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探偵と錦鯉  作者: 長村
はじまり
4/35

一冊、本心を暴く。

 尾行者との会話を試みた翌日。

 いつもの店でコーヒーを貰っていると、ドアベルが激しい音を立てた。振り向くと、汗だくで焦った様子の秋翠の姿。走って来たのだろう、肩で息をしている。彼は僕と目が合った瞬間、ホッとしたのか長く息を吐く。

「やぁシュウ。」

「……あの女に、何か言われたんだろ。」

 僕の隣に座りながら、焦りを隠さずこちらを覗き込む。いつも通り迎え入れられたことを、不自然に感じたのだろう。僕の態度が変わらないことを、ひどく気にしている。カウンターではマスターが氷を取り出し、アイスコーヒーの準備を始めた。

「何日か尾行された後に話しかけられた。会話はほとんど成立しなかったが。総合的には君と関わるのをやめろと言っていた。拒否したら暴れ始めたよ。けれど僕自身に損壊個所は無い。安心したまえ。」

 秋翠を落ち着かせるため、僕はゆっくり言葉を紡ぐ。彼は数秒ほど疑いの目でこちらを見ていたが、最終的に肩の力を抜いた。僕の言葉を信じたのだろう、マスターに差し出されたアイスコーヒーに口をつける。しかし、その背中はいつにも増して丸まっていた。

「悪かった。」

「なぜシュウが謝罪を口にする?」

「色々と言われたんだろ。」

「僕自身は直接的被害を被っていないよ。君に関わるなとしか言われていない。概ね君に対する雑言だった。聞いた限りでは君に非は無いと断言できる。よって謝罪の必要も無い。」

 うなだれた姿勢のまま、黙ってこちらを見上げる秋翠。底の見えない沼のような目は、出会った時から何も変わっていない。泥水に浸かった瞳、光を抱かない目、死体の眼球。変えなければいけない、彼は生きた人間だ。変えるべきなら、好機は今この瞬間。

 判断すると同時に、僕は口を開く。

「シュウと彼女の関係を教えてくれ。」

 単刀直入に言えば、秋翠の体はわかりやすく震えた。何かに怯えているようで、今にも床に平伏して許しを乞いそうだ。しかし彼が許しを乞う理由が無い以上、僕は何も許すわけにはいかない。千谷秋翠の過去を全く知らない僕にも、それだけは断言できる。

「彼女がシュウの人間関係を侵害する理由を知りたい。」

「…………、お前に、関係無いだろ。」

「君に非はないと言ったけどね。しかし説明責任はあるんじゃないか?」

「だから……悪かったって。」

「違う。要求しているのは『謝罪』でなく『説明』だ。」

「……………………。」

 秋翠が唇を噛んで僕を睨むが、僕は止まらない。押し問答にならないよう、語気を強めて畳みかける。

「君が何を抱えているのか知らないことには意見することも助けることもできない。」

「…………?………………助ける?」

「そう。助ける。僕は君を助けたい。助けたいんだ。助けたいんだよ。」

 消え入りそうな秋翠の声に、僕はゆっくり首を縦に動かした。言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返す。こちらを見つめる秋翠は不思議そうで、まるで僕がおかしなことを言ったみたいだ。きっと、彼にとってはおかしなこと。今まで、千谷秋翠を助けようとする人間が現れなかった。助けが必要な人間であることに誰も気付かず、気付いた人間も全て目を逸らした。そして本人も、気付いていない。あまりにも長い時間、その状態が続いたから。彼自身、助けられないことを普通だと思い込んでいる。人間には、不可能であるはずなのに。他人が誰も彼も千谷秋翠を一人にするなら、“僕”が彼のそばにあるしかない。

「シュウは間違っている。」

「……はぁ?」

「表情も碌に出なくなるまで自分を犠牲にしている。我慢し続けることが正しいを思っている。けれどそれは絶対に違う。君には第三者からの助けが必要だと断言する。」

 呆然と開いた口が塞がらない秋翠に、僕は言葉を並べ立てる。彼と目を合わせて、意味を理解させるために。

「初対面から君のことは『機械のよう』だと認識していた。しかしそれは君が望んで機械になろうとしているわけではない。もし本当に望んでいたなら僕に無表情を指摘されて驚くのではなく喜んでいた筈。つまり君は彼女に何かしてしまった罪悪感から機械になっているのではない。君は彼女が主張するような悪人ではない。けれど彼女が原因で機械にならざるを得なくなっている。だけどねシュウ。どれだけ努力したところで『人間』として生まれた以上はそれ以外のモノにはなれない。君は機械という単独で成立する『製品』にはなれない。自分以外の存在に助力を求めなければ正常に生きていけない『人間』という『生物』であることを止めることは不可能。」

 体を起こす秋翠に合わせて、僕の視線も上がる。彼の中で戸惑いと焦燥が混ざり合って、無音の悲鳴を上げているのがわかった。僕はそれを無視し、真っ直ぐ彼を見つめる。

「つまり今の君は正常な状態ではなく異常な」

「やめろ!」

 頬を殴られた。

 間に入ろうとしたマスターを手で制し、僕は正面から秋翠と向き合う。殴られようが切られようが、僕の体は腫れることも血を流すこともない。外側だけの真似事、内側まで同質ではない。秋翠は全身に嫌な汗をかき、今にも泣きだしそうに震えている。

「お前に何がわかる!!」

「わからない。君が何も教えてくれないから。」

 殴られても動じない僕に、秋翠はたじろぐ。しかし言われっぱなしは嫌だったのか、すぐに反論してきた。

「俺はずっとこうやって生きてきた、今更どうしろって!?自分でもわかってたさ、おかしくなってることぐらい!」

 頭をぐしゃぐしゃと両手で搔きながら、子供のように喚く。もしかしたら、子供の時には喚くことすらできなかったのかもしれない。僕は黙って、ただまっすぐ受け止める。

「気付いた時から俺はアイツの奴隷だった、好きな食べ物も大事な玩具も何もかも奪われてきた、それが当然だった!嫌だと親に言えば、相手は女の子なんだからと取り合われなかった。友達は最初からいなかった、みんなアイツの味方だった。彼氏になれって命令を断ったら、次の日は先輩達にリンチされ、後輩たちから蔑んだ目で見られた。先生に助けてくれって言ったら、お前が悪いんじゃないのかって言われた。俺に助けてくれる味方はいない、先生も、友達も、先輩も、後輩も、親も、全員が敵だ!!幸せになりたいと思ったら、その可能性を全部潰される。だから諦めたんだ、もう全部諦めたんだ……諦めさせてくれよ!」

「人間らしく生きることを?」

「あぁ、そうだ、無理だ。俺はもう変われない。変わろうとも思えない。おかしくなった自分を、今更正せない。正したところで、傷付くだけだ。…………今まで、本当に誰も助けてくれなかったワケじゃない。おかしいと言ってくれたクラスメイトも、内緒で付き合った恋人も、少しの期間だけならいた。……最終的に、いじめられて転校したけどな。」

「そうか。君はそのことに罪悪感を覚えているんだね。」

 訂正、秋翠を助けようとする人間は存在した。修正、ただ片端から排除されていた。それが彼には耐えられなかった。自分に手を差し伸べた相手が、みんな傷付けられていくことが。

「ありがとう。少しだけ君のことがわかったよ。」

「……はは」

 初めて彼の心からの叫びを聞けたことに、素直にお礼を言う。秋翠はおかしそうに、自嘲するように、乾いた笑い声を漏らした。表情は殆ど変わらないが、頬肉が少し痙攣している。

「そこまで言うなら、助けてくれよ。」

「いいよ。」

「俺さ、耐えきれなくなったら死のうと思ってたんだ。」

「うん。」

「警察官になったのも、何かの拍子にぽっくり死ねないかって考えてのことでさ。」

「なるほど。」

「でもこんな有様になっても、死ねない、俺は死にたくない。」

「正しいことだ。」

「だから、代わりにアイツを殺してくれ。」

 僕を試すような言葉は、ある種の脅しなのかもしれない。自分のそばにいるとはこういうことだと、突き放そうとしている。黙っていると、彼は僕の目を覗き込んで語気を強めた。

「じゃないと、俺は助からない。」

「わかった。」

 僕は大きく頷いて、承諾の意を示した。


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