退治・・・
小市橋に着いたユリと翼は、車を通行の邪魔にならない場所に止めた。
「いい? 先程、私と約束した事、覚えているわよね?」
「え? ああ、うん・・。」
「もし物の怪が私を襲ってきたら、私に構わずにこの車に戻るの。」
「・・・わかった。」
「あと、これを持っていて。」
「?」
「お守りみたいなものよ。」
「お守り?」
「形代というの。」
翼はそれを受け取った。
紙でできており人のような形をしたそれに翼の名前が書かれている。
そして名前以外に、何やら複雑な模様が書込まれていた。
「えっと・・、これって?」
「もし物の怪に襲われそうになったら、それを物の怪に投げて逃げるの。」
「?」
「物の怪はそれを翼クンだと思って、それに襲いかかるはずよ。
その間に車に逃げ込むの。
分かった?」
「・・・分かった。」
「じゃあ、行きましょうか?」
そう言うとユリは車を降りて、小市橋に向かう。
二人の手には車に備えてあった懐中電灯が握られていた。
物の怪を見つけるために橋を渡る。
意外と車の通りが多く、ヘッドライトが眩しい。
なかにはライトをアップにしたままの車もおり、歩行に支障をきたす事もあった。
小市橋をゆっくりと二度ほど往復したのち、ユリはすこし体の力を抜いた。
「この橋には居ないみたいね。」
「そうなの?」
「ええ、気配がしないわ。」
「じゃあ、帰る?」
「いえ、橋を降りて犀川沿いを確認しないと・・。」
「そう?」
「河原におりましょう。」
「わかった。」
二人は河原へ降りた。
「どっちに向かう?」
「そうね・・、市街地方面に向かいましょう。
翼クンは私の後をついてくるようにして。
近すぎず、離れすぎないようにね。」
ユリはそう言うと歩き始めた。
近すぎず、遠すぎずって、どのくらい離れて歩けばいいんだ?
そう翼は疑問に思いつつ、やや右後方、歩数にして5歩ほど空けて歩く。
ユリが何も言わないので、これで正解なのだろう・・・。
懐中電灯で足下を照らしながら川縁を歩いているのだが、夜の川は不気味だった。
周りに民家がなく道路から外れているため、足下は暗く懐中電灯の明かりだけがたよりである。
草が春を感じて伸び始めているが、歩く邪魔とはならない。
暫く歩いていると、突然にユリの足が止まった。
「ユリさん?」
「しっ!」
ユリは耳をすます。
翼もそれに習う。
するとかすかな音が聞こえる。
最初は川の流れの音に紛れてわからなかったが、ボソボソとした音だ。
ユリはハンドバックから、何かを取り出した。
暗くてよく見えないが、手のひら二つ分くらいの大きさのようだ。
ユリが振り返らずに翼に小声で声をかける。
「翼クン、そこで止まっていて。」
「わかった・・・。」
ユリは翼から10m位離れたところまで歩き立ち止まる。
先程までボソボソと聞こえていた音が、徐々に大きくなり人の声として聞こえ始める。
彼奴のせいだ。
彼奴のせいで、おれは・・。
彼奴さえいなければ・・。
彼奴だ。
彼奴だ。
憎い・・・憎い、憎い、憎い・・・。
何故、俺は虐められた。
彼奴さえいなければ・・。
彼奴など許してたまるか。
引き入れてやる。
奈落の底に落としてやる。
彼奴も苦しめばいい。
彼奴さえ・・・。
暗闇で呟かれる低い声は、独り言なのか、誰かに話しているのか分からない。
ただ、耳障りで、背中に寒気が走る。
やがて暗闇にボンヤリとおぼろげなくすんだ光が見え始めた。
最初、手のひらほどの大きさだったそれは、近づいてくるごとに徐々に大きくなり、やがて篝火くらいの大きさで揺らめく。
それは空中に浮いていた。
やがてそれは・・・カッパの姿となる。
いや、カッパに似ているが皿も甲羅もない。
よく見ると嘴もない。
だが姿勢は、前屈みで両膝を少し折った格好をしており、カッパの立ち姿にそっくりだった。
そして、土の上を歩いて来たというのに、水が頭からポタポタと途切れることなく落ちる。
今、そこの川から上がってきたばかりかのようだ。
しかし川から出てきた様子はまったくない。
肌色はくすんだ茶色に、所々まだらの緑が混じっている。
触れたら手にグチャリとこびりつきそうな感じだ。
眼窩が深く窪んでおり、目らしきものは認識できない。
真っ暗な穴があいているかのようだ。
それを見ていると、暗闇に引き込まれそうに感じる。
翼は鳥肌が立ち、目を見開いた。
しばらくすると今度は異臭がだんだんと強くなってくる。
何か腐ったような、なんと表現したらよいかわからない悪臭だ。
吐きそうになるのを、かろうじて堪える。
ユリはその物の怪に話しかける。
「その独り言だと、貴方は元は人だったのね?
そして虐めかなにかにあって自殺か、殺された。
恨みや悔しい気持ちはわかる。
でも、成仏できずに何年も何十年も彷徨い物の怪になってしまうとは・・。
残念だけど貴方に救いはないわ。
ごめんなさい。
貴方を退治するわ。」
それを聞いた物の怪が、大声を上げた。
「ウゴオォオオオッ!!!」
訳の分からない叫びは、まるで地獄の底から聞こえてくるかのようだ。
その声を上げると同時に、その物の怪はユリへと突如突進する。
「危ない!!」
翼はユリに叫んだ。
だが、ユリは冷静だった。
物の怪は突進しながら両腕を左右に開く。
両腕でユリを捕まえ、抱き殺すつもりである。
だが、ユリは襲ってくる物の怪を怖れている様子はない。
左の掌を前に突き出した。
右手は左手の甲を押さえる体制を取る。
物の怪の手がユリの両肩を捕まえた瞬間、ユリとの間にまばゆい光が放たれた。
ユリの突きだした手が物の怪の胸に当たり、そこが光ったのだ。
「ガガガガガガガ!!!」
物の怪が訳の分からない叫びを上げ、顔をのけぞらせた。
窪んだ眼下の奥底に、真っ赤な点が光る。
それとともに物の怪の体全体が パン! という音を立て四方八方に弾けた。
弾けた物は、やがてまばゆい光を放ち直ぐに光りを失い消え去る。
「はぁ、はぁ、はぁ・・。」
ユリは荒い呼吸をしており、肩が大きく揺れていた。
やがてユリは膝から力が抜け、その場に崩れ落ちるかのように座り込む。
翼はその様子を呆然と見つめていた。
そして真っ暗闇で突然のまばゆい光を見たというのに、目が眩むこともなく即座に暗闇の中で周りがハッキリと見えていた。
そう・・、暗闇で膝を付き座り込んだユリを。
だが翼はその事に気がつくどころではなかった。
翼は独り言を呟く。
「一体・・何が起こったんだ? それに、さっきの光は?・・・。」
その声に、ユリが振り返る。
その顔は驚きで目を見開いていた。
そしてユリも、呟く。
「翼クン、あの光が見えたの!・・。」
そう言ってユリは何とも言えない顔をした。




