2.スライム
いつもと変わらない日常だった。
朝起きて、二人分の朝食を作る。自分と親代わりの神父様の分だ。
朝食を二人で食べたら一日の仕事が始まる。
神に祈る。洗濯。村の子供たちへ読み書きを教える。信者の話を聞く。等々、小さな教会でもやることはいっぱいある。
少女と神父は今日も一日せわしなく働いていた。
そんなとき一人の男が教会に駆け込んできた。
「し、神父さん……!」
やってきたのは村で一番の大男だった。
普段から村の力仕事を自分から請け負っている人だ。若い男たちのリーダー的存在で、モンスターが出たときは彼らが追っ払ってくれていた。
少女が覚えている限りでは、彼は常に自信にあふれた顔をしていたはずだ。
それがどうしただろう。今はそんな普段の表情は見る影もない。文字通り顔面蒼白というやつだ。
何があったのだと、神父とともに彼に近づくと、震える声で彼は言った。
「ス、スライムたちが……! このままじゃ手が足りない、手伝ってくれ!」
数週間前からこの村はスライムに悩まされていた。
村はずれの畑に一匹現れたのが始まりだった。
最初のうちは若い男たちが追い払うか、鍬で叩き潰していた。
しかし、日が経つごとに段々とやつらの数は増えていった。
困り果てた村が冒険者ギルドに依頼を出したのが四日前。はやければ今日の午後に冒険者が派遣されてくるだろう。
「……わかった、すぐに行こう」
神父の言葉を聞き大男はすぐに出て行く。スライムの元へ戻ったのだろう。
神父は神妙な面持ちで、自分の部屋へと戻っていった。
「私も行きます!」
戻ってきた神父に、威勢の良い声が浴びせられた。
声の主は聖衣を纏い、両手杖を小さな両手でギュッと握りしめた少女だった。
生まれてまだ間もない頃、彼女の両親は流行病で亡くなった。それから神父は教会で自分の娘のように育ててきた。
──いい娘に育ってくれた。
神父としては娘を危険なところへは連れて行きたくはない。しかし大男がわざわざ呼びに来るなど、よっぽどのことだ。
少女は齢十五にして魔法を扱える。
ヒールだけ使うのであれば、一日で五度も使える。同年代でも優秀な方だろう。
少女が手伝ってくれるなら楽になるだろう。
神父は少女を連れて行くことにした。
現場には三十匹ほどのスライムがいた。
畑は食い荒らされ、農具を仕舞っている木造の物置も囓られている。
「えいっ!」
少女は男たちに混ざって、両手杖をスライムに叩きつける。
叩きつけるたびに、ぱちゅんと音が鳴り、不思議な弾力が手に返ってくる。
少女の力であっても数度叩けばスライムは倒せる。倒せてしまう。
これなら何とかなる。そんな思考が少女の頭をよぎる。
「う、うわぁっ! は、はなせっ!」
一人の男が声をあげる。
見るとスライムが男の手にくっついていた。
バリッと大きな音が鳴る。
「う、ぐぅぁっ、ああああああああああああ!」
男の大きな悲鳴が辺りに響く。
周りの人たちが怯えながらも、急いで男からスライムを引き剥がす。
ヒールを使うため少女が近寄ると、肉の焦げたような不快な匂いを感じ取る。
男の右手をみると、小指の第一関節辺りまで喰い千切られており、断面は爛れていた。そこから血がだらだらと流れ出ている。
「『ヒール』……!」
少女の魔力が杖と呪文を介して、現実を改変する。
時間を巻き戻したように、男の小指が元に戻る。傷跡も残っていない。
こんなことを数時間繰り返した。
しかし、まともな装備もない、ただの農民たちが戦い続けられるわけがなかった。
それまでよりも一回り大きなスライムが現れた。
そのスライムは大きく跳躍すると、大男の頭に喰いついた。大男の頭はすっぽりとスライムによって覆われた。
スライムごときに、と大男は奮起するも、そこに他のスライムが殺到する。
大男の全身は、瞬く間にスライムたちによって埋め尽くされ、農道の踏み固められた土に倒れ込む。
全身のいたるところを痛みが襲う。首の辺りからミシミシと音が聞こえる。
──まだ、死にたくないっ……!
大男は力仕事で鍛えた腕を振るう。
まるで子供が癇癪を起こしたときのようにじたばたと暴れる。
しかしそんな抵抗空しく男は動かなくなった。
周囲の人たちも次々と襲われていく。大男に構っている余裕はなかった。
気がついたときには既に大男の姿はなかった。
スライム達に一欠片も残さず食い尽くされてしまったのだろう。
その事実に気づいた少女は恐怖に包まれる。
思えば先程から人の数が少なくなっている。大男だけでない。喰われているものはもっといる。
「逃げなさい!」
恐ろしい事実に気がつき呆然とする少女。その少女の背中が突然押される。
突然の衝撃に驚きながらも振り返ると、視線の先にいたのは聖衣を纏った老人。だけではなかった。
神父はスライムに襲われていた。
右腕は肩から先がない。両足は血だらけ。何故立っているのか、意識があるのかが不思議なくらいだ。
どうしてこんなことになったのだろうか。ただ細々と生きていただけなのに。
そんなことを考えながら神父にヒールを使う。
「ぐぅううっ! は、はやく逃げなさいっ!」
塞がった傷口はすぐにスライムに喰われる。ヒールを使っても意味がなかった。
神父の言葉は無視していた。親代わりの人間を見捨てるなんて事は心優しい少女にはできなかった。
「お願いっ! やめて!」
神父に群がるスライムに向け杖を振る。
何匹潰してもスライムは減らない。むしろ増えていく。
「おねがい、おねがいだから……」
神父の体が無くなっていく。
「……だれかたすけて」
少女の消え入るようなか細い声は誰にも届かなかった。
──冒険者はまだ来ない。