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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

それでも、人を殺しちゃだめですか?

作者: 蒼原凉

ある日、私こと『朝田奈央』は殺人を企てる。計画は成功し、上手く事故に見せかけたかに思ったが、そんな私の前に、とある刑事が立ちふさがった。果たして私は逃げ切ることができるのだろうか。

 頭の中にI dreamed a dream. が流れ込んできた。スーザン・ボイルだったか、確か。昔、ずっと昔に夢を見ていた。だけれど、その夢はもう破れてしまった。そんな内容だったと思う。今だってそうだった。夢を忘れてしまっているし、もう見たいとも思わない。

 だって、今、私は人を殺したのだから。

 目の前に横たわる死体。正しく言うのならば、死体ではなく、瀕死の状態。でも、まあ間違いなく死ぬだろう。後頭部から血がどくどく流れ出ているし。鉄の香りが床を濡らしている水と混ざってむせかえりそうだ。吐きはしないけれど。私のスカートにも水が染みているが、それは仕方ないことだろう。

 私が殺した。殺意をもって目の前に横たわる少女を殺した。名は伊藤静。私のクラスメイトだ。けれど、警察は私を逮捕できない。誰も、私が静を殺したなんて思わない。私には自信があった。誰も私の犯罪を立証できない。絶対に。

 口の端から笑みがこぼれる。ああ、口の中が切れていた。やっぱり、鉄はまずい。

 いつぶりだろうか、笑ったのは。よく覚えていない。でもまあ、痛快な気分だ。だって、私がこいつを殺したのだから。なのに、こいつは誰かに殺されたなんて夢にも思わないだろうし、他の誰だって気づけやしない。ふふ、最高だ。

 そう、例えるならば、呪いのようなもの。

 静は呪われて死んだ。そんなところだろう。そして、次なる殺人で、呪いは真実となる。完璧じゃないか。

 まあ、その完璧な計画には、まだ少し足りない。笑った口元を血で拭う。さて、善良な市民の心得として、死体を見つけたらちゃんと警察に通報しないとね。私はこれでも善良な市民なのだから。

 目撃者もいるわけだけど、そっちは無視。だって、私が殺したなんて立証できないし、むしろ無実を証明してくれるもの。まあ、あいつらのことだから、どこかで震えてるんじゃないのかな。運よく最初の犠牲者が彼女だったのも幸運だったし。

 血と水で滑る階段を、右側の壁に寄り掛かろうとするように降りていく。と、足が滑った。

「っ、いってー」

 思わず口がにやける。血の味は相変わらずまずいし、打ち付けた背中と左ひざも痛むけど、笑ってしまう。いけないや、これじゃあ、不審に思われちゃうもんね。そう、あくまで私はクラスメイトが事故死するのを目撃しただけ。

 本来は屋上へ行く階段には立ち入り禁止なんだけど、誰も守ってなんかいない。血まみれでよろよろと降りてくる私を見つけた教師もうるさいことは言わなかった。

「朝田さん! 血まみれだけど、何があったの!?」

「先生、その、伊藤さんが、屋上で」

 そこまで言って息を吐く。それを聞くなり教師は飛んで行っていった。あれは、担任の高島だったか。気が弱いから、気絶するかもしれない、そう思った。

「きゃあぁぁぁぁ!」

 やけにかわいい悲鳴を上げたな、なんてことを思う。ともかく、これで十分だ。




 救急車はすぐにやってきて、静の死体を運んでいった。まず間違いなく蘇生は無理だろう。

 私はと言えば、打ち身だけだったので、保健室で休んでいた。ただ、水を浴びてしまったので低体温症にならないようにジャージに着替えさせられたが。

 さて、本番はここからである。私は警察には捕まらない。絶対に。かといって、変なことは口走ってはならない。

 当然、事件当時私は現場にいたのだから、事情聴取はされるだろう。だが、疑いの目は向けさせない。養護教諭から渡された水と共に、血交じりのつばを飲み込んだ。

 完全犯罪とは何か。それの答えは、犯罪が起きたことすら警察に悟られず、死体を始末すること。決して密室殺人を作り上げることじゃない。それじゃあ、どこかにトリックがあると思わせてしまう。意味がない。

 けれど、私みたいな、一介の女子高生が人を殺し、そしてその死体を誰にも気づかれないように処分するなんてこと、不可能だ。非力で、傷だらけで、力もない。それに、殺す対象がクラスメイトなら、行方不明になったことは簡単にばれる。ならば、答えは一つだ。事故で殺せばいい。

 そしてその作戦は完璧にうまくいった。まずは一人、静が死んだ。

 コンコン

 ノックされる。そろそろ警察が来る頃だろう。上手くあしらわなければ。

「すいません、警察の福井と申しますが」

「あ、刑事さん。どうも」

 軽く会釈する。ジャージの下は冷えるとだめだからと全部取られた。それに、なるべく体は見せたくない。いろいろとあるし。

 握手を求めてくる手に左手を差し出す。少し戸惑った後左手を出してきた。

「それで、あの、静はどうなったんでしょう?」

 心配しているクラスメイト風におずおずと切り出す。流石は私。演劇部に入れるんじゃないだろうか。

「残念ながら、亡くなられました」

「そう、ですか……」

 知っていた。だって、生存なんてされれば困るから。これで、静は死んだ。いい気味だ。

「それで、朝田さんは、現場におられたということで、話を聞かせて欲しいのですが」

「え、あ、その」

 わざとうろたえたふりをする。ちなみに、朝田奈央というのが私の名前だ。

「その、お辛いでしょうから、できる範囲でいいので」

「はい」

 神妙な顔をして頷く。

「伊藤さんとはどのようなご関係で?」

「はい、クラスメイトで、その、友達でした」

 虫唾が走る。あんな奴、友達なんて思いたくない。丸く収めるためにそう口に出したが。

「それで、現場で何があったか、覚えてますか」

「あの、あそこにいたら、突然棚が崩れて、バケツが落ちてきたんです。それが、静の頭に。そしたら、静、動かなくなっちゃって」

「上から、振ってきた、と」

「はい、そうです」

 ちなみに、その場には私の他にも何人かいたのは話さなくていいだろう。どうせ、本人たちから聞くだろうし、それくらい隠したところで何の問題もない。むしろ、その方が自然とも言える。

「なるほど、現場の状況から見て間違いなさそうですね。それより、どうして屋上への階段にいたんですか? 高島先生から聞きましたが、あそこは立ち入り禁止のはずですが」

「その、ちょっと。静に呼び出されて」

 一応本当だ。まあ、話しにくそうにしていてもおかしくはない。自然だろう。この刑事が有能であれば、後々気づくはずだ。言いにくいことだと思わせておく。別に言って私が困るわけじゃないが、言わない方が自然だから。それに、二度目だが、一応嘘ではない。

「なるほど。ところで、その松葉杖は、どうなさったんですか?」

 右手に抱えていた松葉杖に関して目ざとく突っ込んでくる。事件に関係があるとは思えないが、何なのだろうか。

「実は、その、2週間ほど前に高い所から落ちて、右足を骨折したんです。今は、松葉杖なしでも一応歩けるんですけど、やっぱり念のために」

「そうですか、なるほど」

 一瞬右手に視線が動く。どうやら、だから左手で握手したんだと思ったらしい。別に訂正する理由もないので黙っておく。

「ところで、それって何か事件に関係があるんですか?」

「いえ、特には」

 気になったこと、正確には普通なら気になりそうなことを聞いていく。こうしてただの目撃者アピールをしていくのだ。疑いの目を自分に向けさせないこと、それが第一である。

「ありがとうございます。また、後日うかがうかもしれないので、その時はまたお話を聞かせてください。それでは」

「あの」

 そういうわけで引っかかったことを福井刑事に問いただす。

「ドラマとかだと、刑事さんってたいてい2人で行動してますよね。なんで、1人なんですか?」

「ああ、それは。僕は刑事課じゃなくて、少年課ですから。もともとは、刑事課にいたんですけど、飛ばされちゃって」

 少し驚く。けれど、いい前兆だ。予定通り過ぎて逆に怖くなる。少年課の、しかも飛ばされてきた刑事一人だなんて、警察はこれを事故だと思っているというわけだ。まあ、事故に見せかけたからそうなってもおかしくはないんだけどね。

「あ、そうだ。一つ聞いておきたいんですが?」

「なんですか?」

 この人は杉下さんの真似でもしようとしているのだろうか。ちなみに私は相棒が結構好きだったりする。といっても、ノベライズされたものが中学の図書館にあったので読んでいただけだが。

「あのバケツは、水入りだったんですよね。なんでそんなものが棚の上に置いてあったんでしょう?」

「さあ、なんででしょうか? 消火用とかですかね。すいません、力になれなくて」

「いえいえ、それではこれで僕は」

 答えは簡単。私が置いた。だけど、そんなことは証明できない。棚はもとからあったものを利用しただけだ。それに細工はしたけれど、その程度でしかない。私は捕まえられない。捕まえられてたまるものか。




 事件のせいで、学校は大騒ぎで、授業どころではなくなっていた。みんな、事故と思っているけどね。学校側は関係したことが判明している生徒、つまり私を除いて帰らせたらしい。そして私も、一応話は聞いたということで、帰らされることになった。

 余計なことは一切しゃべっていない。現場にいたら、バケツが降ってきた。現場にいた理由はあまり言いたくない。そんなところだ。教師だって自己保身に精一杯。特に高島なんて顕著。そんな奴らが詳しく追及するわけがなかった。それはちょっと、なんて言って思わせぶりな態度を取ればそれで悟る。そして見ないふりをする。そんなものだ。

 そういうわけで、私は晴れて自由の身。家に帰るところだった。荷物を取りに教室へ戻る。荷物は……まあ、無事なわけないか。

「あ、朝田さん」

「あれ、刑事さん。また何か、話でも?」

 教室の外から福井刑事に見つかる。まあ、どうせ大した話ではないだろう。捜査して気になったところが出てきたとか、あるいは聞きそびれたとか、そんなところだろう。

「ええ、実は。少し聞きたいことがありまして。すこしお時間よろしいですか?」

「ええ、構いませんけど」

 どうせ、家に帰ったところで何もやることはないんだ。なら、この刑事と話しても構わない。どうせなら、不審に思われない範囲で捜査状況を聞き出したっていい。

「では、少し」

「そこ、危ないですよ」

 窓の手すりにもたれかかろうとした福井刑事に言う。

「そこ、弱くなってるので」

「ああ、それはどうも」

 そう言うと福井刑事は窓の手すりではなく掃除ロッカーにもたれかかった。

「ちょっと確認なんですが、朝田さんの靴のサイズは何センチですか?」

「え、えっと23.0ですけど」

「そうですか。それで、まず一つ目なんですが、現場には被害者と朝田さん以外にも人がいましたよね?」

「え、そ、それは」

 うろたえて見せる。口止めされている。そういう演技だ。

「な、なんでそう思うんですか?」

「あそこにあった上履きの跡、数が多かったんです。被害者もあなたと同じで23.0。ですが、現場には他に後2種類、長さの違う靴の跡があった。少なくとも、他に2人はいたことになります。数からして、あと2から5人と言ったところでしょうか」

 4人だ。口には出さないけれど。

「どうして、嘘を吐いたのか、教えてもらえますか?」

「べ、別に嘘を吐いたわけじゃ。聞かれなかったですし」

 予定通りだ。この嘘は別にばれても構わない嘘。むしろばれることを前提にしている。だから、演技にも余裕があった。

「では、教えてもらえますね?」

「あ、その、言えません。口止め、あ、いえ、何でもないです。忘れてください」

 口止めされている。そう、福井刑事は取ったことだろう。口走りかけるまで、予定通りだ。

「はあ、わかりました。では、これについては改めて聞くとして、二つ目です。あそこにあったバケツ、あれは、消火用のものではありません」

「え? どういうことですか」

 こっちは予定になかった。それだけにびっくりだった。動揺を悟られないように心臓を落ち着かせる。大丈夫だ、こんな目線、甘いものだ。悪意のある目なら見慣れている。

「あれは、犯人が事前に用意したものです」

「犯人っていうことは、これは事件なんですか?」

 落ち着け。ただかまをかけてるだけかもしれないじゃないか。そんな術中にわざわざはまっていく必要なんてない。

「いえ、まだわかりません。ただの事故かも。ですが、あれは消火用に用意されたものではありません」

「その根拠は何ですか?」

 気になる。私は何のミスをしたんだ? そんなはずはない。私は天才外科医並みに完璧だったはずだ。失敗なんてしていない。

「あの水は、新しいものです。まだ沈殿物がほとんど溜まっていませんでした。私は専門家ではないのでわかりませんが、長くても1週間前でしょう。消火用の水なら、もっと古いのが普通です」

「確かに」

 ここで変なツッコミはいれない。例えば、それくらい前に交換されたのだとか。そんな不信感をあげるようなことは私はしない。それに、事故だと思わせる要素はまだ何枚もそろっている。推理小説の犯人みたいに、小さなミスにいつまでもこだわりはしない。こじつけない。

 しかし盲点だった。水の新しさとは。それも仕方ないことだ。だって、犯行を思い付いたのがつい1週間前なんだからさ。

「バケツに残っていたラインからして、恐らく50キロほどの水が入っていたはずです。そんな重さのものが上から落ちてきたら、頭蓋骨か頸椎を骨折して人は死にます。当り前ですよね」

「確かに。でも、そんなに上手く落ちてくるでしょうか?」

「そこなんですよね。問題は。まあ、何かの準備だったのが不運に落ちてきたっていうのが一番考えやすいですね。それと、他の人にも話を聞いてみようと思います。それでは、僕はこの辺で失礼」

 そう言うと、福井刑事は去っていった。予定通りだ。

 厳密に言えば、少しのほころびがあった。だけど、それさえも想定内だ。事故だって、人間の不注意が介在する。その程度、どうってことない。私を捕まえることなどできやしないのだから。事故に悪意が含まれていたところで、事故は事件になりはしないのだから。

 それに、呪いならある程度の不自然さがあったほうがいい。そして、そこに吸い込まれたように死んだ。それこそが、恐怖を掻き立てる。罪悪感を抱かせ、そして、恐怖を、底知れぬ恐怖を与える。計画は順調だ。果たして何人死ぬのか、楽しみである。




 それは、その翌日のことだった。

 私はいつもより早めに登校して読書をしていた。別に、読書が好きなわけじゃない。他にやることがないからだ。誰も私に話しかけようとはしなかった。普段からこんな感じだけどね。現実世界に比べて小説はなんて自由なんだろう。そんなことを思ってしまう。青い鳥なんていないって知ってるのに。

「奈央!」

 私の名前を呼ばれて、急に胸をつかまれる。美琴だった。山中美琴、死んだ伊藤の親友。そして、一応目撃者でもある。

 いつの間にか取り囲まれていた。椅子から離され、後ずさる。窓に向けて。当然、松葉杖を持っているような余裕なんてなかった。

「お前、昨日は何してくれたんだ! いったい何しやがった!」

「し、知らないって。それに、あれは事故じゃん」

「違う! お前が殺したんだ、お前が静を殺した!」

「そんな!」

 たいした役者だな、と思う。まあ、実際は私が殺したんだけれど。誰も知らない。目撃者ですら、告発じゃなく、八つ当たりという形しか取れない。

「黙ってろ!」

 殴られる。頬を2発、それから胸に。お腹にも入れられて、体が前のめりになる。力が抜けそうだ。けれど、私はずっと、心の中で笑っていた。ああ、血の味ってどうして酩酊感がするんだろう。

 窓際に追い詰められた格好になる。というか、そんな状態に持ってきた。もう、二日で2人を殺せるなんて、運がいい。

「お前が、お前が、静を殺したんだ!」

 取り巻きどもに取り押さえられながら、美琴に肩を抑えつけられる。今だ!

 体を思いっきり後ろに倒す。当然、窓の外だ。手すりのねじは緩めてある。そして、巴投げの要領で、足を思いっきり蹴り上げる。ひっかけるような感覚だ。

 ガコンという音がして、手すりが外れた。当然、もたれかかっていた私と美琴も投げ出される。

「きゃあ!」

 美琴が悲鳴を上げた。この下は花壇だ。少しはクッションがある。まあ、怪我はするだろうし、左足も折りそうだ。打ち所が悪ければ、死ぬかもしれない。ここは3階だしな。でも、その時はその時。出来るだけ避けたいことではあるが、それよりも、美琴が殺せる。

 全てがスローモーションになった。2度目の感覚。一度目よりはずっと冷静でいた。そして腕で思いっきり突き飛ばす。花壇を少し過ぎれば固い運動場だ。まあ、間違いなく死ぬ。

「残念。死にな!」

 美琴にだけ聞こえるような声で笑う。すごくいい笑顔だ。恐らく静を殺したときと同じくらい。そして久々の笑顔。フフッ。

 自分が壊れてしまったのを自覚する。でも、壊したのはあんただ。あんたたちだ。そして、呪いという名の罰を受けな。自分がしたことを後悔しながら死んでいけ。まずは静、そして次は美琴、あんただよ。

「っ!」

 前向きになって土にめり込む。

 形容しがたい、柔らかい陶器を割ったような、そんな音が聞こえた。

 どうやら、私は頭から落ちたわけではないらしい。それに、一応花壇の上に着地した。

 美琴は、死んだか。音からして、生きてはいまい。フフッ、ざまあ見ろだ。これが呪いだ。

 痛い。痛みを半ば失った体でも、いろんな場所が痛い。

 そんなことを考えているうちに、私の意識は闇に落ちていった。

 計画、通り。




 生きている。

 最初に思ったのはそんなところだった。

 右腕が痛む。腕を折ったか。ただ、無事なようだ。痛みで気絶したとか、そんなところかもしれない。右目もよく見えないが、命さえあれば十分。まあ、そのために人殺しをしてるわけだが。

 見渡してみる。右目が染みる。血が出ているらしい。だが、どうやら救急車だ。なら、安心して大丈夫だろう。体は動かせないが、処置をしてくれているのもわかる。

 私は死ななかった。つまり、変な音を立てたのは美琴の体。なら、先に搬送されるのは美琴のはず。だというのなら、どうなったかは知っているはずだ。後でゆっくり聞くことにしよう。もっとも、生きてはいまい。生きていられたら困るから。

 頭の中を音楽が舞う。これは、なんだったろう。




 一番最初に病院を訪れたのは親だった。いつも通り心配させないようにふるまう。両親と兄妹を事件に巻き込むつもりはないしね。それと、運悪く怪我して踏ん張りがきかなかったと説明しておいた。いつの間にか、嘘を吐くことに罪悪感を抱かなくなっている私がいた。

 少なくとも、表面上は何事もないことを演出できたはずだ。気丈にふるまっている内は大丈夫だと思ってくれている。辛かったら遠慮なくすがってくれていいとも言われている。だけど、どうしてもそうはできない。

 だって、心配させたくないから。家族が思ってくれているのと同じように、私も家族のことが大好きだから。心配なんてさせたくない。家族を、巻き込みたくない。これは、私の問題。だから、私が決着をつける。これが終われば、その時は笑って食事にでも行こう。

 家族は大切。一番大切なのは妹の真奈だけど、やっぱりみんな大切。だから、普通に生きて欲しい。普通に自分の道を歩いてほしい。そこに、普通じゃない私がいては、普通になれないでしょ? だから、私は何事もない振りをする。あなたたちの運命を捻じ曲げさせるなんてしない。大丈夫、私は死なないから。そう簡単に、負けたりしない。

 お土産のリンゴは、季節外れでも中に蜜のたっぷり詰まった味がした。


 次にやってきたのは、福井刑事だった。医者と看護師を除けば、家族とそれくらいしか訪ねてくる人がいないっていうのもあるけど。

「刑事さん、美琴は、美琴はどうなったのですか?」

 心配を装った風で聞く。ちなみに私は体を強く打ち、一応CTは撮るという話だが、特に異常は見当たらなかったらしい。

「山中さんは、残念ながら亡くなったよ」

「そうですか」

 美琴は死んだ。そして私は生きている。後は呪いのうわさを流せば終わりだ。それで畏怖するならよし、しないというのなら、再び殺す。そして、呪いを現実のものとするだけだ。口の中でほくそ笑む。器用になったものだ。

「頭を強く打っていてね、救急車が来た時にはすでに手遅れだったそうだ」

 無言。福井刑事は沈黙をなんと受け取っただろうか。友人の死を憐れんでいると思ったのならそれは間違いだ。

「それと、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「体に支障が出ない範囲でならいいですよ?」

 聞きたいこと、なんだろうか。あれか、美琴がわめいていたことだろうか。そうだというのなら、ここで一枚カードを切っても構わない。

「山中さんは死ぬ前に言っていたらしい。伊藤さんを殺したのは君だと。どういうことか聞いてもいいかな?」

「それは、その」

 口ごもる。正確には演技をする。大女優の娘じゃないのにね。

「まあ、はい。確かに、私が殺したとも言えますね」

「それは、どういう意味なんだ?」

「そのまんまの意味ですよ。その、私が静を突き飛ばしたら、棚が崩れて、バケツが降ってきて。それで。なので、ある意味私が殺したんですよ」

 実際はその仕掛けに誘導したわけだけれど。

「それを、山中さんは見ていたと」

「はい。あ! 口止めされてたんですけど」

 食いついてこい。

「口止めとは? 他にも人がいたんだよね?」

「あ、その」

 口ごもる。さて、どうしようか。話そうか話すまいか。話せば動機ができることになる。まあ、それですぐ犯人になるとも思えないし、証拠なんてどこにもないから話しても構わないが。問題は、話すべき時が今かどうかということだ。

「ひょっとして、いじめがあったりした?」

「っ!?」

 驚く。まさか見破られるとは思わなかった。

「ええ、そうです。よくわかりましたね」

「これでも一応少年課の刑事だからね。いじめの現場は見てきてる。いじめられてる子は目を見たらわかるよ。絶望してるか、強がってるか、二つに一つだから。それに、病院の人に聞いた」

「そうですか」

 あっけない答えだった。ひょっとしたら、家族も知っているのだろうか。気取られていないと信じたい。後でさりげなく探りを入れてみようかな。

「ほかの人の名前も聞いていいかな?」

「はい。伊藤静、山中美琴。それから、大迫咲、木島真弓、本間心音……、主にいじめてたのはその5人です」

「先生は、えっと、担任の高島先生はどうしてたの?」

「先生は、見て見ぬふりをしてました。関わり合いになりたくなかったんじゃないかと。私からも話しませんでしたし」

 教師に期待はしない。だいぶ前に決めたことだ。それに、大事にされたくない。家族を巻き込みたくないんだ。

「あの、家族には内緒にしといてくれませんか? 心配かけたくないんです。特に、妹には」

 真奈はまだ中学生だ。これから、私が特別になってしまったら、いじめられるかもしれない。それは絶対に避けたい。

「一応、君の気持ちは分かったけど、何かあったら連絡してよ? 取り合えず、打てるだけの手は打つから」

 名刺を受け取った。

 それにしても、改めて考えると運がいい。死んだ2人は主犯格だった。後の3人はどちらかと言えば取り巻きだ。上手く、主犯格だけを殺せたといっていい。

「でも、私が殺したっていうのも一理あるんですよね、2人とも」

「それは、どういうことだ?」

「呪いですよ」

 呪い。噂の発信元にする。そうして、恐怖を植え付けてやる。

「水色のノートに殺したい相手の名前を赤いペンでびっしり書いて燃やしたら相手を呪い殺せるって、そういう噂があるんです。それで、2人の名前を。真弓も途中まで……」

 ちなみに、そんな迷信はない。あるいは、あるかもしれないが完全に私の創作である。でも、きっといつの間にか学校の七不思議に追加されたりするんだろうな。

「安心してください。それは、不能犯です。あなたがそれを気に病む必要はありませんよ」

「そうですか」

 失敗か。まあいい、ならば、自分でそれらしく語るまでだ。

「あ」

「なんです」

 間抜けにも声を出してしまった。だめだ。まったく関係ないことだからよかったものの、こんなんじゃいくら刑事がだめだめでも悟られてしまう。

「いえ、ちょっと。さっきからヘビーローテーションしてた曲が分かったってだけで」

「ああ、よくありますね」

 ちなみに、その曲は翼をくださいだった。

「それじゃあ、僕はこの辺で。気になることもありますし。もしつらいようなら連絡ください。話を聞くだけにしてもいいので。それと、お体にお気をつけて」

「はい」

 さて、福井刑事は帰って行った。私の勝利はすぐそこだ。後は時間が来るのを待てばいい。

 悲しみのない自由な空へ。主犯格を殺し、そして恐怖を植え付け、私は何としてでも翼を手に入れる。福井刑事にだって、邪魔はさせない。




 運がよかったのかはたまた悪かったのか、左足は無事だった。右腕を骨折したわけで、左半身だけじゃバランスが取れない。よって、松葉杖はつけないし、車いすにはなったが、無理やりには動けないことはない。動きたくないけど。

 それに、死んだ2人は過激派だが、残りの3人はどちらかと言えば追従しているだけだ。わざわざ、私を好んでいじめてくるとは思い難い。動きづらいということは、殺しづらいということでもあるから、あまり望ましいことではなかったし。まあ、無理をしてでも殺しただろうが。

 高島も一応一度見舞いに来た。その時に呪いなんじゃないかと吹き込んでおいた。怯えて震えていた姿が傑作だったものだ。根が小心者だからね。まあ、直接危害を加えたわけじゃないから、これ以降何事もないというのなら高島には何もしないでおいてあげよう。

 それと、クラスメイトも来ていた。確か、鈴木圭という名前だったか。何の接点もないから病院の近くにいるという理由だけでプリントとかを持たされたのだろう。友達なんてできるはずもなかったし。

 そんな中で、福井刑事だけはその翌日もう一度訪ねて来た。それはちょうど、私が何かお菓子でも買おうかとコンビニで買い物をしてた時だった。

「こんなところにいたんですね。病室にいなかったので、びっくりしましたよ」

「別にずっと病室にいるわけじゃないですよ。検査が終わったら、夕方にでも退院できるって話でしたし。それより、刑事さんこそ、暇なんですね」

 ちょっと嫌味を言われた気がしたので、嫌みで返す。けれど、福井刑事はそれをいとも簡単に受け流した。

「警察が暇なのはいいことですから。いつか自分を探偵にしたミステリーを出版するのが夢なんです」

「エラリークイーンを気取っているというわけですか。私はクイーンの作品なら、ドルリー・レーン四部作の方が好きですが」

 最後の、何をなしてでも目的を達成するというのがいい。まあ、それで死ぬのは本末転倒だと思いもするが、やっぱり私はドルリー・レーン四部作の方に軍配をあげたくなる。

「奇遇ですね。僕もなんですよ。どうです、助手を務めてはくれませんか?」

「私にパットになれと? それに、どちらかと言えば車いすに乗っているのなら、探偵の方が似合うと思いますけど。世の中にはアームチェアー・ディテクティブなんて言葉もありますから」

 もっとも、この事件に関しては、探偵=犯人になってしまうのでミステリーとしてはあまり好ましいものではないかもしれないが。

「ははは、確かに。ですが、執筆するのは僕の予定なので」

「それはそうと、どうしてここに来たんですか?」

「ああ、いえ、少し話をしようかと。ただ、どこにもいなかったので飲み物を買いに来たところです」

 そう言って福井刑事は飲み物の棚へと向かう。しかし、このぼんくらそうな刑事が推理作家を目指す、か。ありえなさそうに見える。いや、文才はあるのかもしれないな。それに、変なところだけ感づきもよかった。ただそれがミステリーに生かせるかと言えばわからないが。

「個人的にはミネラルウォーターが好きなんだけど、君は水って言ったら何を思い浮かべる? 僕はアルプスの方をよく買うんだけど」

「水、水、水責め」

 思い出せば、バケツの中に入っていた水が消火用のものじゃないと気づいたのは福井刑事だった。その時に、これは事件かもしれないと言っていた。まさか、気づいたのか? これが、事故じゃなくて事件だということに。それを聞きに来た? いくらなんでも考えすぎか。証拠なんて決定的なものは残していない。事故の形跡はある。そこに悪意も少しはある。だけど、その悪意は事故を起こした一因くらいにしか認識できないはずだ。

「あれ、今なんて言いました?」

「あ、いえ、何も」

 しまった、考え事をしていて余計なことを口走ってしまった。

「それより、刑事さんこそどうして私を訪ねて来たんですか?」

 強引に話題を変える。話の主導権を握らなければ。

「ああ、実は、その後の捜査でいくつか聞きたいことが出てきまして。山中さんが亡くなった現場の手すりが、いつから緩んでいたか、ご存知ですか?」

「えっと、確か1週間くらい前だったと思いますけど、それがどうかしたんですか?」

 もっと核心をついてくるかと思っていたので拍子抜けする。あ、いや。これは、何かを疑っている? まさか。

「ひょっとして、事件だって疑ってるんですか」

「え、そうですけど。よくわかりましたね」

「まあ、前に刑事さんが事件かもしれないって言ってましたからね」

「ははは、しかし、やはり助手としては有能なようですよ。僕の言葉を覚えているんですから。何だったら、この事件の間だけでも助手になってくれませんか、パット?」

「それは、確かサム警視の呼び方だったと思いますけど」

 実際は、刑事を警戒してだということはもちろん話さない。

「それで、聞きたいのは、伊藤さんと山中さん。二人を恨んでいた人物に心当たりはないかということです。僕が言うのもなんですが、いじめを受けている人って、誰がどこのグループに所属しているのか、妙に詳しいことがありますから」

「それは、私以外という意味ですよね?」

 嫌味には嫌味で。それくらいのコミュニケーション能力はある。というか、いじめられるまでは私も静たちのグループにいた。

「まあ、いじめられっ子がいじめっ子を恨むのはよくあるので。まあ、無差別殺人だという可能性も捨ててはいませんが」

 無差別殺人。確かに、事故に見せかけた不完全な形だと、特定の誰かを狙ったとはとらえにくい、か。実際私は5人の中の誰か1人もしくは複数を狙ったのだし。

「そうですね、私以外だったら、弓道部の子たちはあんまり仲は良くなかったかな? 真面目な感じでそりが合わないっていうか。それと、よくわからないけど、高島先生も疎ましく思ってたんじゃないかなとは。普段は保守的なんですけど、怒ると何するかちょっと想像がつかないかも」

 ちなみに全部創造と脚色である。実際には弓道部の子ともそこまで仲は悪くないし、高島が豹変したところも見たことない。まあ、こじつけと言えばこじつけだが、福井刑事が聞いてきたんだから多少無理があっても不自然ではないはずだ。

「なるほど、ちょっと調べることが増えそうですね」

「まあ、現状では一番怪しいのは私、そうでしょう?」

「え!?」

 図星か。そりゃそうだ。

「まあ、動機もありますし、どっちの現場にもいましたしね。ただ、今ふと思ったんですけど、これ、実は私を狙ったっていうことは考えられません?」

「と、いいますと?」

 今ふっと思い浮かんできたアイデアだが、やけにつじつまが合うような気がした。それにこれは仮説だ。嘘を吐いたところで全く問題ない。

「屋上への階段は、実は静とかによく連れていかれてたんです。その、あまり言いたくないんですけど殴られたり、タバコの火を押し付けられたりしていて。で、バケツも危うく私にぶつかるところだったし、それに、美琴が死んだのもありますけど、私も3階から転落したわけですしね。どっちも私を狙ったもので、たまたま静と美琴が犠牲になった。そうも考えられるんじゃありませんか?」

「なるほど、一理ありますね」

 即興であるが、この考えは気に入った。今からでも方針を変更するべきだろうか。いや、だめだ。ドラマで犯人があっさり捕まるのは、偽装工作をしようとするから、別の人間に罪を着せようとするからだ。それをしない。それが第一だったはずなのにそれを逸しては意味がなくなってしまう。

「それじゃあ、僕はこの辺で失礼します。学校に行くのは明日からでしたっけ?」

「ええ。流石に単位は落としたくないので」

 留年なんかしたら普通の子じゃなくなってしまうからね。それに、一応優等生を演じているし。

「それじゃあ、明日、現場検証に付き合ってもらえますか? 当事者から話を伺いたいので」

「まあ、構いませんけど」

 逆に受けない方が不自然かもしれない。

「それでは、あ、もう一つ」

「右京さんですか?」

 去り際にもう一つと言ってくるのは狙ってるとしか思えない。

「ええ、細かいことが気になるのが、僕の悪い癖。それはそうと、天気を正確に覚えてますか? できれば、2週間くらい前から」

「覚えてるわけないじゃないですか。というか、それが何になるんです?」

「いえ、特には。ただ、調べて来たので教えると、12日前、10日前、5日前の3回雨が降っています」

「考えてみれば少ないですけど、それがどうかしたんですか?」

「いえ、聞いてみただけです。それでは、失礼しました」

 意味が分からない。ただ、右京さんも一見意味の分からないことを聞いていた。これが何かに関係するというのだろうか。そんなまさか。だけど、少し嫌な予感がした。




 翌日、私は朝早く学校に向かっていた。

 というのも、車いすを妹の真奈に押してもらっていたからで、真奈は私の通う高校と反対側にある中学に通っているため、早めに家を出ないといけなかったからである。

 とそこで、私たちは福井刑事を目にした。時間的にはかなり早い。

「あ、朝田さん、どうも。早いですね」

「ええ。妹に車いすを押してもらったので。紹介しますね、妹の真奈です。こっちは刑事の福井さん。事故の調査をしてるんだって。それと、将来推理小説家になるかもしれないから、今のうちにサインもらっといた方がいいよ」

「本当ですか?」

「お姉さんの冗談です。流石に、そんな簡単になれるとは思ってませんから」

 軽口をたたきあう。

「刑事さんもお仕事頑張ってください。それじゃあ、私はこの辺で」

「それでは」

「またね、真奈」

「授業終わったら連絡してね、迎えに来るから」

 真奈は朝練があるのを休んで付き添ってくれていた。それを考えると、とても引き留める気になってなれない。

「いい、妹さんですね」

「ええ。自慢の妹ですよ」

 後ろ姿に心の中で手を振りながら言う。

「真奈は、本当にいい子なんです。私よりも頭がいいし、性格もいい。向上心もあって、将来は大物になりそうだって、みんな言ってます。将来は弁護士を目指しているって」

 と、同時に、真奈は私の心の支えでもあった。いや、支えだ。どんなことがあっても、真奈のためなら頑張れる。そんな気がして、実際耐えてきていた。でも、それが意味をなさないような、そんなところまで来てしまった。だから、犯行を決意したんだ。

「いじめを受けてたなんて知ったら、大事になるじゃないですか。それに、真奈は正義感も強いから、きっと深くかかわろうとするに決まってます。でも、そんなことになったら、真奈の名前まで世間に知られてしまう」

「それが、いじめを受けているのを隠す理由ですか」

 私はこくりと頷いた。と言ってもギプスであまり大きくは見えなかったが。

「真奈の将来を奪うようなことには、絶対にしたくない。そう思ってるんですよ」

「そうですか。僕にはよくわかりません」

「いじめられっ子が隠そうとしていなければ、いじめはこんなに多くはありませんよ」

 中には言うに言えなかったり、聞いてもらえなかったりすることもあるかもしれない。だけど、一人で抱え込んでいる人だってきっと多いと思う。話がそれた。要するに、私が死んだり、あるいはつかまったりすることは避けたい。そういうことだ。

「そう言えば、妹さんの将来の夢は聞きましたけど、パットは決めてたりするんですか?」

「いや、決めてません。それから、パットって呼ばないで」

 何となく嫌な感じがするから。




「ところで、何か飲み物でも買いませんか? 奢りますよ?」

「そんなことして大丈夫なんですか? かつ丼出したらアウトだって聞きましたけど」

「それくらいなら許されるはず。それに、パットは一時的にも僕の助手だしね」

「パットっていうな」

 しかし、飲み物か。私は金欠気味である。まあ、端的に理由を述べればカツアゲされてたからなんだが、奢ってもらうというのなら、そうしても構わないか。

「それじゃあ、カフェオレください。ちょっと眠いですし」

 真奈に押してもらうために早く起きたからね。

「銘柄は特に希望ないよね」

 自販機から取り出したコーヒーのボトルを左手で受け取る。右手は骨折してるし、大分前から左手で物をつかむ癖ができてしまっている。

「というか、これじゃあ蓋を開けられません」

 水筒はワンタッチ式のものだったから。地味にきつい。考えてなかった。

「ああ、ごめんごめん」

 福井刑事は蓋を取ってボトルだけを私に渡す。回すのですらしんどいから、その点は気が利いているともいえるが、ずっと持っていろというのか。手がふさがるから何もできなくなる。とりあえず、飲み干すか。苦くて飲み干せなかった。

 ちなみに、福井刑事は相変わらずというべきか、ミネラルウォーターを買っていた。

「それじゃあ、まずは最初の現場、屋上への階段に行こうか」

「行くのはいいんですけど、私車いすですよ? 3階まではエレベーターで上がれても、そこから先は無理です」

「それなら大丈夫。これでも僕は刑事だから、体は鍛えてる。車いすを押しながら階段を上がるなんて簡単だよ」

 いや、そういう問題ではなく、私の姿勢が大変そうだと、そういう話をしたかったのだが、まあ我慢するしかないか。

 実際に、福井刑事は思ったよりも力持ちだった。それでも、体が傾くのは避けられなかったが。

「ここ、掃除されてたんですね」

「と言っても、血と水を除けて、それから通りやすくした程度ですが」

 まあ、確かに、救急隊員が通るのには、落ちてきた棚のがれきは邪魔か。それに、いつまでも血痕をそのままにしておくなんて考えにくい。ということは、福井刑事の目的は棚のがれきだろうか。だが、私は指紋なんてつけていない。大丈夫だ。

「確か、静さんを突き飛ばしたら、バケツが降って来たんですよね?」

「ええ、その、はい。その辺りから、取り押さえられてたのを振り払おうって、そう思って、突き飛ばしたんです」

 左手で大体の場所を指し示す。壁から大体1メートルと少しくらい。上手く誘導にはまってくれた時は心の中でほくそ笑んでいた。

「そしたら、壁に当たって、バケツが落ちてきて」

「この穴が、棚を止めていた穴というわけですね。なるほど、参考になります。パットについて来てもらったかいがあった」

「たぶん、そうだと」

 福井刑事は壁に残っている穴へと近づく。もうパットと呼ばれることに関しては諦めた。そして、何を思ったのか、飲みかけのミネラルウォーターをこっちに渡してきた。

「ちょっとこれ持っててもらえます。調べたいことがあるので」

「え!? あ!」

 右手に無理やり握らされ、ミネラルウォーターを取り落とす。空いたキャップから、心臓が脈打つように水が流れ出した。

「何やってるんですか。まさか、意図的に証拠を隠滅しようとしたとかじゃないですよね」

「そんなわけないじゃないですか! 普通に滑ったんです!」

 思わず感情的になる。まあ、滑ったというのは本当だ。それ以外にも右手のグリップが弱いっていう要因もあるけど、別にいいか。嘘じゃないし。

「というか、すでに水に浸かってた時点で証拠も何もないんじゃないですか?」

「いや、残った痕跡からバケツに入ってた水の具合をもう少し調べられるかな、と。まあ、いいです」

 いいのであれば、最初からそんなことを言わないで欲しかった。顔には出さないが少し動揺してしまう。

「ところで、何か新しい証拠でも見つかりましたか? 見た感じ、何かあるとは思えませんけど」

 そんなもの存在しないはず。それに、あったとしても、それは私の関与を裏付けるものでもないはずだ。

「ええ、これです」

「これは? バケツの破片?」

 鈍色に光る何かの小さな欠片の用だった。バケツが床に落ちたときに砕け散ったのだろうか。

「いえ、ビスです」

「ビス?」

 ねじのようなあれか。言われてみると、確かに細長くてねじのような溝がついている。短すぎて気がつかなかった。というか、よくこんな小さな破片を見つけたな。最初からこれを探していたのか?

「ええ、もっと正確に言うなら、棚を止めていたビスの破片です、ほらここ、この穴ですよ」

 フレームが壁に突き刺さっていたところを指さす。一番下にある穴だ。

「一番負担になる部分です。その分割れやすくなる」

「だから、割れたと。でも、それが何になるんですか?」

「問題は、割れたことではなく、その位置ですよ。見てください、残った部分が短い、つまり、頭の方に残った部分が長い、そういうことですよ」

 相変わらず福井刑事の発言は意味が分からない。探偵を気取っているから意味の分からないように言っているのかもしれないが。

「一番負荷がかかるのは、当然、2つのパーツをつなぐ部分です。つまり、この断面の位置までビスは埋まっていたということ。でもそう考えると、おかしいんです。ビスが緩んでいたことになってしまうわけですから」

「っ!?」

 驚いた。確かに、私はねじを緩めた。棚が簡単に落ちてくるように。だけど、それをこんなところで見抜かれるなんて。そんな証拠が残るなんて、予想していなかった。青天の霹靂だ。動揺を悟られないように無理やり別の理由をつけて誤魔化す。

「大発見じゃないですか」

「ええ、つまり、誰かが意図的にビスを緩め、バケツに水を入れておいたというわけです。順序を考えると逆だと思いますが。それはともかく、意図的に事件を誘発した人物がいる、そういうわけです。これだけでは、それが誰なのかはわかりませんが」

 ほっと、右手で胸をなでる。もちろん動かせないから幻想だ。

 そうだ。これでわかったのは、事件の可能性がある。ただそれだけ。それを行った人物が誰かなんて、わかるわけがない。そんなところから私にたどり着けない。たどり着けるはずがないんだ。

「事件、ということは、犯人がいると?」

「ええ、そうなりますね。もうちょっと調査をしたいのですが」

「朝休みがそろそろ終わりそうなんですけど」

 あと10分強はある。ただ、犯人、つまり私が刑事といるというのは、不自然でない限りできるだけ避けたい。そのつもりはないが、変なことを口走らないとも限らないから。

「そうですね、それじゃああとは放課後にまたお願いします」

「と言われても、下ろしてもらえないと動けないんですけど」

 屋上への出口に放り出されると非常に困る。車いすじゃ降りられない。

「そうでしたね、それじゃあ、行きますよと」

 下りの方が難しかったらしく、軽く酔ってしまった。

「教室まで、送ったらいいですか?」

「あ、いや。ここでいいですよ、お手洗いにもいきたいので」

 階段を降りたところで言う。私がよくいくトイレがあるのは、化学実験室とか、理科のエリアになる。ちなみにどうでもいいことだが私は理系専攻だ。専攻とは言わないか。

「せっかくなので、送りますよ」

 福井刑事に車いすの取っ手をつかまれる。別にそんなことしなくてもいいのに。

「しかし、理科室って薄気味悪いですね。学校の怪談とかでよくありそうだ」

「朝は人あんまりいないので、寂れてるんですよ。まあ、人が少ないので、私はこっちのトイレをよく使ってますけど」

 その代わり、小さくて洗面台は1つしかない。教室からも遠いから、私みたいな独り者か特殊な事情のある人くらいしか使わない。自分で言っていて悲しくなってきた。

「それじゃあ、これで」

 トイレの前で車いすから降り、けんけんで向かう。右半身の四肢が使えないとめちゃくちゃ苦労するな。というか、バランスがとり辛い。壁に手をついて支えた。思った以上に大変である。こうなると、残り3人を殺せるかどうか、微妙なところだ。出来るといいけれど。あるいは、あいつらが何も手出しをしてこなければいいが。

 ともかく、さっさと車いすに戻ろう。そう思って個室から出たところだった。

「な、何やってるんですか!? ここ、女子トイレですよ!?」

 福井刑事がトイレの中に入り込んで何かを調べていた。

「あ、これは、その」

「この変態!」

 無事な左腕を思いっきり叩きつけた。




「まったく、痛いですよ。本気で殴りすぎだ」

「それはこっちの台詞だ、いったい何をやらかしたんだ」

 痛い思いをしたのも私の方だ。足が滑って腰をしたたかに打ち付けた。後で保健室に行かなきゃ。

「これ、腫れてますよ。痛いなあ」

 赤く染まった右頬をさする。知らない。というか、自業自得だと思う。巻き添えを食らって転んだ私からしてみれば、もう2、3発ビンタをくらわしてもいいような。

「なんでそんな変態的行為をするんですか」

「実は、新しい証拠らしきものを見つけましてね」

 ぎくりとする。まさか、ここに施した仕掛けを見つけたとでもいうのか。そんなまさか。

「だからって女子トイレの中に入っていい理由にはならないでしょ!」

「まったくもっておっしゃる通り。気になることがあると、周りのことが全く見えなくなるんです。僕の悪い癖」

「それは、悪い癖どころじゃないと思う」

 女子トイレにのこのこ入って行ったら社会的に抹殺されるぞ。というか、もしも何かを見つけたならあなたは更衣室にも無断ではいっていくんですか。

「ひょっとして、少年課に飛ばされたのって、それが原因じゃないだろうな?」

「あれ、よくわかりましたね。実はお恥ずかしながらそうなんです」

「もうやだ、こいつ」

 捜査に無理やり加えさせられた刑事が変態だったなんて。

 いや、ちょっと待ってくれ。ということは、少年課に飛ばされたのは、その人格故であって、つまり、捜査能力が低かったからではない? というか、むしろ勘がよさすぎる。ひょっとして、私はだめな刑事を引いたと思って、爆弾を抱え込んでしまったのではないだろうな? そうだとしたら、いやすぎる。

「おや、どうかしましたか?」

「いえ、何でも」

 つーっと冷や汗がこめかみを伝う。これは、嫌だ。嫌な感覚がする。というか、早く離れたい。だが、車いすの取っ手を握られた状態では逃げ出すこともままならなかった。

「それでですね、洗面台のちょうど真後ろにあるブロックを見てください」

「ブロック?」

「ええ、コンクリートブロックが置いてあるんです。似合わないでしょう?」

「まあ、確かに」

 それを置いたのは私だった。だけど、そこまで不自然ではない、少なくとも、誰かが意図的に置いたとは思いづらい。そう判断したつもりだったのだが。まさか、この刑事はわかったとでもいうのか?

「それと、ついさっき、僕をぶった時、朝田さんも滑りましたよね。調べたところ、どうやら、そこだけ、滑りやすくなっていたんです」

 そんなこともわかってしまうというのか。そうだ、それをやったのも私だ。それを、本人の前でどんどん暴いていくなんて。徐々に裸にされているような、そんな羞恥心で顔が熱くなっていく。いや、大丈夫のはずだ。私につながる証拠は、どこにもない。どちらも、それを仕掛けたのが私だなんていうことは、わからないはずだ。

「つまり、洗面台を使っていたら、足を滑らせて、頭をコンクリートブロックにぶつけるかもしれない。そんな仕掛けがされていたわけです。恐らく、同一犯でしょう」

 福井刑事のその言葉は、すべて当たっていた。それは、すべて私が意図したとおりのものだった。まさか、自分の行動が自分の首をまた一段締めるだなんて。

「私がここのトイレを使っているのを知っていて、狙った、とか?」

 前に私が思い浮かんだ仮説を提示してみる。というか、それくらいしか思い浮かばなかった。きっと、福井刑事はもう事故だとは思っていないだろう。

「その可能性もありますね。ですが、ここで気になることが一つ。洗面台とブロックの距離です?」

「大体、2メートルか、それを切るぐらいだから、1メートル90センチってところ? でも、それがどうかしたの?」

 感覚でブロックは設置した。だから、その長さは計ってはいないが、目測でそれくらいだったはず。廊下から見える洗面台の様子を見ながら必死に頭を巡らせる。何か、いい考えはないものか。捜査を混乱させるような、そんな考えは。

「そうなんですよ、それが問題なんですよね」

 どうやら、問題があったらしい。もう、完全に私は話から置いてけぼりにされていたが。

「距離が、明らかに長いんですよ。男性ならともかく、女性なら、身長的に頭には当たりませんから」

「犯人の意図するところがわからない、と」

 無言。それは肯定だったのだろう。わかるはずがない。この仕掛けは、相手がいること前提だ。私と、そしてあいつらがいて、その上で成り立つ。30センチの隙間を埋める方法なんて、知らない限り思いつかないはずだ。そう思った時だった。

 キーンコーンカーンコーン

 朝休み終了のベルが鳴り響く。

「あ、朝田さん教室に行かないと」

「その前に、保健室行っていいですか? 腰を打ったので一応見てもらわないと」

「ああ、失礼。そうだったね、パット」

 パットか君か朝田さんか、呼び名くらいは統一してほしいものだ。のんきにも私はまだそんなことを考えていた。

 結局、一時間目の授業には出られなかった。もっとも、この手ではノートも取れないし、授業に出る意味があったかと問われればそこまでなかったのだが。




 何も変わらないはずだった。証拠なんて、どこにもない。私が2人を殺したことを示すことなんてできない。そのはずだった。

 追い詰められてはいた。事故ではなく、事件。その時点で当初の予定から大幅に狂う。それはわかっていた。けれど、福井刑事は恐らく事件だと確信していることだろう。今更無理なのはわかっている。だからといって、私を捕まえられるはずもない。動機はあっても、証拠はない、そのはずだった。

 だけど、授業が終わって、ホームルームの時、高島が話があると言って福井刑事を壇上にあげた。

「初めまして、警察の福井と申します。実は、今日は伊藤静さんと山中美琴さんの件で話があって来ました」

 クラスがざわめき立つ。一体何が。そんなことを話しているようだ。私はというと、驚きのまま固まっていた。大丈夫、バレていないはず。唇だけ動かした。

「実は、この2件の事故、実は事故に見せかけた、殺人事件です。そして」

 福井刑事はそこで一旦口を閉ざして、見渡す。あたりは水を打ったように静まり返った。

 今、私の視線をわざと外した?

「犯人は、この中にいます」

「っ!?」

 私がうめき声を漏らしたとしても、不思議ではなかった。他にも同じく驚いて声を出していた人物は何人もいたから。けれど、私ほど動揺している人物はいなかったはずだ。

 まさか、そんな嫌な想像が頭をよぎる。わかるわけがない。そう信じたい。だけど、言い表せない、底知れぬ恐怖に襲われた。実は、私は何かとんでもないミスを犯していたのではないか。不安が広がる。

 いや、もっと好意的にとらえようじゃないか。福井刑事は私の誘導で、私が狙われた、そう思った。そこで、犯人を捕らえようとしている。そういうことなんじゃないか。

 かぶりを振る。いくら何でも見通しが甘すぎる。それじゃあ、犯人は誰になるんだ? 目星なんてつくはずがない。だって、誰かを仕立て上げようとはしていないから。誰が浮上してくるというのだ。

「ここで、犯人に告げたいと思います。僕は、すべてわかっています。どうやって2人を殺害したかも、その動機も。ですから、これ以上罪を重ねる前に、自首してください」

 いや、違う。福井刑事は、誰が殺したかなんてわかっていない。確信したのなら、こうやってみんなを集める必要はないはず。これは、ただかまをかけただけだ。そうに違いない。

「繰り返します。私はすべてわかっています。犯人に告げます。自首してください。私からは以上です」

 誰も彼もが、福井刑事に圧倒されていた。そりゃそうだろう。クラスメイトに殺人犯がいると告げられたのだ。困惑するのも、そして疑うのも無理はない。クラスメイト同士が疑心暗鬼になるかもしれない。

 私も、福井刑事がそんなことを話した以上、あまり関りにならない方がいい。助手も勝手に指名されただけだ。後腐れなく、袂を分かてるはずだ。少なくとも私は。

「朝田さん、妹さんへの連絡は待ってもらっていいですか?」

 だから、帰ろうとしたときに話しかけられた時はとても驚いた。それと同時に歯噛みする。自由が利く体ならば、振り切って帰ることもできたのに、と。

「ちょっと、話があるんです。そうですね、それじゃあ、花壇にでも来てもらえませんか?」

「なんでですか? 私は帰りたいんですが」

「とても重要な話なんですよ。あなたには聞いていただきたい」

 そう言えば、ミステリーでも読んだことがある。探偵が関係者を集めて犯人はここにいると告げた後、犯人だけを呼び出すのだ。まさか、それを真似た。そうとでも言いたいのか。

 これ以上、余計なことを話したくはない。変なことを口走りたくない。だけど。

「来てくれますよね」

「……わかりました」

 福井刑事の笑顔を怖いと思ってしまった。悪意にはなれているはずだったのに。

「この辺りがいいでしょう。ちょうど、教室の真下です」

 運動場にある花壇の近くに来て福井刑事はそう言った。サッカー部が練習に励んでいるのもわかる。教室の窓にはブルーシートがかかっているのが一目でわかった。

「どうして、僕があんなことを言ったのか、わかりますか?」

「……いえ、わかりません」

 わからない。だが、嫌な予感だけはどんどん増してくる。

「あなたと、妹さんのことを考えてのことです」

 意味が、わからない。いや、わかりたくなかった。

「その言い方だと、まるで、私が犯人みたいじゃないですか」

「ええ、そうです。僕はそう言っているのです。あなたが、伊藤さんと山中さんを殺害した犯人だと」

 グッと、反論したいのをこらえる。だめだ、感情的になっては。

「ちょっと待ってください! なんで私が犯人なんですか! なんで私だって思うんですか!」

「それじゃあ、トイレに置いてあった、ブロックの話からしましょうか」

 福井刑事は余裕そうだ。でも、証拠なんて、どこにもない。そのはずなのに。

「まず、件のブロックとわざと滑るようになっていた床から、何者かが誰かを殺害しようとしたことは間違いありません。そして、長さが少し長すぎるということも。ここまではいいですね?」

「まあ、それはわかるけど」

 それから、犯人が私ということになるのか?

「あの後、高島先生に聞きました。あのトイレですが、あなたの他に、いじめていた5人もよく使っていたそうですね。これで、30センチ長かった理由もわかりました」

 そんな馬鹿な。そう思いたい。だけど、勘の良さを知ってしまっている私もいる。

「水責め」

「っ!?」

 驚いて、思わず顔をそむけた。そんなまさか、どうして知っている? どうして、わかる?

「確か、病院で口走っていましたよね。それで、ピンと来たんです。水責めにもいろんな方法がありますが、手っ取り早いのと言えば、水をためてそこに顔を押し付けることでしょう。後ろから、体を取り押さえて、ね」

 あの時は、何も考えていなかった。それが、こんな形で首を絞めるなんて。溺れてしまいそうだ。

「当然、後ろに立つわけです。それも、30センチくらい後ろにね。それをはねのけた時に足が滑れば、後頭部をブロックにぶつけるというわけです」

「……言いたいことは、わかった。でも、それはまだ推測でしょう?」

 喉の奥から声を絞り出す。そうだ、これは、私に犯行が可能であったことの証明であって、私の犯行であることの証明じゃない。聞き苦しい言い訳だが、まだ通るはずだ。

「おっしゃる通りです。それじゃあ、次は伊藤さんの事件の方を解説しましょうか」

「確か、何者かが、ねじを緩めた痕跡がある、だっけ?」

「ええ。そうです。そして、事件を仕組んだ痕跡は他にも2か所あった。同一犯が仕組んだと考えるのが自然でしょう?」

「そうだとは思う。でもそれがどうなるんですか?」

 同一犯だとしたら、どれか一つの証拠があれば成り立つ。でも、証拠なんてないはずだ。

「あなたは、10日ほど前、バケツを現場の棚に置いて、ビスを緩めた。そして伊藤さんを突き飛ばし、殺害した。現場がよくいじめの現場になっていることを知っていて、事故に見せかけた」

「ちょっと待ってください! 10日前、私は右足を怪我してたんですよ? 50キロなんて重い物無理です!」

 私には無理。そう主張する。だけど、それはあっさり見抜かれた。

「いえ、できます。わかっているでしょう? 水は、液体なんですよ」

「っ!?」

 まさか、そんなことも見抜かれていたなんて。そうだ、確かに私は水を分割して運んだ。それは、私が運べないということの証明になると思ったのに。

「疑問だったんです。事件だとして、犯人はどうして水を入れたバケツを凶器に選んだのか。重い塊の方が楽なのに。その理由は簡単でした。犯人が、運べなかったからです。つまり、怪我をしていたあなたということですよ」

 嘘だ、そんなの嘘だ。水を使ったことが、私が犯人だって示しているなんてそんな馬鹿なことがあるはずない。

「……それは、すべて推測ですよね。私がやったなんて言う証拠はどこにもない。違いますか?」

「ええ、確かに、この件に関してはそうです。ですが、山中さんの件に関してはどうでしょう?」

「あの件に関しては、むしろ私は被害者ですよ!? 美琴と一緒に転落したんだから!」

「ええ、ですが、下は花壇になっている。自分をまきこんで犯人から外す、あるいは、不自然にならない形で美琴さんを突き落とすため、自分もわざと落ちる必要があった」

 沈黙。いい返答が思い浮かばなかった。まさに、福井刑事が言った通りだから。でも、これも同じだ。同じのはずだ、証拠はどこにもない。

「あなたは、事件が起こる前にもたれかかろうとした僕にこう言っていました。その手すりは緩んでいるから危ないと。高島先生に確認を取りましたが事件の前に手すりが緩んでいたなんてことは確認していないそうです。にもかかわらず、朝田さん、あなたはどうしてそれを?」

「それは! ……前に触ったことがあって。でも、面倒だから放置してただけで」

 見苦しい言い訳だ。それはわかっている。だけど、仕方ないじゃないか。私はそこまで天才じゃないんだ。それくらい、普通だろう。

「前に、いつ雨が降ったか聞いたことがありましたよね? これ、見てください。手すりのビスです。錆の具合からして、雨は露出してから1、2度しか降っていない。つまり、1週間くらい前にビスが緩められた。そういうことになります」

 そんなことがわかるなんて。完全に盲点だった。いや、推測かもしれない。そうだと信じたい。かまをかけてきたとしても、対応できるようにしなければ。

「確か、僕はこういう質問をしました。現場の手すりはいつから緩んでいたのかと。それにあなたはこう答えた。1週間くらい前だと。どうして、1週間くらい前だと知っていたのですか?」

 考えろ、考えるんだ。当たり障りのない、無難な答えを。幸いにも、この3つ以外には見つけられていない様子。なら、ここで証拠がなければ、私を捕まえられない。自白しなければ、きっと大丈夫だ。

「……それは、1週間くらい前に触って、あ、緩んでるなって思ったから」

「違います。僕が言ってるのはそういうことじゃないんです」

 どういうことだ? 何が言いたい? まったくわからない。

「そもそも、僕がした質問自体がおかしいんですよ。緩みなんて、いつからなんて明確にわかるものじゃない」

 ……そうだ。そうだった。緩んでいる。その状態はわかる。けれど、緩むというのは継続的に起こること。つまり、英語なら完了形で表すべきこと。なのに、過去形で、その1点だけを取り出して言うことじゃない。

「いつから、緩んだのか。そんなことはわからない。わかるのは、その時緩めた、そのことを自覚している犯人だけです」

「っ!?」

 黙り込む。もう、これ以上言い逃げ口が思い浮かばなかった。それを、反抗をやめたと取ったのか、福井刑事が得意げに語りだす。

「しかし、いい方法を考えたものです。確実に人を殺せるとは限らない。むしろ、死なないかもしれない。だから、事故に見える。けれど、その状況をいくつも作ることによって、目標となる人物を殺せるようにする」

 その通りだった。私の計画は、確実に殺すことから考えれば穴だらけだ。ナイフで人を刺すわけでも、灰皿で人を殴るわけでもない。だけど、だからこそ、事故に見せかけられる。その状況を何ヵ所も作ることで、相手を殺す。そういう計画だった。まさか、そんなことを見抜かれるなんて、思いもよらなかったけど。

「一つ一つが確実に殺せるわけじゃない。確立としては、50%といったところでしょうか。だけど、それが3つ集まれば、相手をほぼ確実に殺すことができる。タイトルをつけるなら、そうですね、87.5%の殺意、そういったところでしょうか」

「違う」

 腹が立って。得意げに、ミステリーのように語る福井刑事に腹が立って。

 気がつけば、私はそんなことを口走っていた。




「違う。違うよ。刑事さん。あなたの言っていることは、まったくもって違う」

「な、何が違うというんですか!?」

 福井刑事が慌てふためく。その顔を見られただけでも、少し満足したような気がした。

「全然違うんだよ。87・5%の殺意? そんなものじゃない。96・875%の殺意だ!」

 私はもう、完全に諦めてしまっていた。

「……それは、自白と取ってよろしいですか?」

「……ああ、いい」

 もう、誤魔化せる気はしなかった。手すりの緩みが計画の緩みになるなんて。

「3か所なんかじゃない。あいつらに仕掛けたのは。5か所だ。それだけ、許す気なんてなかったんだよ」

「どこに、仕掛けたのか、教えてもらえますか」

 もう、自棄になって言葉か雑になっているのを自覚する。でも、直す気なんて起こらなかった。

「1か所は、体育館の裏手。よく、あそこでタバコを吸ってるんだ。それ以外は、火災報知機があるから。で、そこにガソリンを撒いた。煙草を投げ捨てた瞬間に火の海っていうわけだ」

「ですが、それだと、誰かが撒いたって気づくんじゃありませんか?」

「近くには、使われてない軽トラックがあるんだ。そこから漏れたと思ってくれるはず。だったんだけど、誰も引っかからなかった」

 今となっては、どうなろうが同じことだ。ようやくわかったよ、誇らしげに計画を語る犯人の気持ち。自分がどれだけ必要に迫られて犯行を起こしたのか、少しでも理解してもらいたいもんな。

「もう1か所は、化学準備室。あそこも、よくつるんでたし、連れていかれた。あそこには、硫酸のおいてある棚のねじを緩めたんだ。突き飛ばした反動で棚が崩れて頭からかぶる、傑作だろ?」

「どうして、どうしてそんなことを!」

 非難するように言う。だけど、何もわかってないんだ。

「どうして、か。しいて言うのなら、自分のされた方法で、仕返しをしてやりたかった。それが本音かな」

「どういうことですか」

「煙草の跡を押し付けられた痛み、知ってるか?」

「だから、火を」

 無言で頷く。硫酸も同じことだ。無理やり右手に巻かれた包帯を引っ張って手首の上を露出させる。

「……赤い」

 福井刑事の言う通りだ。私の右手は赤く染まっていた。

「硫酸につけられたんだよ。焼けるように痛かった。同じ思いをさせてやりたいって思った。それに、そのせいで皮膚が弱くてさ」

「だから、最初に会った時、左手で握手したんですね」

「そうだよ。あんまり見せたくなかったんだ。指紋を焼かれたから、一目でわかっちゃうしね」

 さらに言うのなら、グリップが聞かないのもそのせいだ。おかげでよくものを取り落とす。

「でも、そんなことをしたら自分にも」

「それでもよかった」

 さえぎるようにして言う。ああ、やっぱり、福井刑事はトリックはわかっても、全然心理なんてわかってないんだ。デリカシーなんてないのは知ってたけど。

「硫酸って、結構粘性あるんだ。だから、大丈夫だろうって。それに、あいつらを殺せるなら、少々浴びてもいいって思ってた。死にさえしなければ、な」

 そうだ。傷だらけの体に一つ新しい傷がついたところで、傷だらけに変わりはしない。痛みはあっても、その程度、どうとでもなる。あいつらを殺せるなら、怪我を負ってもいい。そう思ってたんだから。

「ほかの3件はあんたの言う通りだよ。全部私が計画して、仕掛けを施した。すごく大変だったよ。だって、こっちは片足を骨折してる状態だ。コンクリートブロック一つ運ぶのでも大変だし、水はある程度の重さがいる。何往復したか知ってるか? 大体20往復くらいだよ」

「そこまで……」

 福井刑事は言葉を失っていた。でも、そうまでしても、私はあいつらを殺したかったんだ。殺さなくちゃならなかったんだ。

「でもさ、私だって人の心がないわけじゃない。この仕掛け、全部あいつらが悪いことをしなければ、何も起こらないはずだった。誰も死なずに済むはずだった。それを裏切ったのはあいつらだよ」

 私は、最後のチャンスを与えたつもりだった。だけど、あいつらはそんなことはお構いなしに私をいじめたんだ。だから、殺した。

 福井刑事、あんたに分かるはずがないよな。私の気持ちなんてさ。それでも、しゃべりたくなってしまうものだけど。

「一つ。たった一つだけ、わからないことがあるんです。あなたは、ずっといじめを受けていた。それはわかりました。だけど、そこから犯行に至るまで、何かきっかけがあったはずなんです。ずっと耐えてきたのに、突然人殺しに走る理由がどうしてもわからなかった」

「ははは、わかってなかったのか」

 とんだぼんくら刑事だな。証拠を探すのは得意なのに、人の心を読むのは苦手だなんて。そんなの、簡単なことだった。

「……殺されかけたんだよ」

 顔が凍る。私の顔はなぜか笑っていた。

「2週間前に、右足を骨折したって言ったよな。それは、その時の傷だ。殺されかけたんだよ、あいつらに。右足で済んだのは、運がよかった、そういうことだな」

 そう、答えは簡単。殺されかけたから、殺した。あいつらは、私が死ぬかもなんて可能性は全く考慮してなかっただろうけど。

「教室から、笑いながら突き落とされたよ。その時に思ったんだ。このままじゃ、いつかそう遠くないうちに殺される。絶対に嫌だって。だから、だからあいつらを殺すことにしたんだ」

「……そんなことが」

 乾いた笑いが口から洩れた。私ももう終わりだな。

「なあ、刑事さん。教えてくれよ。私は、あいつらに殺されかけたんだ。あのままじゃ、いつか殺されていた。間違いないよ。あいつらは、笑いながら人をいじめてたんだから。でもさ、私にだって守りたいものがあったんだ。教えてくれよ、それでも、それでも人を殺しちゃだめか? 殺されかけても、人を殺しちゃだめなのか? おとなしく殺されてろっていうのか!? なあ、教えてくれよ!」

 叫んでいた。

 ああ、痛い。心が痛い。いつ以来だ、こんなに痛いのは。真奈に無理やり笑顔を見せたとき以来か。

 頬が熱い。ああ、液体が流れてたのか。そりゃ熱いはずだ。

「……わかりません」

 その答えに、ほっとしている自分と、後悔している自分と、憤っている自分がいた。

「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。刑法199条には、それだけしか書かれてません。僕に分かるのは、それだけです」

 それは、落胆、だっただろうか。福井刑事が逃げに走ったっていう、落胆した気持ちだった。それによく似ていた。……気がする。

「僕の仕事は警察官だ。その仕事は、犯人を捕まえるだけ。そこに、犯人の事情とか、心情とか、そういうものは一切含まれない。その人が罪を犯したから捕まえる。量刑を決めるのは僕らじゃなくて裁判官だから。だけど」

 その福井刑事の顔をなんと表現したらいいのか、私は知らなかった。例えるとするならば、哀愁、が一番近いだろうか。

「だけど、罪が軽くなるように、口添えするくらいなら、僕にも出来ますよ」

「そう」

 夕陽を目に焼き付ける。次にこの光景を見るのは、いつになるだろうな。

「それじゃあ、行きましょうか」

「わかった」

 福井刑事に車いすを押され、学校を後にする。気がかりなことと言えば、妹の真奈のこと、それと家族のことだ。

「あ」

 名も知れぬ小学生とすれ違う。

「どうかしましたか?」

「いや、何でもないよ。ただ、ちょっと、昔のことを思い出しただけだよ」

「そうですか」

 そう、あれは、小学生の頃の話だ。

 前に、福井刑事と私の将来の夢のことを話した。あれは、今日の朝だったか。とてつもなく昔みたいに感じる。あの時は忘れていたけど、思い出した。私は昔、どんな人になりたいかっていうところに、こう書いたんだった。

 『やさしい人になりたい』って。

 自重する。人殺しが、殺人犯なんて、馬鹿げてるよな。でも、ちょっとぐらい、夢を見たって。許してほしいよ。

 I dreamed a dream. 昔は夢を見てた。楽しい日々を信じてた。だけど、その全部がかなうはずもなく、叶わない夢の方が多かった。今はもう、夢を見ることに絶望しか覚えないよ。Now life has killed the dream I dreamed.

これにて、『それでも、人を殺しちゃだめですか?』は完結です。まだまだ未熟なところがありますが、ご容赦いただくと幸いです。またどこかで、お会いしましょう。蒼原凉でした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 次回!黒を白に帰る女弁護士真奈現る!
[一言] 読みやすい文章でしたが、福井さんとのやりとりで、逐一別の作品を引用しているのが、ちょっとくどいな、と思いました。他作品は他作品なので、あまり重ねない方がいいな、と個人的には感じました。 ラス…
[一言] 面白かったです。 ミステリーもそうですが、テーマがしっかり書ききれていて、とてもよかったです。 濃厚なミステリー作品をありがとうございます。
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