第3話 研究
「何でもない」
「それでは、歩く練習を少ししましょうか」
メイド長に両手を持ってもらって、立つ。少しふらつくが、特に問題はないな。
「大丈夫そうだね」
「はい。ではお嬢様。右足を前に…そしたら次に左足を前に出してください」
体が固まってるから仕方ないが、結構これ恥ずかしい。
一歩ずつ踏みしめて、メイド長の指示に従って歩く。10歩も経たないうちに、体が悲鳴をあげて俺は軽く顔をしかめた。
「マリア…?」
その様子に気付いたのか、ルアに声をかけられる。
俺は少し笑みを浮かべてルアに寄り掛かるように倒れた。足ががくがくして完全に力が抜けてしまう。仕方ないけどな…。
「だ、大丈夫…じゃないね」
「――練習はここまでにして散歩しましょうか。お嬢様、私とルア様。どちらに抱っこしてもらいたいですか?」
メイド長に抱かれながら、そう聞かれて少し困惑する。まぁ、どっちでもいいんだけど。
「ルアおばさんが良い」
「かしこまりました」
メイド長からルアの腕の中に移動して、俺は少しルアの体に寄り掛かって脱力する。疲れた…。
うとうとしながら、散歩が始まる。俺は抱かれてるだけだから歩かないが、抱かれてる分視界が上になるおかげでいろいろと観察出来て意外と楽しい。子供が親に抱かれてはしゃぐのは自分が見る視界より高くなって新鮮だから…なのかもな。
「そうだ。どこか見たいところとかある?私はちょっと研究室になってる温室覗きたいんだけど」
「私は特にありませんし、お嬢様は起きたばかりなので…。庭に出るの、今日が初めてですよ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、温室行こ」
温室って…。ていうか、研究って言ってたよな。
この庭に生えてる植物の半分以上が薬草だから、温室で育ててるとしたら薬草だろうし。だとしたら、研究は薬草関連だよな。それは行ってみたいかも。
「温室…ですか。十年ほど前にルア様の誕生日にプレゼントされたものですか」
「そうそう。あ、メイド長知ってるんだね。今は学校で同級生だった友人に、研究室として貸してるんだ。何やってるんだろ、今は」
ルアはそう言って、少し寂しそうな表情を浮かべる。
俺はその表情を見るのがつらくて、庭の方に視線を移した。夜明けごろに雨が降ったのか、草につゆが付いててキラキラとしている。きれいだな。…もう午後なんだけど、乾いてはいないのか。
「――レイ様も研究がお好きでしたね。薬草の栽培施設を作って、ポーションの作成と効果についてずっと調べていると聞きました。この庭よりも数が多いらしいですね」
「…そう、だね。レイの家はまだそのままにしてあるし、妹ちゃんしか入れないから私も詳しいことは知らないけど」
そういや、あの部屋物でごちゃごちゃしてたな。今度行く機会があったら、手紙か何か置いて片づけてもらうか…。
「そろそろ、レイがいなくなって十年か。ほんとに時が経つのは早いわね」
「レイ…?」
「あ、マリアちゃんは知らないか。この世界を救ってくれた英雄で、氷龍を狩りに行って行方不明になってるの。一緒について行った人は、死んだって言うんだけどね」
本当に死んだんだけどな。って言いそうになるのを必死に飲み込む。…でも、生きてるって思われてるのもどこか虚しいな。俺はここにいるってのに。
「あ、ここだ。おじゃましまーす」
「失礼します」
温室の中に入ると研究している机と薬草のにおいが来て、俺は顔を軽くしかめる。
えっと…これどういう状況だ?研究してるにしては、薬草のにおいが強すぎる。それに、このにおいは催眠系のにおいだよな…。使う量次第では死ぬ危険のある薬草ではないと思うが、においだけだと種類まで判別できないのがなぁ。
「あれ、ティルは?毎日閉じこもってるって聞いたんだけど」
「ルアおばさん、後ろにいるのは?」
「え、後ろ?」
ふと気配を感じて俺は瞬間的に結界を張る。そして、しばらくしないうちに結界の壊れる音が聞こえた。耐久低くなったな…そこまで相手の火力が高いとは思えないし…。
「…ダメか」
「ん?てか、この攻撃はティルじゃない?」
「正解」
ルアの質問に対し、短く答えて姿を現したのがティルって呼ばれている奴か。
ズボンに白衣という研究員の正装だけど、手に持ってるの剣…だよな。物騒すぎるだろ。
「ルア、次来るときは事前に連絡入れて。また、魔術協会が来たかと思って警戒したから」
「あ、ティルのところに来たんだ。最近街でもよく見かけるんだよね…何してるんだか」
「詳しくは聞いてないから知らない。んで、後ろにいるのとルアの抱いてる子の紹介お願い」
魔術協会…ここに来る前に会ったやつらもそうだってメイド長が言ってたっけ。
後、ティルのスルースキル高いな。まぁ…ルアと一緒にいて慣れればああなってもおかしくはないけど。
「あ、そうだった。えっとね、この子は姪のマリアちゃん。んで、メイド長のエル。中庭の散歩の途中で、寄っただけ」
ルアの紹介に、メイド長が軽く会釈する。俺はさっきからずっとティルに見られてて、身動きが取れない。変に動いて怪しまれたくないから…と言うか、初対面のはずなんだけど。
「マリアにエル、ね。ん、自己紹介した方が良いか。私はノイ・ティルピーク。こいつはティルって呼んでくるけど、できればノイって呼んでもらえると助かる」
「よろしくお願いします。…それで、ノイ様はここで何の研究をしていらっしゃるんですか?」
疑問に思ったのか、メイド長がノイに質問する。確かに、薬草が大量にあって何故か調理器具一式揃ってるし…ここで寝泊まりしてるわけではないだろうが。
俺がやってた研究とは真逆の方向な気がするけど。
「料理と薬草の関係性?詳しくは聞いてないから分からないけど、料理に薬草を混ぜて作ったらどんな効果が得られるのかってことを私は調べてる。毎日三食薬草入りメニュー食べて効果見てるからすっごく疲れるけど」
そう言って、ノイは軽く肩をすくめた。
料理関連となれば結構時間かかるし、結果出ない度にまとめたりとか嫌になるよな…。
薬作るときは、薬草の特徴と作りたい薬の特徴書きだして、そこからどれぐらいの量で作ると良い感じに効果が出るのか調べて。そう考えると、料理の方はお腹との相談になるからそっちの方が大変なんだろうか。
「なるほど。それでは、ノイ様はここで寝泊まりを?」
「いや、王が空き部屋とか風呂とか提供してくれたからそこで寝泊まりしてる。ぶっちゃけありがたい」
王ってことはカイトか。あいつ、お人よしだって事は知ってたけどそこまでだとは…。
と言うか、寝泊まりできるほど部屋数あったっけ。確か、使用人のほとんどが別館で生活してるって聞いたけど…。あれ、本館と別館どっちで生活してるんだろ、ノイは。
「ティルの部屋ちゃんと用意してくれてるんだ」
「うん。夜戻って朝早くこっち来るから、城で住んでる人のほとんどは知らないと思う。身の回りのことやってくれる人がいるらしいけど」
「興味もう少し持ってあげようよ…。あ、そうだ!私しばらくここにいるから、今度一緒にお風呂入ろ。で、同じ部屋で寝ようよ!」
ノイの言葉に思いついたのか、ルアはそう提案して目をキラキラと輝かせる。
食事は研究の関係で一緒に出来ないけど、そういうことは出来そうだな。なんとなくだけど、ノイは優しい性格だと思う。だから、友人の頼みを断らないと思うんだが。
そんなことを考えつつ、ノイの顔色をうかがう。俺としては、友人と一緒にいられるときは一緒にいた方が良い。悲しい思いをしたくないなら、な。
「――はぁ。良いよ。お風呂入るときに、呼びに来て。きっとこの温室にいると思うから」
少し悩んだ後、諦めたようにノイはそう言って苦笑いする。その後に「仕方ないな、ルアは」って小声でつぶやいてたけど。
「やったー!んじゃあ、メイドに準備とかしてもらわないとね。後で頼んでおくよ」
「お願い。んで、散歩は良いの?用事があって帰ってきたなら、散歩の邪魔されそうだけど」
「あ、確かに。まだ見たいところあったし。それじゃ、夜楽しみにしてるね」
「おけ」
軽く手を振って、温室を後にする。外に出て自然のにおいをいっぱい吸って、俺は脱力した。結構力が入ってたらしく、体が痛くなってしまった。まぁ、あんなにおい嗅いでれば仕方ない反応だけど。
「それじゃあ、噴水のある中央に行こ。花が咲き誇る時期だと、すっごくきれいなんだよね」
「噴水…」
「良いかもしれませんね。あの場所は本当に素敵ですから」
メイド長が言うって事は本当にきれいな場所なんだろうな。ルアもテンション上がってるようだし、下手に水を差さないでおこう。
「お嬢様もお気に召す場所だと私は思いますが」
「…行かないの?」
メイド長の言葉に、俺は軽く首をかしげる。行くもんだと思ってたけど、何か事情でも?
「そうだね。早く行こっか。いつ呼び出しかかってもおかしくは…」
あ、メイドが一人近寄ってきた。てことは散歩はここまでか。少し寂しいけど。
そう思いつつ、ルアの顔を見あげる。いやそうな表情と言うよりかは想定外の事が起きてて、困惑している感じだな。
「――ルア様、お父様が謁見の間に行くようにと」
「おけ。何人か使用人呼んでくれる?手直ししてから、謁見の間に行った方が良いはずだから」
「かしこまりました」
話し合いって雰囲気ではない。謁見の間で何が行われるかは分からないが、その後には教会の方に顔を出すことになるんだろう。だが、ルアは堅苦しいの苦手だ。とはいえ、父親がそれを知らないはずはない。必要な行動の一つって訳か。
「はぁ…行ってくるわ。夕飯一緒に食べようね」
「はーい」
「行ってらっしゃいませ」
俺とメイド長の前で軽くため息をついて、ルアはメイドの後をついて行った。すごく後姿が寂しそうに感じるな。
「さて、どうしましょうか。お嬢様、噴水見に行きます?」
「…ううん。ルアおばさんと一緒に見に行きたいから、今日はいいや」
「分かりました。それでは、部屋に戻りましょうか。…おやつ用意してもらいますか」
庭の散歩を中断して、自室に戻る。途中で調理室によって、おやつと飲み物を頼んだ。おやつは初めてだから何種類か用意してくれるらしい。好きなのがあったら、メイド長に伝えてくれとのこと。
まあ、甘味系はそこまで好きじゃなかったから興味はわかない。転生して好みが増えたとか変わったとかっていう可能性はあるけど。
「椅子と机を用意して。後、食後に読書用の本を用意してもらえるかしら」
「かしこまりました」
入口付近で待機していた数人の使用人に次々と指示を出すメイド長はすごいなと思う。でも、それ以上にその指示に合わせて細かく分担作業の指示を出す執事もすごい。
あ、そういえば。ルナはいつ帰ってくるんだっけか。今は魔法の修行中だろうけど…。
「それでは、準備が終わるまで少し待ちましょうか」
「うん。あ、名前…エル。だっけ?」
「はい。そう呼んでもらって構いませんよ」
メイド長…ではなくエル。まぁ、こっちの方が良いな。さて、おやつはなんだろうな。
「ねえ、エル。おやつってどういうのなの?」
「そうですね…。そろそろ準備が終わりそうですし、実際に見てみたらいいかと。すっごくおいしいんですよ」
そう言うエルはにこにこして、「食べれば誰でも虜になるはずです。お嬢様も虜になりますよ」と追加で言ってきた。そうは言うけど、俺はそんなに甘いもの好きじゃないんだよな…。
まぁ、そんな反応を示すエルは甘いものが大好きなんだろうなと思う。
「部屋に入りましょうか。楽しみですね」
入口と真逆の方を向いて待ってたから、何があるのか分からないんだよな。
いいにおいはしたしと思いながら、エルに抱かれたまま部屋に入る。机の上には、小さく切り分けられたお菓子が少しと、飲み物が用意されていた。
「これが…おやつ?」
一応確認と思ってエルにそう聞いてみると、エルは少し黙った後静かに首を縦に振って肯定した。
「少し量が多くて困惑しましたが、間違いはないですね」
「早く食べたい」
「分かりました」
催促して、椅子に座らせてもらう。ちょっとどんな味か楽しみだな。前世で見たお菓子の何倍もおいしそうに見える。後、においもいいにおいでお腹が少し空く。
「それでは食べましょうか。何から行きます?」
「全部?」
エルの質問に、どれからでもいいという意味で全部と答えてみる。エルは少し苦笑いした後、クッキーを口に運んでくれた。
「これは、紅茶味のクッキーですね。昨日出ていた紅茶をおいしそうに飲んでいたのでお口に合うかと」
「――おいしい」