退治屋としての舞台へ その8
翼は腹部を押さえ苦痛に呻く。
だが、いつまでも呻いているわけにもいかない。
翼はよろけながらも、なんとか立ち上がった。
イノボウはといえば、翼に改心の一撃を与えたのだが、やはりふらついていた。
自分の呼吸を整える前に突進をすることで、翼に先手を打ったのだ。
この点でイノボウは退治屋としての経験が浅い翼より上であった。
だが、イノボウも息が整わないうちに突進した事で体に負担がかかったのである。
そのため、翼が立ち上がる前に蹴りをいれるなりしたかったが、体が思うように動かなかったのである。
それが翼を助けたのだ。
もし、イノボウが思うように動けていたなら、無防備な翼に呪いを与えていたであろう。
「痛ってぇなぁ!」
「人間、先程からそれしか言わぬな?」
「当たり前だろう! 痛いものは痛いんだから!」
「それにしても大したものだ、我の呪いをこう何度も弾くとはな。」
「そりゃあ、どうも。褒めていんだよね?」
「ああ、そうだ。お前のようにしぶとい人間がいるとはな。」
「そりゃそうだろう? 死にたくないからな。」
「いや、簡単に死んだほうが楽な事もある。」
「やだね、死ぬなんて。まだ生まれてこのかたHもしてないんだからな!」
「H?」
「そうだ、あんな事や、こんな事とかな。男に積まれたからには童貞は恥だ!」
「?」
「あっ?分からない?」
「分からん。」
「あっ、そう? まぁ、いいけどね、分からなくてもさ。」
「そう思うなら話すな。」
「それもそうだな、すまん。」
「素直な奴だな・・。」
「まぁね・・。」
「さて、じゃあそろそろ止めを刺すか・・・。」
「いや、刺さなくていいから、ね?」
翼の話しが終わるか、終わらないうちに、再びイノボウは四つん這いになるやいなや走り出した。
翼はそれを見ると同時に横に飛びすさり、そのまま前転をする。
イノボウは翼が立っていた位置を空しく通り過ぎ、すぐに急停止し再び走ろうとした。
その時である、翼はいつの間にか手に持っていた小石をイノボウに投げたのである。
イノボウは目を見開く。
イノボウに一直線に飛んでくるその小石は、ボンヤリ光っていた。
翼が小石に霊力を纏わせ、イノボウに投げつけたのだ。
慌ててイノボウは横に飛ぼうとした。
だが、一瞬遅かった。
小石は頭に当たらず、横に飛ぼうとして上半身が横に向いたのに追従できなかった下半身に直撃した。
バシッ!!
「ギャァアアアアアア!!!」
イノボウの悲鳴とともに、仄かに光っていただけの小石から強烈な光が瞬いた。
光が収まった場所には、下半身を無くしたイノボウが横たわっていた。
前足も半分から先が無い。
イノボウは歯を食いしばり、それによる歯ぎしりが断続的に聞こえてきた。
歯を食いしばることで、苦痛に耐えているようだ。
さらに鼻息も荒く、フゴウ! フゴウ!という音がしていた。
そんなイノボウの側に翼がよろけながら近づいく。
そしてイノボウの1m手前で立ち止まる。
「お・・、お、おのれ、に、人間め!」
「悪いなイノボウ、どうやら俺の勝ちのようだな。」
「み、認めん! 我が人間に負けるなど!」
「気持ちはわかる。お前が物の怪になる前にお前を殺したのは人間だ。
恨むのは当然だろう。
だが、それでは人間は困るのだ。
お前にはお前の言い分、人間には人間の言い分があるからな。
それに今回は辛うじて俺が勝ったようだけど、もしかしたら俺の方がこうなったかもしれん。
そうだろう?」
「うぐっ!黙れ人間!我は負けん!き、貴様になど!」
「そうか・・、今、楽にしてやる。」
「おのれぇえええええ! 人間め! 人間になど・」
イノボウが言い終わる前に、翼は素早く屈むと当時に両手を前に着きだした。
両手のひらがイノボウの額に軽くトンとふれた。
その瞬間、まばゆい光が放たれる。
一瞬の光が消えたその場所に、イノボウの姿はなかった。
翼は瞑目した。
イノボウにせめてもの哀悼の意を捧げたのだ。
イノボウは人間に殺された怨念から生まれた物の怪である。
そのため、人をおそらく何人も襲っていたかもしれない。
だからイノボウは人間にとっては退治する対象ではある。
だが、それは人間の立場だからだ。
イノボウが生きていた時、つまり猪からするとそれは人間の傲慢さである。
それにだ・・・。
イノボウは恨みから生まれた物の怪だ。
恨み、つまりこのエネルギーはどこから来るかというと魂からだ。
言い換えると、魂が変質したものがイノボウなどの物の怪の正体なのである。
死ぬ前に強烈な怨念を放たなければ、魂は維持されるのである。
イノボウのように変質した魂は、輪廻の輪に帰ることができない。
退治されると無に帰るだけなのだ。
それはあまりに悲しい。
そう翼は思うのだ。
物の怪が魂の変質したものだ、というのはユリから聞いたことである。
それというのも、翼がなにげに怨念のエネルギーの源が何か疑問に思って聞いたからだ。
ただし、それはユリが思うことであって確証はないユリは言っていた。
だが、そう思えてならないとユリは言っていた。
そしてイノボウを退治した翼は、ユリが言ったことの意味を知った。
理屈ではないのだ。
なぜかイノボウが消え去る直前、イノボウの存在が霊的にも消えて無くなったと感じたのである。
そして翼は思う。
あの優しいユリが、いくら人間に恨み持って襲うからといって退治して心が痛まないわけがない。
物の怪をそのままにできないから、ユリは心を鬼にして退治しているのである。
やはり自分は退治屋になってよかったと思う。
少しでもユリの心が軽くなれるよう、ユリに寄り添いたいと思う翼であった。
 




