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秘密結社パンデピス  作者: ゆきやま
16/42

中学校の潜入工作員

--5月8日(月) 4:10--


 太陽が顔を覗かせる前の早朝、私は玄関を出て、新聞配達の配達所へ向かって歩きだす。

 空は微かな光を纏うばかりで、街はまだ眠ったままだ。

 静寂に包まれる街に、私の立てる小さな足音だけがコンクリートに染み込んでは消えていく。


「今日から学校か~」


 つらいだけのゴールデンウィークになるかと思いきや、後半は家族旅行になったこともあって非常に楽しく過ごすことができた。

 久しぶりに会う友達はどんな休日を過ごしていたのだろうか?

 今からおしゃべりできる時間が待ち遠しい。


 本町通りに出ると、前方から1台の配送トラックがやって来て私の目の前に止まった。

 ガチャリと車のドアが開き、ふんわりパーマに四角いメガネの男性が姿を現した。


「おはようございます、篤人さん」

「うん、おはよう、好美ちゃん」


 車から出てきたのは、裏社会で秘密結社パンデピスの戦闘員をしている篤人さんだ。

 彼は、私が怪人であることも、人間の姿でも怪人並みのパワーが出せることも知っていて、いたずらなのかなんなのか車での体当たりを仕掛けてくることが多い。

 今日は珍しく普通に登場する日だったようだ。


「今日の好美ちゃん、絶好調みたいだからね。どうせ避けられるだろうし、普通に登場してみたよ」

「いつも普通に登場してくださいね」


 やっぱりワザとだよね? うん、知ってた。

 でも、しっかり問い詰めたら、きっとはぐらかすんだろうな。

 毎回なあなあで済ませてしまってるが、私は車に轢かれる趣味は無いし、やめて欲しいんだけどなぁ。


「それにしても、篤人さん、今日は早いですね」

「昨日、パンデピス(あっち)がバタバタしてた挙句、僕だけが突然お休みになったからね。だから、ちょっと早起きしてみたのさ。嵯渡ヶ島のアレが問題だったみたい」


 アレというのは、ビーストホースとフクロウの怪人が戦っていた件のことだろうか?

 フクロウの怪人には基地で会ったことなかったけど、あれが暗部の怪人なのかもしれない。

 その怪人を私たちに見せたくなかったのかな?


「嵯渡ヶ島で怪人同士が戦っていましたもんね」

「どっちかっていうと、好美ちゃんたちがそれに巻き込まれた方が大問題だったみたいだよ」

「え? 私たちが、ですか?」

「うん、珍しく(いきどお)って、気が気じゃない様子だったからね。怖すぎて話を聞けなかったよ」


 ノコギリデビルがそこまで負の感情をあらわにするのは確かに珍しい。

 けど、よく考えたら私のお父さんが秘密結社パンデピスの改造手術を担当するマッドサイエンティストなわけだし、下手をしたら組織が崩壊しかねない事態ではあったと思う。

 焦る理由も十分だ。


「幹部から、好美ちゃんにも済まなかったと伝えて欲しいってさ」

「えー、そんな、予想外の出来事だったんでしょうし、幹部のせいじゃないですよぅ」


 ビーストホースの逃げた先と私たちの旅行先が運悪く同じだっただけだし、これに関してはノコギリデビルに非は無いと思う。

 でも、まさか謝罪の言葉をわざわざ伝えてくるとは驚きだ。

 私に対してだけだったらそこまで(かしこ)まらないと思うし、やっぱりお父さんを意識しているのかなぁ?


「あと、昨日は好美ちゃんが来れなかったから、僕だけで名前の案を提出したよ」

「あ、それはむしろ助かります。どんな名前なんですか?」

「それは後でのお楽しみさ。といっても、採用されるかどうかは分からないけどね」

「もったいぶらなくてもいいのに……」


 ノコギリデビルからもらったゴールデンウィークの宿題が、自分の怪人名を考えることだった。

 結局、大して良い案が浮かばなかったので、篤人さんが一人でやってくれたのならありがたい。

 篤人さんなら変な名前は提出しないだろうし、ようやく"謎の怪人"から普通の名前がある怪人へと改名することができそうだ。


 "謎の怪人"って何となく中二病くさいし、いまいち好きになれなかったんだよね。

 私自身はまさに中学2年生だけど、へんに格好をつけた名前は遠慮したいのである。

 あと、名前が変わるついでに、変身する時のセリフも無くなってくるとありがたいのだが。


「そうそう、もう1つ重要な情報があるよ。これは本当の情報伝達ね」

「あ、はい、なんでしょうか?」

「南中学校にスパイを送り込む。"お菓子の材料は?"という質問に対して"ナツメグ"と答えた者がそいつだ……だってさ」


 え、それを全員に聞いて回るってこと?

 それ、どう考えても不審人物に見られちゃうんですけど。


「全員に聞くんですか?」

「いやいや、今まで好美ちゃんの学校にいなかった人物だけだからね」

「あ、そっか!」


 それなら人数もだいぶ絞れるし、たぶん大丈夫だ。

 何か理由を付けて接近し、話しかけることさえできればどうにかなるだろう。


「ところで好美ちゃん、ナツメグって何か分かる?」

「えっ? 香辛料の一種ですよ」

「あぁ、スパイスだったんだ。聞き覚えのある単語だとは思ったんだけどね~」


 知らなかったのか……。

 ナツメグはかなり有名だと思うんだけど、料理をしなければ知らなくてもしょうがないのかな?

 有名な使い方としてはハンバーグを作るときに匂い消しに使うことだろう。

 私も作るときには使っている。

 でも、合言葉で使うのはハンバーグじゃなくて『お菓子の材料は?』なんだよね。

 ちゃんと覚えておこう。


「それじゃ、頑張ってね。くれぐれも周りには悟られないように!」

「はい、気を付けます」


 軽トラに乗って篤人さんが窓から片手を出し、手をひらひら振りながら去っていく。


「スパイって、誰が来るんだろう?」


 いの一番に思い浮かぶのは、同年代と思われるブラッディローズだ。

 たとえ正体を教えてもらわずとも、もし同年代の彼女がスパイだったら判別できる気がする。

 膨らんでいく期待を胸に、私は新聞配達の配達所へと歩き出すのだった。



--5月8日(月) 8:15--


「おはよー」


「あ、よっしー、おはよ~!」

「おはよう」

「おはようございます~」


 教室に入ると、仲良しグループのメンバーが全員揃っていた。

 周りの人たちもゴールデンウィークの思い出話で盛り上がっている。

 一部は宿題を広げて書き写しに(いそ)しんでいるようだが、概ね平和な休み明けの様相を呈していた。


「ふっふっふ~、これを見てください!」


 脱力系お嬢様である、ぷに子ちゃんが賞状を広げた。

 そこにはピアノコンクール優秀賞の文字が記されている。


「えっ!? すごい!」

「ぷに、学校行事でのピアノもうまいもんな。先生顔負けだし」


 言われてみれば、去年のクラス別の合唱発表会でもピアノをしていたことを覚えている。

 1年生の時は別クラスだったし、他の代表者のピアノもみんなもうまいんだけど、ぷに子ちゃんはその容姿と群を抜いた上手さでかなり目立っていた。


「えへへ~、やりましたよ~!」

「おめでとう、ぷに子ちゃん」


 見た目は完全無欠なお嬢様なのに、賞状を持ってはしゃいでいるところを見ると、綺麗よりも可愛いという感情が先に来てしまう。

 尊敬されて一目置かれる、みたいなことにならないのが、ぷに子ちゃんの面白いところだ。


「弘子は? お休みどうだったの?」

「うちはキャンプに行ったよ。みんなでカレー作ったり、近くの牧場を覗いてみたり」

「へぇ~」


 弘子ちゃんは、ゴールデンウィーク前に話していたキャンプに家族で行ってきたそうだ。

 牧場ではヒツジに突進されたり、餌をあげようとして囲まれたりしていたそうだ。

 懐かれているのか甘く見られているのか……。


「あと、飯盒(はんごう)で炊いたご飯って、なんであんな美味いんだろうな?」

「わかるぅ~!」

「キャンプのカレーはご馳走ですよ~!」


小学生の頃に林間学校へ行ったけど、飯盒で炊いたご飯はびっくりするくらい美味しかった。

キャンプのマジックなのか、それとも炊飯器の問題なのだろうか?

家の電子ジャーもそろそろ古くなってきているし、お父さんに買い替えを相談してみようかな。


「よっしーはどうだったの?」

「私? 私は家族で嵯渡ヶ島に行ってきたよ!」


 楽しかった思い出がたくさん詰まっていて、自然とテンションが上がってくる。

 元気よく話し始めようとしたのだが、ふと気づくとみんなの顔がこわばっていた。

 あれ、何でみんな驚いてるの?


「よっしー、嵯渡には怪人が出たよな? 大丈夫だったのか?」

「え? あ、うん、いや、そうでもないかも……」


 そういえば怪人が出たんだった。

 みんなの反応も納得である。

 私がしどろもどろに答えると、輝羽ちゃんが何かあったと判断して鋭く切り込んできた。


「ちょっと、よっしー! 何があったの!」

「えっと、その、目の前で怪人同士の戦いが起きちゃって、レッドドラゴンに助けられたっていうか……」

「「「ええぇ~っ!?」」」


 3人が同時に声を上げた。

 ついつい正直に答えてしまったけど、黙っていた方がよかっただろうか?

 あまり目立ちたくないんだけど……。

 さすがに報道機関までは来ないよね?


 ちなみに、お母さんが病院に担ぎ込まれた時にも報道陣は訪ねてきたのだが、その時は防衛隊員の皆さんがシャットアウトしてくれていたのである。

 お母さんが心配でしょうがないタイミングだったから、気を利かせてくれたことに感謝している。


「おいおい、あいつ、レッドドラゴンに会ったのかよ!」

「そうらしいぜ」

「うはっ! 羨ましい!」

「でも、それってさ、危ないところだったってことだろ?」


 周りのみんなにも聞こえてしまったようで、気付けばレッドドラゴンの話題でワイワイと盛り上がってしまっている。

 さすが日本ナンバーワンヒーロー、みんな会えるなら会いたいって思っているみたいだ。

 私としては絶対に会いたくない相手なのだが。

 ……怪人になっている時は、だけどね。


「私より、輝羽ちゃんの方が大変だったでしょ?」

「あー、きぅン()、壊されちまったんだよな」

「まぁねー! でも、みんな無事だったし、だいじょーぶ!」


 輝羽ちゃんが屈託のない笑顔を見せる。

 休みの間に心の整理がしっかり付けられたみたいで、元気いっぱいだった。

 でも、元気になった理由はもう1つあるようだった。


「きぅちゃん、今は私の家に泊っているんですよ~」

「えぇ!?」

「そうそう、居候させてもらうことになったんだ~!」


 輝羽ちゃんの両親が仮住まいの家だと不便だからと気を利かせ、ぷに子ちゃんの両親に相談した結果、しばらくの間は輝羽ちゃんだけぷに子ちゃんの家に居候することになったそうだ。

 毎日お泊り会ができると輝羽ちゃんもぷに子ちゃんも楽しそうである。


 2人の暮らしを聞いていると、ふいに真横から声を掛けられた。


「なぁ、好美! さっきの話、もうちょい聞かせてくれよ!」

「わりぃ、止めたんだけど……」


 クラスの男子が2人、私たちのグループにちょっかいをかけてきた。

 いや、片方は止めているから正確には1人だけである。


 【大海(だいかい) (わたる)

 我がクラスの、男子側のムードメーカー。

 騒がしくなる時は、輝羽ちゃんか渡くんが中心にいることがほとんどである。

 サッカー部に所属。


 【福納(ふくのう) 修一(しゅういち)

 その渡くんの親友というか、相棒。

 冷静なツッコミ役で、よく2人で漫才を繰り広げている。

 サッカー部に所属していて、部活でも2人はチームワークを発揮しているようだ。


「レッドドラゴンと直接話したんだろ? すげぇじゃんか!」

「え?」


 私、そんなこと言ったっけ?

 この短時間で随分と尾ひれはひれががくっついているみたいだ。

 このままだと羽が生えて飛んで行ってしまうかもしれない。


「違うよぅ、一方的に話しかけられただけだよぅ」

「なんて言われたの?」

「えーと、お母さんを助けることができたのは防衛隊員たちの情報のおかげだ、お礼は防衛隊員さんたちに伝えておいて、みたいなこと。……あ、お母さんは無事だからね!」


 一瞬、輝羽ちゃんの表情が曇ったけど、最後の一言で笑顔に戻った。

 この中では輝羽ちゃんが被害に会った時の辛さを一番理解しているし、心配してくれたのだろう。

 悪い雰囲気にならなくて良かった。


「そっか~。まぁ、戦場にいたんだから長話なんかできないよなぁ」

「うん。邪魔になるからすぐに逃げた」


 よし、これで私の話にこれ以上のヒレが付くことはないだろう。

 輝羽ちゃんと渡くんに正確な情報が伝わっていれば、あとは勝手に広がっていくだろうし。


「ヒーローといえば、ライスイデンが引退しちゃいましたよ~!」

「あれ、びっくりしたよねっ!」

「そうなんだよなぁ。でも、それならレッドドラゴンがしばらく居てくれるんじゃないか?」

「ずっと居てくれりゃいいんだけどなぁ。本部のヒーローはリベロだからなぁ」

「リベロって言うな。特殊遊撃部隊だろ?」


 そのまま、ゴールデンウィークの大事件の話へと話題がスライドしていく。

 何日か過ぎてはいるものの、まだまだホットな話題なのだ。

 特に、今後現れるであろう後任ヒーローへの期待は非常に高くなっている。


 今、来たらレッドドラゴンと比べられること必至である。

 評価の比較対象がレッドドラゴンなのは、ちょっとかわいそうかもしれない。


「みなさーん、席についてくださーい!」


 担任の星先生が教室へと入ってきたので、みんな話を切り上げて自分の席へと戻っていった。

 ここまではゴールデンウィーク前と同じである。

 だが、今日はいつもと違い、先生が閉めた戸の向こうに人の影が映っているのが見えた。


「えー、金子先生が産休に入られたので、新しい先生が来ています」


 新しい先生、という言葉に周りの生徒たちが好奇心に満ちた声を上げる。


 私も別の意味で興味を持っていた。

 今までに居なかった人物がやってきたのだ。

 もしや、その先生がスパイなのだろうか?


「黒川先生、どうぞ」


 星先生が声を掛けると、外にいた新しい先生がドアを開けて入ってきた。

 その先生は生徒たちの視線を集めたまま、黒板に大きく自分の名前をかき出していく。

 全て書き終わると、くるりと振り返ってこちらを見た。


「初めまして、数学教師を務める【黒川(くろかわ) (かける)】です」


 黒川先生が教壇に手をついて自己紹介をした。

 背が高く、ひょろりとした外見の男性教師で、なんだか声に張りがない。

 最初から疲れているという印象を抱かせる先生だった。


「黒川先生にはこのクラスの副担任も担当していただきますから、皆さん宜しくお願いしますね」

「よろしくお願いします」

「「「よろしくお願いしまーす」」」


 挨拶を終えた黒川先生は、別のクラスの授業をするためにすぐ教室を後にした。

 今のところ、どんな人物なのかはまだ分からない。

 人となりを確認し、合言葉を聞き出すチャンスを作り出すことが第一の目標だ。


 今日の数学の授業は2時間目だ。

 その授業で、少しは黒川先生の性格が分かるだろうか?



--5月8日(月) 9:50--


 2時間目の授業を告げる予鈴が聞こえ、黒川先生が教室の戸をガラリと開いて入ってきた。

 そして出欠確認で生徒たちの名前をひとりひとり呼んでいく。

 ここまではどの先生もだいたい同じ感じだ。


「では、おさらいもかねて宿題の答え合わせをします。1番目の問題から……」


 最初の授業と言うこともあって、黒川先生は生徒のことをまだ知らない。

 ひとまず席順通りに回答者を指名していくようである。

 数学の宿題はドリル式の問題だったので、各自が自己採点する方式で答え合わせをしていった。


 席順か出席番号順になるのは生徒たちも予想していたようで、きっちり自分が当たるであろう問題を把握して答えを準備していた。

 輝羽ちゃんとぷに子ちゃんも例外ではない。

 でも、できれば私にピンポイントで答えを聞きに来るのはやめてほしい。

 お願いだから自分でやってきてよ!


「では、この計算の答えを、渡くん」


 問題は直角二等辺三角形の面積を求める問題だ。

 小学校のおさらい問題で、普通に公式『底辺×高さ÷2』が分かれば求めることができる。


「はい! 5π(ぱい)!」

「え、π(ぱい)?」


 渡くん、まさかの大失敗(ファンブル)である。

 三角形の面積の計算なのに、何で円周率が出てくるんだろう?


 前後に半径を求める問題でもあるのかと思って確認してみたが、特にそういった問題は無かった。

 普通に間違っただけみたいだ。

 微妙に高度な間違い方な気がするけども、もしかして勘で答えたのだろうか?


「渡くん、不正解。……あのねぇ、きみ、もうちょっと努力してこないと」

「い、いやぁ、ちょっと調子が……」


 渡くんが見苦しい言い訳をしていると、周りの生徒からヤジが飛んだ。


「せんせー、渡くんだから仕方ないと思いまーす」

「こいつ頭悪いんで、許してやってくださーい」

「なんだとー!?」


 茶化された渡くんが反応すると、笑い声でドッと教室が沸いた。

 黒川先生としては本気で叱っていたつもりのようで、この反応にやるせなさそうな顔をしている。


「最初から頭が悪いとか、そんなことはありません! 単に努力が足りなかっただけです!」

「ほら見ろ! 先生だってこう言ってるだろー!?」

「私は努力が足りない渡くん(きみ)に怒っているんだ!」


 黒川先生が丸めたノートで教壇をパシンと叩いた。

 そのやり取りを見て教室がまた一段と大きな笑いに包まれる。


「ちゃんと復習するように!」

「はーい……」


 とほほ、といった感じで渡くんが着席した。

 やり取りを見る限り、黒川先生は教育熱心というか、割とスパルタな先生なのかもしれない。

 生徒たちにはあまり伝わっていないみたいだが。


 黒川先生の初授業は私のクラスにとっては楽しい授業だった。

 しかし、1時間目に授業を受けた他のクラスにとってはそうではなかったようで、休み時間に会った友達の話を聞く限り、気難しくて嫌な先生だったという声が多かった。


 カリカリしやすくて癖が強い先生、というのが私の第一印象である。

 それと、合言葉にあるお菓子とは縁が薄そうな印象しかない。

 あの合言葉まで持っていこうにも、どう考えても違和感のある会話にしかならないと思う。

 うーん、どうやってお菓子の材料にまで話を展開すればいいのだろうか?



--5月8日(月) 11:50--


「取り消してください!」

「お断りします!」


 3時間目が終わった時に、廊下から言い争う声が聞こえてきた。

 なんだなんだと生徒たちが教室のドアの前に集まり、こっそり廊下を覗き見する。

 最初、私は参加するつもりはなかったのだが、輝羽ちゃんがおいでおいでをするので、ついつい一緒に覗き込んでしまっていた。


 廊下をこっそり見てみると、星先生と黒川先生が口ゲンカをしていた。

 お互いに熱くなっているようで、周りの生徒たちが見ていてもお構いなしで罵り合っている。


「勉強の努力ができない奴は等しく無価値だ!」

「そんなことはありません!」


 一番最初に耳に飛び込んできた言葉は、指導者としてはあまり宜しくない一言だった。

 生徒たちの前で無価値とか言うのはちょっと……どうなのだろう?

 これは星先生が怒るのも分かる気がする。


「勉強ができない子にだってそれぞれに輝きがあります! むしろ、そっちの方が重要です! 頭が悪い子だっているんですよ!?」

「最初から頭が悪い子なんていません! その言葉、取り消してください!」


 あ、黒川先生がしれっと良いことを言った。

 『無価値』という表現は言い過ぎだと思うけど、努力してないのが許せないってだけみたいだ。

 改めて、黒川先生がうちの学校にはいなかった学力重視タイプの先生だと分かる発言である。


「いいえ、取り消しません! それに代わる輝きがあれば問題ありません! それと、勉強なんて後回しにするくらいでいいんですよ! スポーツに力を入れているほうが格好いいでしょう!?」


 ん? あれ? なんだか星先生の様子もおかしいぞ?

 勉強を優先しないとダメでしょ、学校なんだから。


「マキちゃん、あれで熱血スポーツマンだからな。さすが、バレーボール部の鬼コーチ」

「鬼コーチなの?」

「……今のは聞かなかったことにしてくれ」


 弘子ちゃんが、しまった、といった表情をしていた。

 弘子ちゃんは結構本気で怖がっているっぽかったので、今の言葉は心の奥深くにしまっておくことにする。

 私も人に言えない秘密を抱えているわけだし、黙っていることには慣れている。

 私は何も聞いていません!


「な、何を言っているんですか!? 学校は勉強をする場所ですよ!?」

「勉強だけではないと言っているんです! 何で分かっていただけないのですか!」


 2人の言い争いは収まりそうもなかった。

 なんだか主張が違っているだけで、お互いに受け入れちゃってもいいと思うんだけどな。


「マキちゃん先生! 行け行けぇ♪」

「そのままVゴールですよ~!」


 勉強嫌いの輝羽ちゃんとぷに子ちゃんの2人が星先生を応援し始めた。

 ここで星先生が口ゲンカに勝ったからって何にもならないと思うんだけど。


「俺は黒川先生を応援するぜ! 俺のこと、頭悪いって言わないしな!」

「あ、私もどっちかというと黒川先生よりかも……」


 渡くんと私で黒川先生の肩を持つ形で声を上げた。

 輝羽ちゃんとぷに子ちゃんが頬を膨らませて睨んでくるが、この2人、絶対おふざけで楽しんでいるだけなので、まったく怖くなかった。

 そんな小さな諍いを発生させている私たちをよそに、先生たちの口ゲンカは勢いを増していった。


「私だって、願わくば進学校と呼ばれる学校に勤めたかった! こんな学校ではダメだ!」

「ダメだって何ですか! 自分の力で変えてやるくらいの気概を見せてください!」

「1人では無理だから星先生に協力をお願いしたんでしょうが! 無碍(むげ)に断ったのは貴方の方だ!」

「部活の時間を減らすなんて無理に決まってるでしょう! 分かっていないのは黒川先生の方です!」


 そろそろ4時間目が開始されようかという時間になっても、2人の言い争いは続いている。

 このままだと、4時間目がみんな自習になっちゃうよ。


 いや、自習どころか学級崩壊の危機なのでは?

 原因が先生の方と言うのがヘンテコすぎるが。


「これはどういうことですか?」

「あっ!?」

「うっ!?」


 静かに、しかしプレッシャーのある声が響いた。

 口ゲンカを続けていた2人の前に現れたのは我が校の校長先生である。

 穏やかな表情をしているはずなのだが、目だけは笑っていないため迫力が半端じゃない。


「2人とも校長室に来なさい」

「は、はい……」

「わかりました……」


 有無を言わさぬひとことで、あっさりと廊下の争いは静まった。

 星先生も黒川先生も完全に気圧されてしり込みし、呼び出しを受けてガックリと肩を落としている。

 うーん、うちの学校の校長先生、最強かもしれん。


「あ!?」

「ん? よっしー、どうかしたの?」

「う、ううん、何でもない!」


 黒川先生のひょろりとした外見と猫背の格好、卑屈そうにぶつくさ呟く仕草……。

 その姿を見て、私の頭の中に1人の怪人の姿が思い浮かんでいた。

 かつて地下基地で見た、彼の仕草とそっくりだったのである。


 たぶん、間違いないだろう。

 黒川先生は、怪人ブラックローチだ。



--5月8日(月) 13:20--


「まったく、冗談じゃない……」


 校長室で叱責の言葉を浴びせられた私は、カッカする頭をどうにか鎮めようと必死になっていた。

 私、黒川翔の南中学校での教師デビューは、1つの大きな汚点と共に始まりを迎えることになったのである。


「どちらが正しいのか、考えることすらしてはくれないのか……?」


 校長先生の沙汰は典型的な喧嘩両成敗で、私と星先生は同罪として処理されてしまった。


 新潟県の学力調査の順位はいつも後ろの方ではないか。

 知力がものを言うこのご時世、どうにかしなければ、やがて取り残されてしまいかねない。――と、自身の考えの正当性を説いてみたものの、結局、私の想いを分かってもらうことはできなかった。


 ノコギリデビル様から『お前の望みと合致する』と言われて喜び勇んで来てみたものの、学力は低く意識も低い。

 これでは全くの期待外れではないか。

 いったい何のつもりでこのようなところに押し込まれたのか、理解に苦しむ。


「"謎の怪人"のおかげで、少しは評価されるようになったはずだというのに」


 まさかとは思うが、ノコギリデビル様までもが私を見下して嫌がらせをしたのではあるまいな?

 怪人ブラックローチとして、周りの怪人や戦闘員すらからも鼻で笑われていた時期を思い出し、私は独り辟易する。


 強さが変わったわけでもない私は、きっとノコギリデビル様にとっても扱いづらい人材だろう。

 だから周りを納得させるために、こんな形だけの潜入任務に追いやったのではないだろうか?

 私は、ただ身を潜めているだけにしておけということか?


 対ヒーロー戦において活躍が望めるわけでもないことは自分でもよく分かっている。

 それでも、諦めて完全に腐っていた私の魂を呼び起こしてくれた"謎の怪人"の役に立てるなら、身代わりにでも何でもなってやるつもりでいるというのに……。


「誰にも、私の気持ちは伝わらないのだろうか?」


 給食の時間はとっくに終わり、私は食器類を片付けている生徒たちを横目で見ながら廊下を歩く。

 そういえば今日は朝食も食っていなかったかもしれない。

 ほんの少し漏れてくるシチューの香りに、みじめにも小さく腹が鳴った。


 私には午後からの授業は無い。

 今日の教師としての仕事は副担任として終わりの会に出席するのみである。


「また星先生に顔を合わせることになるのか」


 不意に、何もかもめちゃくちゃに壊してやりたくなる衝動にかられた。

 最近はほとんど感じなくなっていた衝動が、久方ぶりに私の頭を塗りつぶしていく。

 みじめで、情けなくて、心が冷えて風邪を引きそうな感覚に、自然と眉間にしわが寄った。


 私は所詮(しょせん)、評価されないことに(いきどお)り、諦めて嘆くだけの矮小(わいしょう)な男でしか……。


 ――いや、もしかして諦める必要はないのではないか?


 ふと、自分の手元にある"武器"に思い至った。

 私は怪人であり、私を止められるのはヒーローのみ。

 それと、命令の真意が掴めなかったため、万が一のためにと持ち込んできた爆弾も手元にある。

 全て壊すことなら可能だ。


 南中学校が消えてなくなれば、私もまた別の学校に行くことになる。

 それで環境が良くなるかどうかは分からないが、今のまま南中学校にいても評価される気がしない。

 それなら、一か八かのチャンスに掛けてみるのも面白いのではないだろうか?


『自分の力で変えてやるくらいの気概を見せてください!』

「――くく、そうですね。見せてあげましょうか。星先生、あなたが言った言葉の通りにね!」


 ……後で思うに、この時の私はどうかしていたと言わざるを得ない。

 黒い絶望に塗り固められていた私は、更なる漆黒の意志をもって行動を開始してしまった。

 そして、その行動の結果はすぐに後悔として現れることになるのである。



--5月8日(月) 14:45--


「はい、みんな、席について」


 終わりの会で教室に入ってきた星先生が着席を促した。

 明らかにいつもよりテンション低めで、へこんでいる感じがする。


「黒川先生はー?」

「黒川先生は、どうなんでしょうね?」


 生徒の質問に対し、星先生が痛々しい苦笑いを浮かべて返答していた。

 言い過ぎたという気持ちがあるのか、無断欠席に対しても、どちらかというと心配しているようなそぶりを見せている。

 喧嘩してしまった手前、怒りより気まずさのほうが勝っている様子だ。


「それでは、帰りの会を――」


 星先生が無理やり帰りの会を始めようとしたところで、勢いよく教室の戸が開いた。

 ガラガラとスライドした戸の向こうから、怪人ブラックローチがぬらりと入り込んでくる。


「「「……!?」」」


 誰もが声も出せない程に驚き、動くことができなかった。

 黒光りするゴキブリの羽と、不気味に蠢く触覚が作り物ではないことを主張している。

 目の前に死の危険が迫っていることを悟った生徒たちは一様に息を呑んだ。


 私もまた、別の意味で驚愕していた。


 何でスパイが騒ぎを起こしてるの!?

 普通、できるだけ穏便に溶け込んで信頼を得なきゃダメでしょうに!

 え、もしかして、これも作戦なの?


 そんな感じで、大混乱である。


「ははは! 逃げようなどとバカなことを考えるんじゃないぞ?」


 ブラックローチは勝ち誇ったような声で一方的な命令を出してくる。

 その姿を見て、幾度となく見た怪人たちの自分勝手な暴走行為が私の頭によぎった。

 自己への陶酔と鬱憤を晴らすかのような暴れ方は、それらの怪人の様子と非常に似通っている。


 そもそも、ノコギリデビルがスパイと接触する私に作戦を伝えないことなど無いはずだし、これは好き勝手に暴れているパターンではないだろうか?


「わ、私たちに何の用ですか?」


 星先生が後ずさりしたように見せかけて移動し、教室の奥にある緊急避難用のボタンを押した。

 怪人の襲来を告げるけたたましいサイレンが鳴り、学校全体に非常事態を告げる。

 それを見たブラックローチは、ニヤニヤしながら星先生の方へと歩みよって行った。


「おい、女、誰が動いていいと言った?」

「うっ!」


 そして、その手で胸倉をつかみ、星先生を空中へと吊り上げる。

 大の大人が片手で軽々と宙づりにされた光景を見て、生徒たちの中から悲鳴が漏れ聞こえてきた。

 しかし、ブラックローチがその悲鳴の出所へと目を向けると、誰もが恐怖で息を飲んで静まり返る。


 ブラックローチは他の怪人より弱いことで有名だが、同時に極悪非道な怪人として名を馳せている。

 一般人からしたら銃を持っているだけの人でも敵わない相手なのだ。

 強化スーツ以上の力を持っている怪人など、どうにもならない相手なのである。


「あ、あれは!」


 窓を見ていた修一くんが声を上げ、空を指さした。

 晴れ渡る空の向こうに、ひと筋の飛行機雲が見える。

 小型ジェット機を背負い、風を切り裂いてこちらへ向かってきている。


 ヒーローが来た!

 重苦しい空気に包まれた教室で、みんなの顔に希望の光が灯った。


 やがて小型ジェット機を脱ぎ捨てたヒーローは、逆光を背負ってグラウンドに舞い降りる。

 そして、稲妻の意匠を凝らしたフルフェイスのマスクを校舎の方に向け、睨みを利かせた。


 そう、やってきたのはレッドドラゴンではなく、引退宣言したライスイデンの方である。


「ははは、来たか! ヒーロー、ライスイデン!」


 レッドドラゴンより少しは戦力が落ちる相手ではあるものの、それでも長年にわたって新潟を守り続けてきた歴戦のツワモノである。

 ブラックローチは妙に嬉しそうだが、勝つことはできるのだろうか?


 たぶん何か策があるのだろうけども、どんな策があるにしろブラックローチがライスイデンに勝てる未来が想像できない。

 それに、ブラックローチはかなり周りに迷惑をかける怪人である。

 すでに嫌な予感しかしないんですけど。


「出てこい! 俺が相手になってやる!」


 ライスイデンが怪人を呼ぶ声が教室にも聞こえてきた。

 だいたいの怪人は喜び勇んで出て行くのだろうけど、ここにいるのはブラックローチだ。

 ブラックローチはどうするつもりなんだろうか?


「ははは! 今すぐ行くぞ、ライスイデン!」


 ブラックローチは星先生を釣り上げていた手をいったん開放すると、今度は星先生の手を掴んだ。

 どうやら人質として星先生を連れて行くつもりらしい。

 しかし、星先生は恐怖で腰が抜けたらしく、まともに立つことができなくなっていた。


「ちっ! 立て!」

「うぅ、ううう……」


 怯えながらも何とか立ち上がろうとするものの、どうしても立つことができないでいる。

 ブラックローチは抱えていくのは嫌なのか、苛立たし気に星先生を睨みつけているだけだ。


 何のつもりか知らないが、これ以上見ていることはできなかった。

 不本意ではあるが、私が所属している組織の一員が起こした暴走である。

 ちょっと無理してでも、先生と友達、そして状況によってはブラックローチも助けることにしよう。

 ブラックローチの優先順位は一番下にさせてもらうけども。


「あの……」


 ブラックローチを含めた全員が、手を上げた私に視線を集中させた。


「私が代わりに人質になります」

「よ、よっしー!?」


 輝羽ちゃんが驚愕し、泣きそうな顔で私の手にしがみついて、手を降ろさせようとした。

 しかし、私には引き下がるつもりもない。

 安心させるためにできるだけニコッと微笑み、私は輝羽ちゃんの手をそっと振りほどいてゆっくりと前に歩み出た。


「大人しくしますから、先生は許してあげてください」

「……くく、ははは! 先生が生徒に守られる側とは、滑稽だな!」


 ブラックローチは心底バカにした口調で言い放つと、掴んでいた手を放り投げるようにして開放し、私の手を掴んで歩き出した。

 私はそれに逆らわないようにして、教室を出てグラウンドまでくっついていく。


 よし、何とか成功だ。

 これで少しは教室の皆を危険から遠ざけることができたことだろう。

 私は巻き込まれても死ぬことは無いだろうし、あの場にブラックローチが残るよりこの方がいい。

 もし攻撃されたらどうやって誤魔化すかという特大の問題が残るけれども、その時はその時だ。


 グラウンドに出たブラックローチは、私を伴ってライスイデンと対峙した。


 校舎の窓では、生徒たちが張り付くようにして私たちの動向を見守っている。

 ブラックローチがやりたいことが分からないので、私もしばらく様子見である。


 また、街全体にも非常事態が宣言されたようで、緊急車両が出す音で大きく騒めいていた。

 篤人さんが街に居たら、もしかしたら気づいてくれるかもしれない。


 というか気づいて!

 逃げ切れる自信がないよぅ!


「ブラックローチ、貴様だったか!」

「また会ったな、ライスイデン。思ったより元気そうで何よりだ」


 人質がいるからか、余裕たっぷりにブラックローチが応える。

 でも、対ライスイデンに対して、人質を取ってうまくいったことって全然ない気がする。

 ブラックローチも人質を使おうとして痛い目を見ているし、そんなことは知っているはずだ。

 別の何かがあるのだろうか?


「性懲りもなく、人質を取るか……」

「ははは、私は勝利のためなら何でもするぞ!」


 私の手を強引に引き、見せつけるようにライスイデンの前へと押しやる。

 ちょっと痛そうな顔にしておこうかな?

 実際には全然痛くないけれども。


「やめろ! 卑怯者め!」

「ははは! そう言って不意打ちの機会を狙っているのだろう? だがな……」


 ブラックローチは私の手を放してしまった。

 あれ、逃がしてくれるの?


「人質はこの娘だけではない」

「どういうことだ!?」

「さぁ、どういうことだと思う?」


 ブラックローチの言葉に不穏な空気が混じる。

 私は彼の顔をじっと見つめた。

 彼はまだ気づいていないが、私からしたら知り合いである。

 よく見れば何を考えているのか分かる気がするのだ。


 ブラックローチの特徴って何だっけ?

 弱いだけじゃなくて、何かなかっただろうか?

 最近会った時は、輝羽ちゃんの家を不本意ながら爆破しちゃったときで……。


 その瞬間、ブラックローチの言葉の意味が私の頭の中で一本の線になって繋がった。

 私はゆっくりとブラックローチに近づいていく。


「はっ!? 君、こっちへ来るんだ!」

「ん? なんだ、逃げないのか?」


 私はそっとブラックローチの横に立つと、彼の意識が再びライスイデンの方へ向くのを待つ。

 怪人にとってライスイデンは目を背けていい相手では無いから、すぐにその機会は訪れるはずだ。


 そう思って待つこと数秒ほど、思った通りブラックローチの意識がライスイデンに向いた。

 その瞬間を狙い、私は一気に彼に近づき、羽の裏へ手を伸ばす。

 そして手が何かに触れた瞬間に、それを掴んで引っ張り出した。

 自転車のハンドルの片方みたいな形をした先端に、押しボタンが付いているスイッチだった。


「なっ!? 貴様!」

「あ、あれは!? まさか、爆弾のスイッチなのか!?」


 思った通り、背中の羽の中に物を隠していた。

 そしてこれはライスイデンが言った通り、爆弾のスイッチに違いない。


 たぶん校舎のどこかに爆弾を仕掛けてきたのだろう。

 人質は私だけではなく、むしろ校舎に残っている全員だったのである。


「ええい!」


 爆弾のスイッチをライスイデンの方へと思い切り(手加減をして)放り投げる。

 爆弾のスイッチはカラカラと地面を転がり、ライスイデンの足元まで届いた。

 さっきまでの余裕はどこへやら、ブラックローチの顔色が急激に悪くなっていった。


「う、お、おのれぇ!! 小娘ぇ!」

「うぇ!? ひゃあああ!?」


 激情に駆られたブラックローチが逃げ出した私を追いかけようとする。

 しかし、伸ばした手は一筋の光線によって遮られた。


 ボォン、と地面に当たったレーザーが小さな爆発を起こした。


「その子に手を出すのは許さない! 覚悟しろ、ブラックローチ!」

「ぐっ!? まさか、こんなことが……!!」


 ライスイデンのレーザーガンが正確無比な射撃で私とブラックローチを分断した。


 ブラックローチは、ライスイデンに追い詰められて万事休すといった状況である。

 一応、私は味方なのだが、こうなってはもう私にも助けることはできそうになかった。

 下手をしたら、友達も先生も、弟のゆーくんも亡くなってしまったかもしれないのだ。

 少なくとも正体を明かしてまで助けたい相手ではない。


「せめて、貴様だけでも!」

「うぇ!?」


 破れかぶれになったブラックローチがレーザーガンで狙われているのにも関わらず突進してきた。

 撃たれて終わりかと思ったのだが、ライスイデンの方を見ると少し様子がおかしい。

 苦しそうに肩で息をして、銃を持つ手が震えている。


「うそ、だろう!? こんな、時に……!」


 なかなかレーザーは放たれず、ブラックローチと私の距離が一気に縮まっていった。

 もしかしてライスイデン、なにか不調を抱えているのだろうか?


 ど、どうしよう!?


 ブラックローチから攻撃されたとしても、私としてはちょっと痛いくらいで済むだろう。

 でも、そうなっては私が怪人であることが絶対にバレてしまうし、かといって全力で逃げたらそれはそれで身体能力のおかしさが露呈してしまう。


 私がとりあえずギリギリ躱している風に見せつつ悩んでいると、グラウンドに一台の軽トラが近づいてくるのが見えた。


 き、来てくれた!


 その軽トラが一瞬で篤人さんだと理解し、心の奥底から安堵が広がっていく。

 運転席にいる頼りになる相棒がウインクして、車の窓を開けると何かをグラウンドに放り投げた。


 ボフン、と音を立てて、グラウンドを霧の煙幕が包み込んだ。

 さすが篤人さん!

 これなら全力を出して逃げることができる!


 ……悩むところだけど、一応はブラックローチも連れて行こうかな。

 私もスパイと合流するように言い渡されているわけだし。


「ブラックローチ、私、味方ですよ。ほら、お菓子の材料……」

「そこかぁ! 逃がさんぞ、小娘がぁ!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよぅ!?」


 まるで話を聞く様子もなく、ブラックローチは私の首を掴んできた。


「ぐ、ぐぬ? むぅん! ど、どういうことだ!?」

「話を聞いてください、お菓子の材料は?」

「おのれ、バカにしやがってぇ!!」


 うーん、喋りづらい。

 そして全然、話を聞いてくれない。


 それにしても、たぶん私の首をへし折ろうとしているのだろうが、思いっきり力を入れてこの程度なのだろうか?

 全然平気なんですけど。

 これでよくライスイデンの前に姿を現せたものだと思う。


「そこか、ブラックローチ!」


 あ、まずい!

 ライスイデンが調子を取り戻したようで、声を頼りに近くまでやって来てるようだった。

 私はブラックローチの腕を力づくで振り払うと、思いっきり突き飛ばした。


「ぐふぅ!?」


 あ、やり過ぎた……。

 胸に腕がめり込む感覚があったし、想定以上に大ダメージを与えてしまったようである。

 ごろごろと地面を転がって、そのまま立ち上がれなくなってしまっていた。


 呆然と立ち尽くしていた私の元へ、ライスイデンの影が迫ってくる。

 私は悲鳴を上げてその場から飛び退いた。


「ひゃああ!?」

「何? 今のはまさか! "謎の怪人"がいるのか!?」


 私は一度ブラックローチと反対側へ逃げた。

 ライスイデンはブラックローチの方を見失ったらしく、私を優先して追いかけてきていた。


「くっ! すばしっこい奴め! このままでは、あの子が危ないというのに……!」


 私は全力で霧の中を飛び回って元の場所へと戻ってきた。

 ライスイデンは調子が悪いっぽいし、どうやら私も見失ったようである。

 これで多少の時間稼ぎはできたと信じたい。


 私はふらふらと立ち上がったブラックローチの元へ、音を立てないように静かに駆けよっていく。


「お菓子の材料は?」

「ぐ、き、きさ、ま……よくも……」


 だめだ、やっぱり話を聞いてくれないし、もう埒が明かない。

 それに、そろそろ煙幕が薄くなってくる頃合いだ。

 さっさと逃げないと時間切れになってしまう。


 私は手っ取り早く信じてもらえる方法を採ることにした。


「昏き力よ出でよ! メタモルフォーゼっ!」


 合言葉に反応した黒いブローチから布が溢れ出て、私の身体を覆い尽くしていく。

 怪人化を行った私はブラックローチも良く知る人物、"謎の怪人"の姿へと変身した。


「あ、え!? ……えええっ!?」

「撤退します! ブラックローチも早く!」

「りょ、了解しました!?」


 うんうん、混乱しているみたいだけどちゃんと言うことを聞いてくれている。

 思ったとおり、"謎の怪人"の姿なら言うことを聞いてくれるようだ。


 霧は徐々に薄くなり、篤人さんの軽トラを浮かび上がらせ、目視できるくらいまでになった。

 私とブラックローチは荷台へと飛び乗り、篤人さんがエンジンをふかす。

 後は逃げるだけだ。


「くそっ! やはり"謎の怪人"の仕業だったか!」


 追いすがってきていたライスイデンが、遠ざかっていく私たちを睨んで悔しがっている。

 いつもならこの辺りで必殺技が飛んで来てもおかしくないのだが、人質(わたし)が居ると思い込んでいるからか撃ってこないみたいだ。


 篤人さんが追加で煙幕を焚き、完全に逃げきり体勢に入った。

 これなら大丈夫。やっと一息つける。


「さて、"謎の怪人"もブラックローチ様も、うまく合流できたようで何よりですよ」

「うまく合流できてないです!」

「う、うぅ、まさか、"謎の怪人"があの学校に潜んでいたなんて……!」

「そうなの? 何があったんだい?」


 私はノコギリデビルから受けていた指令の内容をブラックローチに伝えた。


「一応、お菓子の材料は?」

「ナツメグです、はい……」

「いまさらだねぇ」


 確認は大事だからね。

 とにかく、ようやくこれで合流できた。

 私の受けていた指令のことは話したし、今度はブラックローチがどんな指令を授かっていたのか聞く番である。


「それで、なんであんなことしたんですか?」

「そ、それは、そのぅ……」


 ブラックローチははじめは言い淀んでいたが、観念して話し出した。

 ノコギリデビルからは南中学校に潜伏するように指示され、私と合流するように言われたそうだ。

 そこから先は何も聞いていないが、そのうち追加の指示を出すと言われていたらしい。


「潜伏しろって言われていたのに、何で暴れたりしたんですか!」

「はい、その、大変申し訳ない。言い訳のしようもなく……」


 反省したことを伝えたかったのか、ブラックローチは黒川先生の姿に戻ってみせた。

 やはり、黒川先生がスパイであり、ブラックローチだったようだ。

 どうせ私も姿を見られているわけだし、佐藤好美の姿に戻ることにする。


「好美ちゃん、それくらいにして次の行動に移るよ」

「はい。……と言っても逃げるだけでいいのでは?」

「ダメだって。好美ちゃんたちはさっさと中学校に戻らなきゃ、怪しまれるからね」


 そう言ってぐるりと道を曲がり、篤人さんは私たちを小さな橋の脇へ置いていった。

 ここなら人目を凌ぐこともできるし、程よく学校に近いのでうまく隠れたと言い訳できるのである。


「それじゃ、僕は最後の仕上げをしてから撤収するから、上手く立ち回ってね」

「何をするつもりなんですか?」

「ちょっとした手紙を出すだけさ。アツトにお任せってね!」


 黒川先生に自分の素性も隠す気が無いらしい篤人さんは、いつもの決め台詞を言って去っていった。

 手紙を出すって言っていたが、結局、何をするつもりか分からないままである。


 その後、私と黒川先生は隠れたふりをしてしばらく待機していた。

 やがて私たちは周囲を確かめに来たライスイデンに発見され、無事に保護されることになったのだった。



--5月8日(月) 15:30--


「よっしー!!」

「輝羽ちゃん、ただいま!」


 思いっきり抱き着いてきた輝羽ちゃんが、涙でぐしゃぐしゃになった顔で笑顔を作る。

 ライスイデンや防衛隊員さんたちからは事情聴取を依頼されているのだが、先にクラスのみんなに無事な姿を見せることを許してもらったのだ。


 校舎に爆弾が仕掛けられていると判明したことで、先生と生徒たちはグラウンドまで避難していた。

 ブラックローチがここでスイッチを使おうとしていたことを考えると、この付近に爆弾がある可能性は低いと判断されたためである。


「星先生、無事だったようで何よりです」

「黒川先生、いったいどこに?」

「あの、黒川先生は私を庇って、そのせいでケガを……」


 私は、あらかじめ用意しておいた嘘を星先生に伝えた。

 それを聞いた星先生は、黒川先生が痛そうに胸を抑えているのを見て手早くスーツを脱がせに掛かる。


 なんか、ものすごい早業だった。

 シャツのボタンを一瞬で外してしまい、黒川先生の薄い胸板が露わになる。

 そこには強烈な青いあざがくっきりと浮き出ていた。


「あの、星先生?」

「うぅぅ、立派です、黒川先生……! 私は、震えて立つこともできずに、そのせいで生徒を危険な目に会わせてしまったのに、自らを盾にできるなんて……!」


 星先生は大粒の涙を流し、黒川先生の行動を称えた。


 あ、黒川先生がものすごい、いたたまれない顔をしている。

 青いあざは私が与えてしまったダメージだし、星先生を脅したのは黒川先生自身である。

 尊敬されるようなことじゃないっていう気持ちが、表情に如実に現れているのが見て取れた。


「あの、マキちゃん放してあげなよ。黒川先生、痛そうにしてるよ?」

「あ、す、すみません! お医者さんに見ていただかないと!」

「大丈夫ですよ、もう見ていただいた後ですから」


 黒川先生が服装を直し、泣きはらした星先生に優しそうな笑顔を見せる。

 そういえば笑った顔は初めて見たかも。

 黒川先生、柔らかな表情をした顔はなかなか素敵だと思うし、いつも笑ってたらいいのに。


「ヒーローを呼んだのは星先生でしょう? 立派に戦っていたじゃないですか。何一つ恥じる必要なんてありません。私も、それに救われたようなものですよ」

「そんな、でも……」

「私は突き飛ばされただけですから。頑張ったなんて思っていません。それに、好美さんは更に凄いことをしていますからね」


 唐突に私へと話が振られた瞬間、待ってましたとばかりに渡くんが騒ぎ出した。


「聞いたぜ、好美! お前、ブラックローチの狙いに気付いて爆弾のスイッチを奪ったんだろ? すげーじゃねーか!」

「自ら人質になるだけでも立派だったと思うぜ!」


 渡くんと修一くんが揃って称賛の声を上げた。


「えーん、よっし~!」

「きぅ、いい加減もう泣くなって」

「だって~!」

「気持ちは分かりますよ~。私も涙が~……!」


 そんな感じで、クラスメイトからの賞賛が多すぎて面食らってしまった。

 騒がしすぎてまともに反応すらできない有様である。

 とりあえず、今は輝羽ちゃん達を泣き止ませることが一番先決だろう。

 ハンカチどこだっけ?


「立派ですね」

「ええ、本当に」

「私は、この学校では立派な生徒は育てられないのではないかと考えていました」

「今はどうなのですか?」

「間違いだったと思っています。勉強が一番という気持ちは変わっていませんが……」


 ちらりと横目で星先生と黒川先生を見ると、2人は楽しそうに会話を続けていた。

 途中からは校長先生や教頭先生、他の先生方も混じって黒川先生を労っている。

 初日から大騒ぎを起こしてしまって印象は最悪だったはずだけど、どうやら思ったより信頼を得る形で溶け込むことができそうだ。


 大騒ぎの一日は、私と黒川先生が簡単な事情聴取を受ける形で終わった。



--5月8日(月) 20:00--


「やぁ、夜分遅くにごめんね」

「あれ、篤人さん?」


 ご飯のお片付けも終わり、お風呂に入ろうかというタイミングで篤人さんが訪ねてきた。

 その後ろには黒川先生の姿もある。


「黒川先生を案内してきたんだよ」

「どうも、先ほどは大変失礼いたしました」

「ちょ、先生、そんなに畏まらないでくださいよぅ」


 先生が生徒に深々と頭を下げている様子なんて違和感しかない。

 人目に付く前に、まずは上がってもらうことにして居間へと招き入れた。


「あれ? 黒川先生?」

「あぁ、君は優輝くんだったね。そうか、好美さんの弟さんだったのか」


 1年生の数学の授業も受け持っているからか、ゆーくんとも既に面識があるようだ。


「好美ちゃんは優輝くんを溺愛しているから、何かあったら本気で怒るから覚えておいてね」

「そ、そうですか。何事もなくて良かったです、本当に……」


 今、黒川先生が思い返しているのは、校舎に爆弾を仕掛けたことかな?

 玄関先で会った時から青い顔をしていたけど、更に冷や汗まで()いていて、ちょっと心配になるレベルの不健康そうな表情になっていた。


「改めまして……黒川翔、いえ、ブラックローチとして謝罪に参りました」

「ちょ、あ、待って!」


 慌てても、もうどうしようもなかった。

 ゆーくんが唖然とした表情で黒川先生を見つめている。

 ブラックローチの正体が黒川先生であることが、ゆーくんにあっさりとバレてしまった。


「あの、黒川先生、僕は秘密結社パンデピスとは無関係だから、正体とか明かしちゃダメですよ」

「え、そうなのですか?」

「はい。姉さんと父さん、篤人さんのことは知っていますけど、それ以外は関わらないようにしているんです」


 ゆーくんには危ないことに近づいて欲しくないし、パンデピスとはできるだけ無関係でいて欲しいため、情報については聞かせないようにしているのである。

 ゆーくんが知っているのは、私とお父さん、篤人さんのことだけで、他は一切ノータッチだ。


「好美さんと篤人くん、それと、父さんですか?」

「ひゃっひゃっひゃ! 優輝なら秘密を守れるじゃろ! 今まで守り続けてきたんじゃからな!」

「あ、お父さん」

「な、Dr.(ドクター)ジャスティス!? まさか、好美さんのお父様が!?」

「そうじゃよ、黒川先生」


 お父さんがふらりとやってくると、黒川先生は大げさに驚いていた。

 お父さんも黒川先生も、お互いのことは知っていたみたいだ。


「好美、何を不思議そうな顔をしとる。ワシは怪人化手術の権威じゃぞ?」

「あ、そっか。お父さんがブラックローチの改造手術も行ったんだもんね」


 言われてみれば、お互いの顔を知らないわけがなかった。

 下手をしたらお父さんはノコギリデビル以上に怪人の素性を知っていてもおかしくはないのである。


人伝(ひとづて)ですが、ノコギリデビル様にもきつく叱られました。これは気持ちばかりですが……」


 そう言って高級菓子折りをスッと差し出した。

 お詫びの印というやつである。


「えーと……」

「ひゃっひゃっひゃ! 好美、遠慮せずに受け取っておけぃ! そうすれば黒川先生の気持ちも晴れるというものじゃよ」

「そう? じゃあ、頂いちゃいますね」

「はい、受け取っていただけてホッとしました」


 正座したまま、黒川先生が相好を崩した。

 そして、今回の件のことをぽつぽつと語りだした。


 黒川先生は"謎の怪人"の元で動きたいと、常々ノコギリデビルに伝えていたようだ。

 その意を汲み取りつつ、戦闘力があまり必要のない潜入任務という役割を与えてくれたという。

 しかし、黒川先生はその真意が分からず、嫌がらせだと思い違いをして暴れてしまったそうだ。


「お互いに正体を明かすかどうかは任せると言われていたんですが、なぜ頭から抜け落ちていたのか。本当にお恥ずかしい限りです」

「私、口ゲンカの時にブラックローチだって気づきましたよ。でも、話す前にあんなのことに……」

「ひゃっひゃっひゃ! 人間、そういう気分になることもあるわい!」


 何にせよ、もう済んだことである。

 お父さんみたいに笑い飛ばしてしまうのがいいのかもしれない。


「これからは、僕ら3人で情報のやり取りをするのが良さそうだね」

「ええ、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」


 私と黒川先生が集めた情報を篤人さんに渡せば、うまく情報が伝わることだろう。

 ただ、何で黒川先生がスパイとして送り込まれることになったのかはまだ分からないようだった。


「まぁ、意味はあるはずだよ」

「ひゃっひゃっひゃ! なるほどのぅ! いい手じゃわい!」

「え、お父さん、何か知っているの?」

「ああ、来週になれば分かるぞい! 楽しみにしとれよ!」


 そんなことを言って、お父さんは部屋を出て行ってしまった。

 何か知っているなら教えてくれてもいいのに、相変わらずもったいぶるんだから……。


「来週になれば分かるなら、待てばいいさ」

「そうですね。焦って失敗するのはもうこりごりですし、大人しく待ちますよ」


 話も落ち着き、夜も遅いということで篤人さんと黒川先生はお暇することになった。

 それを玄関先で見送り、私は家の中へと戻った。


 黒川先生も、今後は真剣に潜伏する気になったようだ。

 普通にしていてもらえれば、私の平穏な学校生活はまだまだ守られるに違いない。

 私はホッと一息を吐いた。


 さて、もらったお菓子の中身はなんだろうか?



--同時刻--


【特務防衛課 新潟県 十日前町市 支部】


「おい、飛竜、お前は今日は休みだったはずだろ?」

「休んでられるわけないでしょ!」


 俺、ライスイデンがブラックローチと"謎の怪人"を取り逃がしてから10分後くらいに、飛竜はもうレッドドラゴンの姿で現地入りしていた。

 俺はレッドドラゴンに指揮権を渡すと、すぐに人間、上杉一誠の姿へと戻ることになった。

 こいつの、早くヒーロー化を解除しろっていう無言の圧力が凄かったからな。


「まさか、ゴールデンウィーク直後にまた怪人が現れるとは予想外だったよ」

「本当っスよ。絶対に無いって言われたから休んだのに……」


 いや、稀にあることはあるんだが、半年に1回あるかどうかくらいの頻度だ。

 絶対に無いって言わないと飛竜は休まなそうだから、ついついそう言ってしまったが、まさかその日にパンデピスの例外が直撃してしまうとは、運が無い。


「例の発作も現れたんですよね?」

「あぁ、残念ながらな」


 最初のうちは何ともなかったのに、全力を出そうとした瞬間にガス欠が起きた。

 何とか姿勢だけは保ったが、息切れとめまいで、ただ立っているだけで精一杯な状態だった。

 逆に言えば全力を出さないで戦えば大丈夫かもしれないが、実験するだけで寿命は縮むだろう。

 出撃のタイミングはより慎重に選ぶ必要がありそうだ。


「最悪だったよ。もしブラックローチの所業を許してしまっていたら大惨事だった。あの子、好美ちゃんだったよな? 今回は本当に彼女に助けられたよ」

「俺も聞きましたよ。好美ちゃん、凄い立ち回りだったんですよね!」

「あぁ、今回のヒーローは間違いなく彼女だ」


 俺は興奮気味の飛竜に肯定を返した。

 俺より早くブラックローチの狙いを見破る洞察力に、冷静な判断力。

 それ以上に、恐怖に負けない胆力。

 あの子がいなかったら、本当にどうなっていたことか……。


 その彼女は煙幕の中を逃げ惑い、俺も怪人たちも見失ってしまったのを教員が保護してくれていた。

 よく生きてくれていたと、心の底からホッとしたもんだ。

 それと、その教員は胸部に一撃を受けて大怪我を負っていたが、もし攻撃したのがブラックローチ以外の怪人だったらそのまま死んでいたかもしれないな。

 不幸中の幸いとはまさにこのことだろう。


「しかし、それを考えると俺自身の体たらくに情けなくて涙が出てくるな」


 "謎の怪人"が現れたことで逆に格好はついたものの、もし奴が現れなくても俺はブラックローチを取り逃がしてしまっていたかもしれない。

 ライスイデンとしての出撃結果はかつてないほど薄ら寒いものとなった。

 本当に散々だよ。


「ご丁寧に、置手紙なんてものまで用意してくれやがって」

「何が書いてあったんですか?」

「『この度は我が組織の怪人が大変失礼をした。人質となった少女はお返しする。手厚く保護されたし』……だとよ」


 わざわざこんなものを残していくとは、パンデピスにとっても想定していない事態だったのだろう。

 俺がここ、十日前町支部に留まっている理由もパンデピスの想定外な暴力行為が一番多いのが、この十日前町市だからだ。

 ここには、きっと何かがある。


「そんなことが書かれていたんですか」

「まだ、続きがあるぞ。差出人なんだが、『"謎の怪人"改め、ミスティラビット』……だそうだ」

「ミスティラビット!?」


 常に"謎の怪人"という名前で呼んでいたあの厄介な怪人に、パンデピス側がついに正式名称となる怪人名を付けたということなのだろう。

 本当にパンデピス所属なのかと疑うこともあったが、『我が組織の』と書いてある以上、"謎の怪人"改め、ミスティラビットはパンデピス所属で間違いなくなった。


 俺たちヒーロー側もそうだが、パンデピスにも今までにないことが起きている。

 最近は特に想定外の事態が多く起きているようだし、準備は怠らないようにしたい。


「やはり、現行の1人体制だと無理が生じるな」

「その分は俺が」

「だから、それが無理だって言ってるんだ」


 いつか疲弊しきって倒れる未来が見える。

 俺だって10日連続の出動なんて、身体が持つかどうか分からない。

 今回、飛竜を休ませたのだって疲労困憊だったからに他ならないんだからな。


「今はライスイデンがやるしかないんだろうが……」


 そう言って飛竜の様子を伺うと、飛竜は苦虫をかみつぶしたような顔をした。

 しかし、急に悩みを振り切るように顔を上げた。


「仕方ありません、あいつを呼びます」

「ん? 誰を呼ぶって?」

「俺が知っている、いま唯一手が空いている本部の戦力です。本当はそっとしておいてやりたかったんですが、仕方ありません」


 飛竜が言っている本部の戦力と言うと、俺の情報にも1人だけ心当たりがある。

 しかし、本当に呼んでも大丈夫だろうか?


「あの子か。戦えるのか? 確か、ご両親が……」

「分かりません。でも、立ち直るきっかけになってくれればとも思っていますし、先んじて打診はしてもらっていたんです」


 飛竜は飛竜で、自分の知り得る範囲の人材に声を掛けてくれていたらしい。

 そもそも本部で、かつナンバーワンヒーローだから、その人脈もそれなりに多く存在している。

 その分、しがらみもやっかみも凄まじいが。


「本部の戦力、ブルーファルコンを召喚します!」


 飛竜は力強くそう言い切った。

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