始まりから彼女の存在価値
不定期更新の
新シリーズ
無性にやりたくなったので、つい。
朝起きて、制服に着替えて、二階の自分の部屋から降りて、朝ご飯を食べる。
お母さんはいつもと同じように、メイクをして、弁当袋にお弁当を入れ、忘れ物の確認をして、家を出る。
父は単身赴任でいつもこの家にはいない。
そんな日常を見ながら、僕はパンにハムとチーズがかかっているいつものトーストが乗っていた真っ白い陶器の皿をシンクに入れる。
歯を磨きながら何となくいつもとはちょっとだけ変わったような予感を感じ取り、そんなことはどうでもいいかと思いながら水を切った歯ブラシをいつものところに入れる。
鞄を手に持ち、二組残っている靴の、ちょっと大きめの赤い運動靴である自分の靴を履き、ドアを開き、「行ってきます。」と誰にも聞こえていないだろう音量の声でつぶやく。でも、そうすること自体に意味があるとおもうんだ。と一人心の中で誰かに説明して、ドアが閉まる音を聞きながら歩き出す。
いつもと変わらぬ景色の中、道路を走る車の色を数えてみたり、自分の価値を周りと比べてみたり。
そんな無駄なことをしていると何事もなく学校につく。
ここはクールビズとやらを取り入れており、半袖のワイシャツを切ることが許されている。ちらほら見える男子学生はみんな白いそれを身にまとっているし、僕もそうしている。
この暑さの中、あんな学ランを着るのは苦行だといえるだろう。寒がりや冷え性の人は逆だが。
いや、さすがに苦行というのは誇張しすぎかな。本物をしている皆さん、すいません。
いつの間にか通り過ぎた校門を背に、帰宅部くらいしか通らない時間であるため人は少なく、一斉帰宅の時とは大違いの人口密度で、そこに登校ラッシュで暑苦しさをいつも感じる彼らにささやかな優越感を感じる。しかし、「一緒に帰宅部に改宗しませんか」とは親友にも言わないだろう。
部活によって青春をしている彼らを邪魔する気もないし、たとえ誘ってもそうする人はほぼいないだろう。みな、部活の信者となっているのだ。そのため、部活同士による若干の嫌悪感が生まれたり、仲間意識が生まれたりする。
そして信者は部活の規模を高め、その溝を深めようと、この感覚を広めようと勧誘をしてくる。別に批判するわけではない、そういった意識は間違っていないと思う。自分たちの仲間を増やし、異教徒を圧迫する。そこで数少ない信者たちは、屋外の部活、文化の部活、などとまとまり義類的な同信者として同盟関係となる。ただ、信者を止めた人にもう一度入り直すことを進めるのはどうかと思う。とともに、そういった会話でさえも友人同士としてはうれしいものだ。
そんなことを考えていると、いつもの慣れによる行動のパターン化から無意識でも動く体は教室の中にある自分の席に近づく。同じクラスにどこにもつかない人間がいて、ある程度仲がいいのなら声をかけたりするのだろうが、生憎この中学校では、親友と同じクラスになったことはない。そして来年はこのまま持ち越しというのが決まっているため、この好きになれない教師とその愉快な仲間たちと一緒に一年以上も過ごさないといけないという陰鬱が心を染める。心が本当にあるのなら。
その愉快な仲間たちにも是非お近づきになりたい人もいるが、自らその近いグループには入り込まず、入り込めない。ある程度のグループ化が進んだ中二クラスではこの無様なはぐれ物を、中に入れようとはしない。安易に入れるとどんな変化が起こるかわからないから。
人は変化を恐れ、その先にある無知を恐れる。
というのは間違っているのかもしれないが、自分で作りだした問いには自分でしか答えは作れない。
一言一句同じ問でも、他の問や意見はヒントにしかなり得ない。
至極どうでもいい事だ。だが、このどうでもいいことを考える事が今の生活パターンだ。
このどうでもいいことは、ただひたすらにダジャレを探したり、アニメについて考察したり、他人の行動の理由を探したり、といろいろあるが、これをしていると楽しい。と言ってもいいのだろう。
…
ワイワイガヤガヤとノイズが耳に入ってくるようになった。もうそんな時間かと時計を見て、先生の来る5分前だと理解する。
今日の授業を確認し、ため息をつく。これもパターンの一つだ。
何となく嫌いな科目が日程にある時、僕自身、何度かため息は幸せを逃すと注意されたこともあるが、これはタバコと同じようなものだと考える。
息を整えるため、気持ちを入れ替えるため、いやなことが在ってそのストレスを発散するため、
第一、呼吸を大きくしたようなものなら別にいいじゃないか。
煙草なら肺を悪くしたり、依存症になったり、煙草代がかかったりするのだから幸せを逃すかもしれないが、今はべつにため息をついてもいいのだ。煙草を使うレベルまでストレスがたまらなければ。
また一つ、無駄なことを考えてしまった。
どうやら今日は一科目の時間が5分縮むらしい。何があったのかはよくわからんがとりあえず歓喜で?或いはそれ以外の要因でため息が漏れる。
…
さて、昼休み、この時間ぐらいなら妹の通う魔法学園も始まっているころだろう。
現日本では、いや現世界では魔法というものがある。これは常識である。
江戸時代など、一番古いのは弥生時代からそれがあったことが確認されている。
別に、最近に分かったというわけではなく、いつの間にか入っていた知識が魔法の存在である。
宗教によっては魔法を神の奇跡だ、それを受け継ぐ人間は神の末裔である。といい、
数々の進化論を否定した、ファンタジーなことを口走っている。
確かに魔法は便利であるが、それに依存してはいけない。ともよく言われている。
大震災などは魔法だけではどうにもできず、最近では、その魔法の動力源でありそれを使うことに対する税もかけられている魔素、(魔法の素だからそういう名前であるのだろう)それが減少してきている、というのも環境問題の一つだ。
それは置いといて、震災時に役立ったのは科学である。
魔法を強く扱える者は四人に一人ぐらい、
そして土砂災害が起きて、ある集落のライフラインがたたれたとき、ヘリによってそこを見つけ、土や瓦礫をどけるのに魔法を強く扱える者と同じくらいに役立ったのはショベルカーなどである。これを扱える人が魔法に特化しなかった人の中で多くいたため、結果その集落は最初に巻き込まれた人以外は餓えなどによる死が起きずに済んだ。
話をいろいろ戻すが、俺はこの一般学校に通う。魔法の訓練等を一切せず、ただひたすらに勉学を努める。それだけだ。ここには魔法を強く扱えない人たちが集められ、教育される。
しかし、妹の通う魔法学園は選ばれた生徒だけが通う、魔法専攻の教育機関だ。
先ほど言った魔素を使用する税、魔素税があるとだけ聞けば、魔法を強く使える、ユーザーと呼ばれる人たちが高くつく、と思われるが、まず勉学をそこそこ必要とされないので、教材費、いわゆる情報料があまりかからず、魔法関係の仕事に就けば、全体的に給料は高く、魔素税は免除される。
つまり、ユーザーの方が一般人より優遇されているのだ。
そこに関して、またデモが起きただの、魔法殺人が起きただの、魔法の使用量に比例する魔租税を安くしろだの、世間は騒がしい。
一応俺も少しは魔法が使える。
人によって変わるが、付与魔法と言われるものを俺は使える。
ユーザーレベルだと段ボールをダイヤモンドより硬くしたり、鋼鉄をゴムのようにしたり、空気を冷やして氷のつぶてをうまいこと作ったり、と凄いことができるのだが、物語で言うのなら少年Aだったり、町の人Aだったりする俺はこの鉛筆の硬さを変えたり、自室の窓をちょっと固めにしておいたり、枕の硬さを変える程度だ。あとは、ぬるい水をちょっと冷えた水に変えたり。
俺はこの能力に関して特に不満はない。ただ、家族には、ユーザーではなかったためにお金を二倍近くかけてもらって居るというのは責任感というか、妹に対しての劣等感がある。
嫉妬や勝手な被害妄想(ひどい時期は親すら憎いと感じた。が至極どうでもいいことのおかげで治せた。)
もあったが、何より兄なのにたった一年違いの妹に劣っているというのが恥ずかしく、自己嫌悪、そして諦めが出た。別に、立派になることをあきらめたわけじゃなく、差を埋めようとすることをあきらめた。
劣っているなら劣っているなりの方法で親孝行して生きていくという決心をしたわけだ。
もう一つの常識を考えるのだが、この世界には自然災害と人工災害(戦争など人の手によるもの)、そして魔物災害がある。これは、二つあり、一つはもともといた動物が魔物と呼ばれる物に進化か退化しておきる災害であまり起きない。魔物になったからと言って狂暴になるとは限らないのでこんな話もある。
ジョンはブリーダーだが愛犬家であったためすべての飼い犬が魔物化してもしっかり言うことを聞き、魔物になったことにより探知能力が上がり隠された財宝を引き当てた。しかし、
犬を商売としか見ていなかったブリーダーはすべての犬が魔物化した時、一斉に飛び掛かられ、いろんなところを噛みちぎられ死んでしまったという。その後肉の奪い合いと飢えによってその犬たちは死んでしまった。
という何とも犬が可哀そうな話がある。
要約すれば自業自得という話なのだが何故犬がここまで不憫なのかこれを創った人に問いただしたい。
そんなことは置いといて、ジョンは財宝を引き当てた。というのは作り話だが、ペットが魔物化するという話は本当だ。そしてその愛情等によって凶暴さや能力が違うというのをどっかのアメリカらへんの大学が証明している。
二つ目に、異界と呼ばれる場所があり、そことこの世界をつなげるゲートが開き、そこから魔物が入ってくるというものがある。
一つ目の魔物化の事例はそこまで強力なものもいないので、津波や噴火が起きた時の方が問題だ。
しかし二つ目はどうだろうか?
先ず、すべてがランダムで町のど真ん中から月面までいろんな場所に出る。
そしてゲートのサイズや開く時間、入ってくる数も種類もその時によって違う。
太平洋の上で校門サイズのゲートが開き、溶岩のような魔物が3か月も出続けたときはそこに島ができたため国際的な時事問題にまでなった。結果全国の共有地ということになったらしい。
そんなことが在ったかと思えば、アルプス山脈に富士山並みのゲートが開き、竜が一匹だけ出てきた事もある。全国のユーザーを招集してようやく討伐した後は死体を分解して国ごとに分けたらしい。
勿論被害はあった。しかし、ゲートが開くことによる利点がある。
魔力の補給だ。
異界と呼ばれる場所には魔力があふれるほどあり、そのあふれた結果ゲートが発生している。というのがゲートに対する見解である。
魔力の少なさが問題になってきているここにとっては資源の消失の代わりに魔力が得られるのならそこは眼を瞑ることができるのだろう。だから、ゲートを開く実験が行われている、と噂もたつのだ。
なぜこんな話をしたのか、それはユーザーであれば戦うことが普通ということでに理由がある。
言い換えればユーザーはたとえ学生であっても戦いに行かなければならないということである。確かに学生たちにも化け物のような力を保有するユーザーがいる。妹もその一人だ。
しかし、もしもその学園に、さっき言った竜の魔物が出たりしたとき、大丈夫なのか?
強いということは戦いを強いられてしまう、それで勝てる相手なら問題はない。勝てるのなら。
強制的に戦い、命を落とす。そんなこともあるのがユーザーだ。それも仕方のないことだと割り切れなければ上に立つことは無理だろう。しかし、たった一人の妹がもし命を落とそうと、武器を持たなかったら参加しないでよかった戦に武器が手に縫い付けられていたため参加しなければならなかった。ということになったとしたら、俺だけじゃなく、彼女に関係した者たちは、母親は、父親は、俺は、
大いに悲しみ、嘆き、絶望し、憎み、憤怒に駆られて何をするかわからない。少しは冷たくされている僕も妹は大事な存在で、彼女を救う義務を持つ数少ない人だ。たとえ嫌われて、殺されるようなことが在っても、彼女のためなら構わない。
彼女はそれほどまでに大事な人だ。
能力だけじゃない。いや、能力に関係するのだが実際の損得でも妹にいてもらった方が両親は安定した未来を贈れるだろうし、人柄に関してもこんな一年中ただ一人で自己利益のためだけに追及をする僕よりも、社交性を持ち、仲のいい友達を作り、もしかしたら彼氏もいるかもしれない妹の存在価値が圧倒的に高い。
この面ならたとえ能力が反対でも妹の方が勝つ。そんな妹よりも一年も多く生きているのだから僕は十分だ。生きる価値というのはそういった所とかで決めるものだと思う。
生きる価値は皆同じだと言っている人には、
罪人は人じゃないか?むしろ死にたいって人を、逃げたい人の足止めをわざわざするのか?
とでも聞いてあげたい。
まぁとにかくだ。俺が言いたいのは
個人的にも、周りとの関係から見ても、能力的にも
僕が納得できるほど彼女は優先すべき対象だってことだ。
それでも難しかったら、
僕は彼女の兄で、彼女は僕の妹だからっていうことだ。
そうそう、彼女に会ったとき、僕は一歳の時だが、その瞬間から力がみなぎる感覚があった気がする。そこだけ覚えてる。いつの間にかそれも消えてたけれど。