「あ、アルパカ~!」
――た……?
子供の大声に頭が真っ白になった。
みんなが向いている方向に顔を向けると、見覚えのあるアルパカがクロスナインの中へと入っていくところだった。
その瞬間、私の脳裏に現在の"ふれあい広場"の想像図が浮かび上がった。
柵、壊れたままだ!
これってもしかして、みんな逃げ出してるんじゃ……!
"ふれあい広場"にいた動物はハナちゃんと、アルパカとトナカイが2頭ずつだったはず。
「い、急いで戻らないと……!」
「手遅れっぽいよ、好美ちゃん」
「ふぇ!?」
慌てる私に、篤人さんがスマホを見せながら近づいてきた。
スマホに映っているのは『緊急ニュース』の字幕で、警察と防衛隊の一部が逃げ出した動物たちを捜索中という文字が並んでいる。
危惧していた通り、全部の動物たちが逃げ出してしまっているらしい。
そして、この事態に気付いた誰かが警察に連絡してくれたようだった。
「ドクターも大慌てだったよ。すぐ帰るってさ」
「うぅ、こんな事になるなんて……!」
先に柵を直せば良かったと思うものの、後の祭りである。
手にあまる事態に涙が出てきた。
でも、これ以上は被害を広げるわけにはいかない。
私は挫けそうになるこころを奮い立たせ、すぐそこにいるアルパカを捕まえるべくクロスナインの中へと入っていった。
-- 6月11日(日) 18:20 --
エントランスのプロジェクターに6時から始まったニュース番組が流れている。
土日祝日のこの時間は、多くの場合、我らが秘密結社パンデピスとヒーローとの対決の話題で埋められている。
今日も多分に漏れず、怪人とヒーローの戦いがヘッドラインに上っていた。
「ふふふ、生還することこそが肝要……」
私はプロジェクターから目を離し、紅茶を飲みながら独り言をこぼした。
私は怪人ノコギリデビル。
秘密結社パンデピスの幹部の一人である。
今回、出撃したのはアブラゼミの怪人ジライゼミであった。
レッドドラゴンを相手に逃げの1手ではあったものの、設置型の爆弾で追いすがるヒーローを脅かしたのは見事であった。
直近では怪人が撃破される事態が多く発生していたからこそ、生還したことが喜ばしい。
「すみません、遅れました」
「ふふふ、わざわざ来たのか、戦闘員21号」
やってきたのは戦闘員21号だ。
不運にも交通事故に遭い、警察を待つしかなかった戦闘員21号は作戦の時間に間に合わなかった。
表の事情で出てこれなくなることはままあることだ。
「ふふふ、君がいない状態でもうまく撤退役が機能したようだ」
「それは良かったです」
戦闘員21号は撤退のスペシャリストとして非常に役に立ってくれている。
今回、ミスティラビットも彼もいない中での撤退で不安もあったが、きっちり撤退役の怪人が役割を果たしてくれた。
その役割を担い、成果を出したのはブラックローチだった。
「ブラックローチ様が僕の分まで頑張ってくれたことに感謝ですよ」
「ふふふ、奴は撤退役として申し分なかったな。文句のない成果だ」
ブラックローチは怪人としては確かに弱いが、撤退役に関しては高い評価を与えられる。
ブラックローチは戦闘力の低さで何かと蔑視されがちだが、それですべてを評価するなら戦闘員21号はブラックローチより弱く、役立たずということになる。
まったくもって愚かな考え方だ。
現に彼は戦闘員21号の動きを理解し、良いところは真似て、己に足りないところは工夫し、ジライゼミを見事に補佐したと聞いている。
撤退役となる怪人は、むしろブラックローチを見習ってほしいものだ。
「そうそう、ミスティラビットの様子はどうだったかね?」
「元気いっぱいでしたよ。つらい事にも踏ん張れる感じでしたし、あれならもう大丈夫でしょう」
「ふふふ、それは何よりだ。……むしろ、今日に限っては君の方が大変だったかな?」
「いやぁ、楽しい出来事でしたよ。スクーターが壊れてしまったこと以外は、ですけどね」
ちょうどニュースはその事件のことを取り上げていた。
動物たちの脱走と、それを巡る大捕り物の大騒動がニュースで面白おかしく編集されている。
インド象に連なる子供たちの列の最後尾に、ミスティラビットの正体である佐藤好美が映っていた。
「戦闘員21号、来ていたか」
「表側で大変だったと聞いたが、大丈夫そうだな」
「あ、はい。遅ればせながら参上しました」
ふむ、ブラッディローズとブラックローチも来たか。
この2人は特にミスティラビットにご執心だったな。
恐らく戦闘員21号に彼女の様子を聞きに来たのだろう。
「ミスティラビットなら来週から来れると思いますよ」
「そうか」
「おぉ、それは何より!」
戦闘員21号も心得たもので、何か聞かれる前から答えを返していた。
2人の怪人の瞳に嬉しそうな光が宿っている。
本人は気づいていないだろうが、ミスティラビットは組織に程よい緊張感をもたらしてくれる。
多くの野心家の怪人たちは、序列ナンバーワンの彼女をどうにか追い越そうと瞳のギラつかせるのだ。
是非とも早く元気な姿を見せてほしい。
「それで、意外なことに『鍛えようかな』みたいなことを言っていましたよ」
「む? あいつがか?」
ふむ、それは意外だな。
先日の適性テストの際は嫌々ながら付き合っていたという雰囲気だったが……。
「詳しくは言えませんが、知り合いの努力を間近で見たんだとか」
「ほぅ……?」
「ふふふ、なるほどな。良い事だ」
おおかた、ヒーローになった弟の優輝くんの奮闘を見て触発されたのだろう。
彼がヒーローになったことで水面下では波紋が広がっていたが、どうやら悪い事ばかりではないらしい。
そうだな、せっかくやる気になっているなら、今のうちに師となる怪人をけしかけておくとするか。
やはり、ヒヒの怪人マスターバブーンに頼むのがよかろう。
「今度は私も手合わせに参加したいものだが……」
「ふふふ、ブラッディローズよ、分かっている。確約はできんが善処しよう」
本気の戦いではなく、何かしらの試合や組み手であればミスティラビットも拒絶はするまい。
それに、ブラッディローズ自身の成長にも何かしら変化があるかもしれん。
今は序列の下位に沈んでいるが、ブラッディローズの戦闘能力は相当なものだ。
能力に対する研究の成果も含め、どこかで披露する場を設けなければならんな
「君の活躍する場も用意してやりたいところだが……」
「来週の出撃予定は怪人ヒートフロッグだろう?」
そう、数少ないブラッディローズより序列が後ろの怪人の1人、ヒートフロッグが出撃予定だ。
「いくらなんでも、奴の出番を奪う気にはなれん」
「あぁ、彼か。何度も予定が潰れたと愚痴っていたが、ようやく3度目の正直で出撃か」
「違うぞブラックローチ。予定が3度潰れて、次は4度目だったはずだ」
「ヒートフロッグ様ですか。今度こそ妙な妨害が入らないといいですけど……」
1回目はトライホーンに、2回目は表社会の予定の関係で、3回目はブレスレット争奪戦でミスティラビットとドブロクダヌキに出番を譲る形になってしまっていた。
序列が下位ということもあり、そもそも出番のローテーションも遅かったことに加えて予定がままならず、相当フラストレーションがたまっている。
ブラッディローズは権利を行使する気はないようだが、たとえ順番入れ替えの申請があったとしても、彼を差し置いてブラッディローズを出撃させることはできんな。
それに、血の気の多い怪人があわよくば出番を奪おうと隙を伺っている。
言い訳の1つも用意できなければ、ブラッディローズの出番は奪われてしまうことだろう。
「ふふふ、どいつもこいつも、ナンバーワンヒーロー相手に怖気づくどころか奮起するとは、我が組織の怪人たちは実に頼もしい。いずれ奴の寝首を掻く者も現れるかもしれんな」
出撃させる怪人に悩めるというのは、私にとっては贅沢な悩みに他ならん。
せいぜい悩ませてもらおう。
「不意打ち前提か? 私は真正面から行くぞ」
「ふふふ、これは失言だったな。"寝首を掻く"ではなく"打ち倒す"と訂正させていただこう」
ブラッディローズの負けん気も頼もしい。
彼女もまた、ヒーローに届きうる逸材に違いないだろう。
だが、恐らくまだレッドドラゴンには届くまい。
彼女も死なせるには惜しい逸材だ。
いや、彼女に限らずどんな怪人でも失わずに済ませた方が何かと都合がよいのだったな……。
「問題なのは、やはり撤退役か……」
今のところ、適性を見せているのはブラックローチくらいか。
できればもう1人くらい適性のある怪人が欲しいのだが、難しいかもしれんな。
私の頭には新しい構想ができていた。
戦闘部門から派生して、撤退専門の新しい部門を設ける構想だ。
今、新潟にはレッドドラゴン、ブルーファルコン、ライスイデン、そして新しいヒーローの卵、優輝くんが滞在している。
特に、レッドドラゴンとブルーファルコンの2人が相手では、よほどの実力者か強運の持ち主でなければ逃げることさえままならないのが実情だ。
唯一、あの2人を同時に相手取れるのは幹部を含めてもミスティラビットくらいだろう。
彼女に権力を与え、戦闘行為に自由に関与できる状況を作ることが望ましい。
本人の希望にも沿うだろうしな。
ただ、彼女は幹部候補に指名されたとしても、まず間違いなく拒否するに決まっている。
ブレスレットの件で幹部候補の座に座ってもらえていたら楽だったのだが、ままならぬものよ。
できれば自ら"幹部を目指す"と名乗り出て欲しいものだが……。
ふふふ、さて、どうやって彼女を幹部候補に引っ張り上げるかな?
-- 6月11日(日) 19:30 --
【特務防衛課 新潟県 十日前町市 支部】
食堂でビーフシチューを突いていると、後ろから遅めの夕食をとりに飛竜がやってきた。
飛竜は俺を認めると、お盆を受け取って隣にやってきた。
「よう、お疲れさん。今日はお互いに大変だったな」
「よく言いますよ。めちゃくちゃ楽しそうなことしてたくせに……」
文句を言った後、飛竜がいただきますをしてご飯を食べ始めた。
俺と同じくビーフシチューの定食だが、ご飯は2杯分くらいある大盛りだ。
今日、飛竜は怪人ジライゼミが暴れた上越まで応援物資を届けに行っていた。
……ということになっている。
飛竜は実際にはレッドドラゴンとして出撃し、ジライゼミと戦って来たのだ。
ヒーローの正体は可能な限り外部に漏れないようにしているから、対外的にはカムフラージュされるようになっているのである。
対して俺、上杉一誠の方はというと、"ふれあい広場"から逃げ出した動物を捕まえるのに協力することになった。
それだけをやっていたのなら楽しかったんだろうが、俺はお前のサポートをメインでやっていたんだからな?
「こっちだって大変だったんだぞ。優輝の出撃を望む電話にお断りをしたり、零が出撃しようとするのを止めたり……」
あいつらだって訓練で疲れているんだから、無茶を言うなって感じだ。
零については、本人はやる気があったが、今日は休みと決めていたんだから休んでもらった。
訓練が人を強くするのは間違いないが、回復することで強くなるんだから休むのも仕事だ。
「アルパカとのツーショット、撮っていたでしょ?」
「アルパカの方からやってきたんだよ。なぜかうちの施設の真ん前にいたんだぜ?」
1階に向かった時に、ちょうどいたんだから仕方ないだろう。
近づいても逃げなかったから、野菜を持ってきて食わせていただけだ。
いつの間にか俺の写真が撮られてて、テレビにまで流れたのは驚いたが、1人の隊員として扱われただけだ。
ヒーロー、ライスイデンの正体がバレたわけじゃないから問題は無い。
「ニュースを見ましたけど、うちの連中も生き生きしていたじゃないっすか」
「たまにはいいだろう。そもそも、事故が起きないように協力を要請されたんだから、普通に仕事だよ」
協力したのは俺だけじゃない。
というより、俺はたまたま協力することになってしまっただけで、指令を受けて捜索に加わったのは別の連中だ。
あいつらは警察とも協力して頑張ってくれていたようだ。
動物たちの多くは比較的すぐに捕まえることができたんだが、最後の1頭のトナカイだけは逃げに逃げて、大捕り物になったと聞いた。
なんとか日暮れまでに捕まえることができて、みんなで胸をなでおろしたそうだ。
「"ふれあい広場"は好美ちゃんのお父さんが責任者らしくてな」
「あぁ、そうらしいっスね」
「市役所に来て頭を下げてたのを見たよ。好美ちゃんも一緒に来ていたな」
「朝、出て行ったばかりなのに、好美ちゃんにとっちゃ嫌な再会だよなぁ」
飛竜は笑いながら言って、ビーフシチューを口に運んだ。
うちの隊長や市長、警察の署長も楽しそうだったが、事故を起こした側からすると心苦しいだろうな。
それと、零がうっかり出て来てしまったためニュースではツーショットの映像が使われていた。
また厄介なファンの暴走が起きるかもしれないし、テレビ局も少しは自重して欲しいもんだ。
ここまでは笑っていた飛竜だったが、少し落ち込んだ様子で、小さくため息をついた。
「そっちは動物を捕まえられたみたいですけど、こっちのセミは捕まえられませんでしたよ」
「あぁ、残念ながら撃破できなかったな」
今回はレッドドラゴンと怪人ジライゼミとの対決だったが、仕留めることはできなかった。
飛竜も身体に疲れがある中でよく頑張ってくれたと思うが、本人はやはり悔しがっているようだ。
秘密結社パンデピスの怪人は逃げるのがだんだん上手くなっている気がする。
実力じゃレッドドラゴンの圧勝だというのに、なかなか撃破させてくれない。
特に今回は、ジライゼミがひたすら逃げつつ地雷と爆弾をばら撒く戦い方をしていた。
まともに戦う気すら無かったように思う。
相手が昨日のゼブランサーだったら近接戦闘になるし、ヒーローが1人でも撃破する算段は付きやすかったのだろうが、組み合わせが悪かったな。
「周りを破壊するだけ破壊して逃げるとか、最悪の所業っスよ!」
今回は上越のセントラルスクエアが戦場になったため、商品の破壊ももちろん、建物の倒壊まで発生して大混乱になっていた。
逃げる相手を追うと、追いかけた先で次々と爆発が起こって被害が出てしまう。
霧が発生したタイミングで、被害が広がらないように敢えて追うのを諦めたくらいだ。
「その破壊も、レッドドラゴンの判断で少しは減らせただろうさ」
「だとしても悔しいぜ……。もう1人ヒーローがいたらとっちめてやれるのに。上層部じゃないですが、優輝が望まれている理由も分かりますよ」
「確かに。その気持ちは分かる」
飛竜の気持ちは、上層部よりも現場にいるみんなの感情を表したものだと思う。
被害だけ出して相手を追い詰められないのは本当に悔しいからな。
もしもヒーローが2人いたら怪人の撃破率は格段に上がるだろう。
優輝がヒーローとして大成してくれたなら、零と優輝、そしてレッドドラゴンの力でパンデピスを追い詰めていくことも可能になってくるはず。
俺が出られるなら出たいくらいだが、ヒーロー化に由来するらしき不調で全力が出せない状態では勝てるものにも勝てなくなってしまう。
まともに戦えないのがもどかしいぜ。
「零が学校を休めばいいっていう意見もあるみたいっスけど」
「子供にゃ"教育を受ける権利"つーもんがあるんだよ! ……て突っ返してやりたい」
実際には言わないし、やらないけどな。
被害に遭った人の気持ちを考えると、学校を2の次にするべきという意見は分かる。
ただ、俺は零が生き生きしている姿を見ていたいし、その瞳を曇らすようなことをしたくない。
零の人生で、恐らく今が学校生活を送れる最後のひとときになるだろうから、1日たりとも休ませたいとは思えないのだ。
それに、それ以前の問題として、零だってまだ中学2年生なんだ。
本来は大人が守るべき子供なのである。
「何て時代だ……。子供が命を張って頑張らなきゃいけない社会なんざ、まっぴらだってのに」
飛竜が飯を頬張りながら頷いた。
「それでも、力がある零と優輝には頑張ってもらわなきゃいけません」
そして、俺の考えに共感しつつも現実を口にした。
それは俺だって分かっている。
だからこそ、優輝を一刻も早く1人前にできるように指導しているのだから。
「教官、もっと違う考え方をしましょうよ」
「うん? 違う考え方って?」
「俺にもやってくれたじゃないっスか。怪人の初撃破で盛大にお祝いしてくれたりとか」
「あぁ、そういうこともやったな」
なるほど、辛いことをしている分、ご褒美を用意しろってことだな。
苦しい訓練と戦いを強いているのだから、それに報いるのも必要なことだ。
「大したことはできないが……考えてみるか」
「大したことなんて望んでないっすよ。少なくとも俺は」
「お前もご褒美希望か?」
「いや~、今はいいっす。まぁ、新潟から怪人がいなくなった時は、考えておいてくださいよ」
ご飯を食べきった飛竜は席を立ち、給仕のおばちゃんにおかわりを貰いに行ってしまった。
新潟から怪人がいなくなる時は、秘密結社パンデピスを倒した時だろう。
そりゃ、盛大に祝う必要がありそうだな。
こいつは本気でそれを成し遂げるつもりでいるだろうしな。
そういえば飛竜のヤツ、さっき大したことは望んでいないとか言っていたか?
却下だ。
一生、誇れるような想い出になるように、俺が手配してみせるさ。




