第1話 お前が主役
「忘れものはないのーっ?」
凛とした、女性の声が家じゅうに響きわたる。それだけ彼女ははきはきとしている、のだろう。気の強い性格なのか。
「何度も言ってるが、ない」
声をかけられたのは少年であり、少々うんざり気味であった。軽くため息をついて女性を見る。彼女は腕を組んで少年を見返す。
少年と女性は姉弟だった。
しかしその仲はそこまで良くない。むしろ悪い。
靴を少年が履いている間、その音以外に何もない。気まずい空気が流れる。
2人の表情も悪い。
少年は立ち上がると玄関のドアに手を伸ばした。
その後ろ姿に女性は声をかける。いかにも機嫌悪そうな顔で振り返ると、彼女は先ほどとは比べ物にならない笑顔で、
「刻くんによろしくね☆後で行くから」
…と言った。
一瞬、少年が複雑な表情になったが、すぐに無表情に変わる。
小さくうなずくと、少年は家を出た。
…自己中女。
心の中で呟いて、少年・鈴原和也はドアを閉めた。
今日は彼の高校の入学式だ……
彼は豊丘高校一年生。
姉・智世とは仲が悪く、両親とは気まずい関係だった。
昔、あることがあって。
――あんな性格だから、25になって彼氏なしなんだ。サッサと結婚してどっか行けよ。
心の中で愚痴りながら、高校へとつながる道を歩いて行く。
大体、刻のファンかよ。
和也はふと考えてため息をつく。しかも大きなため息。
「確かに、ちょっとはかっこいいかもしれないかもしれないけど……」
「な〜にぼそぼそと『かっこいいかも』なんて言ってんだよ?」
「!!」
突如背後からの声にビビる和也。ものすごい勢いで振り返ると、さっきまで考えていた少年がいた。…刻だ。
神内刻。
和也の幼馴染で、同じ歳の高校一年生。
昔から人気は恐ろしいほどで、バレンタイン・デーでは山のようチョコレートが当たり前だった。
そんな刻が今、真後ろにいるのだった。ファンの女の子だったら、失神するかもしれない。
「ねえねえ、誰がかっこいいの?かっこいいの?」
ずいずいと迫ってくる刻に目を合わせれずに、和也はそっぽを向く。
「……わ、かってるくせに」
ぼそっと呟くように言う和也を見て、にやりと刻は笑う。
「あはははは、やっぱ俺?めっずらしいなー、そんなことを言うなんて」
「めずらしい、というか言わないよ。ってか、その発言少しナルシー」
和也は冷たい目でツッコミを入れる。
そんな彼の肩に刻は手を置く。その瞬間、和也の背がびくりと動く。
「冷たいなあ……、俺ら…――」
「こーーーいーーーびーーーとーーーっ!!」
「!?」
突然の悲鳴に近い叫びに、2人の少年は動きを止める。
声のする方を見ると、そこにはキャーキャー叫ぶ少女と、ため息をつく少女がいた。
叫んでいる少女は橋松裕里。
見た目も良く、性格も落ち着いている……のだが。
本性は腐女子であった。
まさに、『手遅れな腐女子』である。
そしてため息をついているのは小林亜矢。
中学では陸上部で元気がとりえ。
……そして。
「刻くんっ!」
「ん?」
大声で怒鳴る亜矢と、さわやかな表情を見せる刻。そして和也は疲れた顔。
そんなことを気にせずに、さらに怒鳴る亜矢。
「和也くんにあまり触るなって言ってるじゃんか。裕里が妄想爆走しちゃうじゃんか!…それに――」
急に黙る亜矢。
…ふ〜〜〜ん。
腹黒い笑みを浮かべる刻。
「あいあい、わかりましたよ」
「よしっ!」
満足そうにうなずく亜矢。その顔は少し赤らんでいる。
やきもちだ。
すすす、と離れながら刻は思い、ニコニコ笑う。
「小林、おれそんな道に行かないから安心してよ」
にっこり。
キラキラと輝く笑顔。これが天然スマイル、というものだろうか。「うっ」と唸る亜矢。
こんの〜〜〜っ、鈍すぎだって!
こぶしを握り締める亜矢。いますぐ地団駄を踏みたくなるほどじれったい。しかも目を丸くしている和也をみるとますますだった。
この姿を見るとわかるように、亜矢は和也のことが好きなのだ。
出会ったときから一目惚れ。
「ふふふふふふっ……、甘いわね、亜矢!」
ずいっ、と発言する裕里。目をランラン光らせて言う。
「天然っ子の方が萌えるじゃないの!!」
「橋松は本を読んで現実を知れ」
「だって萌えるんだもん、萌だもん!!」
ムキになって言う裕里をガン無視する和也。
しかし、次の一言で反応してしまった。
「だってそうなんだもの、神内君だけ下の名前呼びだなんて」
刻だけ下の名前呼び……?
「……別に…」
だって刻は、おれを……。
「男同士だし、大したことないだろう」
「男同士だから萌えるんじゃない!!」
必死になっていう裕里。
ふう、とため息をついて和也はそっぽを向く。
……ふと目に入った。
ゴミ捨て場にごみにまみれておいてある本を。
何も聞こえなくなった。
視界にはその本しか映らない。
なぜかその本が気になってしまう。
そんな和也を我に返らせたのは、刻の呼びかけるこえだった。その声に返事をするが、どうしてもその本を見てしまう。気にしてしまう。
しかし入学早々遅刻だなんてみっともないので、和也は同級生たちのもとへと向かっていった。
和也が去った後、本が鈍く光りだした。
「っふふふふ……」
どこからか声が聞こえる。女の声だ。どこか腹黒さを含んだ、若い声……。
「見つけた……やっと」
その声が本から聞こえてきていることに、誰も気付くことはなかった―。
……夢を見た。
真っくら闇に一人でいる夢を。
一人なのに、誰かが俺に向かっていっていた。
――見つけた、やっと……。
その、夢なのにあまりにもリアルな声を聞いた時。
おれは目が覚めた。
目覚めたときには、入学式は終わっていた……。
「和也、何寝てんのよ!」
耳にキーンとくるような大声で和也は怒鳴られた。しかし、まるで何も聞こえてないかのように、和也は自分の席に座って無視をしていた。
声の主は姉の智世。その表情は恐ろしすぎて、背筋がぞっとするほどだった。
和也の無視を気にせず、智世はさらに怒鳴る。
「こんなの母さんたちに見せられないじゃない、みっともない!ちゃんと映ってんだからね」
「……」
…沈黙。気まずい空気が流れ始める。
和也は「そんなこと関係ない」という表情で、窓から外を眺めていた。それを智世は鋭い目つきで和也を睨む。
この姉弟にとって、こんなことは珍しくない。
「まあまあ。校長の話は子守唄ですよ、智世さん」
沈黙を破ったのは刻だった。イケメン特有のさわやかスマイルで言う刻は、天使の顔をした悪魔だった。けれど、刻ファンの智世にとっては神の笑顔に見えた。すぐに顔が赤らむ。
それを見て、刻のさわやかスマイルに黒さが含まれたのを和也は見た。
刻はこのスマイルで、今まで何人もの人を騙してきた。それが善か悪かは言えないが。
和也も被害者の一人でもあり、その時を思い出して自然と顔が青ざめた。
つまり、刻は腹黒かった。
「ま、まぁ…、今回は刻くんに免じて許してあげるわ」
はい、騙された。
刻がほくそ笑んだのは、和也しか見ていなかった。その笑みを見て、和也は鳥肌が立つ。
でも、騙された姉を見ても、和也は何とも思わなかった。
「あ、そう」
そう返しただけだった。
和也は立ち上がると、持ってきた荷物を持って歩き出す。
「和也くん、帰るの?」
亜矢が切なそうな声を出す。
今日は入学式だけであり、そのあとは自由だった。帰るもいいし、クラスの子と話すもいいし。何でもありだった。
亜矢の方を向いて、和也はにっこりと笑ってうなずいた。いつもはその笑顔にときめくが、今回は違った。
――悲しそうだった。
いつもと同じに見えるけど、いつもと違った。
それはいつも和也を見ていた亜矢だからわかったこと。
ときめくどころか、辛くなった。
「せっかく早く帰れるし。小林はクラスの奴らと話してろよ。お前はすぐ友達ができるし、サッサと100人作っちまえ」
笑ったまま言う和也を見ていると、無理して冗談を言っているように見えた。そのまま和也は教室を出て行く。
『無理してない?一緒に帰ろうよ』
そう言えばよかったのに、亜矢は言うことができなかった。
言ってはいけない気がした。
ただ呆然と立っている亜矢の後ろに、智世が寄る。
「亜矢ちゃんは和也を見てあげてるんだね」
ただそれだけ言って、智世は窓から外を見た。校舎から和也が出て行く。
わかんない、この姉弟に何があったのか……
なんでお姉さんといると、辛そうな表情をするんだろう……
亜矢は胸が締め付けられる思いだった。
色々と考えてしまうけれど、和也とは普通に接しようと決めていた。
これからも、だ。
「サッサと信じなさいよ、こんなにいい子がいるのに」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、智世は苦笑してつぶやいた。
その表情は先ほどの和也と、よく似ていた。
和也は朝来た道を歩いていた。もちろん逆方向、学校から家に向かって。早々と歩いていたが、ふと、和也は立ち止った。大きく息を吸って、吐き出す。
そして彼は座り込む。
……苦しい。
亜矢はおれを本気で心配しているんだ。自己中女と違って。
家族と違って。
なのに俺は、同じように接してしまいそうになる。そうしないようにすると、不自然になってしまう。
乗り越えなきゃならないのに―――――。
目を閉じて、膝を抱え込む。
胸が苦しくて、どうかなってしまいそうだった。誰もいない道でただうずくまっていた。
その時、何かが光った気がした。
和也はその場所を、顔をあげて見た。そこはゴミ捨て場だった。朝はあったゴミは既になく、あるもの以外は何もなかった。
あるもの、それは本だった。
朝見た、どうしても気になってしまう本。
……待て。
今光ったと思ったのはゴミ捨て場じゃない。
本だ。
でも本が光ったって、それっておかしくないか!?いや、ゴミ捨て場でもおかしいけど。
いろいろ考えながらも、和也はゴミ捨て場に近ずいていく。
そして、本の詳しいことがわかった。
題名がない。表紙も裏表紙も、背表紙も。
表紙には、白と黒の二つの羽が描かれていた。一番上には複雑なマーク。言葉では表せないような。このマークは背表紙にもあった。
あとは何もなかった。外見は。
この世には本当にこんな本があるんですね。
とにかく何かに和也は問いかけた。しかし答える声は何もない、当たり前だが。
しばらく見ていると、ちょっと好奇心がわいてきた。こんな本はめったに見れないのだから、人間として興味がわくのは当たり前だったし、こんな本の物語が一体どんのなものかも気になった。
そして和也は本を家でゆっくり読もうと思い、持って帰ることにしたのだった。
「ええぇーーーーーっ!!」
家じゅうに絶叫が響く。家には和也しかいないので、声の主は必然的に和也となる。
その和也は、本を見ていた。持っている手が震えている。
「嘘、だろ。いくら表紙とかに何もなくったって、中身まで真っ白って……」
言葉通りだった。中身はただの白い紙。どのページを見ても文字なんてなかった。
「本じゃなくて、自由帳かなんかか?でもこんな自由帳なんか…?」
「見たことないわよね。だったら本よ、というかそれ本」
やっぱり、と和也はうなずくが、ふと異変に気ずいた。一人でいるはずなのに、自分のものではない声がした。しかも女の声。こんな声は、声が少し幼めである和也でも出せないし、独り芝居をするような趣味は和也にはない。
「こんにちは〜♪」
声のする方を見ると、そこには美しい少女がいた。歳は和也と同じぐらいの長髪の。その少女に和也はときめく、わけもなく怒鳴った。
「どっから入ってきたーーーーーっ!!!」
突如いた謎の少女は、指で入ってきたところを示して微笑んだ。
しかし、その場所は誰も笑えないようなところだった。
「本……?つまらない冗談はやめてくださいよ」
「私がそんなつまらない冗談を言うわけないだろうが」
冗談にしか聞こえないだろーが。
心の中でツッコミながら、和也は少女をじっと見る。少女はにやりと笑う。その時、彼女の頬にあるものを見つけた。
…マークだった。しかも本にある、あの複雑な。
「そ、そのマーク……」
「マークはなぜかは知らないが、私にだけついているんだ。でも、本の関係者だってことがわかっただろ?」
その時の表情はまるで小悪魔のように意地悪そうで、和也は寒気を感じながらうなずいた。
少女はうむ、とうなずくとその表情のまま言った。
「単刀直入に言う」
「…何を」
少女に目を合わせられず、そっぽを向きながら和也は返事をする。それを不満そうに少女は見たが、特に気にせずに話を続けた。
「この本、真っ白だろ?この本を、お前に完成させてもらう」
……!?
「はあ!?ちょっと待てっ!!」
「あっはっは、ナイスリアクション」
少女は和也の反応を楽しんでいる。それに気づき和也は、「こいつはドSだ」と、心の中で呟いた。
しかし、ハッキリ言って訳がわからなかった。真っ白な本を完成させるなんて。和也に作家になって書け、とでも言うのだろうか。
しかし、少女の言ったことはそれ以上のことだった。
「この本の世界へ行き、ページ全てをうめる。つまり物語完結、がんばれ主人公!…ってわけだ」
主人公。
物語にとって、必要不可欠な存在。
おれが……?
「主人公!?んなわけあるかーーーーーっ!!!!」
こうして、高校一年生になったばかりの鈴原和也は
本を拾ったばかりに、その本の主役になってしまったのだった。