4 side B
「兄上、そのようなところで何をしているのですか?」
ティナの部屋の前で寄りかかっている私をみるなり、笑いを堪えるようにしながら弟であるケイレブが近づいてくる。
この区域への立ち入りは限られた者しか許されていないというのに、ケイレブがやって来たということは私に用があるのだろう。
自身の執務室と書庫以外に滞在する部屋はティナの部屋と決まっているからか、他を探してからここへやって来ただのだろう。
「あいつは、私のもとにいて幸せなのだろうかと考えてしまった」
あのような言葉を聞けば、誰も自嘲気味にもなるだろう。
昔のように戻れたらと何度も願った。戦いに明け暮れていた日々の中、帰還する度に見せてくれる笑みに何度も癒された。
だが、いつかはその笑みは他の誰かの物になるのだろうと。彼女は皇女で、自身はただの臣下で皇太子殿下に仕え、この国を守る者としての義務を全うするものだと。
彼女自身が私に嫁ぎたいと申していると聞いたときは、驚いてしまった。皇弟の息子というだけでそばにいることを許されている存在だと思っていた。
ただ、皇帝陛下の命により許嫁になったと言えば、それだけの関係だったが、その笑みを守り続けたいと思い婚姻に同意した。彼女は自身の我儘のせいだと思っているが、私自身が彼女を妻に迎えたいと思うほどに好意を持っていた。
そんな彼女の笑みを奪った新月の悪夢ほど忌々しい事件はない。
あの日、何故遠征に参加していたのかと自問自答したところで何も未来は変わることはない。
そして、あの過去により私たちの関係は拗れてしまったようなものだ。
皇太子などと立派な肩書などあっても、彼女が笑みを浮かべてくれる世界がないなら、そのような肩書などどうでもいい。
ケイレブは察しのいいやつだ。いまこの部屋の前にいれば嫌でもわかってしまうだろう。
私たちの関係が昔のものとは違うということに。
いや、既に知っているのかもしれない。ただ、誰もが私の前ではその事実を口にしないだけで。
「厚かましいかもしれませんが、一緒に鳩に餌やりにでも行きませんか?」
ケイレブの提案に驚きはしたが、それもいいと思い承諾する。
何を考えているのかわからないが、私と一緒に鳩の餌やりをしたいがために探し回ったわけではないだろう。
あいつの趣味に付き合ったことなど今まであっただろうか。いや、なかった。
趣味を鳩の餌やりと公言するほど、鳩や鳥が好きだ。将来、鳥類学者になるのではいかと思うほど鳥について研究していたが、第二皇子となってからはその道を断念したようだ。
中庭へふたりで出れば、小さな木箱の中には植物の種子、穀物、豆類が混ぜられていた。
それを小さな袋に入れられ渡されたので受け取る。
ケイレブの手際の良さに感心していれば、次第に鳩が寄って来る。
鳩に囲まれるのに慣れているのか、「姉上とはどうですか?」と平然とした顔で問うてくる。
囲まれているというより餌に群がり、ケイレブ自身を埋め尽くそうとすると鳩がどのような躾をされているのかが気になってしまう。
殺気を少しだけ漏らせば、羽ばたき、いなくなるものもいたが「やめてください。これで、鳩が戦場で使い物にならなくなったらどうするつもりです。鳩はどの鳥よりも早く飛べます。戦場の伝令役として必要なものなのですか」と怒られる。
助けたというのに、なんという奴だ。
ケイレブみたいにならないように、鳩を近づかせないように睨みを利かしながら餌を撒けば、そこに鳩が群がり始める。
逃げたと思った鳩が一羽肩に乗り出すため、振り解こうとするがケイレブに睨まれたからやめておこう。
先程の問いにもそろそろ答えなければ、こいつが怒りだしてしまうだろう。
「どう、とは、どういうことだ?」
「言葉の意味がわからないほど愚かではないでしょう」
真っすぐとした視線を送るケイレブに偽りを述べても仕方がない。
先程の出来事を包み隠さず話せば、苦笑される。
ティナのことを思い出せば、思い出すほどわからなくなる。
出会ったばかりの頃は、いつも俺の隣に来ては読書の邪魔をするわけでもなく、ただ黙りながら俺を眺めるか絵を描いているか、たまに一緒に読書をするかくらいのことしかしなかった。兄である当時の皇太子殿下よりも懐かれていたのではないだろうか。そう思うほど、常に側にいただろう。だが、会話らしい会話だってあまりしたことがなかった。
ただうるさく言われない場所を求めていただけだったから、会話をしなかっただけなのかもしれないが。
だが、その関係を好ましくも思っていた。
「失礼ですが、クリスティーナ様のことを慕っていますか?」
「っふ、無論だ」
「そうですか。なら、直ぐにでも子を作ってください。いま、兄上に側室を娶るように貴族たちが言いはじめています」
ケイレブの顔は爽やかそうな笑みを浮かべているが、これは怒っているな。
ティナのことは心配しているが、私のことはどうでもいいと言われている気がする。
側室の話は何年か前からよく言われていたが、またそのようなことになっていたのか。
子がいなければ、ケイレブに王位を譲るつもりでいたがケイレブはまだ婚姻を結ぶつもりがないからか、この手の話題を嫌う。
慕うというよりもそばにいて当たり前の存在。
あの日、私ははじめて愛らしい少女だと思っていたクリスティーナを美しい大人の女性へ変化したのだと思ったのと同時に、儚くどこか守らなければ消えてしまうのではないかというくらいの庇護欲が襲ってきたのを覚えている。
これを慕うという言葉で片付けていいものだろうか。
思案していれば、空を眺めながら目を細める弟が目に入る。太陽の眩しさにやられたのだろう。出不精が。
「それにしても、外は眩しいですね」
「おまえは外に出無さ過ぎる」
「それを言うなら、籠の鳥も同然な方がすぐそばにいるではないでしょうか」
「…籠の鳥か」
その言葉を聞けばすぐに誰のことかはわかる。
たまには、外へ連れ出すこともいいのかもしれないな。
彼女との距離は埋められるようなものではなくなっているのは確かだが、どちらかが歩み寄らねばならないのも確かなことだ。
それならば、私のほうから歩み寄ろう。
あの日、誓った言葉に懸けても。
次々と鳩がやって来るため、ケイレブとの餌やりは終わらないようだ。