退治屋として舞台へ その4
物の怪に近づくにつれ、その気配が強くなる。
背筋に冷や汗が流れた。
物の怪が一際大きい岩の影にいる事は間違いはない。
だが、物の怪を岩越しに見ることはできなかった。
物の怪の身長が岩より低く、岩に隠れて見えないからだ。
立って歩いても物の怪が見えないから、そのまま歩いても岩陰から物の怪が出ない限り見つかることはなさそうだ。
だが、翼は念のため姿勢を低くしてゆっくりと岩に近づいく。
足下には小石が散在しており、慎重に歩かなければ小石を蹴ったり、踏みつけて音が出ると、物の怪に気がつかれそうだ。
物の怪に近づくにつれ緊張が増し生唾を何度も飲み込む。
物の怪がいる岩は翼の胸くらいの高さがあった。
岩の天辺は平たく、大人が二人並んで横になれるくらいの岩であった。
その岩まであと5m程という所で、すこし立ち上がり岩超しに物の怪を覗く。
物の怪は岩の影で立っており、何やら小刻みに揺れ蠢いていた。
何かに熱中しているようで、翼に気がつく様子は無い。
翼はまたかがみ込み、さらに岩まで1mという所までゆっくりと近づいて、再び物の怪を覗き見た。
するとそこには驚きの光景があった。
物の怪が物の怪を食べていたのだ。
食べられている物の怪はピクリとも動かない。
物の怪をちぎっては食べ、ちぎっては食べていたのである。
食べられている物の怪は既に原型をとどめておらず、何の物の怪なのかはわからない。
無心に食べている物の怪は、イノボウと呼ばれる物の怪であった。
山にいる物の怪だ。
名前から想像が付くかと思うが、猪が物の怪になったものだ。
マタギなどにより猟で命を落とした猪が、物の怪と化したものである。
山で暮らす野生動物は、食物連鎖を本能的に理解している。
喰うか喰われるか、そういう環境で暮らすからなのだろう。
だからと言って、底辺にいる獣たちは喰われることを肯定しているわけではない。
当たり前のことだが、生きて子孫を残すのが一番の欲求であり本能だからだ。
もし不幸にも自分より食物連鎖で上にいるモノに捕食された時、当然恨みつらみを持つ。
生きたいのに、捕食者につかまってしまったのだから当然のことと言えよう。
だが死ぬ寸前に恨みを捨て、輪廻の輪に入り、生まれ変わるのが普通だ。
しかし、死に際が壮絶だった場合、そうならないモノがいる。
すざましい生への渇望からか、死ぬ間際に強大な呪いや怨念のエネルギーを放つモノが希にいるのである。
人により狩られて誕生したイノボウは、人を憎み襲うのである。
致し方ない事だろうとは思うが、だからといってこの物の怪の犠牲に人はなりたくないのは人の常であろう。
そのため退治屋の出番となる。
翼が退治屋になる前に始末をしに来た物の怪・イノボウと、翼が退治屋としてデビュー(卒業試験)するために倒すのがイノボウだったという運命は皮肉である。
いずれ側からも避けて通れない道であった。
捕食しているイノボウを見て翼に悪寒が走る。
物の怪が、物の怪を食べる様子など醜悪そのものだからだ。
確かに、このような事は無いとはいえない。
物の怪は霊的なある種の電磁波でできた生命体であるから、別の電磁波と共振し、共振した電磁波を取り込むこと、つまり他の物の怪を捕食する事でより強くなるという事は理にかなっている。
翼は焦った。
今でさえ自分の手に負えるかどうかわからないというのに、これ以上強くなってはどうなるか分からないからだ。
そして、即座に退治しようとした時だ・・。
イノボウが、突然ブワリと膨らんだ。
それを見た瞬間、イノボウは爆発し、爆風とともにどす黒い煙が辺り一面に広がる。
翼は反射的に岩陰に飛び込み、爆風から逃れた。
小石が突風で巻き上げられ、イノボウのいた場所を中心にして恐ろしい勢いで飛び散る。
岩の影にいても襲い来る石に、翼は体を丸め、腕で顔を覆い体を守った。
乱舞する小石が体のあちこちにぶつかり、苦痛がはしる。
「グッ!」
思わず苦悶の声を上げた。
突風は直ぐに止み、翼は顔を隠していた腕を下ろして目を開ける。
すると目の前に、一回り大きくなったイノボウがいた。
いつの間にか岩を回り込み、自分の正面にいたのだ。
背を向けているのだが、睨まれている感覚に悪寒が走る。
イノボウは物の怪を食べているときは翼より一回り身長が低かったのだが、今は翼より身長が高くなっていた。
警戒をする翼に、イノボウが振り向かずに声をかけてきた。
「人間、いつからそこに居た?」
翼はその問いに答えるべきか、一瞬迷った。
だがイノボウは翼に問いかけてきたわけではなかったようだ。
返事も聞かずに振り向きざま、再び翼に語りかけるように話す。
「まぁ、どうでもいいことだ。お前は殺されに来たというだけの事だ。」
そう言ってニヤリと笑った。
イノボウの顔は猪そのものだ。
体も一見すると猪の体のように見えるが、二本足で立っている姿は、猫が立ち上がった時の姿によく似ている。
だが、猫のようにかわいらしい姿ではない。
おぞましい、それ以外に表現のしようがないのだ。
当然、毛並みは猫のような柔らかな毛並みではなく、ハリネズミの剛毛のように見えた。
一本一本の毛が太く、それがハリネズミが興奮した時のように立っているのだ。
そして不思議な事に毛は真っ黒なのに、闇の中でもはっきりと見えた。
さらに不思議なのは、体がたまに半透明になっては、また真っ黒になる。
半透明の時に、体の中に何やら気泡のようなモノが蠢いているのが見えた。
目はといえば、暗闇の中で赤く残忍に光っている。
ただ、赤といってもどす黒い血の色に近い。
口からは絶えず涎が流れ、笑うと血で汚れたような牙がむき出しになる。
猪固有の長い牙は、片方は真ん中当たりで折れており、もう片方は鋭く尖っている。
そして腐った魚のような、なんとも言えない強烈な臭いがした。
翼は顔を顰めた。
 




