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はみ出る異端者は打たれる

「あんた、一体どんなインチキを使ったわけ!?」

「ごめんなさい、次の講義があるの。通してちょうだい」


 詰め寄ってくる女子生徒達をかわし、グレーテルは杖を抱きしめたまま教室に向かう。今日の残りの講義はすべて座学だ。実技はてんでだめだが、座学なら得意だった。座学なら、知識でなんとかなるのだから。

 後方からぶつけられる紙くずも、慣れてしまえば気にならない。淡々とペンを動かす。板書をしている時間は心が穏やかになった。わからないところに線を引く。ここはあとで教師に訊きに行こう。

 実技だと教師からも可哀想な子を見る目で見られるグレーテルだったが、座学になると違う。グレーテルの座学の成績は優秀だ。少し面倒そうな顔をしながらも、教師はグレーテルの質問に答えてくれた。


「いくら理論を学んだって、あの落ちこぼれに使いこなせるわけがねぇのにな」

「静かにしろよ。聞こえんだろ」


 嗤いながら教室を後にする男子生徒達の声も聞こえないふりをして、グレーテルは受講ノートに書き込みを加える。満足したところで教師に礼を言って次の講義の教室に向かった。

 次の講義も大体同じような流れで終わった。今日はロッカーに悪戯されずにすんだようだ。前はカエルの死体がたくさん投げ込まれていて片付けが大変だった。実験や調合に使える素材がただで手に入ったと考えれば安い物だったが。

 学生寮に戻る。寮は一人部屋だ。グレーテルの部屋はもとは物置だったせいで全体的に狭くて古ぼけているが、設備自体は他の部屋とさほど変わらない。自室の鍵をしっかりかけて鞄や杖を置き、付属のバスルームに入る。熱いシャワーが心地いい。


(あら……なんだか、外が騒がしいわね……?)


 女の子の悲鳴、慌ただしい足音、そして男性の笑い声。誰もいないはずの部屋の中から何かが聞こえる。すわ心霊現象か。何かのはずみでゴーストの類が紛れ込んだのかもしれない。震える手でシャワーを止めて振り返る。すりガラスのドアは何も見せてはくれなかった。

 おずおずと部屋を出る。広いとは言えない部屋の中央で、青年がふんぞり返って立っていた。悪魔と名乗ったあの青年だ。


「ん? なんだ娘、いたのか。こうして見ると、本当にただの子供だな。まったく、こんな子供が俺の杖を持てるとは……」

「きゃああああああああ!?」


 悪魔はちらりとグレーテルを見た。残念そうにため息をつく彼に、手元にあった物を手当たり次第に投げる。

 そのどれもが悪魔の身体をすり抜けていった。子供のくせに色気づいて、とかなんとかぶつぶつ呟きながら、悪魔は面倒くさそうに後ろを向いた。


「棒切れかお前は。子供がそんな貧相な身体でどうする。もっと肉を食え、肉を。贅肉だろうと筋肉だろうと、肉をつけるには動物の肉が一番だ。背を伸ばすにはミルクに限る。魚もいいと聞いたな。野菜も忘れてはいけないぞ。……まああれだ、まんべんなく飯を食えということだな」

「余計なお世話よ!」

「たかが身長と体重の話でどうしてここまで怒るのだ……?」


 顔を真っ赤にしながら、グレーテルはバスタオルとネグリジェを持ってバスルームに駆け込んだ。すりガラスのドアにもたれながら、まだ部屋の中にいるであろう悪魔に向けて少し大きな声を出す。


「さっきの音、何なの?」

「ん? ああ、小娘どもがドアを破って俺の杖に触ろうとしたから追い出したのだ。すでに俺の杖の所有者はお前になったというのに、それを汚い手でかすめ取ろうというのは見過ごせん」


 「この杖に秘密があるに違いないわー」「また折ってやりましょうー」とか言っていたぞ、と悪魔は続けた。声真似のつもりなのか、高い声がやけに女性じみていていっそ気味が悪い。


「安心しろ、命までは取っていないぞ。少しおどかしただけだ。いかなる相手でも殺しはまずいからな。それに、俺の姿を視せてもいない。それぐらいは俺にもわかる」

「そう……」

 

 ほんの少しだけドアを開けて、着替えとタオルを外に置いた。流れ込んだ冷たい部屋の空気にぶるりと身体が震える。いそいそと湯船に浸かった。


「娘。お前はあれか、いじめでも受けているのか」

「……だったら何よ」


 すりガラスのドアに人影が映る。悪魔が来たらしい。


「どうもせんが? つまりお前は、有象無象の嫉妬の的だということだろう。いつの世も、天才の足を引っ張る身の程知らずはいるものだな。目障りな小蠅がちらちらとまとわりついてくることなら、俺にも覚えがあるぞ。そのすべてを叩き潰してやったがな。いやはや、きりがなくて大変だった」


 じわりと身体が温まってきた。ドアのほうを振り向けないまま、グレーテルは唇を引き結んだ。


「いいか娘、胸を張れ。お前はその幼さにしてすでに俺を眠りから喚び起こすだけの力を持っている。お前は、妬み嫉みに身を焦がすしか能のない下衆どもとは違うのだ。俺の杖を振えることを誇るがいい。何回人生をやり直そうと凡愚風情では決して届かない高みに、お前は立っているのだからな」

「……でも、あたしには何の才能もないわ。ちょっと魔力があるだけで、なんの魔術も使えないのよ。あたしの魔力は多分、純度の低い粗悪品なんだわ。量が多い以外のとりえなんて……」

「そんなはずがないだろう。俺の杖は、すっかりお前の色に染められたぞ。この俺ですら、お前の魔力に引っ張られて起こされたのだ。そのお前が無能なわけがない。お前は、自分の力の使い方に気づいていないだけなのではないか?」


 悪魔はしばらく黙る。ややあって、彼は膝を打った。


「そうだ、やはりお前は力の使い方を間違っている。確かにお前はあの時、単純な炎すら生み出せなかったな。しかし俺のことは喚びだせた。つまり、お前の学んだ魔術がお前に合っていないのだ。誰も彼もが使いこなせる汎用魔術など、才あるお前にはふさわしくないのだからな!」

「ど、どういうことなの?」

「面白い、面白いぞ娘! これでまた一つ、俺が天才であることが証明された! いいだろう娘、俺がお前の師となり新たな魔術の世界を教えてやる! そうすればお前は当代最強の魔術師となり、物の道理もわからぬ間抜けどもの阿呆面を好きなだけ踏むことができるぞ!」

「あ……あたしでも、魔術が使えるようになるってことかしら?」

「当然だ!」


 悪魔はかかと笑っていた。それは言葉通り、悪魔の誘惑だ。

 ごくりとつばを飲み込む。悪魔の言うような過激なことをする気はなかったし、そもそも悪魔の誘いに乗ること自体が背徳の罪だ。もし悪魔と関わりをもったなどと人に知られれば、神の名のもとに重い裁きを受けることになるだろう――――だが、魔術を使えるようになるという魅力には抗えない。


「その対価は何? 悪魔って言うぐらいだから、願いを叶えてくれる代わりに何かを差し出さなければいけないんでしょう?」

「対価だと? ああ、そういえば奴もそんなことを言っていたな。……俺は悪魔なんぞに頼らずとも元から大天才だ。しかしそんな俺にも、一つだけ欠点があってな。それを補うべく、俺は悪魔に片目をくれてやったのだ。しかし奴は俺の思うような結果は出さなかった。ちっ、何が悪魔だあの低能め、四流小悪党風情の呪いになんぞ影響されおって。おかげで新たな魔術を編み出す羽目になった。俺が神すら跪かせる大魔術師だったからこそよかったものの……」

「ちょ、ちょっと?」


 ぶつぶつと恨み言を呟き出した彼に、慌てて声をかける。悪魔ははっとして咳払いをした。


「俺がお前に望むのは、永遠の服従だ。お前のすべてを俺に捧げろ。確かにお前は俺の杖のあるじだが、間違っても俺のあるじではない。そこを違えることのないようにな」

「つまり、あなたの言うことならなんでも聞いて、死後にも魂を差し出せってこと?」

「は? いらんいらん。魂なんぞもらってどうする。ああ、言っておくが、俺はお前のような子供に興味はないぞ。お前がどうしても差し出したいというなら別だが、もっと大人になってから出直すがいい。美しすぎる俺に恋してしまうのは仕方ないが、そういうのはお前にはまだ早い」

「……」


 無言のまま、桶にお湯を汲んでドアにぶちまける。悪魔は短く驚いたような声を出したが、それをごまかすかのようにもう一度咳払いをした。


「俺の杖を捨てるな、俺を騙すな、俺を裏切るな。反意を持つなら一言声をかけてからにしろ。いいな?」

「それだけでいいの?」

「それだけとはなんだ。大事なことだろう」


 何の疑問も持っていないというように、悪魔はきょとんとした様子で言ってきた。そうね、と返して湯船の中に頭を沈める。数秒ののち、勢いよく顔を上げたグレーテルは口を開いた。


「わかったわ。あなたと契約します」

「契約、契約と来たか。お前の覚悟は受け取ったぞ。では娘、お前の真名を問おう。魔術師同士で誓約を交わすなら、やはり真名を知らねばな」


 ずいぶんと古風な風習を持ち出してくる。この悪魔が本当の悪魔ではないことはなんとなく察しが付くが、正体がまったくわからなかった。

 魔術を教えてくれると言ったり、自分のことを魔術師だと言ったりすることから、魔術師なのは間違いないだろうが、透けたり消えたりしたり呪文に応じて何もないところから現れたりするなど普通の人間とは思えない。もしもわざわざ何かの魔術を使ってグレーテルに付き合ってくれているなら、彼は一体どれだけ暇なのだろうか。


「グレーテル。グレーテル・ローゼンガルトよ。ええと……この名に誓って、あなたを裏切ったり騙したり、あの黒い杖を捨てたりしないわ」

「ふむ、そこそこいい名だな。俺はヴィルフリート・ドルンハーフェン。この名に誓い、お前を俺の一番弟子と呼ぶにふさわしい一流の魔術師に育ててやろう。みっちりしごいてやるから覚悟しておくのだな」


 聞いたこともない名前だ。今を生きる人物だろうが歴史上の人物だろうが、高名な魔術師なら大体頭に入っていると思っていたのに。

 この男は隠者か、口だけの大ぼら吹きか、あるいは本当に人外の何かか。身をよじるが、ぱちんと両頬を叩いて気合を入れ直す。臆していたって始まらない。


「お前に教えるのはドルン流魔術だ。天才の俺が作った、天才のための魔術だな。そこからお前が正真正銘自分の魔術を編み出せるかは、お前のやる気と器にかかっている」

「ドルン流魔術? 聞いたこともないわね」

「それはそうだ。術者が俺しかいないからな。天才の俺の魔術を扱うにふさわしい者もいなかったせいで、継承すらもできなかった。しかし娘、お前には素質がある。なにせお前は俺を喚べたのだからな」

「……ねえ、そう言ってあたしを見捨てない? やっぱりなんの才能もない落ちこぼれだって言って、結局見放したりしない?」

「その小さい胸が抱えそうな矮小な心配だな。世界の至宝たるこの力と頭脳を継承し、この俺の素晴らしさを伝える者がいなければ意味がないだろう。ドルン流魔術がこのまま消えていくのは世界の損失だぞ。俺が自分で伝えていければいいが、そういうわけにもいかない。おまけに、どいつもこいつも俺の教えを理解できそうにない劣等ばかりでな。唯一見つけた、まともに見込みのありそうな者がお前なのだ。お前が先の誓約を破るか、お前が死ぬかしなければ、俺がお前のもとを離れる理由がないだろう」

「そう。……ありがとう、ヴィルフリート」

「うむ、素直に礼を言えるのは美徳だな。これからも俺に最大の感謝と敬意を捧げるがいい。そして、何かしでかしたら即謝罪するのだ。俺に何かしてもらいたいなら丁寧に頼めよ。ああそうそう、献上品もいつでも受け付けているぞ」

「わかったわ。……とりあえずヴィルフリート、そろそろどいてほしいんだけど……さすがにちょっとのぼせてきたの……」

「……」


 ちらりとドアに視線をやる。ヴィルフリートの影はもうなかった。

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