第40話 “布陣”って、なんじゃい
わしらは馬エテルナに騎乗したまま、貴族領軍の陣営に向かって進む。闇に沈む戦場跡は静まり返り、周囲には動く者もない。
エテルナの地図情報によれば、もうすぐ王家直轄地との境界になっておる川が見えてくるはずなんじゃがの。月も雲に隠れ、真っ暗でサッパリわからん。
「かわ、あそこー」
「おお、助かる」
先ほど視覚を送ってくれとった分裂平行化個体エテルナが、目印にと身体を光らせてくれておる。
川と思しき窪みも見えてきたが、その惨状は先ほど送られた視覚のまま……いや、実際に見てみればさらにひどい。折り重なった死体は水音もせんくらい川一面に敷き詰められ、金気臭い血の臭いをぷんぷんと振り撒いておる。
屍山血河とはこのことじゃな。
「プーパ伯爵家、ホルトゥス侯爵家、フィニス伯爵家……」
領軍兵士たちの甲冑に刻まれた家紋を見て、テネルがわしに伝えてくる。むろん聞き覚えはないが、エテルナの知識によれば公爵領に隣接する貴族家のようじゃ。
「ずいぶんと、一方的にやられたもんじゃの。武器にも甲冑にも、ほぼ傷がないわい」
ろくな抵抗もせず、致命の一撃を受けたのは明白じゃ。これは戦闘ではなく、一方的な蹂躙じゃな。
「領軍と言っても、ほとんどの貴族領では魔物の駆除や犯罪者の取り締まりを行う程度の戦闘能力ですから」
「なるほど」
長く平和な時代が続いて、武力が軽んじられてきたとか聞いたがの。こやつら、魔族らが思うような“軍”や“兵”ではないのじゃな。
猛将アルデンス率いる最強戦略による魔界侵攻が失敗して以降、どうやら人間界――少なくともトリニタス王国では、戦争らしき戦争は起きんかったようじゃ。
理由は知らん。とはいえ、どうにも胡散くさいのう。貴族の中で武力と気概を捨てんかったのが敗将アルデンスの末裔である公爵家と、その朋友スタヌム伯爵家のみというのは呆れを通り越していっそ不可解じゃ。
その度し難い愚かな選択が生んだ惨状を見れば、トリニタス王国を滅ぼそうとした勢力が弱体化を図った結果ではないかと思えてくるわい。
「このなかに公爵家の兵はおるかの?」
「わたくしに見える範囲には、ありません。エテルナちゃん、どうですか?」
「いなーい!」
パラレルドを含めたエテルナが調べてみても、周囲の死体に公爵家の兵は混じっておらんようじゃ。あの公爵が率いる兵ならば間違いなく精強じゃろう。侵攻軍ごときに遅れを取るとは思えんが……
「これだけの戦闘のなかでひとりの兵も喪わんというのも、不自然といえば不自然じゃの」
「ちがうの、さいしょから、いなーい」
エテルナの言葉に、わしは首を傾げる。公爵家は兵を出さんかったということか? 王家直轄地の外延に布陣せよ、というのは王命だったはずじゃがの。
まあ、良いわ。わしらは先へと進む。
「帝国軍です」
テネルの指す方を見ると、ようやく死体のなかに敵兵が混じっておった。改めて王国兵の死体と比べれば、帝国軍の武器甲冑は使い込まれ、お飾りではなく実戦を考えた造りをしておる。金属部が無駄に光らん煤けた色合いといい、刀槍を逸らす意匠といい、帝国では武力が形骸化せんかったことがわかる。
ということは、そういうことかのう。
「……アリウス様」
「うむ」
先に進むにつれて、どんどん帝国軍兵士の死体が増えてきよった。先ほどの死体は、たまたま混じっておったのではなさそうじゃ。この辺りで、なにか戦況が変わるような事態が起きたんじゃ。
おまけに、それは未だに進行中らしいわ。奥の方で、わずかにくぐもった息遣いと怒号が聞こえておる。
「あれは、戦闘音……とは思うが、ずいぶんと静かじゃの」
「はい。金属の打ち合う音がしません」
「エテルナ、急ぐのじゃ」
「ぎょい!」
スルスルと音もなく加速しながら馬エテルナは戦場跡を駆け抜ける。森を抜ける長い一本道の途中で、それはいきなり目の前に現れた。
道の左右は鬱蒼と茂った樹木と薮が行く手を阻み、抜けられる幅は三・六メートルもない。追われ襲われる側にとっては逃げ場のない最悪の場所であろうがのう。
道の脇には、うず高く積まれた死体の山。なお百近い帝国軍の兵士たちを相手にひとり戦っておるのは。
「あの御仁……まったく、どうかしておるわ」
素手で半裸の、アダマス公爵であった。
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