第38話 (Other Side)侯爵の誤謬
「どういうことだ!」
王都の北にある、プルンブム侯爵邸の執務室。報告用の通信魔珠を捧げ持っていた家宰は、怒鳴り声にすくみ上がる。
当主であるクピディタス・プルンブム侯爵は、憤怒の表情で魔珠を睨みつけている。話している相手は、侯爵領で防衛を担う領兵部隊長のアパシアだ。
領地は王都から百六十キロ近くも離れているため、非常時の領兵指揮権はアパシアに委譲していた。冒険者上がりの野卑で不遜な男だが実力と判断力、統率力だけはある。そう思っていたのだが。
“申し上げた通りですよ。領兵は戦力として壊滅です。行方不明を含む損失は二百七十、負傷者は少ないですが……”
「行方不明だと⁉ 連れ戻せ! すぐにだ!」
どうせ怯えて逃げているだけだろうと考えていた侯爵に、アパシアは溜め息交じりで応える。
“行方不明ってのは、確認できる死体が残らなかったってことですよ。だいたい、逃げることなんてできるわけがないでしょう。忘れたんですか?”
そうだ。指揮官を除く兵たちには高価な魔道具である“隷属の首輪”を着けさせ、いざとなれば死兵となって戦わせろと命じておいたのだ。命令に従わなければ激痛が走り、それでも拒み続ければ最後は死ぬ。
「負傷者が少ないというのは……」
“ほとんどが死んだからです。あんな化け物どもと当たって、五体満足で逃げ切れた奴なんかいませんよ”
「化け物? ダンジョンの魔物は、まだ溢れるには早いはずだ」
“だから、そっちじゃなく領外から来た化け物です”
領兵部隊長からの報告は、到底信じられないものだった。闇に溶け込んで襲い掛かってくる巨大な双頭の狼。凄まじい速度で疾走し、すべてを跳ね飛ばし蹂躙する異様な馬。壊滅した部隊の生き残りからは、不可視の魔物に襲われたとの報告もあったという。
どれも責任逃れの駄法螺としか思えない話ばかりだが、その後に続いたのが最も不可解だった。
何十人もの領兵を単身で蹂躙する双剣使いの令嬢。
「そんな者がいるわけがない」
もし、いるとしたら……。
「まさか、公爵家の娘か」
アダマスの娘が突然、ひとが変わったという話は孫娘から聞いている。彼女の狭量で不安定な性格を知る祖父としては、大袈裟に言い立てているだけだと思っていたのだが。
“侯爵領に入ったのは、アダマス公爵家とスタヌム伯爵家の令嬢ふたり。とは聞いてますがね。どっちかが化け物なのか、どちらも化け物なのか。そいつらが連れてるのが化け物なのか。あるいはその全部か。なんにしろ、被害は報告したとおりです”
「……それを信じろとでもいうつもりか」
“お好きなように。ですが侯爵閣下、驚いた様子はなかったですね。あなたも、なにかを察してはいるんでしょう? あるいは、そちらでも異常な被害の報告があったとか”
クピディタスは黙ったまま魔珠を睨みつける。アパシアの報告を聞くより前に、詳細な調査を命じたところだった。
ミセリアの家庭教師として雇った元宮廷魔導師のフラギリスが、王都郊外にある侯爵家の隠れ家から死体で発見されたのだ。全身の魔力を吸い尽くされ干物のようになって、恐怖に目を見開き叫ぶように口を開けた姿で。
「……ダンジョンの防衛はどうなっている」
“攻略されたようです”
「ふ、ふざけるな! なにを他人事のように言っている!」
この無能は、大量の兵を喪っただけではなく、戦略的活用のために必要なダンジョンを蹂躙され、コアを奪われたのだという。それは兵の損失などよりも先に報告するべきことなのだと、前線指揮官が理解していないとは。
「早急に戦力を再編しろ。手段は問わん」
“それは無理ですね”
「貴様の意見など聞いていない!」
鼻で嗤うようなアパシアの声に、余裕のない侯爵は激昂した。
しょせんは卑しい元冒険者だ。使い捨てるだけの駒でしかない。今回の件でも上手くやればそれでよし、失態を犯せば更迭するだけのことだと思っていたが。いまは新たな手駒を用意する暇がない。
「これは命令だ。逆らえば後悔することになるぞ」
“後悔なら、もうしてますよ”
その声には、わずかな揺らぎが感じられた。怯えているのかとも思ったが、豪胆さだけが取り柄の元冒険者にそれはない。
“数少ない負傷者たちが、プルンブム侯爵領の領主館に送られてきたんですよ。着いて間もなく死にましたがね。どいつも両手首を断ち落とされていたんで、たどり着いたのが奇跡みたいなもんです”
「余計な話は不要だ。要点だけを伝えよ」
帝国との交渉と連携を進めているなかで王国側の失態が重なるのは問題だが、用さえ済めば領兵がどれだけ死のうと知ったことではない。
“小隊指揮官が死ぬ前に、伝言を残しました。化け物どもから、侯爵閣下に伝えろと言われたそうです”
聞き流していた侯爵の耳に、領兵部隊長の声が届く。なぜ最初に報告しないのかと問い詰めようとしたところで、 アパシアは掠れたような声で笑った。
「“我らが、貴様を殺しに行く”と」
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