一章九話目、 召喚から二十二日~おだまき蒸しの縁、ビスキュイの警告〜おまけ1
以前活動報告に載せた小森美璃子視点の話です。
タイトル【夜半の誓い】
普段と変わらない日のはずだった。けれど日常なんてものはふとした拍子に崩れていくもの。
異世界に召喚、だなんてラノベのような出来事に私と二年特別選抜クラスのみんなは巻き込まれた。よく分からないままに子供達を戦いから守ろうと、怖かったけれど王様だなんて日本にいれば会うこともないだろう人に意見した。
そうしたら逆に、生徒達から説得を受けて平和な日本では考えられない訓練の日々が始まってしまった。まさか自分がゲームみたいに魔法を放ったり出来るようになるなんて。
現実になったファンタジーは戦いを身近にし、興奮よりも恐怖を沸き立たせた。
異世界生活も九日目が過ぎ。今日も今日とて運動不足の体を酷使し、後は泥のように眠るだけ。と、同室相手へ就寝の挨拶をしようとした時だ。
「すみません、先生。これから見苦しい姿を晒すことになるかと思います」
年下のルームメイトが、ベッドの上で急に謝罪したのは。
「伽羅橋さん、どういうことですか?」
私は、整えられたベッドの上で正座をする小学生にしか見えない少女へ尋ねた。
薄手の寝間着を身につけた彼女は、日本にいた頃のブレザーや昼間の訓練着姿よりも更に小さく見える。事実、大浴場で見る彼女の体は不安になるほど細い。
触れたら破れると思ってしまうくらい薄い肌に浮き出る骨格。凹凸の少ない未成熟さは初めて出会った幼い彼女との違いを見つけ辛くて、揺らぐことのない特徴的な漆黒の瞳も手伝い、まるで成長するのを拒絶しているかのようだった。
「はい。五日前に気絶してここへ運ばれてきたと思うんですけど。
あれを今日から寝る前にやろうとかと思って」
「……はい?」
私は何でもないことのように、とんでもないことを話す彼女へ首を傾げてみせる。
伽羅橋さんは、二雁さん達以外には余り変えることはない表情をどことなくきょとんとしたものにする。私の真似をするように傾げた首につられて、彼女の他の部分よりも手をかけているのだろう艶やかで細く柔らかな栗毛が揺れる。
そのあどけない仕草は庇護欲をガンガン刺激するけれど、ここで何も聞かずに頷くのは教師として良くないこと。
私は縦に動きそうになる首にぐっと力を込めて、彼女の薄らと隈が縁取る瞳を見つめる。
怒ってますよ、と分かるように意識して眉を寄せた。
「先生?」
「駄目に決まっているでしょう。あれは酷く気分が悪くなると言ってたじゃないですか。
そんな体をいじめるようなこと、先生は許可出来ません」
伽羅橋さんは困ったように眉を下げた。私をどう説得しようか考えているようで、後頭部に回りそうになった手を寸でで気付いて下げている。
今、自分が力加減が出来ないことを思い出したんだろう。
ふ、と初対面の小さな彼女を思い出す。
六年前のアルコールで霞んだ記憶に残る彼女は、とても儚い。
年相応には全く見えない痩せた体は幻かと思うくらい頼りなく、瞳は今のようにふてぶてしい程の強さもなくて怯えるように揺れていた。
酔いに任せて膝に乗せると、彼女は目に見えて戸惑った。細く柔らかな伸ばし始めた髪へ指を通すように撫でると、後頭部で抵抗が少なくなった。
ああ、そうだ。そこで剥き出しの頭皮に触れてしまって泣かれたんだ。
慌てて慰めると、親元を離れて姉のアパートで暮らすようになるまでいじめを受けていたと聞かされた。
そして、そのストレスの逃避に、自分で髪を抜いてしまったと。
今思い出しても自分を殴りたいほどの後悔に襲われる。
彼女の雰囲気や目はあの頃と随分変化しているけれど、酷いことをされても他人を傷つけずに自分を傷つけてしまう性格は変わっていないと思う。
「あなたが心配なんです。二雁さん達だけじゃない、私や尾根先生だって、あなたが苦しむのを見たくないんです」
伽羅橋さんの下がった左手を取る。抱き締めるように握ると、胸に触れる彼女の指がぴくりと動く。
けれど表情は動くことなく、普段のようなつまらなそうにも見える無表情だった。
伽羅橋さんは一度深く息を吸い、顔を俯けて密やかにそれを吐き出す。
「分かってますよ、それくらい。
葵ちゃん達だけじゃない、気にかけてくれてるサフィール王女にだっていい気分をさせないってことは」
「伽羅橋さん、それなら……」
顔を上げた伽羅橋さんの目は、動かない表情と違いどろりとした熱を持っていた。
飢えた獣のような瞳に、私は言いかけた言葉を出せなくなる。
「でもね、生き残る為にはやれることはやるんです。
苦しかろうと、『死なない』為ならやる。
力も立場も異端な私は、人と違う努力がいるんです。
心配してくれるみんなを悲しませない為なら、私は喜んでみんなを傷つけます」
触れたら火傷しそうな程の温度を持つ言葉に、私は訳知り顔で説得しようとした自分を恥じた。
優しい彼女が自分の行動の及ぼす結果を想像しない訳がない。
全部を想像した上で、彼女はそれを選択したのだ。それに気付き、何も出来ない無力さに怒りとも悲しみともつかない感情が心を吹き荒れる。
何故、彼女ばかりが理不尽に翻弄されるのだろうか。
何故、私は立ち塞がる理不尽へ爪を立てて足掻く彼女を救えないのだろうか。
何故、私はこんなに強い彼女と違って、弱いんだろうか。
何故、何故、何故。
自問する私の手を、伽羅橋さんは華奢な両手で握り返した。
私を映す瞳の熱が、ふっと和らぐ。
「なんて、偉そうなこと言ってすみません。私じゃなかったら、もっと上手く出来るのかな。
先生、ごめんなさい。優しい先生に、みんなより苦しめるようなことをさせて。
でも、先生の優しさに、甘えさせてくれませんか」
照れたように、伽羅橋さんの特徴的な漆黒の瞳が細められる。
はにかむ彼女と、普段より近い距離感を持った言葉に、私の心臓が大きく跳ねた。
跳ねる鼓動につられて頷いた私は、きっと教師失格なのだろう。
けれど、今まで見たことのないこちらを頼る彼女は、まるで懐かない小猫が擦り寄って来たかのような破壊力があったのだ。
「ありがとう、みっちゃん」
ここでそう呼ぶ伽羅橋さんは、小猫でなく小悪魔と呼ぶべきかもしれない。
「……ぅ、ふぅっ……うぇ、ぁ……」
吐き気と戦いうずくまる伽羅橋さんは何度見ても慣れることはない。
私に出来ることは少なく、やれることは震える薄い背中を撫でるくらいだ。
毎夜毎夜に触れた体から流れる音楽は、私の高校時代に流行ったものばかり。
多分、百合さんの好きな曲なのだろう。
「は……はぁっ……ごめんなさい、ごめんなさぃ……」
「大丈夫、大丈夫だから。謝らないで、うーちゃん」
伽羅橋さんは口元を押さえ、嗚咽しながら顔を上げる。普段から良いとは言えない顔色を紙のように白くさせて謝罪した。
覚悟したとは言え、彼女としては私に迷惑をかけている状況が辛いのだろう。
「うーちゃん、私は気にしてないからね。大丈夫、大丈夫」
「うぐっ、うっ……っ……」
抱き締めた腕の中、伽羅橋さんの頭が頷くように動いた。
私は彼女を安心させたくて、記憶の中にある百合さんを真似る。
伽羅橋さんの中にある百合さんへの依存心を奪うように、殊更甘く、慈愛を込めて。
私はあなたの全てを信じ、認めて、否定しない、と。
「頑張ったね、うーちゃん」
囁く。
「ぁ……り、ちゃ……」
曲が終わり、かくんと彼女の体から力が抜ける。
電池が切れたように気絶した彼女の生を確かめるように一度強く抱いて、私は軽い体をベッドへ寝かせる。
強い光を放つ瞳が見えないその寝顔は、芯の強さを隠すいとけなさを持っていた。
私の体からワインレッドの色をしたオーラが滲む。手に乗るのはメタリックな光彩を持つ、オーラと同じ色をした携帯ゲーム機。
妖艶な女性のような風合いに憧れて、お年玉を貯めて初めて自分で買ったゲーム機。
それが私の魂器、『無限の可能性』だ。
スカイリミットの画面にはいくつかのマップが映っている。
その一つ、私達の部屋を表した地図に表示される『三つ目の点』へ私は声をかけた。
「いつも遅くまでお疲れ様です。
私としては覗かれるのは少し恥ずかしいのですが……あなたもお仕事ですから言っても仕方ないですね。
毎回お願いして恐縮ですが、今日も今夜のことはご主人様へ話さないでくださいね?」
一方的な問いかけへ、『点』は答えてくれない。
けれど、伽羅橋さんがあの方から特に何も言われていないのなら、報告していたとしてもこちらの意図は理解してくれているのだろう。
「……あなたは自分が思うよりも、たくさんの人に愛されているんですよ?」
私はスカイリミットをしまい、あどけない寝顔を撫でる。
当然、深く意識を落とした彼女は答えない。
聞こえないのを良いことに、私は更に囁く。
「私もあなたを守れるように、もっと頑張るからね。
おやすみなさい、うーちゃん」
もう一度、柔らかな頬を撫で、私も明日の為に眠りへ就いた。
お読み頂きありがとうございました。