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足元から鳥が鳴く

「跪きなさい、愛らしき人形(ローゼンスクラーヴェ)


 床にしゃがみこんだグレーテルが静謐な声を紡ぐと、バラの花びらが舞い散った。床の端を駆けていたネズミはぴたりとその動きを止め、くるりと向きを変えるとグレーテルのもとに駆け寄ってくる。

 

「やった……やったわ……! ついにできたわヴィル、あたしだけの魔術!」

「小動物を従えられるようになったぐらいで調子に乗るな。しかし魔術は魔術だ。褒めてやろう。よくやった、娘。わずか三年目にして己の魔術を編み出せるとはな」


 壁にもたれかかったヴィルフリートはにんまりと笑う。その姿形は初めて出逢ったあの日となんら変わらず、やはり彼が只人ではないと思わせた。

 一方で十五歳になったグレーテルは、この三年でだいぶ成長している。背だってぐんと伸びた。もう貧相だ色気がないだなどとは言わせない。

 彼の言葉が悔しかったとかそういうわけではないのだ。ただちょっと、肉類と乳製品が思ったよりおいしかっただけで。魚は今でも少し苦手だが、調理方法によっては食べられる。野菜はもともとよく食べていた。成長期と生まれながらのポテンシャル、そして何よりたゆまぬ努力のかいあって手に入れた抜群のプロポーションは、グレーテルに自信を与えていた。


「これからはローゼン流魔術の種類を増やすことに尽力しろ。ドルン流魔術の鍛錬も怠るなよ。完璧とは言えんが、ドルン流魔術も思った以上に使いこなせているからな。途中で修めるのをやめるのはもったいない。手札は多いほうがいいだろう。なにせお前の魔力は膨大だ。汎用魔術程度しか使えん凡人どもに、格の違いというものを教えてやれ」

「本当にありがとう。魔術は自分で作れるってあなたが教えてくれなかったら、あたしはずっと魔術の使えない魔術師見習いのままだったわ。だけどあなたのおかげで、あたしはいっぱしの魔術師になれた」


 あの時のヴィルフリートの言葉は正しかった。魔力には純度の良しあしがあるとは知っていたが、魔力には人それぞれ個性があるなんて思いもしなかった。

 一般的に使われる汎用魔術は、多くの人々の魔力と適合するからこそ普遍的に広まっている。しかしグレーテルの魔力は癖が強すぎて、汎用魔術に変換できない。だからグレーテルは落ちこぼれ扱いを受けてきたし、自分でもそう思っていた。

 しかし実際は違ったのだ。強い個性を活かせる、まったく別の珍しい魔術ならグレーテルの魔力は形を変える。使い方さえ誤らなければ、力はグレーテルに応えてくれる。

 ヴィルフリートが自分で作ったというドルン流魔術は、これまで教わったどの魔術よりも難しい。使われる理論も、必要とする魔力量も、魔力の純度も桁違いだ。ヴィルフリートの教え方自体もかなり厳しかった。しかし、グレーテルはそれに音を上げずについていったし、難しいはずのドルン流魔術のほうがよほどあっさりと使いこなせた。

 グレーテルが自分で作った魔術も同様だ。他の魔術師ではローゼン流魔術を使うことができないと感覚的にわかる。おそらくグレーテル以外でローゼン流魔術を使いこなせる者がいるとすれば、それは師であり似たような魔力を持つこの青年以外にいないだろう。


「礼ならばいくらでも受け取っておこう。俺も教えた甲斐があった。いい暇つぶしにもなったしな。ただし、これに驕らずこれからも精進しろ。確かに、天才は生まれついたときから天才だ。だが、水を得ないまま咲く花があるか? 才能とは、育んでこそ意味がある。授かった才に溺れて努力を忘れた者は、その時点ですでに凡才にも劣る三流以下の負け犬だぞ」

「ふふ。じゃあ、あなたはどうなの?」

「俺を常人と一緒にするな。これはその辺の一般的な天才の話にすぎん。俺には当てはまらない」


 自信満々に言い切るヴィルフリートの言にももう慣れた。この自称悪魔は誰より傲慢で、しかしそれに異を挟ませないほどの力がある。彼の才は本物だ。


「む、もうこんな時間か。そろそろ寝たほうがいいのではないか? 休息もまた鍛錬だぞ」


 ふと、ヴィルフリートは時計を見上げた。午前零時。寝るには早いが、遅いとも言えない。何かしていれば、就寝時間が零時を越すことはままあった。

 しかしこれ以上は頑張れそうにない。魔力が底を尽きているのだ。彼の言う通り、もうベッドに入ったほうがいいだろう。


(三年というのは、思ったよりも早かったわね)


 生まれ持った魔力の豊富さから故郷の希望だと言われて、魔術も使えなかったくせに十二歳で親元を離れて一人で大きな街の魔術学校に入学して。そこでむざむざ落ちこぼれの烙印を押されたみじめな魔術師見習はもういない。

 確かに、教師が教える通りの汎用魔術が使えないため成績はひどく悪いままだ。だが、ドルン流魔術に目覚めたグレーテルはもう立派な魔術師だった。このうえさらにローゼン流魔術を磨けば、グレーテルの魔術師としての力量は誰にも疑えないものになる。

 成績が悪いからなんだというのだろう。学校でしか通用しない点数なんて気にしていても仕方ない。成績では測れない実力こそ、真に価値があるのだから。


* * *


「ふふん。娘は驚き、喜びにむせび泣くだろうな。なんせこの俺が準備してやったのだ。そうなるに違いない」


 グレーテルが寝入ったのを確認し、ヴィルフリートは姿を現した。

 ヴィルフリートは、わざわざグレーテルに頼らなくても自分で人前に顕現することができた。もともと彷徨える亡霊(ドルンゼーレ)はそのために編み出した魔術なのだから。

 とはいえ、それはとても短い時間のことだ。他人からの魔力の供給があればもっと長く、かつ安定して存在していられる。やはり杖の新たなあるじであるグレーテルに喚び出されたほうが楽だ。もっとも、そんな制約もヴィルフリートが外の世界をぶらぶら歩いてグレーテルの気に入りそうなものを見つけるのに支障はない。

 この三年間で、初めての弟子は目を見張るほどの成長を遂げている。もともとの素質があったのはもちろんだが、何より自分の教えがよかったからだろう。彼女の血のにじむような努力も、認めてやらなくもないが。


「誕生日ぐらいさっさと言えばいいのだ、馬鹿者が。おかげで去年は何もできなかった。一昨年はとっくに過ぎていたから仕方ないとはいえ、天才にあるまじき失態だ」


 すやすやと眠るグレーテルに向けて、ヴィルフリートは吐き捨てる。

 グレーテルが学園で何のためにもならない講義を受けている間、暇で暇でしょうがなくなって大人がたくさんいるところをぶらついていたとき、偶然グレーテルについての書類をみつけたのだ。

 それは別に重要そうなものではなかったが、興味本位で覗いた生年月日の欄は一か月後の日付があった。

 ならせっかくだから何か用意してやろう、なにせ俺は奴の師なのだから。俺の師も、俺の生まれた日を作って祝っていたからな! と、ヴィルフリートは珍しく自分から姿を見せて街に出てやったのだ。

 グレーテルと出逢う以前からも、戯れにふらふらと外に出ることはあった。そのため、自分の生きていた時代とだいぶ様変わりしていたとしてもなんとなく雰囲気はわかる。

 適当に金を作って適当に店に入って適当に色々買い込んで適当に保管していたグレーテルへの贈り物を次々と出現させて枕元に置いていく。途中グレーテルが寝返りを打った時にはびくりとしたが。


「……娘。お前はいい奴だ。決して俺のようにはなるなよ」


 プレゼントを並べ終え、ヴィルフリートはそっとグレーテルに語りかける。ほんの小さな子供だと思っていたグレーテルは、美しくたくましく育った。赤の他人の成長にここまで心を動かされるとは思わなかったが、きっと自分が彼女の師だからだろう。

 ヴィルフリートにとって初めての、唯一の弟子。その魔力の癖は自分によく似ていて――――けれど、だからこそ心配だ。


「お前も本物の悪魔と契約でもすれば、まだ安心だが……お前ごときの瞳では奴らも納得しないかもしれんな。やはり俺ほどの偉大な魔術師の血肉でなければ悪魔への供物にならん」


 ヴィルフリートは悪魔などではない。正真正銘の人間だった――――今ではもう、自分を人間と称していいのかすらわからないが。

 人間として生まれた以上、どうあってもその時間は有限で。敬愛する師ですら命の終わりには抗えなかった。しかし限りある生では、この名を世界に刻むことも、この世界の魔術をすべて我が物にすることもできない。この世界から追い出されるのが怖かった。

 この才能が無意味に散るなど、人の発展と栄華に対する冒涜に他ならない。だからヴィルフリートは死という唯一の欠点を消し去るため、片眼と引き換えにして悪魔に不老と不死を願った。

 それから三百年ほど経って、はじめてヴィルフリートは死に直面した。信じていた友による裏切りという最悪の形で、だ。だというのに、悪魔の力は完全には働かなかった。

 だからこその、この不完全な姿だ。あの日から二百年近く経った今も身体は眠り続けたままだが、魂だけは亡霊のように彷徨うことができる。しかしそれすらも、奪われたあの杖を触媒にしてようやく顕現できる不確かな存在にすぎない。


「本当に恐ろしいのは人の声だ。それこそが圧となり、いかなる天才をも押し潰そうとする。それに負けるな、とは言わん。俺ですらそれに殺されたのだ、お前に耐えろと言うのはあまりに酷だろう」


 思い出す。まだヴィルフリートが、自分で自分を人間だったと断言できたころのことを。ちょうど、彼女ぐらいの年の時だ。

 その時、ヴィルフリートは初めて他人に対して恐怖を覚えた。それは個人へのものではなく、集団への恐怖だ。

 どれだけ潰しても潰しても、羽虫は際限なく湧いてくる。ヴィルフリートの傍若無人さは多くを敵に回したし、ヴィルフリートの力と得た地位と名声はあまりにも甘美だったのだ。それがひどくおぞましくて、それに耐えきれなくなって。そんなさなか、師を喪って何かが決壊した。そしてついに、ヴィルフリートは悪魔を召喚する禁忌の術に手を出した。


「集まって喚くことしかできん臆病者どもだからこそ、奴らの感情は強い。期待であれ、憎悪であれな。その圧を感じたならば即座に逃げろ。決して囲まれぬよう立ち回れ。……いいか、娘。お前が誓約を違えぬ限り、俺はお前の傍にいる。お前がどれだけうすのろどもに足を引っ張られてもいいよう、いつでもその手を引いてやろう」


 グレーテルの血のような紅い髪の間を縫うようにして、額に軽く唇を落とす。決して触れることのない、形だけのキスだ。グレーテルは小さく身じろぎしたが、起きる気配はなかった。


* * *


「なに……これ……?」


 目が覚めると、ベッドの上に大小さまざまな箱が置いてあった。どの箱にもリボンが結ばれている。

 ああ、そう言えば今日はあたしの誕生日だっけ……ぼやけた頭でそう思う。しかし誰が。


(親だとしても、こんなに豪勢にはできないわよね。カードか、せいぜい小さなプレゼントを一つ贈ってくれるくらいでしょう。友達なんていないし……)


 自分で言っていて悲しくなってきた。とはいえ、故郷の村は貧しく、親も厳しい暮らしをしている。物質的、金銭的な支援がなくても文句などは一切ない。友達がいないのはもはや仕方ないことだ。


「まさか、ヴィル?」


 はて、誕生日なんて教えただろうか。そう思いながら呟くと、悪戯が成功したような子供じみた笑みを浮かべたヴィルフリートが音もなく現れた。


「気づくのが遅いぞ、愚鈍めが。俺は天才だからな、お前の誕生日ぐらい知ることはたやすいのだ。さあ、泣いて喜ぶがいい!」

「あっ、ありがと……」

「はははは! 気にするな! ちなみに晩餐も用意してあるぞ! もののついでだ、誕生日おめでとう、とも言ってやろう! この俺から直々に祝福されること、光栄に思え!」


 ヴィルフリートは満足げに高笑いをしている。人から直接誕生日を祝われたのはいつぶりだろう。そう思うと、急に目頭が熱くなった。

 彼の言う通りになるのは悔しいのに。言った当人のヴィルフリートですらわたわたと慌て出している。ぐしぐしと目元をぬぐい、グレーテルは手近にあったプレゼントに手を伸ばした。

 紅いバラの花束、香水の小瓶、微妙にぶかぶかだが明らかに高価そうな色とりどりのドレス、つばの広い黒の三角帽、ふかふかのくまのぬいぐるみ、最新の魔術論が書かれた何冊もの学術書、薬の調合に使える様々な素材。どれもがどこかちぐはぐで、けれど何故か噛み合っている気もする。こういったものをヴィルフリートが用意したと思うと、自然と笑みがこぼれた。


「ねえ、悪魔にも誕生日ってあるのかしら? お返ししたいんだけど」

「よい心がけだ。俺の誕生日は冬ノ中月五日だぞ、しかと刻み込んでおくがいい!」


 教えられたのは三か月先の日付だ。こくりと頷き、グレーテルは花の咲いたような笑みを浮かべる。


「学校が終わったら、二人でお祝いしましょうね。せっかくあなたが用意してくれたんだもの、一緒にごちそうを食べましょう。まっすぐ帰ってくるから」

「ふん。もとより寄り道するような友……あいたっ」


 一言多い青年を小突く。彼がバランスを崩して消えたのを確認し、グレーテルは手早く身支度にとりかかった。

 ヴィルフリートは食事を必要としないが、嗜好品としてなら楽しむらしい。学校や寮の食堂で一人ぽつんと食べるグレーテルを、つまみ食いしながらヴィルフリートが冷やかすというのがこの三年の間の二人の食事事情だ。

 食事の途中、彼のその減らない口に食べ物を突っ込むこともままあった。誰の目にも映らない悪魔とじゃれていることがよりいっそうグレーテルを孤独にさせていたのだが、そんなことは気にもしていなかった。



 食堂に行き、もそもそとパンをかじってミルクで流し込む。黄金色に輝くスクランブルエッグはグレーテルの大好物だった。ちらちらと向けられる視線は煩わしいが、いつものことだ。

 入学直後から始まったいじめは三年目に突入していたが、最近は以前のような直接的なものより間接的なもののほうが多くなった。グレーテルが魔術師としての頭角を現したから、彼ら彼女らも正面切って嫌がらせができないのだろう。


(あたしにはヴィルがいるんだもの。有象無象が何をしていようが、気にするだけ時間の無駄よ)


 だいぶヴィルの色に染まってきたわ、と苦笑する。彼のおかげでだいぶしたたかになった。一人では、笑顔で耐え忍ぶのにも限界があったから。

 周囲が雑談しながらのろのろと朝食を食べている中、すぐに食べ終わったグレーテルはさっさと自室に戻って学校へ向かった。


 すべての講義を終えて、手早く帰り支度をする。朝以来ヴィルフリートの姿を見ていないが、もしかすると一人でいそいそとパーティーの準備でもしているのかもしれない。あの自称悪魔はそういうところがある。頬が緩むのを感じながら立ち上がった。


「ローゼンガルト! グレーテル・ローゼンガルト!」

「はい?」


 教室のドアが慌ただしく開け放たれる。数人の教師がものすごい形相でグレーテルを呼んでいた。


「なんでしょう、先生がた」

「詳しい話は後だ、今すぐ神殿に行ってくれ!」


 日常が崩れ去っていく――――そんな音を、聞いた気がした。

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