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秘密結社パンデピス  作者: ゆきやま
15/42

家族旅行

--5月4日(木) みどりの日 6:00--


 陽の光が降り注ぐ坂道を、私は自転車で慎重に下っていく。

 この時間になると陽の光が心地よく身体を暖め、下り坂で感じる風がなんとも心地よい。

 これが労働の喜びというやつだろうか?

 仕事終わりの達成感と共に、小さな幸せを感じる。


 今日の牛乳配達は私が住んでいる家の周りだった。

 見慣れた街並みに迷うことはなく、すぐに終わらせることができた。

 今は備品の返却のため、事務所に向かっているところである。


 本町通りに入り、交差点の信号機が赤になったので立ち止まる。

 向かいの道に渡る信号機が青に変わり、"カッコウ、カッコウ"と聞こえる音を鳴らし始めた。

 その音を聞きながら待っていると、横の道からスタスタと猫が歩いてきた。


「猫……」


 首輪がくっついているところを見る限り、野良というわけじゃないみたいだ。

 私は小さなポーチを取り出して、カップケーキを1個取り出した。

 それをつまんで半分くらいにしたものを手のひらに乗せ、小さく屈む。


 来るかな?


 猫はカップケーキの匂いに気付き、興味を惹かれたみたいだ。

 しかし、私の顔を見た途端に尻尾を逆立て、弾かれたように逃げ出してしまった。


「あっ!? うぅ、やっぱりダメかぁ……」


 私は動物たちから嫌われることが多かった。

 犬猫はもちろん、鳥たちや、牛などの大型の動物まで、全てに相性が悪い。

 どうも動物たちを怖がらせやすい体質のようなのだ。


 私の正体は、秘密結社パンデピスという組織の怪人である。

 他の怪人たちは、人の姿に戻った時は普通の人間と同じになると聞いているのだが、私の場合は人間の状態でも怪人並みの力を発揮することができる。

 それが動物たちを怖がらせる原因じゃないか、とお父さんが話していた。


「他の人たちはどうなんだろう?」


 怪人たち全員が動物に嫌われるなら、それを利用して警察犬みたいなものが活躍できそうである。

 それが為されていないことを考えると、やっぱり私だけの特徴のような気がする。

 小動物には好かれたいんだけどなぁ……。


「おはよう、好美ちゃん」

「ふぇ!? あ、おはようございます!」


 振り返ると、そこには防衛隊員のアズマさんが立っていた。

 いつも通りのウィンドブレーカーと帽子を着て、にこやかにほほ笑んでいる。

 信号は赤で、アズマさんも信号待ちらしい。

 というか、私は猫に夢中だったから、1,2周くらい青を見逃していたかもしれない。


「配達中かい?」

「いえ、もう終わったので配達所に戻るところです」


 信号がすぐに青に変わり、私は自転車で、アズマさんと並走する形で走りだした。

 ゆっくり走りながら、アズマさんとしばしのおしゃべりに興じる。


「今日から家族で旅行に行くので、明日からはしばらくお休みなんです」

「へぇ~! 良かったじゃないか。好美ちゃん、嬉しそうな顔してるよ?」

「えっ? そ、そうですか? えへへ」


 旅行のことは話の種にしただけなのだが、自分が思っている以上に喜びが溢れていたようだ。

 アズマさんから見てすぐに分かるほど笑顔になっていたのかと思うと、ちょっと恥ずかしい。


「あ、そうだ。これ、ぜひ食べてください」

「ん? これは?」


 恥ずかしくて話をそらしたかった私は、持ってきていたカップケーキの袋を取り出した。

 さっき猫に分けようとして1つダメにしてしまったが、それでもまだ4つほど中に入っている。

 アズマさんは走りながら私の差し出した袋を受け取り、中を覗き込んだ。


「もしかして、手作り? いいの?」

「はい、ぜひ食べてください。ゴールデンウィーク、大変だって言っていたじゃないですか。だから、ちょっとした差し入れです」


 連日、怪人が出現しているのだから、隊員であるアズマさんも気が休まらないだろう。

 これで少しでも英気を養ってもらえたらいいなと思う。


「ありがとう、大切にいただくよ!」

「お口に合うといいですけど……」


 頑張って作ったから大丈夫だと思うけど、アズマさんの好みに合う味かどうかは不明だ。

 感想を聞くことができれば、次は更に美味しく作れる自信がある。

 旅行から帰ってきたらぜひとも感想を聞き出さなければ!


 そうこうしているうちに、牛乳配達の配達所まで到着した。

 私の自転車での移動はここまでである。


「それでは、私はここで」

「あぁ、またな! これ、周りの連中に盗られないようにしなきゃ!」

「あはは、頑張ってくださいね」


 アズマさんがカップケーキの入った袋を大事そうに抱えながら走り去っていった。

 私はそれを見送った後、事務所に自転車と機材を返却して明日からお休みをいただくことを伝えた。

 急遽決まったことにもかかわらず、事務所の所長さんは快く承諾してくれた。

 ありがたい事である。


「あとは、新聞配達の事務所にも連絡しないと……」


 ちゃんと予定を伝えずにトラブルになったら、二度と雇ってくれなくなるかもしれない。

 そうなっては自力での高校進学計画が達成不可能になってしまう。


 遠くの高校、大学へと進み、ゆくゆくはパンデピスとは疎遠になるのが私の目的だ。

 お父さんは秘密結社パンデピスのマッドサイエンティストなので、組織のお金と(おぼ)しきお金で進学したくないのである。

 お金の切れ目が縁の切れ目とも言うし、資金的なやり取りは断つに越したことは無いはずだ。


 電話で伝えてもいいのだが、直に顔を見せて頼む方がきっと心証は良くなることだろう。

 もう事務所は開いている時間だろうし、このままお邪魔してもいいかもしれない。


 そう思って振り向いたところに、スピード違反常習者の影が見えた。


「なんのっ!」


 今日の私は冴えていた。

 真横に高速移動して、音もなく現れたスクーターを華麗に回避する。

 地面に片手をついて振り返ると、スクーターが路肩に止まり、乗っていた男性がヘルメットを外した。


「やぁ、おはよう、好美ちゃん」

「篤人さん、おはようございます」


 スクーターに乗って現れたのは運送トラックドライバーの篤人さん。

 その実態は裏社会でパンデピスの戦闘員であり、私の怪人としての特徴を知っている人物だ。

 だからなのか、挨拶代わりにクルマやスクーターで体当たりしてくる。

 普段なら避けられなかっただろうが、今の全方位に心配りができている私に隙は無いのだ!


「なんだかすごく元気だねぇ。旅行に行ったらますます元気になって帰ってくるね、これは」

「えへへ、楽しみです。それはそれとして、安全運転してくださいね」


 一応、忠告だけは忘れずにしておくが、私自身が既に旅行のことで頭がいっぱいだ。

 自然と笑みが零れてしまうので、我ながらこの忠告の効果は薄そうである。


「残りのゴールデンウィークは、そっちで作戦が行われることは無いと思うよ」

「そうなんですか?」

「その辺は幹部が上手く調整しているからね」


 幹部というのは、私のパンデピスでの直属の上司、ノコギリデビルのことだ。

 私は他の怪人たちの正体を知らないが、幹部の怪人であるノコギリデビルは大多数の怪人の素性を知っていて、表社会での活動に不利益が出ないように調整しているのである。

 私たちの事情も知っているし、家族旅行を邪魔しないように配慮してくれているらしい。


「お土産、買って来ないと」

「気にしなくてもいいよ。みんなにお土産買っていたら大変だからさ」


 篤人さんはそう言ってくれているが、親しい相手やお世話になっている相手には用意したい。

 それに、お土産を選ぶのも楽しみの一つなのだ。

 お金は大事だが、無理のない範囲で選んでくるとしよう。


「篤人さんは?」

「僕は撤退の指南役みたいだね。これなら動きやすいよ」


 最近、パンデピスは撤退作戦を正式に採用すると決めたのだが、撤退の経験は私と篤人さんがダントツで多いので、篤人さんはアドバイスを行う係として正式に任命されたらしい。

 篤人さんは、秘密結社パンデピスの破壊工作を内側から止める活動を私と一緒にやってくれている唯一無二の存在だ。

 作戦に帯同できるなら篤人さんの裏工作で一般人の被害をかなり減らすことができるだろう。


パンデピス(あっち)のことは大丈夫さ。アツトにお任せってね」

「すみません、よろしくお願いします」


 篤人さんが話は終わりという感じでヘルメットを被ろうとしていたのだが、不意に手を止めた。


「あ、そうそう、大事なことを伝え忘れていたよ」

「なんですか?」

「幹部からの宿題で、自分の名前を考えておいてくれってさ」

「えっ? 自分で決めるんですか!?」

「いや、幹部も考えるって言っていたけど、僕らにも考えておけってさ」


 私は怪人としての名前が無いため"謎の怪人"と名乗っていたが、締まりが悪いと感じていた。

 てっきり幹部が考えた名前を貰うだけだと思い込んでいたのだが、まさか私自身が考えることになるとは思わなかった。

 ノコギリデビルは良い名前を思いつかなかったのだろうか?


「そんなわけで、よろしくね」

「あ、はい、一応考えてみます」


 篤人さんはヘルメットを被って、今度こそ走り去っていった。

 思わぬ宿題を貰ってしまった。

 パンデピスとはしばらくノータッチでいられると思っていたのに、がっかりである。


「自分の名前かぁ、自信ないなぁ……」


 『ウサギ』『逃走』みたいなキーワードは浮かぶけど、上手く名前に繋げられない。

 私は上の空になりつつ歩き出した。

 その結果として自然と足は自宅へと向かい、すっかり新聞配達の事務所に行くことを忘れてしまった。

 結局、私は自宅から電話でお休みの連絡することになってしまうのだった。



--5月4日(木) 15:00--


 私たちを乗せた大きな客船が嵯渡ヶ島の漁津(りょうつ)の港へと到着した。

 クルマごと乗り込むカーフェリータイプの船で、私たちは嵯渡ヶ島へと渡ったのである。

 潮風を受けながらのクルージングは快適の一言で、のんびり海を眺めつつおしゃべりをしていたらあっという間だった。


 なお、降りる直前にパンデピスの破壊工作のニュースが流れたが、キニシナイ。

 幹部からの宿題も後回しと決め込む。

 この休みの間、私とパンデピスは無関係なのだ!


「よっちゃん、ゆーくん、こっち向いて~」

「お母さん、またぁ?」


 そう言いつつも、弟のゆーくんと2人で、今しがた乗ってきたカーフェリーをバックにピースする。

 お母さんは浮かれに浮かれ、カメラマンとしてバシャバシャと写真を撮りまくっていた。

 あの様子で最後までフィルムが持つか心配になるほどだ。


 ギンガザミが暴れたという港町は急ピッチで修理が進んでいて、船の乗り降りに関しては滞りなく済ませることができている。

 ちなみに、パンデピスが暴れた同じ場所はしばらく襲われないというジンクスが知られている。

 そのためか、嵯渡ヶ島は安全な行楽地だと噂されてかなりの賑わいを見せているようだった。


「日和、お主も映っておけ」

「そうねぇ。お願いね、あなた」


 お父さんがカメラ役を引き受け、お母さんが私たちの真ん中に立って写真を撮る。

 その後、ゆーくんが気を利かせてお父さんとお母さんのツーショットを撮っていた。

 新潟港から出航するところから今まで、ずっとこんな感じである。


「よーし、それじゃ行くぞい」


 一家を乗せたクルマは嵯渡ヶ島の内部へと向かっていく。

 こっちでも田んぼが広がっていて、陽の光が反射してきらきら輝いていた。

 クルマの窓を全開にして心地よい風を感じながら、クルマは広い空の下を進んでいく。


 ものの15分ほどで、最初の目的地へと到着した。

 岩の中に埋め込まれたプレートには、達筆な文字で『トキの森公園』と彫られている。

 入場券を買って、さっそく公園の中へとお邪魔した。


「一匹もらって帰れんかのう?」

「ちょ、やめてよ!?」

「ひゃっひゃっひゃ! 冗談じゃよ!」


 入場早々、お父さんの発言に肝を冷やした。

 朱鷺(トキ)の怪人とか作られてしまったら、極大のマイナスプロモーションである。

 本当に持って帰ったりしないよね?


「よっちゃん、ゆーくん、アイスがあるわよ~!」

「おお、おやつの時間じゃし、買っていくか!」


 心配する私をよそに、お父さんはスタスタとアイス売り場へ歩いていく。

 私はバニラ、お母さんとゆーくんはイチゴ、お父さんはえだまめ味を選んでいた。

 ソフトクリームを買って、わいわいと騒ぎながらトキの森公園を歩いて回る。


 大きなケージの中に、朱色のトキや黒い羽を持つトキが入っている。

 それぞれ、別の種類のトキが一緒に飼われているようだった。


「いろんな種類のトキがいるんだね。1種類だけかと思ってた」

「ニュースで映されるのはトキ保護センターにいるやつばかりじゃからな」

「へぇ~」


 今も顔が真っ黒いトキが真っ白な羽を大きく広げ、ケージ内の木から水場へと舞い降りてきた。

 その横にあるケージには朱色で染まったトキが止まり木に仲良く並んで羽を休めている。


 しばらく眺めた後、私たちは資料博物館でトキの歴史を眺めてから観測所の建物へと進んだ。

 そこには、私のイメージの中にいるトキが目の前に存在していた。


「すごく近くまで来るんだね……」


 良く知っている鳥のはずなのに、実物をみると想像以上に大きい。

 目の前でトキが翼をはためかせた瞬間に、鮮やかなオレンジと桃色の中間色の羽が広がる。

 それが私や周りの人の目を引き、歓声が上がった。


「おぉ~」


 私と目が合った? と思った瞬間に、近くに居たトキが一斉に羽ばたいた。

 それを見た周りの人たちが更に大きな歓声を上げる。

 綺麗な光景だったけど、そのままトキたちは奥の方まで引っ込んでしまった。


「ひゃっひゃっひゃ! どうやらトキにも野生の勘は残っておるらしいのぅ! 好美のパワーに驚いて逃げおったわ!」

「怖がらせるつもり、これっぽっちも無いんだけどなぁ……」


 まさか動物に嫌われる性質が、こんなところでも発揮されようとは……。

 これは私が近くに居たら周りに迷惑をかけてしまいそうである。


「僕らは出よっか。姉さん、気にしない方がいいよ」

「ゆーくん、ありがとう」


 私はゆーくんに慰められつつ、すごすごと観測所を後にした。

 その後、すぐ歓声が響いたことを考えると、また手前の方までやって来てくれたようである。

 私が居なくなったら来るって、どんだけ私は嫌われているんだ……?


 いや、ここは最小限の影響にとどめることができたのだと考えよう。

 じゃないと悲しくなりそうだし。


 日本最後のトキの石碑をバックに写真撮影を行い、私たちはトキの森公園を後にした。

 私たちの日程は、ぐるっと島の外側を一周するコースである。

 少しずつ傾いてきた陽の光を受けながら、島の北端にある宿に向かってしばしのドライブだ。


 北の方へ向かい、右側に海を見ながらのロングドライブである。

 最北端にある三ツ亀を横切り、大山亀でトビシマカンゾウの黄色い花を愛でる。

 谷底に掛けられた大きな橋では、海は夕焼けでオレンジ色に染まっていた。


 道すがらで訪れたフォトスポットを訪れては、お母さんが写真を撮りまくっていた。

 ゼットのような形をした坂を下り、くねくねした道をひたすら南へ向かって進んでいく。

 夕日が海に沈む様子を見ながら、私たちのクルマは嵯渡ヶ島の上半分を一筆書きにしていった。


「うふふ、2人ともいい感じよぉ♪」

「母さんも写りなよ」

「あらあら、ゆーくん気が利くわね」


 そう言ってお母さんが私をぎゅっとしながら写真を撮る。

 ゆーくんもお母さんに抱き着かれることが多いし、もしかして私を犠牲に?

 いや、そんなわけないか。


 田園地帯に差し掛かると、運よく野生に放たれたトキが飛来してくるところが見えた。

 ゆーくんは中々見つけられないみたいで、お母さんとはしゃぎながら指をさして教えてあげた。


 太陽が海に沈むと、今度は灯台に明かりが(とも)った。


 夜になった海もまた、幻想的な感じがして感慨深い。

 私は山育ちだから余計にそう感じるのかもしれない。

 俳人がいたら一句読んだりするのかもしれないけど、私にはまだ難しいみたいだ。


「そろそろ宿に着くぞ~」

「美味しいお料理が私たちを待ってるわよ~」


 すっかり日も暮れた午後19時に、民宿へ遅めのチェックインをした。

 名もない小さな宿で、本当に民家そのものである。

 とはいってもちょっと敷地が広めで、庭にニワトリが放し飼いされていた。


「ご飯は準備できていますから、さっそくお持ちしますね」

「はい、宜しくお願いします~」

「ひゃっひゃっひゃ! 間に合ってよかったわい!」


 宿は純和風で、通された部屋には木製のテーブルが置かれている。

 そこへ女将さんがお料理を運び入れて、テーブルは瞬く間に華やかな食卓へと様変わりした。


 いい匂いが立ち込めると、誰かのお腹が鳴った。

 しかし、それに突っ込みを入れるのは野暮というものだろう。

 決して私ではないことだけは主張させてもらうが。


「「「いただきまーす!」」」


 目の前に置かれているお料理のうち、一番目に付くのはイカ飯だった。

 ざっくりと輪切りにしてあるイカの中に炊いたもち米が詰まっている。

 そのイカ飯が金属製のお鍋の中で湯気を立てていて、それをお玉でお皿に取り出して食べるのだ。

 かぶりつくと煮汁の甘さとお米の甘さが相まって、もちもちしていてとてもおいしい。


 お味噌汁にはタラの身や玉子がどっさり入っており、大根やニンジン、ネギが入った豪勢な汁物だ。

 もはや鍋といっても過言ではないかもしれない。

 これもまた海と山の恵みがふんだんに盛り込まれていて、染み入るような美味しさだった。


「はぁ~」


 空きっ腹を抱えていた私はもうすでに夢心地である。

 美味しいと、つい溜息が出ちゃうよね?


「こっちの煮物も美味しいわねぇ。家庭料理らしい料理っていいわよねぇ」

「食べたことが無いのに、懐かしい感じがする」


 お母さんは小皿に盛られた煮物を美味しそうに口へ運んでいる。

 ゆーくんは、恐らく海藻で作った寒天みたいな料理をゆっくり味わっていた。

 うんうん、満遍なく食べているようで偉いぞ。

 これは私の食育の賜物だろう。


「日和、お主はまたカップ焼きそば生活なんぞしておらんじゃろな?」

「なぁに言ってんの、大丈夫よ~」

「……しておるんじゃな?」


 食育が足りていない人が目の前にいた。

 お父さんはカップラーメン好きだが、お母さんはカップ焼きそばが大好物なのである。

 そして今の話を聞く限り、お母さんの食生活は油断ならない有様になっているようだ。


「ちゃんとお惣菜も食べているから平気よ? よっちゃん、そんな顔しないでよぉ!」

「うーん、それならいいけど、気を付けてね?」


 私が心配そうにしていたことに気付いたのか、話しかける前に言い訳が始まった。

 ちゃんと野菜を摂っているのか、このあとさりげなく聞き出すことにしよう。


 郷土料理を堪能した後は順番にお風呂に入った。

 民宿なので温泉みたいに大きな湯舟は無いのだが、それでも私の家より広くてゆったりできる。

 お母さんはゆーくんや私と一緒に入りたがっていたけど、どっちにも断られてがっかりしていた。

 温泉なら問題なかったんだけど、普通に狭いから仕方ないことである。


 お風呂から上がった後は、テレビの音を何となく聞きながらまったりと過ごした。

 みんな順番にお風呂から上がってきて、それぞれが荷物の整理や歯磨きなどを済ませていく。

 私ももう寝る準備は万端で、いつでも寝られる。

 というか、眠い。


「それじゃ、寝るぞー! 明日の朝は早いからのぅ!」

「うふふ、私がちゃーんと起こしてあげるからね」


 お母さんが自信たっぷりに言って電気を消した。

 肌触りの良いお布団にくるまると、私の意識はすぐに遠くなっていく。

 大部屋で4人そろって眠りにつき、私たち家族旅行の1日目は幕を閉じた。


 なお、次の日の朝、一番遅くまで寝ていたのはお母さんだった。

 何となくそうなる気がしたけど、予想通りである。



--5月5日(金) こどもの日 6:00--


「よーし、ポイントに着いたぞぉ!」


 船長の威勢のいい掛け声を受けて、私たちと周りのお客さんが一斉に竿をしならせる。

 2日目は朝早くから釣り船に乗り、私たちは沖へと出て釣り糸を垂らしていた。

 借りてきたライフジャケットに釣り竿、準備してきた魚の餌で家族総出の釣り大会である。


「ひゃっひゃっひゃ! こどもの日、鯉のぼりじゃなく大漁旗を()げてみせるわい!」

「誰が一番先に釣れるか、競争よぉ!」


 釣り船の上でお父さんとお母さんがノリノリである。

 頑張るのはいいんだけど、お料理できるの私しかいないよね?

 もし大漁に連れたら一気に料理するのは無理だし、おすそ分けして、残りは冷凍しておかないと。


「姉さん、もう釣れた気になってない?」

「よ、予定を考えていただけだから!」


 調子に乗っているのは私も同じだったようだ。

 捕らぬ狸の皮算用をしていた私はゆーくんに(たしな)められてしょんぼりである。


「うぉおお、ヒットじゃぁああ!」

「え、もう!?」

「ワシが一番乗りじゃあああっ!」


 お父さんの釣り竿がしなり、大物の期待が高まる。

 私もゆーくんも竿を置き、船べりに手を突いて海の底に魚影を探した。


 しばらく魚との格闘が続き、ついに海面にその姿が現れる。

 でも、あの特徴的なシルエットは……。


「フグじゃん!」

「なぬぅ!?」


 釣り上げられたのは愛嬌たっぷりのフグだった。

 胸ビレをぴこぴこ動かし、丸っこい身体が空気を含んで更にぷっくりと丸くなる。

 なかなか見ないサイズの大物である。

 残念ながら私たちには捌けないが。


「いいフグだな、こりゃ旨いぞ!」

「船長、これ要るか?」

「いらんなら貰っとくぞ! 生け簀(ここ)入れておいてくれ!」


 船長が言うには美味しい種類のフグみたいだ。

 まるっこくなったフグを船内にある生け簀に放り込むと、空気が抜けてスマートになったフグが背びれと胸ビレをパタパタさせてホバリングするように泳いでいた。


「ぬぅ、ワシに調理師免許さえあれば……」

「怖いからやめてよ」


 お父さんは『改造手術しているから大丈夫じゃろ!』とか言って捌きかねないので、変なチャレンジ精神を発揮される前に船長が貰ってくれたのは非常にありがたい。

 私はまだ死にたくないのである。


「まだまだ行くぞい!」

「今度こそ私が釣るわよぉ!」

「私たちも頑張ろう」

「うん!」


『この下にいるよ~、釣れるよ~!』


 船長さんが操舵室から無線を使って魚群の到来を告げる。

 ハズレだったとはいえ大きな魚が釣れたのを見て、私たち家族だけじゃなく船全体が盛り上がっているようだった。

 程なくして、周りの乗客の竿に次々と当たりが出始める。


「あっ、来た!」

「お、ゆーくん頑張れ!」


 ゆーくんが持っていた竿先がビリビリと震えたと思ったらグッとしなった。

 竿を力強く立ててフッキングさせ、真剣にリールを回していく。


「あ、私にも来たわぁ」

「ひゃっひゃっひゃ! 入れ食いじゃのぉ!」


 お母さんにもヒットが出て、お父さんももう一回当たりが来たようだった。

 周りの人たちも釣れ出して船上が活気づく。

 いつの間にか、船の周りに鳥たちがたくさん集まってきていて非常に騒がしくなっていた。


 ゆーくんの竿が大きくしなり、リールが逆に糸を引っ張り出されてジージーと音を立てる。

 長い竿が更にしなり、その重さが如何ほどなのかを表現していた。

 周りは魚をどんどん釣りあげているけど、ゆーくんのはなかなか海面に上がってこない。

 一心不乱に釣り竿と格闘するゆーくんの息が弾み、額に汗が光る。

 これは、もしかしてかなりの大物なのでは?


「おおぉ!?」

「すごいのが付いてるぞ!」


 水面下にキラリと光る、ひときわ大きな魚体が見えて周りがざわついた。


「タモ、タモ! 船長、早く!」

「こっちは自分でやれるから、あっち!」


 ピンク色の輝きが水上に浮き上がってくると、船長が颯爽と現れて大きな網を構えた。

 魚が網の中に納まると、船に引き上げる前から拍手が沸き起こる。


「真鯛じゃ!」

「おっきい!」


 お父さんとお母さんも目を丸くしていた。

 船の上にその巨体が引き上げられると、ひと際大きな歓声が起きる。


「すごいぞ、坊主!」

「やるなぁ!」


 周りのお客さんから褒められたり祝福されたりして、ゆーくんも照れながら笑顔を浮かべる。

 私たち家族までもが一緒になって皆から『おめでとう』と祝福された。


 船長がにこにこしながら針を外し、これは写真を撮らせねば、と準備を進めていく。

 お母さんがカメラを取り出し、ベテランらしき釣り人は重さや長さを計測し始めていた。

 他のお客さんたちは、我も続くぞと釣り竿を握りしめる。

 船の上の興奮は最高潮に達していた。


 結局、その日は大爆釣だった。

 船上の大騒ぎは終了の時間が来るまで続き、本当に大漁旗を(かか)げて港に戻ることになるのだった。


「ひゃっひゃっひゃ! さっそく掲載されとるのぅ!」

「ゆーくん、かっこよかったわぁ!」


 海から戻ってきた後、お父さんがスマホで釣り船のページを見せてくれた。

 そこには、ゆーくんが巨大な真鯛を膝に乗せた写真がデカデカと載せられている。

 釣り船の船長さんから、是非ホームページに掲載させてくれと頼まれていたのである。


「次はもっと大きなクーラーボックスを用意せにゃならんのぅ」

「まさか入りきらないなんて思わなかったわぁ」

「あれ、大きすぎると思ってたのにな~」


 自前で用意したクーラーボックスに収まらず、結局はクールな宅配便に頼ることになった。

 こんなに釣れないよ、と思っていたボックスだったのに、まさか入らないとは。

 そのクーラーボックスにも大小さまざまなサイズのお魚と、冷やすための氷がたくさん詰め込まれていてパンパンになっている。


 ちなみに、私だけ魚を釣り上げることができなかった。

 私は動物だけじゃなくて魚にまで嫌われているのだろうか?

 十分に楽しめたからいいんだけどね。


「さぁ、遠慮せず食べてね~!」

「ひゃっひゃっひゃ! 大漁祝いじゃ! 大トロ4つ!」

「いきなり!?」

「だって、お主らに任せたら遠慮して頼まんじゃろ?」


 今いる場所は、お昼ごはんのために立ち寄った回転寿司のお店の中だ。

 カウンター席に4人で並んで座っていて、目の前を美味しそうなお寿司が流れていく。

 朝ごはんは民宿で用意してもらったおにぎりを船の上で食べただけだったから、全員お腹ペコペコだ。


「優輝の大勝利に、乾杯じゃ!」

「「「かんぱーい!」」」


湯呑に入ったお茶で乾杯した後、大トロ寿司に醤油をつけて口に運ぶ。

半分くらいをパクリと口に含んで嚙みちぎり、もぐもぐとその味を確かめる。


「んーっ!」

「うん!」

「かぁ~! 酒が欲しくなるのぅ!」

「美味しいわぁ♪」


 甘くて溶ける。

 ただただ美味しくて、口の中にある感覚で夢中にさせられてしまった。

 最初のひと口で、気持ち的にはもう大満足である。

 ただ、残念ながら私のお腹はそうではない。

 今日は旅行で来ているのだから、普段の貧乏性はかなぐり捨てる!

 よぅし、食べるぞ~!


「次は何を攻めるべきか、悩むのぅ!」

「玉子が欲しいわねぇ♪」

「僕、サーモン頼んでいい?」

「あ、私も!」


 思い思いのお寿司を頼み、お皿が積み重なっていく。

 頼んだものはどれも美味しかった。

 調子に乗ってついつい食べ過ぎてしまったかもしれないが、お腹いっぱいで大満足である。



--5月5日(金) 14:00--


 お昼ご飯を食べた後は、クルマに乗り込んで嵯渡ヶ島一周の旅に再出発した。

 フォトスポットに立ち寄りながら、今度は島の南側へと進んでいく。


 まさに遺跡という表現がぴったりの浮遊選鉱場跡は、苔むした姿が天空の城みたいだった。

 遠くまで潮溜まりが続く万畳敷の海岸は、光を鏡のように反射して煌めいていた。

 西の端にある大きな灯台にはバイクのツアーの人たちが来ていて、たくさん止めてあるバイクと海を眺める人たちが旅の雰囲気を強く醸し出していた。


 それらの光景はどれもこれもが新鮮に映った。

 それぞれをバックに写真を撮っていく。

 新潟のいろんな場所に行ったけど、まだまだ見ていない景色がたくさん残っているようだ。


 一路、南端付近まで行った私たちは車を降りて、たらい船乗り場へと向かった。

 確か、小学生の時に修学旅行できたことがある場所だ。


「ボートに乗るぞい!」

「「ボートなの?」」


 私とゆーくんは顔を見合わせた。

 たらい船に乗るのかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。

 促されるまま救命胴衣を着けてモーターボートに乗り込み、船は海の上をすべるように発進した。


 防波堤に囲まれた海から外へ出ると一気に波が感じられるようになった。

 バシャバシャと小波を乗り越えてボートは湾岸に沿って進んでいく。

 時折り大きな波を飛び越え、船が少しだけ浮くような感覚が冒険している感じを湧きたたせる。


 よりダイナミックに海を感じながら景色を眺めていると、岸の間に亀裂が入り、森の中に続く海の道みたいになっている地形が近づいてきた。

 この船は迷うことなくその道に突っ込んでいく。


「まぁ、綺麗ねぇ」

「ふむ、想像以上じゃな」


 その亀裂から入った場所は、透き通った海水が水底を青く染める細い入り江となっていた。

 荒い岩礁と生い茂る木々が左右を挟み、奥は小さいながらも砂浜になっている。

 エメラルドグリーンの海は透き通っていて、底の方まで見通すことができた。


「ゆーくん、何かいた?」

「ううん、人魚はいないみたい」

「あはは、いそうな感じするもんね」


 ゆーくんが本気なのか冗談なのか、ロマンチックなセリフを口にしていた。

 それほどまでに綺麗に透き通っていて、地形も相まって秘密の隠れ家といった感じがするのである。

 本当に歴史の裏側で、ひっそり隠れながらここに住んでいたかもしれない。


 しばらく佇んだあと、ボートは入り江の中ほどでゆっくりとUターンした。

 そのままゆっくりと加速して入り江に別れを告げる。

 後ろ向きで眺めた遠くなっていく入り江には、最後まで綺麗な光が溢れていた。


 入り江を出ると、ボートはさざ波をかき分けて次の目的地へと向かっていく。

 今度は天然の防波堤となっている岩礁地帯へと突っ込んでいった。

 その際、先に出ていたと思われるボートとすれ違い、お互いのボートに乗ったお客さんたちが手を振って小さな冒険の喜びを分かち合う。


「ここがメインじゃぞ!」


 ボートは岸壁にぽっかり空いた洞窟へと向かって進む。

 洞窟の中は狭いからか、入る前に旋回してバックで洞窟の中へと滑り込んでいった。


「こっちには海賊が……」

「そこまで広くないみたい」

「あれぇー?」


 ゆーくんのツッコミのとおり、すぐに行き止まりになっていて海賊が根城にするような広さはなった。

 私もうまい事を言おうとしたのに、しょんぼりである。

 それでも、洞窟はボートがすっぽり入るサイズがあって、ひんやりした空気とエメラルドグリーンの海水が神秘的な雰囲気を感じさせてくれる。

 しばしの滞在のため、速度を0にしたボートがエンジン音を消した。


「こっちも綺麗ねぇ♪」

「船のエンジンが止まると静かなもんじゃのぅ」


 自然が作り出した秘密基地には、ちゃぷちゃぷと水音が聞こえるだけだ。

 上を見れば波風に削られた荒々しい岩肌が天井まで続いていて、波風の力強さを感じられる。

 天然の洞窟は、まるでこの場所だけがファンタジーの世界から現れたかのようだった。


 しばし、その雰囲気を堪能したのち、船は動き出した。


 エンジン音が響き、私たちを乗せたボートがゆっくりと洞窟を出ていく。

 外に出ると止まっていた風が息を吹き返し、私の髪を引っ掻きまわした。


 小さな青い洞窟の鑑賞が終わると、今回の小さな船旅は終了のようだ。

 一気に波を突き抜けながら港へ戻っていく。

 帰りの湾内ではたらい船を楽しむお客さんたちがいて、ボートの立てた波を受けてはしゃいでいた。


「あのさ、たらい船って速度出ないよね? 何に使ったんだろ?」

「うふふ、ゆーくん、その質問の答えはあっちにあるわよぉ?」


 お母さんが指さした方向に、たらい船の上に乗ったおばあちゃんが見えた。

 その手には大きなサザエが握られている。

 おばあちゃんは小さな籠にサザエを入れると、ゆっくりたらい船を移動させ始めた。


「あ~、海女(あま)さんが乗る船なんだね」

「海女さんと違って海には潜らないけど、そんな感じよぉ」


 観光用のたらい船はそういったことはしていないようだけど、ちょっとやってみたいかも。


「ひゃっひゃっひゃ! 真似して勝手に持って帰ったらいかんぞ?」

「そうよぉ? 密漁扱いされちゃうから、気を付けてね」

「へー、そうなんだ」


 出来ないのか、残念。

 まぁ、今朝釣ってきたお魚が山ほどあるわけだし、別にいいか。


 私たちは港でボートを降りて車に乗り込んだ。

 海岸線を眺めながら移動を開始し、途中で珍しい柿味のソフトクリームを買ってみんなで品評したりしつつ、嵯渡の縁をなぞって進んでいく。


 やがて、島のちょうど真ん中あたりまで進んだところでお父さんは山の中へと進路を変えた。

 今までずっと海だったのに、今度の目的地は山の中にあるようだ。


「さて、今回の旅の最重要ミッションじゃ。日和、ナビゲーションを頼むぞ!」

「えぇ! 任せておいて!」


 いつになく真剣な様子のお父さんとお母さんだったが、私にはこの状態になった両親に対して全く信頼を置いていない。

 私の経験上、こういったノリをしている時は毎回くだらないことをやると決まっているからだ。


「諸君! これから我らは嵯渡の名水、"輪煮清水"を採取する!」

「え、湧き水を採りに行くの?」


 なんでまた?

 ただの水だよね、それ。


「大丈夫よぉ、ちゃんと入れ物は用意してきてるわぁ!」

「それ、ペットボトルだよね?」


 お母さんが800ミリリットルのペットボトルを4つほど抱えていた。

 テレビ番組で見たけど、大きなポリバケツ数個に水を汲んで帰っていく人たちもいるのだが、それと比べて随分とささやかな量である。


「水? ……あぁ、そういうことか」


 私には分からなかったが、ゆーくんにはピンときたらしい。

 しかし、何とも言えない戸惑った顔をしているあたり、くだらないこと、という私の考えだけは合っている気がする。


「姉さん、父さんと母さんの好物を考えたら分かるよ」

「え? ……あー、そういうことかぁ」

「ひゃっひゃっひゃ! その通り! これで最高のカップラーメンを作るんじゃ!」

「私はカップ焼きそばよ!」


 力強く宣言をしているが、私とゆーくんは力なく項垂(うなだ)れた。

 わざわざカップ麺のために湧き水を汲んでくるつもりらしい。

 そんなに味が変わるかなぁ?

 いや、少しは変わるのかもしれないけれども……。


「これ以上、湧き水を堪能する方法があるか?」

「うふふ、楽しみねぇ♪」


 お父さんとお母さんだけノリノリである。

 まぁ、伊達と酔狂を楽しんでいることについては何も言うまい。

 別に誰に迷惑をかけているわけでもないし。


「姉さんならどうするの?」

「うぇ? 私は、うーん、ソーメンとか?」

「結局、麺なんだね……」


 いやいや、ソーメンの方が水の味が分かるよ。

 少なくともカップラーメンや焼きそばよりは。


「そういうゆーくんはどうなの?」

「普通に飲めばいいんじゃない?」

「な、なるほど」


 そもそも料理にこだわる必要なかった。

 さすがゆーくん、目の付け所が違う。


 そんなことを話しながら、クルマは山道を登っていく。

 ずっと海だったから山の中の景色もなかなか良いものだ。

 広がる田んぼの横を通り抜け、山を縫うように続く道を通り、高い場所へと進んでいく。


 やがて車も入れないような小さな道へとたどり着き、私たちは車を降りた。

 生い茂る木々の下を標識に沿って進むと、小さな水源が目に飛び込んできた。


「おお、あったぞ!」

「やったわね!」


 滾々(こんこん)と湧き出る水が小さな小川を作っている。

 その小川を囲うようにして草木が茂り、水の中から突き出た岩が緑色に苔むしていた。

 ゆーくんが、誰かが置いたであろう金属の柄杓で水をすくい、口に含んだ。


「大丈夫そう?」

「ん、冷たい。おいしいよ」


 私も水を汲んで味見させてもらう。

 本当だ。冷たくておいしい。

 きっと、この水が田畑を潤し、美味しいお米を育むのだろう。


「よぉし、持って帰るぞ! 汲み取るのは1人1本までじゃ!」

「順番に汲んでいきましょうね~」


 森林の中で、冷たい湧き水を汲み取っていく。

 柄杓を使って水を汲んでいくと、10分ほどでペットボトル4本はいっぱいになった。

 これでミッションコンプリートである。


 クルマに戻った私たちは、来た道とは違う道を通って宿へと向かった。

 移動中、お父さんとお母さんは輪煮清水をどのカップ麺に使うか悩んでいた。

 まぁ、後悔が無いように選べばいいと思う。


 それにしても、私も勢いで持ってきてしまったけど、どうしようか?

 適当に使うのはさすがにもったいない気がするのだけど、良い使い方を思いつかない。

 まぁ、そのうち何か閃くかもしれないし、家に帰ってから考えればいいだろう。


 森の中から海の見える場所へ出る頃には、もう陽が傾きかけていた。

 思ったより早くミッションが終わったので、日暮れ前には宿にチェックインできそうである。


「おお、この宿じゃよ」

「あら、いいわね。時代劇に出てきそうねぇ」


 辿り着いた宿は、年季を感じさせるが綺麗に整えられた純和風建築の家屋だった。

 玄関には大きめの暖簾が掛けられていて、旅籠(はたご)という呼び名がぴったり合いそうな家である。

 古民家を改修した宿で、昨日の民宿と同様に私たちの貸し切りなんだそうだ。


「長旅お疲れ様です。お風呂はもう入られますか?」

「あっ、私、入りたいです!」

「はい、それではご案内しますね」


 女将さんに連れられてお風呂場を見せてもらった。

 潮風に吹かれてばかりだったからか、少しばかり肌がべとつく感じがしていたので、もう入れるのはありがたい。

 それと、お風呂場は結構な広さがあった。

 付いてきたお母さんが一緒に入ると言い出し、今回は断る理由もないので一緒に入ることにした。


「うふふ、だんだん美人さんになってきたわぁ」

「もぅ、何言ってんの」

「これなら、すぐ恋人ができるわねぇ」

「そ、そんなことないよぅ……」


 お母さんはおっとりしているけど美人だと思うし、私もそのうち綺麗になれるだろうか?

 今はアズマさんには完全に子ども扱いされているし、なれるものなら早くなりたいものである。


 お風呂から上がったことを告げると、今度はゆーくんとお父さんがお風呂場へ向かった。

 2人がお風呂から上がったらご飯にちょうどいい時間になるだろうし、しばらくテレビでも見ていよう。

 誰かが付けたテレビではニュースをやっていて、新潟のチャンネルがそれぞれの行楽地の様子を映し出していた。


『行楽シーズンの邪魔はさせないと、特務防衛課の隊員たちも目を光らせており……』

「あ、アズマさんが映ってる!」

「あら、知り合い?」


 高速道路のパーキングエリアと思われる場所に、アズマさんと上杉教官の姿がちらりと映った。

 今日もきっとパンデピスの活動があっただろうし、連日お疲れ様と労いたい。


「ものものしくて困るわぁ。こっちで騒動が起きないといいんだけど」

「うん、そうだね……」


 お母さんの様子に、私は悩んだ。


 お母さんはお父さんのことを知っているのだろうか?

 秘密結社パンデピスで怪人化を行うマッドサイエンティストがお父さんだということ。

 そして、私が"謎の怪人"の正体であることを。


 このことについて、お父さんは聞けとも聞くなとも言わない。

 もしお母さんが知らなかったとしたら家族崩壊の引き鉄になってしまうかもしれない。

 藪蛇になるのが怖くて、私はどうしても話を切り出すことができないでいる。


 結局、私はお母さんにパンデピスのことを聞くことができなかった。


「お風呂、上がったよ」

「ふぃー、いい湯じゃったわい!」

「それでは、お食事をお持ちしますね」


 ゆーくんとお父さんがお風呂からあがってきた。

 仲人さんがタイミングよく現れて、お料理を順番に運んで来てくれる。


 目の前にあるお料理の数々を見て、私は悩みをいったん引っ込めることにした。

 そもそも、旅行中はパンデピスのことは置いておくことに決めたのだ。

 初心忘るべからず!

 旅行を楽しみつくしてから後で悩むことにしよう。


「囲炉裏とはまた風情が出るのぅ!」

「美味しそうねぇ」


 お夕飯は囲炉裏を囲んでの食卓である。

 中央には網が張られていて、その上にお母さんがせっせと海鮮を乗せていた。

 火に焙られたイカが反り返り、エビやアジの干物を焼くと、香ばしい香りが辺りを包む。


 テーブルの上にはお刺身が、ブリ、タイ、甘エビ、イカ、タコと美しく並べられている。


「「「「いただきまーす!」」」」


 お父さんがさっそくお刺身に醤油とワサビをつけて口に運んでいた。

 今日は少し飲むつもりなのか、小さな徳利(とっくり)とおちょこも手元に置かれている。


 私もブリを一切れ箸で摘まみ、わさび醤油につけて口に運ぶ。

 ブリを噛みしめるたびに醤油のしょっぱさに負けない甘さが身から溢れ出てきた。


 お刺身を食べつつ食べるご飯にもひと手間かけられていた。

 中に野沢菜か何かが混ぜ込まれていて、鮮やかな薄緑色が散りばめられている。

 柔らかな歯ざわりが感じられ、少しだけ付けられた塩味がお米の甘さをより引き立てていた。


「この旅も明日で終わりじゃなぁ」

「そうねぇ。ずっとこうしていたいくらいよ」


 お父さんとお母さんがしみじみ語る。

 特にお母さんはひとりで出稼ぎして、私たち家族のために頑張ってくれている。

 そう考えると少しくらい親孝行しておいた方がいい気がしてきた。

 せっかく怪人の力があるんだから、荷物持ちくらいは積極的にやっておこうかな?


「焼けたわよぉ」

「ひゃっひゃっひゃ! こいつはうまそうじゃ! あちっ!?」

「父さん、熱いよ? ……って、遅かった」


 お父さんがイカの熱と格闘しながら苦笑いする。

 ゆーくんがエビにふーふーと息を吹きかけてから、それでも熱そうに口に入れていた。


 囲炉裏の熱が私たち家族を温かくする。

 本当に、こんな日がずっと続けばいいんだけどな。



--5月6日(土) 8:30--


 古民家の宿で品数豊富な朝ごはんを済ませ、私たちはまたクルマに乗り込んだ。

 最後に嵯渡ヶ島の下半分をなぞって、一周したらカーフェリーに乗って島を後にするのである。

 天気の今日も晴天で、最後まで気持ちの良い旅を満喫することができそうだ。


 本日は特に何をするとは決めていないみたいで、気になった場所に行って写真を撮るフォトスポット巡りみたいな旅だ。

 絵にかいたような一本松がある岩、海を守る寂れた神社など、気になったところで車を降りてはみんなで写真を撮って回った。


 私たちを乗せた車は嵯渡の下半分の東の端まで進んだ。


 そこには公園のような敷地に白い灯台が建っていて、本州と嵯渡を結ぶ航路を見守っている。

 灯台からは遠くに白い波を引きながら進む船が見えた。

 その船の向かう先は、私たちがカーフェリーに乗ってきた漁津港だろう。


 この先の道をまっすぐ進めば、もう港へ着いてしまう。

 家族旅行もあと少しだと思うと、急に寂しさが溢れ出てきた。


「また、来たいわねぇ……」

「ひゃっひゃっひゃ! また来りゃええわい!」


 お父さんが大笑いで寂しさを吹き飛ばした。

 そう、また来たらいいんだ。

 旅はまだ終わっていないし、それに、お土産を選ばなきゃいけない。

 楽しい思い出にしなきゃ損である。


 私たちはクルマに乗り込んで海岸沿いを進んでいく。

 光り輝く海の光がクルマに波模様を映し出していた。


 程なくして漁津の港まで辿り着き、私たちは嵯渡ヶ島一周を達成した。

 みんなで拍手して、この快挙をお祝いした。


「昼を食ってから帰るとするかのぅ」

「お魚にするか、別のものにするか、悩むわねぇ」


 お父さんは食事処を探すため、クルマを運転しながら適当に街中を走っていく。

 お魚は十分に堪能したと思うし、別のものでも構わないと思う。

 でも、新鮮な海の幸を最後に楽しんでから帰るのも悪くない気がする。


 私たちがお店を探していると、急に港が騒がしくなった。

 そして、ドゴォ! と強烈な爆発音が響く。


「えっ!?」

「な、なんじゃ!?」


 辺りをキョロキョロ見回していると、港から緊急事態を告げるサイレンが鳴り響いた。

 聞きなれているはずなのに、私はそれが怪人の襲撃を知らせるものであることを、しばらく気づくことができないでいた。

 篤人さんは『嵯渡ヶ島に襲撃は無い』と言っていた。

 篤人さんの情報が外れることは滅多になく、俄かには信じられなかったのである。


『非難しますので、誘導に従ってください! 港から離れてください!』


 放送で避難指示が出ている。

 即座に対応に当たった防衛隊員たちが街中で市民や観光客の避難誘導をしていた。

 主要道路は既に渋滞してしまい、私たちのクルマも動けなくなってしまう。


「伏せて!」


 お母さんが叫んだ。

 突如、すぐ目の前に何かが飛んできて、私たちの乗った車を(かす)ってコンクリートに大きな穴をあける。

 近くにあった橋が壊れ、小さな川を挟んで道が分断されてしまっていた。


「あ、危ない……」


 私は平気だと思うけど、家族が無事では済まなかったと思う。

 一体何が飛んできたのかと目を凝らすと、ハチの巣みたいなひびが入り、陥没したコンクリートの中心に見覚えのある怪人が寝転がっていた。


「ちくしょう、死にたくない……」


 愚痴をこぼしながら立ち上がったのは、敵前逃亡をしたビーストホースだった。

 何かに怯えるように辺りを見回したかと思うと、何を思ったのかこっちの方に近づいてくる。

 それに対し、真っ先にお父さんが反応した。


「いかん、クルマから出ろ! 逃げるんじゃ!」

「あなた、車のキーが……」

「奴の狙いはクルマじゃ! 渡してやればいい!」

「ゆーくん、お母さん、早く!」


 全員でバタバタと車を出て、ビーストホースから距離をとるように逃走する。

 何とかビーストホースと距離をとることができてホッとする。

 しかし、ビーストホースがクルマに近づいていったときに、またもやハプニングが起きた。


「そんな方法で私たちがお前を見失うとでも思っているのか?」


 何者かが真上からビーストホース目掛けて突っ込んできたのが視界に映った。

 その瞬間、ビーストホースを中心に再びの衝撃波が空気を振るわせる。

 ドォン! と野太い爆発音が辺りに響き渡った。


「ひゃあああ!?」

「わああああ!?」


 強烈な衝撃が爆風となって周りに襲い掛かり、私たち家族も吹き飛ばされて地面を転がった。

 私たちの車と周りにいた車も弾き飛ばされ、中には天地逆さまにひっくり返されている車もある。


 ビーストホースのいた場所を見ると、怪人が2人に増えていた。

 灰色の翼を背中に生やしたフクロウを思わせる怪人が、横たわるビーストホースを見下ろしている。

 私も見たことのない怪人だった。


「な、んで、俺ばっかりがこんな目に……」

「辞世の句はもういいか?」

「ちっくしょぉおおお!」


 自暴自棄になったビーストホースがフクロウ怪人に殴りかかり、その場で戦いを始める。

 ぶつかり合う力と力が衝撃波となって辺りをビリビリと振るわせた。

 ここにいたら危ない。早く離れなければ!


「みんな、無事じゃな!?」

「ええ、早く逃げないと――」


 お母さんがゆーくんを抱き起していると、ギギ、ギギギ、と不吉な音が聞こえた。

 真後ろの建物の柱が折れ、支えを失った屋根が重さに耐えきれずに傾いてきている。


 倒れるーー!


 お母さんは、私やお父さんの顔を見て何が起きるのかを察したのだろう。

 一度も建物を見ることもなく、咄嗟(とっさ)にゆーくんを突き飛ばした。


「え、母さん!?」


 次の瞬間、屋根が完全にバランスを失い、お母さんの方へと倒れ込んでいく。

 急に時間がゆっくりになった気がした。

 ガシャ、とあっけない音を立てて家屋が倒壊し、お母さんの姿は折れた柱や瓦屋根の中に消えた。


「日和っ!」

「お母さん!」


 私とお父さんは瓦礫へと突進していく。

 私は自分の力が一般人にとって異常であること忘れて柱や瓦をどけていった。

 まだ倒れた家屋の半分はその姿を保って斜めに立っている。

 きっとどこかに隙間が開いていて、身体を逃がすスペースはあるはずだ。


 お父さんとゆーくんも一心不乱に瓦礫をどけて隙間を探っていく。

 しかし、怪人たちの戦いの余波が何度も何度も届き、倒壊した家屋を振るわせた。

 壊れかけの家屋に更なるダメージが加わり、いつ潰れてしまってもおかしくない状況だ。

 完全に崩れてしまったら、中にいるはずのお母さんの命は無い。


 あいつら、邪魔だ……!


「よせっ、好美! 周りの目があるんじゃ!」

「うっ……」


 怪人化しようとした私を、お父さんが制した。

 気付けば周りの視線が怪人たちに注がれており、ここで変身してしまったら私が怪人であることがバレてしまうのは明白だった。

 でも、このままではお母さんが……!


「日和、聞こえるか!? 這い出てこい!」

「母さん、返事して!」


 周りの人たちは怪人たちが発する暴風で私たちを助けに来ることすら難しいようだった。

 防衛隊員たちも見当たらない。

 びりびり震える空気の中で瓦礫に向き合いながら、どうしようもない心細さで涙が滲む。


 ヒーロー、早く来て……!


 そう願ったのは初めてかもしれない。

 私は、心の底からヒーローがこの場に現れてくれることを切望していた。


「もう、大丈夫だ!」

「……えっ?」


 目の前の瓦礫が吹き飛ばされた。


 小さな砂粒や木くずがシャワーとなってパラパラと降り注ぐ。

 そして、煙る砂塵の中から赤いスーツを纏ったヒーローがお母さんを抱えて現れた。

 いったい、いつの間に突入していたのか?

 日本最強のヒーロー、レッドドラゴンが私の目の前に立っていた。


 レッドドラゴンがそっとお母さんを横たえる。

 お父さんもゆーくんも駆け寄ってきて、お父さんがお母さんの脈をとり、息を確認していた。


「大丈夫! 気絶しとるだけじゃ!」


 お父さんもゆーくんも安堵の笑顔を見せる。

 喜んでいる私を前にして、レッドドラゴンが誇らしげに言った。


「君のお母さんを助けられたのは、防衛隊員たちの情報のおかげだ。是非とも感謝の言葉を届けてあげて欲しい」


 そう言って立ち上がり、静かに前へと歩みを進める。

 いつの間にか怪人たちは戦うことをやめ、レッドドラゴンの方を見つめていた。

 目の前の相手より脅威となる戦力が現れたことにより、怪人たちはレッドドラゴンの出方を伺うことを優先したようだった。


「さぁ、掛かってこい! 2人いっぺんに相手になってやる!」

「さすが、勇ましいな」


 即座に言葉を返したフクロウの怪人は、その場から一気にジャンプして近くの電柱の上に飛び乗った。


「ビーストホース、組織の掟だ。私だけでも十分ではあるが、もう1人も近くに潜んでいるぞ」

「ひっ!?」


 ビーストホースが慌てて周りを見渡した。

 ビーストホースが怯えていた相手は、もしかしてあのフクロウの怪人じゃなかったのだろうか?


「そういえば、もしレッドドラゴンが現れるようなら伝えろと言われていた言葉があったな。『もしレッドドラゴンを倒したら不問に処す』だそうだ。良かったじゃないか、お前は運がいい」

「そ、そんな!?」

「戦う気がないなら、レッドドラゴンから逃げ切った後に私ともう1人が相手になるが?」

「うっ、うぅう……!」


 フクロウっぽい怪人がビーストホースに最終通告をした。

 もともと知ってはいたが、ノコギリデビルはビーストホースを許すつもりは無いのだろう。

 あれは実質的に、死ねと言っているようなものである。


「く、く、くっそがぁあああああ!」

「来るか! ビーストホース!」


 やぶれかぶれで突進してくるビーストホースに対し、レッドドラゴンも死兵の脅威を感じとったのか、狙いを1人に絞って構えを取り直した。

 拳がぶつかり合い、先ほどより更に大きな余波となって空気を振るわせる。


「邪魔をしちゃいかん! 逃げるぞ! ……好美、よいな?」

「分かってる。逃げよう!」


 私にはもう、"謎の怪人"としてビーストホースを助けたいという気持ちは残っていなかった。

 もともとチャンスはあったはずなのに、それを不意にしたのはビーストホース自身である。

 それに、家族が巻き込まれた今、その元凶になった相手を助ける気にはなれなかった。


 お父さんがお母さんを背中におぶさり、私はゆーくんを守りながら戦闘区域から離脱する。

 近くまで来ていたのか、防衛隊員が私たちの前に現れて避難を手伝ってくれた。


 戦いの音が遠くなっていく。


 安全な区域まで移動する頃ーー。

 遥か後ろ側でひときわ大きな爆発音が響き、空に大きな花火が咲いた。



--5月6日(土) 14:00--


「う……あ、あなた?」

「日和、目が覚めたか!」


 病院の一室へ向かっている途中、お父さんとお母さんの声が病室の中から聞こえた。

 私は手に持った買い物袋を片手に、ゆーくんと一緒に病室の中へと駆けこんでいく。


 真っ白いベッドの上で、半身を起こしたお母さんが私たちに視線を向けていた。


「ゆーくん、よっちゃん、無事で良かったわぁ」

「母さん!」

「うえぇん、お゛か゛あ゛さ゛ーん゛!」


 もう大丈夫と診断されていたから心配していなかったはずなのだけれど、実際に目を覚ましたお母さんを見て涙が溢れ出てきた。

 顔をぐしょぐしょにした私を、お母さんは優しく抱きとめてくれた。

 ゆーくんも私と一緒にお母さんに抱きしめられ、静かに目頭を熱くしているようだった。


「日和、ワシのことは分かるな?」

「うふふ、もちろんよ。忘れるわけないじゃないの」

「はぁ~、まったく、肝が冷えたわい」


 お父さんは息を吐き出し、椅子に身体を預けるように座った。

 緊急事態でずっと気を張っていたから、緊張の糸が切れて力が抜けてしまったようだ。

 そんなお父さんを見るお母さんの目が優しい。

 心配されて、お母さんも嬉しかったのかな?


「クルマも無事じゃったし、後は帰るだけなんじゃがな……」


 そう言ってお父さんがテレビのスイッチを入れた。

 ここ数日、連日行われている怪人VSヒーローの緊急ニュースだ。

 戦いの舞台となった嵯渡ヶ島が映されていて、現在の様子をレポーターが実況生中継している。


『えー、復旧中だった港にまた大きな被害が出た模様です。このため、旅行客の移動に支障が出ており、尾木(おぎ)港や嵯渡空港での特別便を増やすなど、対応に追われています』


「どっちも既に大混雑じゃよ」

「帰れそうもないね」

「そうねぇ」


 ゆーくんがテレビを見ながらぼんやりと呟き、お母さんが同意した。

 夜まで待てば多少は緩和されるのかもしれないが、今から向かって順番待ちとなると今日中に帰ることができるかどうかは怪しい。


「どうせ帰れんのじゃから、もう1泊できる場所を探すとするかのぅ!」

「うふふ、そうね。それがいいかしらね」


 旅行が1日延びたことで、お母さんはむしろ嬉しそうだった。

 まだ日は高いし、少し遠くにある宿でも向かうことはできるから何とかなるだろう。

 ダメだったら車中泊とかキャンプとかするのも楽しそうだ。


 ぐぅ~、と誰かのお腹が鳴った。そういえばお昼ご飯を食べてない。

 さっき買ってきたお弁当が、袋ごとベッドの上に放り投げられていた。


「昼飯を食ったら行動開始じゃな!」

「うふふ、まだ行ってない場所はあったかしらぁ?」


 みんなでお弁当を食べつつ、次の目的地を吟味する。

 お父さんが電話で宿に連絡を取った結果、西側の港町、合川(あいかわ)で宿をとることに決まった。

 明日は早いフェリーに乗るようで、ゆっくり観光できるのは今日までだ。

 合川は二ツ岩大明神の伝説が残る地であるらしい。今後の安全を祈願しておこうかな?


「道が混むかもしれんし、さっそく向かうとするかのぅ」

「いいじゃない。ゆっくり行きましょう」


 病院の受け付けでお礼を言って車へと乗り込んだ。

 ちょっと傷がついてしまっているけど、走る分には全く問題ないみたいだ。


 お父さんが運転する車は観光をしながら宿へと向かっていく。

 大嵯渡展望台で島を一望し、嵯渡金山の跡の坑道を観光し、奉行所の跡地で記念撮影を行った。

 お母さんもケガの影響など無さそうにカメラを持ってはしゃぎまわっていた。

 もうすっかり元気なようで安心である。


 夕焼けで海が滲む頃に宿へ着いた。


 そこは畳の部屋がとても落ち着く和風のホテルだった。

 お料理も鯛や牡蠣など海の幸が贅沢に使われていて、何から手を付けたらいいか悩むほどだ。

 家族旅行の終わりの晩餐としても大満足である。


 お風呂も広くて快適で、浴衣も着れるし、ゆったりした時間が心地いい。

 宿泊ついでにお土産もこのホテルで揃えておいた。


 今日一日は大変なこともあったけど、(わざわい)転じて福となす、である。

 不意に加算されたロスタイムの旅行は、確かな幸せの感覚と共に幕を閉じた。



--5月7日(日) 7:00--


 朝早くに宿を出て、船着き場まで到着した。

 なお、和風ホテルの朝ご飯が一番豪華だったのがびっくりである。

 朝から鯛のガラが入ったお味噌汁が出て、すごく美味しかった。

 不運な目に会った私たちに、ホテルの人たちも少しサービスしてくれたのかもしれない。


 嵯渡の尾木(おぎ)で、臨時のカーフェリーへと私たちは乗り込む予定だ。

 最後に写真を撮ろうと、お母さんにひっぱられて港へ向かっていく。

 私たちだけじゃなく、漁津港からのお客さんがこっちに来ているので、それなりに混雑していた。

 朝早くにもかかわらず、防衛隊員たちまで待機しているようだった。


 写真を撮った後、私はジュースを買おうと一人で自販機の場所へ向かった。


「あれ、好美ちゃん?」

「うぇ? あ、アズマさん!」


 遠目では防衛隊員がいるな~と思っていたけど、よく見たら防衛隊員の服を着たアズマさんだった。

 任務中なのか、やや周りの目を伺いつつ、こっそり、といった感じで近づいてきた。


「旅行って聞いていたけど、嵯渡に来ていたんだね。運が悪かったな~」

「はい、目の前で怪人たちが戦い始めちゃって……」

「うん? 怪人たちの目の前って? あれ、好美ちゃん達だったの!?」


 アズマさんは目を見開いて、ちょっと大げさともいえる感じで驚いていた。

 たぶん、戦闘に巻き込まれた家族がいたという情報は共有されていたんじゃないかと思う。

 ただ、それが私たちだったとは思わなかったのだろう。


「危ないところだったって聞いたぜ!? 無事でよかった!」

「おかげさまで。……あ、そうだ」


 レッドドラゴンは防衛隊員にお礼を言って欲しいと話していた。

 目の前にいるアズマさんも防衛隊員だし、この際しっかりお礼を言っておこう。


「お母さんを助けることができたのは、防衛隊員の皆さんがしっかり情報を伝えてくれたからだってレッドドラゴンから聞きました。いつもお疲れ様です。それと、ありがとうございました」


 感謝の言葉と共に、深々と頭を下げる。

 アズマさんはそれを聞いて、嬉しそうに鼻の下をすすっていた。


「俺は当事者じゃないけど、嬉しいよ。嵯渡にいた連中にも伝えておくから」

「はい、お願いします」


 ぶぉー、と鳴るフェリーの汽笛が、出航の時間が迫っていることを私に思い出させた。

 お母さんとゆーくんが私を見つけて手招きしている。


「それじゃ、私は失礼しますね」

「あぁ、またな!」


 手を振ってアズマさんと別れ、私はお母さんとゆーくんを追いかける。

 皆で車にもどり、私たちは車ごとカーフェリーへと乗り込んだ。


 ちなみに、その臨時便の船長はバンディットスネークの作戦に参加した時に会った元副船長だった。

 船内放送の挨拶で聞き覚えのある声だからすぐに分かったのだ。

 一緒に居たあの船員さんも乗っていたりするのかな?

 この船旅で何があっても、この船の人たちがいるなら安心である。


 私たちはカーフェリーのデッキへ出て、遠ざかる嵯渡ヶ島をみんなで眺めた。

 太陽の光が淡い金色に輝き、海を照らしている。

 海を渡る風はそっと私の頬を掠め、去る島への惜別の想いを乗せて吹き抜けていった。



--5月7日(日) 10:30--


「それじゃ、私はここでお別れねぇ。寂しいわぁ」

「ひゃっひゃっひゃ、気を付けて帰るんじゃぞ!」


 お母さんは永岡(ながおか)の駅で車を降りて、電車で新潟市に向かうことになった。

 午後から用事があるらしく、家まで来れないことを残念がっていた。


「写真ができたら送るわね」

「うん、お願い」

「母さん、またね!」


 お母さんと旅行用の手荷物だけを残し、クルマは発進していく。

 手を振ってお別れして、私たち3人を乗せた車は我が家へと戻っていった。

 楽しい旅行だったな~。



--5月7日(日) 19:30--


【特務防衛課 新潟県 十日前町市 支部】


「やっと終わったぁ」

「おう、お疲れ様」


 嵯渡ヶ島から戻ってきた飛竜が大荷物を持って地下施設に戻ってきた。

 ゴールデンウィークの怒涛の9連休を全出勤するのは、なかなか大変だったと思う。

 飛竜もかなりタフな奴だが、疲労困憊と言った様子だ。


 俺、上杉一誠がヒーロー、ライスイデンとして戦っていた時にも、9日連続での戦いというのはあまり記憶にない。

 レッドドラゴンに俺の代理として立ってもらってから、秘密結社パンデピスの怪人連中も少しは活動を控えるかと思ったが、逆に増える結果になるとは思わなかったな。


「ビーストホース、ゾンビホーネットの連続撃破は見事だったぜ」

「ありがとうございます」


 こんな連日戦っていたのに、終わりの方で更にギアを上げるとは恐れ入った。

 飛竜も未だに少しずつ成長しているように感じるし、頼もしい限りだ。


「特に昨日の結果には、戦い以外でも個人的に満足してます」

「ん? 戦い意外って、たしか巻き込まれた家族を助けていたっけか?」

「そうなんですが、それだけじゃないです。その家族、なんと好美ちゃんの家族だったんですよ!」

「好美……? あぁ、あの子か」


 中学生ながらアルバイトをしていて、親のお金に頼らずに進学を考えている少女だったな。

 そうか、あの子が巻き込まれたのを助けていたのか。

 それなら、確かに胸を張って『誇れる仕事をした』と言うことができるだろう。


「好美ちゃんから感謝の言葉を貰いましたよ。レッドドラゴンの姿で『お礼は防衛隊員に伝えてくれ』って言ったら、好美ちゃん、俺が隊員の時にお礼を言ってきたからびっくりしました」

「あー、大根役者だったって隊長からきいたな」

「えー!? うまく誤魔化せたと思ったのに!」


 飛竜は()()()と言っているが、防衛隊長は大げさに驚きすぎだと笑ってたな。

 こいつは素直な奴だし、ポーカーフェイスって(がら)じゃないからな。


「しっかり嵯渡の防衛隊員にも伝えておきましたよ」

「そうか。伝えてきたんだな」

「当たり前っスよ! 俺だけがお礼を貰うなんて(ばち)が当たりますって!」


 防衛隊員はヒーローの陰に隠れて直接お礼を言われることは少ないから、きっと嵯渡の隊員たちにとって励みになったことだろう。

 飛竜も防衛隊員側の人間として嬉しい言葉だったはずだ。


「とにかく、これでギリギリ目標クリアっす」

「事前に立てた撃破率最低ラインは50パーセント。うん、ぴったりだな」


 このゴールデンウィークの後半、撤退を作戦に組み込み始めたパンデピスを相手に、どれだけ撃破率が維持できるかが不安要素だった。

 結果として4回のうち2回の怪人討伐に成功している。

 まずまずといったところだ。


 会議室の方にちらりと目をやると、ホワイトボードにはこの4日間で戦った怪人たちの写真が貼られていて、それぞれの戦いの結果がまとめられていた。


5/4 マッドドーベル逃走

5/5 ゴングコング逃走

5/6 ビーストホース撃破

5/7 ゾンビホーネット撃破


「これで教官が出る必要は無いでしょ?」

「ん、ああ、そうだな……」


 実は、撃破率が半分を切ったら俺が出る可能性も含めて対策を考える、とだけ言ってあった。

 飛竜はどうあっても俺を戦場に出したくないので、今日の勝利で胸をなでおろしたことだろう。

 まぁ、俺はヒーロー化したら死が近づくのだから、飛竜が全力で止めるのも当たり前なのだが。


「俺だって早死にしたいわけじゃないから、出撃せずに済むならそれでいい。しかしな、飛竜。恐らくこれから撃破率はどんどん下がると思うぞ」

「また嫌な予言を……。しかも当たるから性質(たち)が悪いんだよなぁ」


 飛竜は俺の予測を嘆いているが、きっと飛竜自身も気づいているはずだ。

 この4日間で"謎の怪人"がサポートに来た回数は0回。

 一番やっかいな相手の妨害が無いにも関わらず、怪人には2回逃げられてしまっている。

 やはり、ヒーローは最低もう1人いないと、今後は怪人の撃破が難しくなっていくことだろう。


「一応、当てはあるんスけどね……」

「ん? 何か言ったか?」

「いえ、早く新潟ヒーローの後継者が決まるといいな~と」

「それは、まだまだ先だって言ってるだろう」


 明日からは平日だし、ようやく本格的に対策会議が始まる。

 防衛課は余剰戦力がほとんど無いに等しい中で、どうにかヒーローをやりくりしている現状だ。

 長く新潟に留まってくれるヒーローを見つけるのは難しい。

 レッドドラゴンの役割は本来なら遊撃だから、新潟に縛り付けておくのは良くないんだがな。


「ふああぁ、今日はもう寝よぅ……」

「おう、お休み。明日は特別休暇だ。好きなことしてリフレッシュしておけよ」

「りょうかーい。あ、でも万が一の時は呼んでくださいよ?」

「無いとは思うが、分かったよ」


 9連続勤務したのは飛竜だけじゃなかったし、他の防衛隊員たちも大半は休みだ。

 俺が控えていれば、万が一怪人が出ても対処できる。

 たまには俺が出てもいいんだが、まぁ出番は無いだろう。


「パンデピスは大丈夫だろうが、周りの県はどうだろうな?」


 レッドドラゴンは引っ張りだこだから、緊急要請を送ってくる県があるかもしれない。

 不要な要請をシャットアウトすることは俺にとって重要な仕事になるし、そのためには色々と調べておかないといけない。

 後方支援の腕の見せ所って奴だ。


 みんな、ゆっくり休んでくれ。

 戦いの矢面に立てない分、俺がうまく立ち回ってみせるさ。

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