一人、迷い込む。
「結局、アレは何だったんだ?」
「アレ?」
「見つかった遺体だよ。」
「気にしないほうがいい。」
「…………お前が説明しないってことは、踏み込むな、ってことでいいんだな。」
「うん。」
「じゃあ『特別枠』ってのは?お前も仕事でやってるんだから、そうポンポンとタダ働きするわけにはいかないだろ。」
「金銭的余裕は無いけど助けが必要──そういう『誰か』に渡る名刺をバラ撒いてあるんだ。」
「名刺?」
「今回は淳平君の手元にそれが渡った。だから僕は無償で彼の相談を聞いた。」
「ふーん……便利なもんがあるんだな…………」
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気が付くと知らない場所にいた。
「…………は?」
突然の場面転換に、体中が警報を鳴らす。混乱する頭と早まる鼓動を落ち着かせるべく、一度深く深呼吸。状況を整理するため、記憶を辿ることに専念した。自分の名前、生年月日、職業…………全て、ちゃんと思い出せる。自分のことがちゃんとわかるだけで、少し安心した。それに準じて、ここに来る前の記憶も徐々に蘇ってきた。呼吸を整えながら、俺は今日なにをしていたのか思い出す。
今日は初めて、俺からクロを「行きたい場所がある」と誘った。残念ながら恋人同士のデートらしい場所ではなく、俺個人が過去の憂いを払うための遠出である。しかし、クロは快く「いいよ」と頷き、ついてきてくれた。帰り道に俺が「寄りたい場所がある」って言ったところで、記憶が途切れている。
バシャバシャと水の跳ねる音に、俺は顔を上げた。
目に映ったのは、円形に作られた人工の池。その中で、色とりどりの錦鯉がひしめいていた。大量の鯉は窮屈そうに体をぶつけあい、ビチビチと音を立てる。水の跳ねる音、鯉の体がぶつかり合う音、それらが不気味に合わさって謎の不安感を煽ってくる。
池は十分な広さがあるのに、どうして彼らは身を寄せ合っているのか。疑問に思うと同時に、瞼の無い目が全て俺に向いていることに気付く。口をパクパクさせて、食い物を強請っていることを理解するまで秒とかからない。
餌を我先にと求める群衆が、言い表せない恐ろしさを醸し出していた。
当然、俺は彼らに与えられるものなど持ってない。一歩後退った俺に対し、バシャバシャとした音が大きくなって背筋が凍る。鯉が池から出られる筈もないのに、一歩でも遠くに行かなければという衝動にかられた。
そう、ここは、錦鯉を観察できる施設だった。
俺の実家にほど近いところにあって、懐かしくなって寄ったのだ。
だがこの状況はおかしい。
周りには観光客どころか、職員の姿も無い。そもそも、鯉が餌も持たぬ人間に反応していた覚えはない。
「クロ!!」
咄嗟に、こういう現象に詳しいはずの恋人の名を叫ぶ。返事は無い、はぐれたか。いいや、この施設ははぐれるほど広くない。分断された、と言うべきか。
動かないのは危険な気がして、俺は人工池に背を向けて走り出した。