一章 1
「もし帰れんかったら、俺のことは忘れて幸せんなれ。」
それが、最後に聞いた言葉だった。
「生きて帰ってきて」とは言えないような時代だった。
終末へ向かう空へ散っていくのであろうその声は少し震えていて、それでいて覚悟を決めた清々しさすら聞いてとれるようで。
私は「彼」に、ひとつ約束をした。
「貴方が生まれ変わったら、私がきっと見つけ出すから。逢えたら今度こそ、私と生きよう。」
受話器の向こう側に誰も居なくなっても、私は長いことその場を動けなかった。
この約束だけが、私の生きる意味だった。
だから…この約束が、自身への呪いになるなんて、馬鹿な私は想像すらしていなかったんだ。
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誰かの携帯電話の着信音で目が覚める。小さく「すみません」と謝る声と共に音が止まる。
窓の外に目をやると、少しうたた寝している間に目的地近くまで来ているようだ。
内陸県の、四方を山に囲まれた土地。城下町の風情も残す、適度に田舎を感じられる静かな町。東京から新幹線で二時間もかからないくらいか。この町に戻ってくるのは十八年ぶりだ。
新幹線を降りると、東京を出た時とは違う少しひんやりした空気が肌を撫でた。
四月。東京は既に桜が散ってしまった。この地域は東京より開花が遅れるからまだ見られるかもと思ったのだけれど、どうやら間に合わなかったみたいだ。
見知ったこの町も、十八年であちこち様変わりしている。
解ってはいても、自分だけが変わらない、時間に置き去りにされている事実が胸に少ししみる。
趣のある長屋の残る通りから入り組んだ路地を進むと、そこだけ時間が止まったような古めかしい骨董屋がひっそりと佇んでいた。
この店だけは、いつまでも変わらない。かなり古い建物で何度か耐震補強工事とかしたらしいけれど、外観だけは変わらないようにしてくれているらしい。
開け放たれた引き戸の敷居を跨いで中に入ると、商品の置かれた棚と、並べきれない骨董品の木箱が壁沿いに堆く積み上げられている。
昔店主に聞いた話だと、ここに在る品はどれも所謂"曰く付き"らしい。
海外小説に登場する"猿の手"の実物だとか、有名な武将が自害に使った懐刀だとか、どれも胡散臭いけれど私は一通り信じることにしている。
以前来た時にはもう店主の髪が白くなっていた。彼は元気でいるだろうか。
「ごめんください。」
店の奥に声をかけると思い浮かべていたよりずっと若い男性が出てきた。藍色の法被を羽織っていて、首に手拭いをかけている。少し鋭い印象の目元は思い浮かべていた店主に似ている。歳は見たところ三十前後くらいだから、息子…いや、お孫さんだろうか。
「何か御用ですか?」
男性は一瞬怪訝そうな顔をしたけれど丁寧に対応してくれる。私を見る限り、この店に用があるようには見えなかったのだろう。
「手紙は届いていますか?取りに来ました。」
そう言うと、男性は少しの間をおいて「あぁ」と納得したように店の奥へと戻っていく。
この店は奥が和櫛の工房、2階が住居になっていて、今でも店主とその家族が住んでいるはずだ。和櫛の方が本業で骨董屋は片手間の副業として続けているそうだ。ここの和櫛は私も愛用していて、質が良くてとても重宝している。
再び奥から出てきた男性の手にはお菓子が入っていたのであろう綺麗な缶が抱えられていた。以前見た時は年季の入った海苔の缶だった気がする。あまりに古くなったから入れ替えてくれたのだろうか。
忍び笑いをする私に男性は不思議そうにしつつも缶を手渡してくれる。缶の中には封書や官製葉書など三十通ほど収められていた。宛名は"戸倉 千鶴"(以下、姓省略)、"千歳"、"千代"、"千春"の四人だ。
郵便物の内容を確認していると、男性が好奇心を孕んだ声で話しかけてくる。
「話は祖父から聞いていました。お会いできて感激です。若い女性とは聞いてたんですが、本当にお若いですね。二十歳いかないくらいですか?」
言い終えてから男性は焦ったように手で口を覆った。年齢を尋ねてしまったことを失言と思ったのだろうか。
私に対してそんな気は遣わなくて良いのに。
「十八です。なので、そんなに畏まらないでください。」
それまで少し緊張気味だった男性は詰めた息を吐き出すように破顔した。目元を細めて微笑むと印象が柔らかくなるところも私の知る店主の表情と重なって少し安心する。
「挨拶がまだでしたね。僕は戸倉 孝宏と言います。もうすぐ父も帰ってくると思うんで。」
「今の店主は孝成さんが?源さんは今日はどちらに?」
源さんは私の知るここの店主であり、孝成さんはその息子さんだ。
私が源さんについて尋ねると、孝宏さんは静かな声で告げた。
「じいちゃんは亡くなりました。三年ほど前です。」
一瞬思考が止まった。そうか、もうそんな年齢だったのか。
「じいちゃんから貴女のこと頼むってよく言われてて。『彼女はうちのお客で、うちには彼女を守る責任があるから』と。」
その言葉に、どうしようもない申し訳なさが頭をもたげた。
過去に私の身に起きたことは、この家の人たちの所為ではないのに。この家に恩を感じているからこそ、出来るだけ寄り付かないようにしていた。少しでも、迷惑をかけずに生きていく為に。
身分を証明出来ないと生きていくのも難しいこの時代で、赤の他人である私を籍に迎え入れて住所も置かせて貰っている。これ以上望んでは罰が下りそうだ。
ふと手元の封書の内一通に目が留まる。いつ利用したのかも記憶にないけれど、どこかの通販のダイレクトメールで「千歳さま、九十歳のお誕生日おめでとうございます」と言う文字が踊っていた。消印を見ると二年程前に届いたものらしい。
そうか、"千歳"もそんな歳だったのか。
確認し終えた封書を全て缶に戻し、私のことをじっと眺めていた孝宏さんに手渡した。
「少し出てきます。すみませんが、これは全て処分しておいてください。孝成さんにもご挨拶したいので、また戻ります。」
「わかりました。どこへ行かれるので?」
「市役所へ。歳も歳だから、"千歳"にはそろそろ死んで貰わないと。」
直後、孝宏さんの表情が硬直するのが見えたけれど、振り返らずに店を出た。
これから私は、"私"の死を報告に行く。
私には四つの名前が存在し、これまで十五回、自分の出生と死亡を届け出ていた。
初めまして。
ここまで読んでくれた方に最大級の感謝を。
当サイトを利用すること、書いた小説を誰かに読んでもらうこと。どれをとってもド素人です。
読んでくれた方の心に少しでも残ってくれるような、続きが気になってもらえるような物語を目指して拙いながらも紡いでいこうと思います。
改めて、ここまで読んで下さり有難うございます。