一冊、原因を見つける。
原因が判明したのは、秋翠と出会って一ヶ月と経たぬ頃。
「やあシュウ。一人なのかい?」
「………………あぁ。」
その日、初めて『いつもの店』ではなく往来で顔を合わせた。駅にほど近い大通り、お互いに仕事中だった。しかし、秋翠の反応に違和感がある。挨拶とも言えない、歯切れの悪い返事。外で出会っても差し支えない程度には打ち解けたつもりだったので、どういうことかと僕は彼の一挙一動に目を凝らす。
「様子がおかしいよシュウ。何か都合の悪いことでも」
「悪い、ごめん、またいつもの店で。」
ほとんど会話することなく、彼は強引に質問を遮り去ってしまった。その場に取り残された僕は、足早に離れていく背中を観察する。今のは本意ではなく、何か『理由』があって彼は会話を避けた。僕に気に入らない点があったのではなく、彼自身に会話を不可能にさせる理由が。短いやり取りでも、それだけは理解した。この程度なら、人間観察を始めて百年にも満たない僕でも断言できる。
背後に感じる『視線』こそ、全ての『原因』だと確信した。
*
それから数日間、何度か尾行者の存在を確認。人間として振舞いながらも難なく撒けたので、相手は素人と断定。タイミングを考慮しても、秋翠の関係者であることは断言できる。それが恋人かストーカーか恨みを持つ人物かは、まだ判断不可能。しかし相手が秋翠に向けている感情が、一過性のものでない事は理解可能。先日の彼の態度からも、それこそが人間性剝奪の原因であることは明白。この事態を予測して、彼は僕との会話を切り上げた。あの時は挨拶程度しかしなかった僕への尾行、つまり過去に『千谷秋翠』と関わった全ての人間が『被害』に遭っている可能性は高い。
現状で言えることはここまで。
尾行者の正体を知るべく、僕は夕日が照らす街へ踏み出した。
*
──にゃあ
「こんばんは。」
夜の通りをあてもなく歩いていると、足元に黒猫が現れる。僕の隣を並行して、こちらを見上げてひと鳴き。尾行者の存在を訴えるそれに、僕は無言で頷いた。わかっているならいい、目で言うと黒猫は走り去る。その後ろ姿を見送ってから、僕は狭い路地へ進路を変えた。立ち止まって数秒後、あっさり尾行者は姿を現した。
「こんばんは。僕に何か用かい?」
尾行者は待ち伏せされたことに驚いて、警戒するように後退る。しかしそれ以上は動かず、逃げ出す素振りはない。その正体は、成人したばかりに見える若い女性。パンプス、ワンピース、ハンドバック……年頃の女性らしい服装、とても尾行に向いた姿ではない。彼女は苦々しい表情をして、こちらに対する敵意を隠そうともしなかった。
「千谷秋翠の関係者で間違いないね。僕は貴女を不快にさせる行動をしてしまったかな。」
「……………あんた、アレの何?」
しばらく無言を貫いていた彼女に声をかけ続けると、質問が返ってきた。アレ、とは秋翠のことで間違いないだろう。長い考察の必要はないと判断、僕はすぐ返答する。
「現状は友人と定義している。」
「アレと?あはは、随分イイ趣味してるのね。」
嘲笑の意味を解読するために、歪んだ表情の細部へ目を配る。悪心を感じる笑みはそのままに、彼女はこちら見下すようにして喋る。
「あんな無愛想と遊んで楽しい?」
「彼の無愛想を原因とした弊害は生じていない。」
「笑わないどころか、眉一つ動かしやしない!」
「僕にとっては非常に興味深い観察対象だ。」
「話してても嫌な思いするだけでしょ?」
「現状では何の不利益も被っていないよ。」
「一緒にいても良いことないじゃない。」
「友人関係は利益の有無だけで決まらないと捉えている。」
「…………とにかく、アレと関わるのはやめなさい。」
「それを言うために僕を尾行していたのかな。」
「そう、そうよ!そうなの!!アレは普通に友達作ったりする権利の無い人間なの!」
見るからに精神に異常を抱えており、言葉の信憑性は極めて低い。秋翠に対して強い恨みを持っているらしく、自分こそが善だと思い込んでいる。
「君は千谷秋翠にどんな恨みがあるのかな。」
不足した情報を補うために、一歩踏み込んだ質問をする。その瞬間、彼女の体が凍り付いたように固まった。今までの嘲笑は消え失せ、真顔で僕を睨む。情緒の不安定さから、次に何をしでかすか読み切れない。これと比べれば、秋翆のほうが円滑な会話ができて良い。一部の思考回路が取り留めもない方向へ逃げるのを捕まえて、目の前の彼女に集中する。
「あんたに関係無いでしょ。」
「しかし千谷秋翠本人には関係がある。」
「あんたが聞く必要ある?」
「彼が孤独を強いられる理由を聞きたい。」
「だから、アレと関わったら嫌なことしかないって言ってるでしょ。」
「君にはどのような『嫌なこと』があったのかな。」
「どうでもいいでしょ!!」
「いいや。具体例が聞けないことには判断しかねる。先程も言った通り僕は千谷秋翠と関わって不利益を被ったことがない。だから一方的に関わるなと言われても承諾できない。」
淡々と事実だけを告げると、彼女は黙ってしまった。場合によっては、同じやり取りを繰り返すことになりそうだ。事実確認のため、僕はゆっくりと聞く。
「千谷秋翠のこともよく尾行しているのかな。」
「そうよ。」
「彼と仲良くし始めた人間に僕と同じことを言っている?」
「そうよ。」
「相手が言うとおりにするまで?」
「そうよ。」
「そうかい。」
「だから、あんたも二度とアレに関わっちゃダメよ?わかった?」
「拒否する。」
「ハア?」
首を左右に振ると、彼女の表情に怒りが浮かんだ。僕は再度、同じ内容の話をする。
「君の意見は一方的過ぎる。具体例と証明がないことには行動できない。だから僕は千谷秋翠と関わるのを止めない。以上だ。」
「~~~~~~~~~っぁあああああああああああああ!!なによなによなによなによなによ!黙って私の言うとおりにすればいいだけなのに!!どうしてそんな簡単なこともできないの!!」
突然の金切り声。彼女はハンドバックの中から包丁を出して、がむしゃらに振り回した。確かにこのような人間が近くにいれば、誰しも精神に異常をきたす。秋翠が外で僕と話そうとしなかった理由、そして人間性の無さの原因がはっきりした。人間関係の話を避けるのは、彼女によって破壊されてきた過去があるから。彼女をどうにかしない事には、千谷秋翠は人間になれない。
怯むことなく黙っている僕に、痺れを切らした彼女が襲いかかる。包丁を避けながら近付いて、彼女の腕を掴んだ。
「え、なに、」
力が抜けて地面に膝をついた彼女の耳元に、囁きかける。
「──“静かに家に帰れ”。」
「…………。」
僕の“指示”を受けて、彼女は黙って立ち上がった。そのまま、ふらつきながらも静かに去っていく。彼女の後姿を見送りながら、僕は以後の行動を考えていた。




