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母との面会以来、ベネディクト様と会うことに抵抗を感じるようになってしまった。
ベネディクト様だけではない。自身の身の回りをするものですら信じられない。
誰を信じればいいの?ブリアナだけは…私の可愛い妹だけは信じられそうだけれど、それさえも信じられなくなったしまったら私はどうすればいいのか。
ベネディクト様からのお誘いもすべて体調がよくないと断りを入れている。
きっとこの状態が長く続けば、私が嘘をついていることに、鋭い方だから気づいているはずだ。
気付いているからこそ私の元へ近頃は毎日訪れるのだろう。本当はきちんと話し合わなくてはいけないことだといのに、私は弱いから誰を信じていいのかわからない。
そのため、側妃を娶るよう進言して欲しとブリアナに頼んだ。そうすれば、私のことなど忘れるはずだから。
忘れさられた皇太子妃として…離宮に引き篭もればいい。
「クリスティーナ、入るぞ」
ドンと大きな音と同時に勝手に扉が開く。侍女たちが「困ります」「皇太子様」と慌てている声が聞こえる。制止する声を聞いていたが、何処か違う場所で起きた出来事のような感覚になっていた。
ぼーっと窓から外を眺める。ポーっと鳴きながら鳩が1羽、窓枠に止まるものだから、そっと手を伸ばしてみると、人懐こいみたいで腕で羽を休めるようにしている。止まり木ではないのに、と思いながらその羽を優しく撫でる。
ベネディクト様は無視をしている私のことをどう思うのだろう。
「なぜ、起きている。体調がすぐれないのではないのか」
「…ベネディクト様こそ、何故ここにおいでになったのです。本日は大事な軍議があると聞いていました」
「そんなものは終った。私の予定を把握しているとはな。誰が漏らしたのかは聞かないでおこう。それにしても、何故お前は俺に嘘を吐いた」
予定を把握したのは、たまたまだった。
引き篭もっている私の元にブリアナが訪れたことで知り得た情報だ。
あの子は嵐のように部屋にやって来るなり、「お姉様、部屋に引き篭もり生活をはじめて何日目ですか。最近は、外出もするようになったというのに。また、籠の鳥に逆戻りですか!!さっさと、あの無表情男の機嫌直してくださいよ。あの男のせいで私がケイレブ様との逢瀬が出来ない状態なのですかね!!今日だって、ケイレブ様と一緒に出掛けるはずだったのに、あの男が緊急の軍議を開くとかでなくなってしまったのですよ!!本当に私たちの邪魔ばかりして。お姉様からも言ってくださいよ。きっと、お姉様からの言葉ならあの男も聞いてくださるはずですから」と、すべて言い思わると直ぐに退出していった。
何が起きたのかわからないほど一瞬の出来事だった。
ブリアナアとケイレブ様が想い合っていたとは知らなかったが、その事実に胸の奥が暖かくなるなか、私が母と話したことで彼らに迷惑を掛けていたことに申し訳なく思ってしまう。きっと、あの子たちは私を責めることもせずに「ベネディクト様が悪い」と言うだろう。
ブリアナが去ってから、先程の会話というよりも一方的に話し掛けられただけが、それでもあの子が言っていた無表情男という言葉に疑問をあった。
元々、表情豊かな方ではないが最近は穏やかな表情をしていることが多いので、あの子は何を見て言っていたのだろう。
そのように考えて外を眺めていた矢先の入室で、ベネディクト様から紡がれた「嘘」の言葉に身体が強張る。
貴族社会など嘘ばかりの世界で生きているというのに、何故こんなにもベネディクト様から紡がれる「嘘」という言葉には重みがあるのだろう。
「最初に私に嘘を着いたのはあなたではないですか」そう責めることができれば、どんなに楽なのだろう。
私にはそんなことができるほど、勇気は持ち合わせていない。
ただ、「嘘」に「嘘」を重ねることがどれだけ辛いことなのかわかっているつもりだ。
ベネディクト様から離れたいなど、口に紡いだが本当は「嘘」だ。
離れたくない、ずっとそばにいた。ずっと私だけの者でいて欲しい。
傲慢な本性が囁く度に、私は「離れることが幸せ」と「嘘」を重ねるのだから。
「何か言え。お前は誰かに何かを決めてもらわなければ何も言えないのか」
「…ベネディクト様!!クリスティーナ様もお疲れなのですよ」
「下がっていろ。いま、私はティナと話している。何人であろうとも、我が妃との会話に口を出すな」
苛立つ彼に対して、私を庇った侍女は怯えることもせずに堂々としている。使えている主は私だけれど、皇太子である彼に発言するなど一介の侍女がしていいはずもない。彼女は暇を言い渡されても可笑しくないのに、自分の身を挺して私を庇ったのだ。
今度は私が、彼女が庇う番だ。
「大丈夫よ。殿下とふたりだけ話をさせて。何かあったら叫ぶからあなたたちは部屋の外で待機していて」
安心させるように微笑み、侍女を下がらせる。不安そうな顔をする彼女たちだが、壁一枚外にいるとわかっているだけで私の心は勇気づけられている。
この嘘で塗れた世界で、私のことを守ってくれる人がこんなにも近くにいたのだから。
ならば、その人たちのことを信じなければ。
目の前にいるのは静かに苛立っている我が夫。苛立ちを隠そうともしない彼のことを珍しいと思いながらも、悲しみが支配する。
母の言葉にあったのは悪意だったのだろうか。実の母が向けるような言葉ではない部分もあった。だが、それは私がきちんと皇太子妃として勤めていないからだと思い受け入れようとした。
だからこそ、私は彼に私だけに固執して欲しくなかった。否、本当はしていて欲しい。
だけれど、嘘で塗り固められた私は本心とは真逆な言動をしてしまう。
こんな愚かな私でもあなたを欲しいと求めていいのですか。
告げるべき言葉ではないと飲み込む、私を見下ろす彼を椅子に座らせた。
向かいの席に腰を掛けようとすると、腕を引かれすっぽりとベネディクト様の腕の中に納まってしまい彼の膝の間に座ることになった。
そして、耳元で「俺にだけは嘘を吐くな」と弱弱しく囁くその言葉に、身体が震えた。