一人と一冊、比較の話。
そういうことか。
理解して、腑に落ちた。自分でも驚くほど冷静だったのは、心のどこかでわかっていたからなのか。それを、感情論と切り捨てていたのか。仕事に“私情”を持ち込まないのは当然としても、俺は“感情”まで無視していた。証拠にならないと、物証ではないと。
この世には、一時の感情が発端の事件で溢れかえっているのに。
情けない話だ、みっともない話だ。
クロが「君ならわかる」と言ったのは、拠り所の無い『孤独』のこと。クロがそう語るのであれば、精神面・感情論での話に違いない。俺は、資料との睨めっこするのに囚われていた。事件は現場で起きている、ということ。
何て醜態、相手がクロでなければ愛想をつかされている。長いこと自分の感情を無視していたせいか、他人の感情にも鈍くなっていた。せめて事件関係者の感情くらい察せなければ、今後の仕事に支障が出る。
感情論だって、立派な『手がかり』なのだから。
事情聴取を思い出せば、おのずと走海さんの『孤独』は浮き彫りになる。
彼女の職場に、連絡を取り合う相手はいなかった。同僚、先輩、後輩、上司──全員が「仕事以外で会わない」と答えている。聞けば「大人しい人」「優しい人」「普通の人」といった印象のみ返ってくる場所で、手がかりなんて出てこない。
一人暮らしのアパート周辺も似たり寄ったり、特記すべき事項は無い。
実家周辺での事情聴取、誰かが「姉のほうなら気付いたのに」と言った。誰も彼もがまず、姉の話をした。次女の存在は知っていても、顔もよく覚えていないと口を揃える。どれだけ周辺を歩き回っても、結果は変わらない。
最終的に、両親ですら「心当たりはありません」と言い切った。猫を探しに行ったんだから、猫がいるような場所に行ったんじゃないか云々。当然と言えば当然の意見だが、親としてこれほど薄っぺらい言葉は無い。
姉も、同じようなことを言っていた。協力的な態度ではあったが、妹についてあまり知らなかったのだろうか。姉の夫に関しては、ほぼ何も喋っていないに等しい。
そして今、やっと、甥っ子の口から走海さんのことが語られている。初めて、事件の核心に迫りそうな話が出ている。この“やっと”が、異常なのだ。
「僕は、祖母の口から叔母のことを聞いたことがありません。若いころとか、そういうのじゃなくて……最近どうしてるだろう、みたいな、気にかけるような言葉を。」
我が子が一人暮らししているのなら、当然出るような言葉。
「その違和感に気付いたのは、叔母さんが居なくなってからでした。祖母が言ったんです、あの子のほうなら、まだ……って。」
「その時に気付いたんだね。」
クロに言われて、淳平君はゆっくりと頷いた。まだ、何だったのだろう。続きの言葉は、怖く聞けなかったみたいだ。そりゃそうだと、俺は同情する。今まで気付かなかったことを、淳平君はひどく申し訳なく思っているらしい。祖母の言葉が無ければ、走海さんの母親の何気ない一言が無ければ、彼も気付かなかったかもしれない。
「家では誰一人として、叔母に興味を持ってないんです。優しくて、一生懸命な、叔母のことを……僕も含めて、誰も知らない。」
親の中で、姉妹に『優劣』がついている。妹のほうならまだ、じゃあ姉のほうなら何だと言うのだ。結婚しているから?子供がいるから?一緒に住んでいるから?どういうつもりで出た言葉なのか、続きを知ることはもうできない。けれど、淳平君の心に確かに引っかかった。
決定的に家族の『よくないところ』として、彼の目に映った。
「刑事さん、探偵さん。叔母はもう…………この世にいないかもしれません。ヤヨイと一緒に………………」
淳平君から話を聞けたのは、ここまで。