第16話 そのメロディーは
ドンッ。
「いった…!」
呻き声を和也は上げた。目の前にいる少年、ジュンガに肩を掴まれて壁に押し付けられたからだ。凄く真剣な様子が、押し付けた力と強い意志を宿した眼から伝わってきて、和也は彼の方を向くことができなかった。
「どうして…、なんで……っ!」
肩に力が加わる。
「なんであんなことをしたんだ……!!」
あんなこととは、きっと先ほどの束縛者とのことだろう。自分を犠牲にしようとして、ジュンガの助けがなかったら、もしかしたら殺されていたかもしれない…。彼は凄く真面目で、人思いで優しい人だから、そんな和也の行動に腹を立てるのはおかしくはない。
おかしいのは、コウリンの発言だった。
「この間、裕里の漫画であったぞ、こんなシーン。…やっだ〜、ジュンガ君ったらヘンタ〜〜イ。せめて2人っきりの時にやってよ〜う」
「違うわアホ!バカにすんじゃないっ!」
「……ヤダよジュンガ。おれ、そんなことしたくない…っ!」
「お前もいい加減にしろ」
「ちっ。ノリのわりぃ奴」
「お前ら、オレは本気だぞ」
少々からかい過ぎたのか、ジュンガの眉間には深いしわが出来ている。そしてジュンガはもう一度和也の方を向き直ると、ジッと彼の眼を見つめていった。
「なんで、自分が危険に合うようなことをしたんだよ!」
「――ッ!」
和也の表情が強張るが、ジュンガはそんなことも気にせずにただ和也から眼を離さない。…耐えきれなくなったのか、和也は少し俯くと小刻みに震えだした。
「…おれ、は……」
おれは――――――。
……………おれは。
顔を上げると、和也はにっこりと笑っていた。ジュンガと目が合っても何も動じない。そんな彼の姿に、今度はジュンガが表情を強張らせる。
ただ、和也はニコニコしながら言う。
「やることをやった、それだけだよ」
感情的になっては駄目。
そう決めていたのに、あの時はぷつんとその考えが切れてしまった。
『え?愛してないってば』
あの時から。
誰も、何も、信じることは出来なくなった。
そんな状態の時に出会った『彼』以外は……。
だけど、この本の世界に来てから。
傍にいる者たちのことを信じているような、頼っているような。
信じては駄目。
頼っては、駄目なんだ。
そうして傷付くのは、おれ自身の心なんだから。
「カズヤ……」
コウリンが和也の名を呼んだ。和也はふと我に返ると、少し揺れる瞳で彼女の方を見つめる。
彼女は…、笑っていた。
そんな、いつもとは違って彼女の姿に和也は一瞬、心奪われていた。
「お前は、愛されているからな?」
その一言が和也の心に響き、沁み渡った。
2日経った。
和也たち一行は『やすらぎの家』で休んでおり、そこには双子もちゃんといた。和也は少々顔を合わせずらかったのだが、双子の方はまるで何事もなかったかのように和也に笑いかけ、「ヤッホー♪」とあいさつをした。ちょっと呆気にとられたが、また重い雰囲気になるのはよしたいので、和也の方も「ヤッホー」と返した。
宿の一人娘、リンカが少し不審な顔をして和也にこんな話をした。
ここら辺ではないけれど、お隣の村では夜、少女の歌声が聞こえるらしい。
その歌声は綺麗なのだが、聞くとなぜだか頭痛に見舞われることがあり、人々は幽霊のせいだと騒いでいる、という話だ。
最初はホラーだと思ったが、こんなことをするのは束縛者ぐらいだろうと思い、和也一行は隣の村の森へと向かったのだった。
「束縛者ってさ、森好き?」
ジュンガの一言に和也は「“王道”」と突っ込む。と、すぐさま「禁句」と突っ込まれた。そろそろこんなやり取りもお約束になってきている。
双子は今回、「えぇー、ヤダ〜」と言って宿にお留守番。どうやらそろそろ森などで遭遇する、ということに少しうんざりとしてきたらしい。…和也もうんざりなのだが。“王道”なので。
和也はまだ、双子の様子についてちょっと考え込んでいた。
「ごめんな」
涙を浮かべながらランブが発したこの一言が、和也の心に突き刺さったまま抜けないでいる。痛い。だからどうすれば向けるかを考える。しかし考えるたびにまた痛みがうずいて血があふれる。そして血は、あの時の映像に姿を変えて頭の中で再生されて、また痛みが起きる。
…そんな無限ループをずっと繰り返しているうちに、和也の足がふと止まった。
痛くて苦しい。
あの2人はその痛みや苦しみと共に、両親に対しての憎しみまで持っているのだろう。
それがどんなに切ない感情なのか…。
本当はすごく優しいあの2人なら分かるだろう。
けれど、その気持ちを捨ててしまえば、何のために生きているのかが分からなくなってしまう。
彼らが今、何のために生きているか。
それは、両親の敵を討つため。
そんなことをずっと考えていると、いつの間にか和也の周りに人の気配はしなくなっていた。
…………つまり。
「森ん中で遭難してるぅぅぅぅっ!!」
彼女は今日も歌う。
この森の中で、ひとり寂しく。
本当は、一人で歌うはずじゃなかったのに。
本当は、寂しく歌うはずじゃなかったのに。
彼女は今日も歌う。
眼から沢山、涙を零しながら。
頬の印に、涙がつたう…………。
和也が突然の頭痛で倒れこんだのは、迷い始めてから2分後のことだった。
ずきん、と頭の中が鋭く痛みだし、一瞬目の前が真っ暗になったかと思うほどの衝撃だった。
遠くから歌が聞こえる。確かに綺麗な歌声で…、けれども少し寂しそうな、悲しそうな歌声だった。もっとゆっくり聞きたい、けれど今はこの頭痛と戦うことで精いっぱいだった。
肩で息をする。眼が虚ろになる。
「誰か、たす…けて……」
手を伸ばすが、ピンと伸ばす前にガクリと和也は倒れこんだ。
そのまま地面に体が触れるかと思ったとき、ほんの少し伸ばした手を誰かが握った。そうして、握ってくれた者の方へと倒れこみ、体が触れることはなかった。
「大丈夫。俺が連れて行ってあげるよ……」
あれ…………?
だ、れ――――。
一瞬だけ、和也は助けてくれた者の顔を見た。
少し大人っぽい顔つきで年上に見える。
彼は少し微笑み、その瞬間に、和也の意識はぷつんと切れた。
彼の頭に、見慣れたモノが視えた気がした。