一人、職場にて
永丘警察署、もとい現在の配属先にて。
俺は同僚たち共々、自分のデスクで大量の書類と向き合っていた。
先日、一応の『終決』を迎えた龍潜山行方不明事件。その後始末で、警察全体がてんやわんやだ。被害者が主に観光客、県外から来た人間も居たことが大きい。身元の調査、遺族への連絡、遺体の輸送…………それらの手続き等々。いつもの事務担当者だけでは人手が足らず、部署関係なく書類仕事を手伝わされた。そんなわけで、俺も必死にボールペンを走らせている。ひたすら机に向かう作業、これがなかなか辛い。捜査で街を歩き回るのとは別の、デスクワーク特有の苦しみを嫌と言うほど味あわされていた。普段はやらない仕事なだけに、予想以上にしんどい。
「先輩、大丈夫ですか?」
「あ、おう。」
隣で同じように書類を片付けていた後輩が、不意に声をかけてきた。傍目から見てもわかるほど、疲労が顔に表れていたらしい。咄嗟に返事をしたが、思うように声が出なかった。それを聞いて、後輩は心配そうに眉を寄せる。
「ただでさえ人相が悪いのに、更に悪くなってますよ。少し休憩してきて下さい。」
「あー…………もうちょい、キリがいいとこになったらな。」
失礼なことを言われた気がするが、構う余裕も無い。後でコーヒーでも買いに行こうと考えつつ、改めて机に向き直る。
「千谷くん、久しぶり。」
「……おー。」
作業の再開を中断させたのは、他署に勤めている筈の同期だった。交流は多くないが、女性の少ない職場なので印象には残っている。
「なんでコッチに?」
「被害者の中に、うちの管轄の市民もいてね。」
説明するまでもなく、俺たちをデスクに縛り付けている行方不明事件の話だ。彼女も今回の事件で、あちこち駆け回る羽目になっているらしい。どの署も大変だなと思っていると、後輩が呟く。
「先輩に彼女ができたって、マジだったんすね。」
「えっ」
「ん?」
同期と俺の反応は、ほぼ同時だった。この反応に違和感を感じたのか、後輩は「あれ」と首を傾げる。
「お二人が付き合ってるんじゃないんですか?」
「えぇ!?」
「違うけど。」
「違うんですか!?」
大袈裟に驚く彼に、俺と同期は顔を見合わせた。彼女は目を見開き、何と言って良いのかわからず困惑している。一人で騒いでいる後輩の腕を掴み、強めに揺さぶった。
「なんでそんな話になったんだ?」
「だって…………最近、先輩が変わったってみんな言ってますよ。」
初耳である。
しかし同時にクロの顔が脳裏に浮かび、心当たりにハッとする。何と言うべきか迷い言葉を詰まらせた俺に、後輩はあれこれ語り出した。
「食堂でちゃんと飯食うようになったとか、仮眠室でちゃんと寝るようになったとか?」
「…………そんなこと?」
「先輩に関しては大事ですよ!ほら、先輩って、何してても表情変わらないじゃないですか。死体見てる時と飯食ってる時の顔が一緒っていうか?でもって基本「はい」しか言わないし、仕事早いのに残業するし、休憩しないし、非番の日に仮眠室から出てきたりするし。署長とか課長達、みんな心配してたんですよ。」
「労働基準法違反?」
「そういうことじゃなくて!!心配!心配してたんですよ!!」
「千谷くん、警察学校の時から変わってなかったのね。」
同期がため息とともに、大袈裟に肩を竦める。呆れているのを隠そうともしない、遠慮のないジェスチャー。こんな形で注目されているとは知らなかったので、内心で頭を抱える。自分では、目立たないように働いていたつもりだったが。
「で、そしたら最近『変わった』から、みんな「女だ」って…………」
「なんでだよ。」
なにゆえ世間では、他人の変化で真っ先に連想されるのが『異性の存在』なのだろう。甚だ疑問だが、今回は『当たらずとも遠からず』と言わざるを得ない。
「まぁ…………“恋人”ができたのは、その通りだが。」
「そうなの!?」
「マジすか。」
俺の言葉に、同期の方が大袈裟な声を上げる。彼女は以前の俺の態度を知っている分、驚きが大きいようだ。常に他人との間に壁を作っていたのだから、無理もない。
クロに助けられて、俺は自由になった。常に見張られていると考える必要がなくなって、気が楽になった。親の存在を気にしなくてよくなり、自分の部屋に帰りやすくなった。他者を突き放す必要がなくなって、人と話しやすくなった。
考えてみれば、第三者から「目に見えて変わった」と言われるのも仕方ない。今の今まで気付かなかったことに、気恥ずかしくなる。
「どんな人なんですか?」
「あー、うーん…………年上。」
そもそも“人”じゃないのだが、言うとややこしくなるので適当に返す。だが咄嗟に上手い嘘を思い付くこともできないので、それっぽい言葉選びをするのが精々だ。
「へ~……それから?」
「物知りで、冷静なやつだよ。」
「先輩はインテリ系がタイプだったんですね。」
「どうだろうな…………」
何か違うような気もする言い方だが、面倒なので流す。
「どっちから告ったんですか?」
「それは俺。」
これに関しては、誤魔化す必要もあるまい。素直に答えると、後輩は目をキラキラさせる。同期は黙っているものの、意外そうなのが顔に出ていた。
「結婚は考えてるんですか?」
考えてもいなかった話に、一瞬体が固まる。とりあえず「まだ、付き合ったばっかりだし」と答えながら、思考を巡らせた。
結婚以前に、人間の法律の適応外だ。などと考えながらも、同時に「そういうことじゃない」とも思う。告白した夜の、クロから言われた「君の一生を見守るつもり」という言葉を思い出す。
「死ぬまで一緒に居て欲しいとは、思ってるよ。」
「ヒュー!!」
俺の言葉に、なぜか後輩が両手を上げて喜びだした。何でコイツが嬉しそうなんだ、わからん。
「千谷くんって、意外と情熱的だったのね。」
「そうかぁ?」
同期の言葉に俺は首を傾げるが、女性目線から『情熱的』に見えるならそうなのだろうか。クロから見たら、どうなのだろう。次に会った時、覚えていたら聞いてみるか。
「いい土産話もできたし、私はそろそろ行くわね。」
「おう、お疲れ。」
「お疲れ様でーす。」
去っていく同期の背中を見送りながら、俺はカウンターでコーヒーを飲むクロの姿を思い出していた。




