一冊、一人を見つける。
https://monogatary.com/mypage/episode_list/100441/1
こちらに上げた小説を、修正を加えて投稿していきます。
主人公2人の出会いの物語です。
『千谷秋翠』のことは表情の無い人間と記録。
とは言え、感情が表に出ない人間は多く存在する。数十年生物としての人間を見てきて、感情が出にくい質の個体には多く出会ってきた。しかし、完全に隠せてしまう人間は『千谷秋翠』が初である。表情筋の動きが極端に少なく、「能面のような顔」を絵に描いたよう。先述の通り『感情が無い』と断言しうるほど、彼の表情は微動だにしない。
僕は、機械のように『口だけ』を動かす男の目から感情を読み取ろうと試みた。いかに表面に出ていなくとも、経験則で片鱗を見ることは可能だと考えた。しかし、泥水に浸かったような眼は、濁りきって何も見えてこない。人間はここまで『無感情』になれるものなのかと、感心すらした。
*
『千谷秋翠』と最初に出会ったのは、行きつけの喫茶店。
駅の西側、古びた雑居ビルの群れをかき分けて、地下への階段を下りた先。年中冷めた空気が満たす場所に、その店はある。立地ゆえにいつも客は少ないが、常連に愛された店。仕事がひと段落したらここで一服するのが、僕の習慣。仕事がない日も、ここで一日の殆どを過ごしている。
珍しく常連でない人間が現れたのが、数日前。客ではなく、捜査のために立ち寄った警察官。近所で起きた事件の捜査をしていた彼こそが、上記した人間。
読みは『センヤ シュウスイ』と発音。
*
「あの刑事さん、また来ますよ。今度はプライベートで。」
「根拠は?」
「ありません。」
マスターがコーヒーを淹れながら、自分の勘を述べる。僕は『仕事』で迷い猫を一匹、飼い主の元へ帰したところ。オープン当初から変わらない味のコーヒーを啜り、あの動じない表情の記録を辿る。昨今の思考回路は、この作業で忙しい。自我を持ってから初めて会った、穴が開くほど見ても感情が読み取れない人間。この興味は、僕が彼にもう一度会いたがっている証明。マスターの言葉は、そんな僕を気遣ってのものに違いなかった。
二口目を口にすると、見計らったように来客のベルが鳴る。
「いらっしゃいませ……おや。」
「……………どうも。」
気まずそうな顔で入ってきたのは、よれたスーツの男。マスターの勘は的中し、僕は観察のために目を開いた。
*
「アーミテージさん、でしたっけ?」
「うん。Crono・Biblia・Alhazed・Armitage。気軽に『クロノ』と呼んでくれ。」
「え、いや、それは…………」
「気が引けるかい?では君は僕のことを『クロ』と呼ぶといい。僕は君のことを『シュウ』と呼ぶことにするよ。」
「さらに気が引けますが?」
仕事ではなくプライベートで来たと言う秋翠に、僕は積極的に話しかけた。声では驚いたり困惑したりしていても、表情はやはり変わらず。初対面の相手に積極的に話しかけられる人間の反応が、顔にだけは全く出ていない。
僕の質問に答えてばかりな状態が気まずくなったのか、次第に秋翠からも質問が来るようになった。
「えーっと……クロさんは、日本語お上手ですけど、日本にどのくらいいるんですか?」
「今日で二年三ヶ月十六日目。語学の習得は率先して行った。人類の一通りの言語は話せるよ。」
聞かれた項目に素直に返答しつつ、改めて彼を観察する。
着古されてよれたスーツ、クリーニングに出した形跡ナシ。安価な革靴には細かい傷、本人の『無頓着さ』が窺える。身長は平均より高く筋肉質、しかし隈が濃く頬だけがこけて不健康な印象。髪の状態も悪く、全く手入れされていない。典型的な『容姿を気にしない人間』と言える。一見すると働き盛りの30手前、どこにでもいるサラリーマン。彼が一貫して無表情であることなど、興味を持って観察しなければ気付くことはないだろう。人間観察を自分に課している僕だからこそ、初対面で気付けた。
「あの、クロさん。」
「なんだい?」
「あまり凝視されると……」
「これは失敬。」
居心地悪そうに身を捩らせた秋翠に、僕はカウンターへ向き直る。こちらを窺う彼の目線は、純粋に疑問を抱いたもの。何故こうも観察されていたのか、彼は自分の表情の無さに自覚が無いのかもしれない。僕はコーヒーのカップを片手に、視線だけ秋翠に戻した。
「君は表情が変わらない。」
「はい?」
「僕に話しかけられて困っているのに眉一つ動かない。」
仮説は正解だったらしく、彼は目を見開いて自分の顔に触れる。表情は動かないので、動作だけで「驚いている」と察することしかできない。
「自覚が無いんだね。」
「…………はい。」
ペタペタと自分の顔に触れて首を傾げる秋翆は、心当たりがあるのか視線を彷徨わせている。そんな人間らしい動作をもっと見てみたくて、僕は秋翠の眼前へ身を乗り出した。
「君がなぜ『無表情』なのか興味がある。」
「な……」
「僕は基本的に毎日ここにいる。君も時間があったら来ればいい。」
後からマスターに「あんな積極的になれるんですね」と言われてしまうぐらい、僕は『千谷秋翠』への興味を止められなかった。
*
思うところがあったのか、その日から秋翠は喫茶店に顔を出すようになった。やはり自らは殆ど喋らないが、質問には答えてくれる。会話を重ねることで、彼の情報も増えた。仕事では泊まり込みも多いが、家に帰らないことは苦ではない。無趣味で物を買わず、最低限の家具しか持ってない。ゆえに狭いアパートの一室でも、不自由なく暮らせている。舌打ちが癖になっており、苛立っていなくても出てしまう。
そして、家族や友人など『人間関係』の話題を極端に避ける。
会い続けるうちに、僅かだが『表情らしいもの』が見えるようになった。しかし『人間関係』に関する話題に対して、秋翠は無表情を貫いている。黙り込んだり、はぐらかすなどの「聞かないでほしい」意思表示。心の中に壁を作り決して踏み込ませない、堅牢な意思がそこにあった。
だが『その先』に彼を無表情たらしめる答えがあるなら、僕としては深入りしないわけにいかなかった。僕は自分でも驚くほど千谷秋翠に興味という執着を持ち、彼に『課題』を見出している。
人間であるにもかかわらず、人間らしさを見せない秋翠。
どうすれば彼が「人間らしく」なるのか。
人間ではない僕にとって、それはかつてなく大きな課題に思えた。人間の真似事をしている僕としては、全く逆の存在である『千谷秋翠』という個体を逃すわけにはいかない。僕は昼夜を問わず、思考回路を課題に費やした。