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安物買いはおまけつき

* * * * * *


「まさか、お前に裏切られるとはな。誰のおかげで王になれたかも忘れたか」


 青年の声は暗く静かに落ちた。長い生において唯一友と呼んだ主君は、ただ見下した目でこちらを見ている。彼が率いる騎士達の剣は、すべてこちらに向けられていた。


「先に私の信頼を裏切ったのはお前のほうだろう、ヴィルフリート。……いっときでもお前を友と呼び、忠実な臣下だと思い込んでいた己すらも恨めしい。弑逆(しいぎゃく)(はか)った罪、穏やかな死などでは到底償いきれないぞ」


 主君がそう告げた途端、彼の背後に控える一人の魔術師が小さく嗤った。

 ああ、これ以上は時間の無駄だ。抵抗も、弁明も、もはや何の意味もない。

 青年はため息をつき、手にしていた黒茨の杖を投げ捨てて両手を上げる。けれど浮かべるのは嘲笑だった――――あんな小者の言うことを真に受けて目を曇らせる馬鹿が主君だなんて、こっちこそ願い下げだ。

 殺せ、と。厳粛な号令に騎士達が一斉に動き出した。

 たちまち青年の身は斬り裂かれ、貫かれ、視界が赤で埋め尽くされて倒れ伏す。剣と鎧を血に染めた騎士達の間から、かつての主君がその場から立ち去ろうとするのが見えた。

 それでも彼らは手を止めない。畏怖をにじませ、執拗に剣を振り下ろし、この首と胴を切り離そうとした。

 とどめとばかりに魔術師は破滅の呪いを紡ぐ。どんな形であれ、この厄介な敵が生き延びてしまうことのないように。

 首筋に剣が振り下ろされる。最期に見たのは、憎くて仕方ない魔術師の満足げな顔だ。彼は動かなくなった青年を踏み躙り、戦利品と言わんばかりに黒茨の杖を拾っていった。



「……恥知らずどもが。この悠久を生きる大賢者が、茨を冠する魔術の王が、こんなことで死ぬと思ったか」


 だが、こんなところで終われない。終わるわけがない。カッと目を見開く。何のために悪魔ごときに片目をくれてやったと思っている。すべてが完璧なこの自分ですら克服できなかった、唯一の欠点を補うために決まっているだろう。


「恩を仇で返された礼だ、俺から予言をくれてやろう! 我が安息の地を土足で踏みにじった不作法者どもよ、もはやお前達に掴む栄華はないと知れ! 欲に溺れてかつての輝きを失った王に伝えるがいい、この気高き茨の魔術師を排したせいでフロリアスは滅ぶとな!」


 絶命したはずの青年が呪詛に満ちた言葉を吐いたことに気づき、勇壮を謳う騎士達ですらたまらず悲鳴を上げた。

 憎悪に輝くその隻眼に魅入られ、騎士達は己の業を振り切るように我先にと逃げ出す。誰もいなくなったその場所で、肉塊と化した身体がもぞもぞと起き上がった。

 転がった頭を正しい場所に載せ、呪文を唱えた。ゆっくりと傷が癒えていく。だが、まだ足りない。最後にあの忌々しい若造にかけられた呪いが、この身の完全な復活を阻んでいるのだ。

 鉛のように重い身体を引きずって寝室に向かう。ベッドに寝ころぶと、白いシーツはたちまち赤く染まっていった。


 青年はそのまま永い眠りについた。それと同時に塔を黒い茨が覆いつくす。あるじの呪いが解けるまでは何人たりともこの場を侵せないよう、塔とあるじを守り続けるために。

 たとえ誰が挑んでも、塔の茨はすべてを拒み続けた。たとえ王が己の過ちを悔いて許しを乞うても、茨が朽ちることはなかった。たとえ国が滅んでも、黒き茨の塔は変わらずそこにあった。

 誰もがこの不変の塔を畏れた。朽ちない漆黒の茨で満たされた、不気味な塔を。命知らずにも塔に足を踏み入れようとした者は、茨にその身を裂かれてみな死んだ。


 かつてここは、あらゆる魔術師達の理想郷だった。

 魔術を極めて魔導をなし、誰も到達できない高みに座した、茨の名を持つ魔術王の一族の住まう城。ここには彼らの叡智のすべてがあり、塔の最上階に辿り着いた者は彼らになんでも願いを叶えてもらえるのだと伝わっていた。

 迫害を受けた孤児は偉大なる魔術師に。悪政を憂う奴隷は賢明なる君主に。塔に住む賢者は、気高い茨の名のもとに勇敢な者達の願いを叶えていた。

 けれどそれは遠い昔の話。多くの血に穢れたここは、今や誰もが畏れる呪いの塔――――亡国の賢王と勇敢な騎士達によって封印された、魔王の墓場だ。


* * * * * *


「おお……!」


 目を輝かせるグレーテルの視線の先にあるのは、壁に立てかけられた杖だ。その中の一本に、グレーテルの目は釘づけだった。

 黒いその杖は、グレーテルの身長をゆうに越えていそうなほどに長い。全体には茨が巻きついているような装飾が施されている。先端で輝く薔薇を模った紅い石は、魔法石に違いない。この辺りに並べられているものはすべて中古品のはずだが、漆黒の杖は新品のように輝いていた。


「お嬢ちゃんにはちょっと大きすぎると思うが……気に入ったなら持ってみるかい? ああ、一応売りもんなんだから、お嬢ちゃんの魔力を流すのはなしで頼むぞ」

「ぜひ! ぜひぜひ!」


 カウンターに座った武器屋の主人がやる気なさげに声をかけた。食い気味に返事をし、グレーテルは杖に手を伸ばす。


「わぁ……!」


 店主の言った通り、杖はグレーテルの身体には大きすぎた。おそらく、成人男性の使用を想定されているのだろう。だが、杖の長さなんて後で魔術で調整すれば済むことだ。

 それに、不思議と重さは感じない。やや太い柄は小さな手では途中までしか握れないものの、グレーテルの手によくなじんだ。装飾の棘に刺さると痛いが、棘を避けてうまく指をかけられる。むしろ棘を支えにすれば、杖を安定して持つことができた。


「いいだろ、それ。由来だってしっかりある。なんせ、今は亡きフロリアス王国の宮廷魔術師が使ってた代物だからな。軽く見積もっても、二百年近くも前の逸品だぜ? ひょんなことから質に流れたそれが、いろんなあるじの手に渡って……巡り巡ってうちにきたんだ」

「おじさん、これいくらですか?」


 真紅の薔薇をうっとりと見上げながら尋ねる。

 中古品とはいえ、きっと目が飛び出るほど高いのだろう。奨学金で細々と暮らす子供に買えるわけがない。

 必要なのはつい数時間前の講義で折られてしまった杖の代わりだ。もっと安物の、いつ壊されてもいいようなものでなければ買えなかった。

 本当は、他の杖に目移りしている時間はない。昼休みが終わるまでに学園に戻らなければ、午後の一番目の講義に間に合わなくなるからだ。

 今日の講義内容は実技のテスト、杖がなければどうしようもない。今すべきなのは、なるべく速やかに手の届く値段の杖を手に入れることだった。だが、これほど素敵な杖があるのなら、いつかこれを買うことを目標に――――


「銅貨十枚だ」

「えっ」

「銅貨十枚だよ」


 今、グレーテルの財布には、銀貨が五枚と銅貨が七十枚、青銅貨が八枚と鉄貨が数枚入っている。今月の全財産だ。

 この中から今月の生活費と、折られてしまった杖を新調するための費用を工面するつもりだった。杖の予算は、どれだけ奮発しても銀貨一枚。それが、十分の一の値段で買えるなんて。下手をすれば、叩き売りされている木の棒まがいの杖よりも安いかもしれない。


「見た目はいいだろ。歩く支えにはもちろん、鈍器としても使えるぜ。はったりきかせるのにもちょうどいい。護身用にどうだ?」

「か、買いますっ! これください!」


 興奮したグレーテルの耳には店主の話も入らない。慌ただしく財布を取り出し、じゃらじゃらと銅貨を取り出す。こうしてこの美しい黒の茨の杖は、晴れてグレーテルのものになった。


(もう絶対絶対、壊されないようにしないと……!)


 棘にも構わず、杖をぎゅっと抱き寄せる。片時も目を離さず、手放さないようにしよう。必要とあれば身を挺して杖を庇おう。だってこの杖のことを、それぐらい気に入ってしまったのだから。

 さっそく故郷の両親に手紙を書こう。素敵な杖を手に入れた、と。元気でやっている、友達もたくさんできた、魔術も少しずつ上達している、先生から褒められた。そんな嘘しか書けない手紙に、ようやく真実を綴ることができる。


「おじさん、ありがとうございましたー!」

「おうおう、気をつけて帰れよ。返品は受け付けねぇからなー。……あんな眉唾もんのガラクタ、買い取る物好きもいねぇだろうが。ああ、不良在庫が消えてよかったよかった。どんな値段にしても、本物の魔術師には一発でゴミだって見破られちまうからなぁ」


 あの杖は、店主にとっては頭痛の種だった。魔術師の持つ杖とは、魔力を形ある魔術として放つための触媒だ。しかしあの杖はどんな魔力も受け付けず、人の魔力に一切染まらない。魔術触媒としての効能はほぼゼロだ。そのため非常に価値が低く、一向に売れる気配がなかった。

 見てくれに騙されて不良品を掴まされたことにも気づかない馬鹿な子供が満足げな様子で店を出るのを見届けて、店主はしめしめと笑った。


*


「次! グレーテル・ローゼンガルト!」

「はいっ!」


 教師に名を呼ばれ、グレーテルは勢いよく返事をして立ち上がる。くすくすと漏れる笑い声も気にならない。買ったばかりの杖を手に、グレーテルは前へ進み出た。

 帰ってきたのが講義が始まるぎりぎりの時間だったので、大きさの調整や魔力の適合もしていない。しかし大きな杖はやはりグレーテルの手にしっくりくるし、魔力の適合についてもさほど時間はかからないだろう。中古品とはいえもう前の持ち主の魔力の残滓は残っていない。グレーテルの魔力で染めて、グレーテル専用の杖にするのは簡単なはずだ。魔力が豊富なことが唯一の自慢なのだから。

 魔力を流してみる。案の定、グレーテルの魔力は問題なく杖の中に融けた。手ごたえからして、相性もよさそうだ。薔薇の宝石もいっそう美しく輝いた気がする。

 見習いとはいえ魔術師の本能が訴えた。この杖はグレーテルの魔力を確かに受け入れ、グレーテルの色に染まってくれたのだと。これで、この杖で魔術を行使できるのはグレーテルだけだ。


「準備はできましたか? では、あの的を燃やしてみなさい」

「わかりました。焼き尽くせ、業火(フランメ)!」


 グレーテルは力強く呪文を唱える――――しかし何も起こらなかった。


「なんで……!」


 杖は確かにグレーテルを持ち主だと認識してくれている。魔力だって問題なく杖に流れ込んでいる。魔法石がついているから、グレーテルの力では実現できないような大規模な魔術だって展開できるはずだ。あとはグレーテルの魔力が、杖を通して魔術となって現れるだけだった。それなのに。


「どうして応えてくれないのよ!?」


 素敵な黒い茨の杖さえ、グレーテルを裏切った。目の前が暗くなる。この杖も、結局他の物と同じなのか。

 故郷の両親が持たせてくれた杖も、木の棒に毛が生えた程度の安物の杖も、グレーテルの魔力を魔術として放ってはくれなかった。この杖ならあるいはと、思ったのに。


「お前に才能がないからに決まってんだろ!」

「そうそう。さっさと引っ込んでよ。あとがつかえてるじゃない」

「そのまま田舎に帰っちまえよー」


 たちまち生徒達から野次が飛ぶ。教師はため息をついて彼らを静まらせたが、グレーテルを見る彼の目は失望がにじんでいた。

 きっと、最初からそうだった。彼はグレーテルに何の期待もしていないのだ。だってグレーテルは、落ちこぼれだから。


「ほう、俺の杖を我が物にしたか。おい娘、物は試しだ。今度はこう唱えてみろ――顕現せよ、彷徨える亡霊(ドルンゼーレ)、とな」


 急に、頭の中に声が響いた。地の底から響いたような低い声。聞いたことのない男性のものだ。思わず杖を見上げる。杖は無機質に輝いていた。


「け……顕現せよ、彷徨える亡霊(ドルンゼーレ)……?」

「いかにも、いかにも! まさかとは思ったが、本当に俺を()べる声があるとはな!」


 言われた呪文をおうむ返しに呟く。その瞬間、グレーテルの足元を何本もの茨が這い、目の前に誰かが現れた。


「で、なんだ。あれを焼き払えばいいのか? 至極単純に、そのまま言葉通りに?」


 グレーテルより十近くは年上だろう。赤い瞳を持った、さらさらの長い黒髪の青年だ。ひどく美しい顔をしていたが、その美貌を崩すかのように右目は黒眼帯で覆われていた。

 教師も生徒も、誰もこの青年に気づいていないようだ。それもそのはず、彼は半透明なのだから。普通の人間であるわけがない。

 青年はグレーテルのほうを振り返って、的を指さしている。考えるより先に思わず首肯していた。


「この天才をわざわざ喚び出してやらせるほどの用事とは思えんが、やれと言うならやってやろう」


 青年がにやりと笑う。犬歯が好戦的に覗いた。


「……さて、と。こんなものか」


 青年は呪文の類を唱えるそぶりもみせなかった。彼がしたのは、指を鳴らすことだけだ。しかし的は茨に包まれて確かに燃え盛っていて、青年以外の誰もが的があったところとグレーテルを交互に見つめている。


「眠気覚ましの運動にもならんな。なんなら、盛大な大火を放って芸術的な形の焦げ目でもつけてやってもよかったのだが」


 その言葉通り、青年は眠たげにあくびをしていた。本当に、彼にとってはささいなことらしい。

 杖も使わず、あまつさえ無詠唱で今の火を放ったのはこの青年だ。しかし、教師も生徒も全員グレーテルの魔術が少し遅れて発動したと思っているようだった。

 一体どうしてできるようになったんだ、ときぃきぃ騒ぎ出す生徒達には目もくれず、グレーテルはこわごわと青年を見て小声で尋ねた。


「あ、あなたは誰? どうして、他のみんなには視えていないの?」

「俺か? 俺は……そうだな、悪魔とでも言っておこうか。お前がその杖のあるじである限り、喚ばれれば来てやろう。退屈に殺されそうになったら、俺のほうから勝手に行くかもしれんがな」

「悪魔……」

「娘。お前がもっと杖に魔力を流せば、俺の姿は実体を持つだろう。実体と言っても、お前以外の者にも俺の姿が視えるようになる、という意味だが。そうしたほうが、俺の力も本来のものに近づくぞ」


 青年はもう一つあくびをした。彼が眠たげに目をこすった途端、風が吹いて彼の黒い髪が乱れる。同時にその姿が幽鬼のように薄れていった。


「さて。俺はまだ眠いのだ。これで用が済んだなら、もうひと眠りしてくるとしよう」

「待っ――!」


 引き留める声は届かない。伸ばした手はそのまま彼の身体をすり抜けた。そんなグレーテルの様子を誰もが怪訝そうに見ていたが、教師が一言発した「合格!」の言葉でみな我に返った。

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