一人と一冊、目の付け所の話。
「お前が俺ならわかるって言ったのは、行方不明者の『孤独』のことだったんだな。」
淳平君を帰らせ、俺とクロは店に残ってコーヒーを啜っていた。
兄弟姉妹に『比較』は必ずと言っていいほど付随する、一人っ子の俺でも耳にしたことがある通説。他人から『無関心』ばかり与えられていた彼女は、クロに出会うまで味方がいなかった俺と同じ。誰にも出会えず、理解者を得られなかった。
行方不明者には消えたくなる理由があった。
姉が猫探しに消極的なのも、妹との認識の落差から。妹はそのために行方不明になったのに、姉には“どうでもいいこと”のままだった。走海さんにとって大切なものが、家族にすら理解されていなかった。
唯一の支えである愛猫を失い、世を儚んだ……というところか。
「つっても、進展してないっちゃしてないんだが……」
行方不明に『動機』があることは分かったが、それ以外なにもわかっていない。新しい行先の手がかりも、調べるあても。警察官としては、淳平君の話を聞いても何も変わらないのと同じ。
いいや。
そもそも、今回の件は『クロ側の現象』という話だったじゃないか。人間の警察の視点で見たところで、何も進展するわけがなかった。それを思い出して隣に目をやると、クロがいつもの顔で俺をジッと見ている。最近はこの“観察”が減っているものの、やはり少々恥ずかしい。勢いで告白したはいいものの、俺は未だにクロとの距離を測りかねていた。告白した側がこれでは、しまらないというか、立つ瀬がないというか。
「シュウは目の付け所が違うね。」
「えっ」
感慨に耽っていた思考が、一瞬にして現実に戻される。クロの一言で、俺は冷や水を浴びせられた思いをした。
えっ、違うの?わかったつもりで、俺は今までモノローグを垂れ流していた?だったら早めに修正入れておいて欲しかった!!誰か直前1話分のモノローグを修正しておいてくれ!!
軽く冷や汗をかき始めた俺の肩に、クロの手がフォローするように乗った。
「全て間違っているワケではない。走海さんの姉にとって猫がどうでもいい存在であることは正解。だからこそ事件の発端になりえるのさ。」
「…………発端?」
「シュウは優しいから被害者側ばかり見てしまうね。しかし事件において見なければいけないのは加害者側だよ。」
「加害者?」
「ヤヨイが脱走した原因は恐らく行方不明者の姉だ。」
眉一つ動かさず、クロは言い放つ。あまりの躊躇いの無さに、俺は少したじろいだ。
「姉が、わざとヤヨイを追い出したって言うのか?」
「意図的か偶発的かは不明だが今回はどちらでも変わらない。たまたまにせよワザとにせよ『発端』だと想定できる。」
機械音のように淡々とした説明に、俺は身を乗り出して聞き入る。クロが何かを説明するときの声はまるで人工音声で、集中しないと聞き逃すのだ。
「シュウ。人間が猫を飼う際に注意しなければいけない事項がどれ程あるかわかる?」
「えっと……生活環境の準備とか、病院の確認とかか?確か、避妊手術や予防接種とかもあるんだよな…………」
飼おうとしたこともないので、俺にはその程度しか思い付かない。クロは俺の言葉に数回うなずいただけで、話を進める。十分なのか不十分なのかわからないリアクションに、少しモヤっとしたことは秘密だ。
「現代では事故や病気の感染を考慮し室内飼いが推奨されている。世話を担当していた淳平君が対策を怠っていた可能性は低い。そもそも走海さんが行っていた脱走対策が家に残っている方が自然だ。」
「いつも通りなら、ヤヨイが自分で脱走できる筈が無い……?」
「そう。何かイレギュラーが起こるとすれば殆ど世話をしていない他の家族が原因の可能性が高いんだ。」
走海さんが実家を出てから、猫の面倒を見ていたのは淳平君だけ。面倒を見ていた淳平君は、十分に気を付けていただろう。
じゃあ、普段世話をしていなかった他の家族は?
「ヤヨイは、開けっぱなしの窓から脱走したって話だったよな。じゃあ走海さんの両親とか、姉の夫の可能性も同じはずだろ?たまたま窓を閉め忘れたとして、お前が姉に絞る根拠は何だ?」
「己が事件の発端だと自覚した場合に隠す可能性が一番高いのが彼女だからだ。淳平君は窓が開け放たれていたことは見ていても誰が明けたかはわからないと言った。」
「確かにそこは捜索に関係しないから、警察も追及してないが……何で『隠している』って言える?あの一家の誰かが、自分が開けたのを忘れてるだけかもしれないだろ。よくあるうっかり……、…………あ。」
「気付いたかい?それはよくあってはいけない。猫が脱走するかもしれないのだから。」
猫を飼う家として、脱走対策は徹底していたはず。世話をしない家族とはいえ、走海さんや淳平君に口酸っぱく言われていたに違いない。窓の開けっぱなしには気を付けて、ヤヨイが外に出たらどうするの……みたいなことを。数回言われていれば、当然気にする。
それを「うっかり」「忘れている」ほうが、不自然じゃないか。
「誰も「自分がうっかり閉め忘れたせいで」って言わないのがおかしい。猫一匹が逃げただけなく結果的に人間が一人行方不明になっているのに。」
「ちょっと待て、まだわからない。確かに窓の閉め忘れが行方不明事件の発端になったとして、自分が悪いと思ったら隠さないか?捜索の手がかりにもならない、言えば自分が『悪くなる』だけ……誰だって黙っていてもおかしくない。何で姉だけ可能性が高くなるんだ。」
「あの家族の中で彼女が一番周りから高い評価を受けている。」
心身ともに美しい女性、優等生の人気者、できた妻、良き母親。
走海さんの捜索中に聞いた、彼女の姉の評判。行方不明者の捜査なのに、本人の話は殆ど聞けなかった。手がかりの代わりに得られた情報は、ないがしろにされてきた行方不明者の境遇。
「妹が常に低評価を受けるのが当然になっていたように姉は常に高評価を受けるのが当然だった。そんな人間のプライドが低いとは考えにくい。」
「は?…………プライド、だぁ?」
思わず、唸るような声が出た。そうだ、クロはシャーロックホームズのような名探偵じゃない。合理的で理論的な推理ではなく、至って『人間的』な話をする。非人間だからこそ見えている、人間そのものの話を。
「人は一度築いた地位や評価を守ろうとする生物だ。猫を逃がしただけのミスで自分が低評価を受けるのが我慢ならなかった。妹を行方不明にさせた原因と言われたくなかった。だから淳平君の母は自分を守るために今まで以上に猫をないがしろにしているというのが僕の見立てさ。」
「…………そんなことで、猫探しに消極的だったって?それは……妹のことすら、どうでもよさげじゃないか。」
「実際に会っていないから淳平君の反応から判断しただけだけれど恐らく“そう”だね。彼はヤヨイのこと以外で積極性が見られない。今回の依頼もまるで「親に内緒で悪いことをしている」ような態度で親の『過干渉』が見て取れる。つまり淳平君を育てた人間は自己評価および自尊心が高い。彼の話でヤヨイは「走海さんと淳平君以外に近付かない」と言っていた。懐かれないことにプライドを傷つけられたと感じておかしくない。ここが『意図的』の可能性もある理由だ。」
「たったそれだけの?そんな理由で?」
「君も「そんな理由」で青春を握りつぶされた人間だろう?」
当然のことのように言われ、心臓が止まりそうになる。クロに救われるまで俺を踏みつけていたあの女と、行方不明者の姉は同類なのだろうか。だとすれば「シュウならきっとわかるよ」の意味が本当に違ってくる。
本当に俺は、見当違いの方向を見ていたのか。
「あんな人間が、この世に二人といてたまるかよ…………」
「二人どころか何百何千といるのを僕は見てきたよ。累計で言えば万を超える。掃いて捨てるほどいる。腐るほどいる。悲しい現実というやつだ。」
「本当にな……………………」
何十年と世界を見てきたクロが言うのなら、その通りなのだろう。
「では君の目の付け所の話は終わりにして事件の話に戻ろうか。」
「できれはそっちを先にして欲しかった………。」
今までの話は「人間の表面だけ見るな」という、クロの説教だったらしい。長かったが、こいつなりに「二の舞」を防ごうって思いやりだろう。甘んじて受け止めている間に、クロは冷めたコーヒーを飲みほす。
「走海さんの境遇。ヤヨイが外に出る隙。探しに出た走海さん。全ての条件が重なったから起きた────猫による誘拐事件だ。」
「猫による……誘拐?」
続きは、店を出てからになった。




