邪神、撤退する。
それが『悲鳴』だと認識するのに、数秒を要した。
泉の中央に立つ少女が、頭を掻きむしり身悶えている。
「──────ないで、見ないで、見るな、見るな、見るなミルナミルナミルナァァァアアアアアアアアアアアアアア!!」
意味の無い悲鳴が、明確な懇願に変わる。何もかもを否定する、全てを突き放すような慟哭。発狂しながらも、ハッキリとした主張。
突然の出来事に、唖然とする。
「走れ!」
判断に迷って動けずにいた俺の腕を、クロが強く引いた。反射的に、来た道を逆走する。直前まで立っていた場所が、爆ぜた。少女自身は追ってこないが、目に見えない“何か”が凶器として向けられている。
明確な殺意に、俺はがむしゃらに走った。
*
注連縄を越えたところで、悲鳴も懇願も聞こえなくなった。同時に、見えない追撃もなくなる。息を整えながら振り返るが、暗い洞窟はシンと静まり返っていた。たった今の出来事が、幻だったかのように。
「あの場から動く気は無いようだ。」
全く乱れていない声で、クロが淡々と言う。カズラさんも少し息を乱しているが、俺ほど消耗していないように見える。命の危機に晒された人間としては、二人の人外の冷静さが少し羨ましい。
「はぁ…………原因は“彼女”で、間違いないのか?」
「うん。今ので確定できた。」
洞窟を見渡しながら、クロはキッパリと断言する。隣でカズラさんもウンウン頷いているので、本当に間違いないのだろう。しかし俺の中では、今見た“少女”の姿が違和感として残っていた。
「あの女の子が、龍神?なのか?」
イメージと違ったせいだろうか、つい確認してしまう。勝手に絵で見た龍の姿や、仙人のような老人の姿を思い描いていた。これは、俺が人間のせいなのだろうけど。
「どうでしょう。神様だから、見た目は好き勝手できそうですが……ちょっと腑に落ちませんね。」
ところが、カズラさんが同意してくれた。驚いて彼女を見ると、顎に手を当てて考える仕草をしている。
「龍神の雌雄まで伝説に残っているわけじゃないから、直感ですけど……。」
「うん。本人ではないよ。」
「「えっ」」
またしても、クロが短く断言した。
「今の“攻撃”を見た限りでは神通力を受け継いだ子孫と推測できる。生まれは人間の気配がした。可能性として挙げられるのは“先祖返り”かな。」
「あの一瞬で、よくそこまでわかったな。」
「“解析”“解明”も僕の怪異としての性質だからね。」
「こういう時のクロノさんって、本当にチート~…………。」
感心する俺の隣で、カズラさんが若干引き気味にぼやく。付き合いは長いみたいだが、ついていけないところもあるらしい。いや、俺も全然ついていけてないが。アッサリと本質を見抜いてしまうのは、どこか恐ろしくもある。同時に、クロほど頼りになる存在もない。
「えぇっと…………龍神の子孫が、先祖返りで持って生まれた力によって、呪いを振りまいている?」
「現状はそうだね。」
「わからないのは、何で最近になって突然?ってところか。」
「うん。行方不明事件の原因はわかった。でも何がキッカケかがわからない。」
数秒の沈黙、落ち着いて先程の少女の言葉を思い出す。悲鳴、懇願、慟哭…………その全てを。
「────見ないで、って……言ってたよな。」
「はい。とにかく誰にも近付いて欲しくない、ってカンジでした。」
「誰にも近付いて欲しくなくて、山に入る人間を殺している?」
「極端だが根底の理由ではある可能性が高い。」
「何を調べるべきか、決まったな。」
洞窟に掘られたもう一つの道、並ぶ襖。
今度こそ情報を得るべく、俺達は二回目の調査に乗り出した。