第32話 救いの手
ハルマが部屋から出ていくと、ランブは妙に本沸かした気持ちになっていることに驚いた。
どうやら彼の微笑みに癒されていたようだ。最近はドタバタしていて、カズヤもあまり笑うこともない。もちろん和也が笑わなければ、ジュンガもコウリンも笑わないから、なんだかあんな新鮮な笑みは久しぶりだった。
もっともこの状況で笑えるなんて、何も知らないか、かなりの無関心か、この状況を喜んでいるかのどれかだ。そんなに器用な奴なんていない。
「おれ、疲れたわ。…早く起きてよな、兄ちゃん」
暗い表情になりながらも、思いを込めながらエンブの頭をなでる。昔は反対の立場だったろうから、さらに心を込めた。今までの感謝の思いを。
エンブは規則正しい吐息を立てながら、ぐっすりと眠りについていた。
ふとランブは眠気を感じる。昨日からそんなに眠ってはいない。もうそろそろ夕飯の時間だろうし、今日ぐらいはぐっすり眠っておこうと思った。
今日ぐらい、怒らねぇよな?
兄ちゃん。
「どうした、レント」
「…カズヤ」
夕飯を食べ終わった後、レントは難しい顔をしながら廊下を歩いていた。実は食べている時からこの調子だったのを和也は見ており、早速声をかけてみる。…のだが、いまいち反応が悪い。
「まさか、双子のことでも考えているのか?」
和也が眉をひそめながら強めに言う。そんなことを考えていても、この関係は時間が経たないと直らないような深いモノだ。彼が考えても、余計彼自身がまいってしまうだけ。
けれどレントは笑いながら首を振った。まだぎこちない笑みだが、ちゃんと心から笑っているのを見ると、どうやら無理はしていないようだった。
「あの、ハルマのことが不思議で」
「ハルマ?」
「ここ最近は、あんまりモンスターが出ていないような気がするんだ。…もともとあのモンスターは、束縛者が自分の身を守るためと、主人公、というか全ての敵を倒すため、あるいは自分たちの所へおびき寄せるために生み出す、束縛者だけの力だ。まぁ、俺は他の束縛者とは違って、人間以上の暗殺能力を持ったから、モンスターを生み出す力は持っていないんだけれど」
どうやら普通の束縛者以上の強い力を持つと、モンスターの力を持つ必要ないからか、その力は持たないらしい。
「で、最近は和也が束縛者を解放しているから、残るは4人になった。残り4人は普通以上の特殊な力を持っているから、モンスターを生み出す力は持っていない。…じゃあなぜ、彼はモンスターに襲われて怪我を負ったのか。本人はモンスターとは言ってないから、もしかしたら人にやられたものかもしれない。それか自分で……」
「なんで自分でやる必要が?」
「何か重要な理由があるのかもしれない」
レントの言っていることは正しい。束縛者だった者の意見だ。残る4人が強いということも本当なんだろう。…ハルマはなぜあんな怪我を負ったのか。もしかしたら、何か束縛者と関係があるかもしれない。束縛者に偶然出会ってしまい、襲われてあんな怪我を負ってしまったのか。
「後で聞いてみる、か」
「カズヤ?」
「ん?」
よし、と思った和也をレントが呼びとめる。彼はまだ難しい表情をしていた。
「人を疑うことも、覚えてくれよ。俺に対してもあんな風に同情して、俺は揺さぶられてしまったが、それでも殺すことをやめないような、残虐な者だっている」
彼の眼は、やっぱり真っすぐで強い光がこもっていた。
「お前は優しすぎるんだよ、カズヤ」
満腹になったとたん、ぐぐっと眠気が襲いかかってくる。ランブは自分の部屋のベットにな転ぶと、あっという間に眼を閉じた。体が吸い込まれそうな感覚を感じて、本当に眠かったんだと改めて感じる。
何かを考える余裕もなく、いつの間にかランブは眠りについていた。
そこは暖かいところだった。
ランブは大切な3人を目にしていた。
2人はもうこの世にはいない、両親。
1人は深い眠りについている、兄。
なぜ、という考えも忘れて、ランブはがむしゃらに3人の元へと走り出していた。
「父さん!母さん!エンブっ!!」
呼びかければ、母は笑って両手を広げて待ってくれる。父は男らしい笑みを浮かべながらランブを見つめる。兄は相変わらず優しい眼をして、笑顔でいてくれる。
それがランブにとっては、本当に嬉しかった。
今、この時間は至福の時だった。
どすっ。
鈍い音がして、3人が倒れる瞬間までは。
彼らの背には刀が深々と刺さっていた。じわじわと地面に血が広がっていき、それはランブの足元まで来た。それでもまだ、血は流れるのをやめない。
悲鳴を上げて、これを全て忘れ去りたい。
けれどそんな時間はなかった。
がしっと力強くランブの足を握った者がいた。骨が折れるんじゃ、という痛みに耐えながらもランブは、その握ったものを見ると…、母だった。ランブは短く悲鳴、というか呻き声をあげる。
「ランブ、私たちってオヤコよね……?だったら1人だけ残ったりはしないわよね?」
「1人なんてかわいそうだ。ほら、どんな時でも一緒だろう?」
両親が優しい声で呼びかけても、ランブにとってのそれは酷く醜い呻き声に聞こえた。けれどそれは、両親が本当に死んでしまったときも思っていたんじゃないか。そう思うと、その握っている手を振り払えない。
「ランブ」
「っ!!!!」
エンブだ。
兄ちゃんがおれに何かを言っている。
ランブは恐怖心を振り払いながら、ゆっくりとエンブの顔を見た。
――――――彼は白目をむいて、死んでいる。
「ぎゃあああぁぁああぁぁぁぁああああぁあぁあぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁあっ!!!!」
今までの人生で一番大きな声だった。
いや、これは本当の出来事ではない。でももしかしたら、このまま兄ちゃんは目覚めなくて死んでしまうかもしれない。
こんなことになったのは全部自分のせいだ。
自分がずっと気づ付いて、見て見ぬふりをしていたから、こんなことになった。兄ちゃんはそうしたかったけれど、俺がこんな風だからしなかった。ちゃんと現実を見て…、こんな目に遭ったんだ。
正しいことをした人たちが、自分のせいで傷付いて行く。
そんなのおかしい。
全部全部全部全部、自分のせいなんだ。
壊れたかのように、彼の頭の中には謝罪の言葉しか浮かんでこなかった。
謝っても謝っても謝っても、許してくれることは一生ないように感じた。
だったら、自分がおんなじ目に合えば、おあいこってことで許してもらえるだろうか。
両親たちの背に刺さる刀三本を、全部自分の背に突き刺してしまえば。
ランブはそう思うと、いてもたってもいられずに、刀へと手を伸ばした。
世界が一瞬揺れる。
彼の手を、強く握って止めた者がいた。
「伝えたいんだろう?その気持ち」
ランブは眼を見開いた。まさか彼が止めるとは思っていなかった、というかなぜ彼がここにいるのかが分からない。
手を握っているのは、レントだった。
レントの眼がいつもと同じような強い光を宿した綺麗な眼。その眼に映るのは悲しみと怒りでくしゃくしゃになっているランブの表情だ。ランブは「なんで」と呟くことしか出来ず、ただ、がたがたと震えていた。
「妙に胸騒ぎがした。だからお前の部屋に行ってみたら無表情で泣きながらベットの上に立っていた。体を触ったとたん、この世界へと来て、お前が刀で体を刺そうとしていた」
「何で助けんだよ?」
「お前たちに何か、償いをしたいからだ」
あまりにも優しく、両親の敵である彼は笑うから、ランブは考えていることがぐちゃぐちゃになってしまう。
「それに、お前たちは何も悪くないんだし。ここまでお前や、お前の兄を苦しめてしまったのは全部、俺のせいなんだ。本当に死ななきゃいけないのは俺。その三本の刀で体を刺さなきゃいけないのは、俺なんだ」
あの時、両親を殺したときには、彼はこんな優しくて切ない表情は一切見せなかった。彼はずっとずっと独りで、自分が味わっている愛情を何一つ味わっていない。和也が彼を許したとき、初めて彼は愛情や優しさを知って、今こうして笑えるのだろう。
したくてしたんじゃないけれど、許されることを彼はしたわけじゃない。
「大丈夫、お前の兄はちゃんと生きている。これは現実じゃないし、両親はそんなこと思っていない」
「どうして分かんだよ、もしかしたら、優しくても、死ぬときには思っていたんじゃないのか!?」
「聞いた。2人が死ぬ直前に」
レントは強く手を握ってくる。
「『せめてあの子は殺さないで。せめてあの子たちだけは、素敵な人生を歩ませてあげて』って」
そしてあなたも、と2人は言った。
正直その一言で、レントはふと泣きそうにもなった。けれど殺してしまい、2人の人生を終わらせ、そしてあの子たちの人生をめちゃくちゃにした。
一体自分はどうしたらいいんだろう。
和也は死ぬ以外にも方法はある、と言ってくれた。だからレントは和也たちや、この世界全員を救いたいと思った。けれど、それだけで怒りや憎しみは収まってくれるのか。
自分は、してはいけないことをしすぎてしまった。
「生きろ。そして憎みたきゃ憎んでくれ。むしろ憎んでくれないと、俺はどうしていいのか分からなくなる。今更優しくされたって、今更、愛情なんて、俺にはもったいなさすぎるし、与えられる価値もないんだ…っ!!」
助けに来たはずなのに、レントはなぜか泣いてしまった。
その頭を、優しく触る手があった。
「今更、じゃないよ。今更だからこそ、優しくされなきゃいけないんだよ」
レントが顔を上げると、そこには優しく笑うランブがいた。
「おれ、こんな優しい人たちに囲まれて、本当に幸せなんだな。だから生きなきゃいけないし、こんな幸せな人生終わらせたくもない。ありがとう。もうあんたのことは憎んでないし、恨んでもない。だから、気楽になってくれよ……」
その瞬間、2人の人物が起き上がった。
それは両親だった。
体に刺さった刀はなく、傷もない。2人は心の底からであろう笑顔を見せると、溶けるように消えていった。
そして、兄の方からクスリと、笑い声が聞こえた気がした。
勢いよく扉が開き、ランブは我に返った。
ベットの上にはレントが虚ろな瞳だがそこにいて、しっかりと手を握っている。そしてドアの前にはエンブが息を乱しながら立っていた。
「胸騒ぎがして、久々に、起きてみたら…っ、こいつ、まさかランブを……っ!!」
そう言うとエンブは、ずかずかと歩み寄ってくる。ランブはハッとなり、レントをかばうようにする。
「違う!レントは俺を助けてくれたんだ!!」
「何……!?」
事情を話すと、エンブは分かってくれたようで、レントに向けていた殺気をなくす。
難しい表情でエンブは、ぽつぽつと呟くように話し始めた。
「俺はまだ、こいつのことを完全に許したわけじゃねぇ。でもたまに起きた時にこいつが和也たちのために動いていることや、怪我のことを心配しているのも知ってた。…よくわかんねぇけど、お前が心を許した奴なら、俺も心を許すよ、ランブ」
最後に彼は笑ってくれた。
その言葉と笑みを聞いて、ランブはパッと表情を明るくさせると感謝を込めて言った。
――――長年の思いを全部込めて。
「ありがとう。エンブ兄ちゃん」
レントは無理やりなのか、あの時の世界に入り込んだみたいだから、まだ意識がもうろうとしているみたいだった。
彼の意識がはっきりしたら、彼にはありったけの思いを込めて言おうと思う。
ありがとう、と。
ついに双子も心を許してくれました。
正直言って、あんなことをされたのに、そんな簡単に許してしまっていいのだろうか、と思う方もいると思うのですが、双子は心の優しい奴です。
悪いと思ってくれるのなら、その気持ちをしっかりと感じ、受け止める子です。
その気持ちに偽りがあった時は、今度は殺してしまうんでしょうね。
さて新キャラも出てきて、そろそろ“王道”ワールドにも新たな展開がくる頃です。
とりあえず双子はひと段落したので、次は新たなキャラへいこうかな、なんで。
この“王道”ストーリーの中心キャラに。
彼が成長しなきゃ、物語は進みませんからね。