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ハローバグワールド

目が醒めると、森の中だった。

人の気配のない、ただただ自然が広がる光景。

鬱蒼とした森林には道もなく、当然のように人を歓迎していない。

坂田七郎(さかたしちろう)。年は30。会社勤めに疲れ、やせ細った体と人生だった。慢性的な運動不足に体は怠く、いつも眠たげ。それを栄養ドリンクで騙し騙し過ごしてきた。そして。

(確か、会社で仮眠して…それから?)

  森。

  森だ。

同僚の悪ふざけ? 眠っている間に拉致…?何のために。

  そもそも、営業も並、地位は平。酒の付き合いはしても恨まれるようなことはなかった…はず。で同僚とは別段こういった悪ふざけが許される間柄ではなかったし、こういうことをするようなくだらない人間もいなかった。

しかし現実、現在。人の気配が一切しない森の中。

これはひょっとすると…いや、馬鹿な。

(異世界転生、というやつか?)

  いつからか一大ジャンルとして成立した、あれだ。昔からそういったものはあった気もするが。

もしそうなら、俺は仮眠したまま死んでしまったのか、と少し落ち込む。死に方としてはつまらなくないか。

 トラックに轢かれるなり、女の子を助けて代わりに刺されるなり、この世の悪から電車に突き落とされるなり、あるだろう。もっともそんなことで加害者になってしまうであろう運転手には同情するが。

だが、自嘲する。

  ありえない。そんなこともなくただの明晰夢と思った方がやすい。明晰夢、夢という自覚のある夢。

そう考えると気も楽になる。道もない、あてもない。遭難だろうが、夢なら死なない。そして、今現在も現実のような感覚だが、これがただ眠る自分の見る夢ならばコントロールもできるのではないだろうか。

例えば、少し歩けば綺麗な水の川が現れ、喉を潤せる、とか。…寝起きか、夢だが。喉が渇いている。水を求めたとしても自然なことだ。夢だが。

「やはり、夢だな」

軽く結論づける。本当に、少し歩いたところに川があったのだ。流れる水はとても美しく、木漏れ日を反射し光り輝いてるかのよう。迷わず飲み水として口に含める。そんな川だ。

  では早速、と水を手ですくい、飲み干さんとした時。気づく。

夢。夢ならまぁ当然だろう。

川面に映る自分の姿は、平に平を重ねたような疲れ切った下っ端社員30才ではなく。

服装は会社員そのままに、若返っていた。いや、若返るにしても、こんな顔立ちではなかった。

  今までに褒められたような顔面をしていなかった人生を振り返る。そこにあるのは過去の自分とも両親ともにつかない。とても”標準的”な…美形の顔立ちをした青年だった。

…美形にも色々あるだろう。高い身分にあった顔立ちやら、女性をたぶらかすのに向くような美形。魅了はするが何か影を帯びた危うさを秘めた美形。

  今ここにあるのはそんな取ってつけたカリスマもなくただ平凡な、無個性といってもいい顔だった。まぁ元よりマシだから贅沢は言わないが。夢で見る姿がこんな無個性美形とは、自分の想像力に苛立ちを持つ。

しかしいよいよ不思議な夢だ。感覚は明るくしかし世界は平凡ながらもあり得ない。まるで本当に自分は転生したかのような感覚。

  ここにあるのは疲れ切った30才ではなく、平凡美形な青年、そして体にいつもつきまとう疲労はなく、ただ喉が渇いていた。…とりあえず水を飲もう。

  そう、再び川に挑んだ瞳に、それは映った。

熊。

…熊?

自分の正面に佇むそれは、熊というには、爪はただひたすらに長く、鋭く。その頭は熊のそれとは似つかない、魚を正面から潰したような廃棄物めいたモザイクアートのような。飛び出した目玉がぎょろぎょろと蠢き、そして、こちらを睨む。

  普段というか、一度もそういったものに当てられたこともないが、それはわかる。俺にも分かる。

殺気。

 獲物だ、引き裂いて食おうぜ!という意気込み。…少し違うか。

 …それを向けられて、俺は踵を返し一目散に、逃げた。

なんだあの化け物は。この普通の、ただの普通の森に似合わないあれはなんだ。殺される。殺される!引き裂かれ殺され食われる!

ただ、走り、ただ逃げる。

  しかし。

ざざざざざっ そんな草を蹴り、なぎ倒す音とともに、その化け物は退路の正面に回り込んできた。

(な…いくらなんでも早すぎる!)

化け物の爪が一閃。空間を切り裂く。

運良く、本当に運良く、左腕だけの犠牲で済む。

犠牲。左腕はその胴体から離れ、宙を舞い、地面に落ちる。鮮血も同時に。舞う。恐怖。痛み。恐怖。痛み。そして、叫ぶ。

「あっあああああああああああああっ」

  激痛に泣き叫びながら、正気を手放しかける。死ぬ。このまま、この化け物に蹂躙され、食われる。

死ぬ!

まて。これは夢だ。死なない。死なないはずだ。だが。痛い。とても現実的な痛み。この痛みを前に、最早夢と断じられるわけがない、これは…現実か?!

ともすれば。

現実だとすれば。この現実が、現実だとすれば。

数瞬後に待っているのは…

それを自覚するよりも、早く。化け物が再びその腕と、爪を振りかぶり、哀れな男の体を引き裂かんとした。

その瞬間。

ばちん。と。

鈍い音とともに化け物は縦に、潰れていた。

化け物を潰したのは金属に覆われた巨大な手のひら。何者かによる一撃。その何者か。巨大な手の持ち主が、口を開く。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

ひたすら俺に向かって謝罪の言葉を繰り返す…女。

 人並外れた、 身長3mの巨体を持ち。金属に覆われた巨大な腕に、某、テレビから這いずり出てくる幽霊のようなとても長い黒髪。それに似合わない黄金の散りばめられた装飾と白い羽織のそして、男として重要な情報の、立派な山を持った…女。

それが、後に名前を知る、アートマートとの出会いだった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ」

「…あんた、は?」

命を救われた。その礼を言う雰囲気を許さない繰り返される謝罪の言葉を、少し怒気混じりの声で遮り。自己紹介を促す。と。

「俺は、坂田、七郎、ヒラの、会社員だ。とり、あえ、ず」

名乗るなら、自分から。そして腕を一瞥する。先程から、あるべきものもなく、ただひたすらに血を流し続ける左腕。痛みで意識も絶え絶え。このままだと失血死するだろう。その前に。

「止血を、手伝って、くれ。何か、縛るものを」

「あ…ご、ごめんなさい!」

何回謝るんだよ、とそんな毒づきも言葉にできないままその巨大な女…後には十分化け物の仲間だなと思うが、その時は痛みと状況のせいで疑いもなく距離を縮めることを許した。

 しかしその女は紐の類を取り出すでもなくただ、未だ血飛沫やまぬ切断面をぺろり、とその口で、舌で、舐めた。

は…?唐突なその行為に狼狽の声を上げる暇もなく。即座といっていいほどの速度で、切断面の出血が止まる。それどころか、痛みも止まり、ただ元から左腕がなかったかのように落ち着く。

「な…何をした?!」


「わ、私はこの世界の創造主アートマート、で」


「あなたの召喚者、で」


「あなたに、この世界を救ってほしいのです」


そうか。

  そうだった。

これは夢だ。

それを思い出し、安堵のためか。

血を失いすぎたか、意識を手放した。


 …落ちていく思考の中で、片腕をなくしたことを思い出し。これではパソコンのタイピングが不便になるなと自嘲した。




 2度目の、目覚め。

 目覚めるとそこは幾度となく見てきた仮眠室の天井…ではなく。

 煌びやかな金属装飾が散りばめられた、不思議な光景だった。白い天井、白い壁の丸い部屋。生活的なものは何もない。自分はそこにただ置かれたベッドに横たわっていた。

「ここは…」

 不意に口に出す。その言葉に返事が返ってくる。

「ここは先ほどの森に、魔物を近づけない設定を施した仮設の…ええとテントのようなものですね」

 女の声。

「あんたは確か…」

「アートマート、女神です」

 ため息をつく。夢は続いていた。いや、もうよそう。あれだけの痛みを経て、まだ夢だと言い張るのに疲れを感じてきた。

 自称女神は先ほどの謝罪を繰り返してた頃とは変わり、冷静さを取り戻したようにベッドの横に佇んでいる。ただ、不安が隠せていない。初対面の俺でもわかる、自信のなさが空気として伝わってくる。こちらの表情を見て反応を伺っている…対人恐怖症とまではいわないが、これでよく女神を自称できるものだと少々呆れる。

「到底、信じられないけども…ここは異世界、ってやつか?」

「はい。ここは…あなたのいた地球、そしてそれが所属する宇宙とはまた違う法則で運用される世界です」

「運用ね…」

 どこかシステマチックな言い回しの、この自称女神を一瞥する。確か気を失う前に何か言っていた。

「…救う?」

「…はい! あなたにお願いがあるのです!」

 女神の表情が明るくなる。

 救う。まぁ、お約束だろう。異世界。転生。魔物との遭遇。召喚者の女神。

 それに自分が選ばれた。ただの、会社員だった自分が。

 不安もある。最初に遭遇した魔物。ああいうのとこれから幾度もなく戦っていくのだろう。それでも、あの会社と自宅の往復すらままならないブラックな生活から解放され、新しい若い顔と肉体を得、未知の冒険に投げ込まれた。残念なことにすでに片腕を失ってはいるが…

「俺が…この俺が…!世界を救う勇」

「デバッグを手伝って欲しいのです!!」


 坂田七郎。ゲーム企業に勤め。バグ取りで仮眠中に過労死。

 そして、異世界転生し。

 自称女神にこの世界を救えと申しつけられる。

 救い方は。

 勇者ではなく。

 デバッガーとしてであった。

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