Descendant Vampire-ディセンダント・ヴァンパイア-
今日も吠えられた。
だから、夜は嫌いなのだ。
番犬としての役目は果たしているが、お隣のゴールデンレトリーバー君にはもう少し私の心中を察してほしいものである。
目をギラギラさせながら噛みつかんとばかりに威嚇してくる表情は、明らかに私を排除しようとしている。その前を通り過ぎても、リードとそれを繋ぎ止めてあるポールの擦れあう金属音が背後で響いていた。
部活の疲れと、なんとも言い難い憂鬱さを肩に背負いながら、帰路に着く頃には、時計の針は夜の九時を回っていた。
それから、部屋のベッドにダイブするのを我慢して制服から私服に着替える。二階に下りてご飯を食べ、満幅の余韻に浸ることなく、今日の宿題に取り掛かる。
「おやすみ」
お風呂から上がり、誰にともなくそう言って部屋の明かりを消したのは十時半だった。
両親はまだ帰って来ていない。
中学最後となる剣道の全国大会まで、あと一週間。
仮に、補欠での出場になったとしてもチームに万が一のことがあった時に、しっかりとフォローできるように毎日練習してるんだ。強豪校の名に泥を塗るようなことはしたくない。私にもプライドがある。
持てる武器は違えど、今も昔も武士道はしっかりと私の中に受け継がれているに違いない。
だって私のご先祖様は歴史の教科書に必ず載っている誇り高き幕末の英雄・坂本龍馬なんだから。
「直花ぁ~、朝練行くわよ!」
翌朝、目覚まし代わりに聞こえてきたのはクラスメイトの声。玄関の方からだ。
「起きなさい、直花! 寒いのに待ってもらってるのよ」
カッちゃん早すぎ…。朝練は六時半からなのに。
まだ、五時半だった。
「今行く~」
眠気と格闘しなら籠った声で返事を返す。布団を手繰り寄せ、再び夢の世界に入り込もうとしたが、無理だった。
「あ~、やっぱ寒ッ!」
冷気が容赦なく足元を襲ってきたのだ。飛び起きて窓の方を見ると、半分くらい開いている。私は確かに寝る前に窓の鍵を閉めた。なのに、何で開いているのか?
そう考えて、一昔前の人たちなら「心霊現象だ!」とか「この家は呪われている!」とか言って騒ぎ立てていたに違いない。
でも、今は違う。
「まったく…私の部屋に勝手に入るのはいいけど、窓の開けっぱはホントやめて。寒いから!」
犯人はそこにいて私の左隣にすまし顔で、右手人差し指を前に突き出した謎のポーズのまま布団の上に立っていた。
「おはよう、スワリちゃん。今日もいたのね」
赤い着物を着た幼稚園児くらいの女の子が、挨拶とばかりにペコリとお辞儀する。悪気がなさそうなので、いつもこれ以上は言えない。
彼女は座敷童。そのまま呼んでも可愛くないし、呼びづらくもあるので私は『スワリちゃん』とあだ名をつけた。
「じゃあ、行ってくるね」
着替えて部屋を出る時、ふと振り向くと彼女がその小さな手を振って応えてくれた。寒い朝のホッとできる一瞬を噛みしめながら階段を下りる。
「ごめんねぇ~、カッちゃん。てか、来るの早くない?」
「そうかしら? もう自主練してる人たちいると思うけど」
「えぇ~」
「部長に怒られるの嫌だから、早く行きましょう。みんな大会前で殺気立ってるし」
カッちゃんが鋭い視線を向けてきた。
「そうだね。じゃあ、行ってきます!」
「ちょっと、直花…ご飯は?」
「コンビニで買ってく」
もう、子供扱いしないでよ。
「あと、あの人たちには気をつけなさいよ」
「大丈夫だって、まだ二月だし来てるわけないじゃん」
母の忠告を素っ気なく受け流してカッちゃんの後を追った。
ウチの学校は剣道で有名だ。去年は県大会の決勝で敗退したものの、過去には七度の優勝を修めている。
そして、必死の思いで全国への切符を取り返した今年は『打倒! 熊本』を合言葉にチーム一丸となって練習に励んできた。以前はランキングにかなりの差があったが、ここ数年の追い上げで十分射程圏内に入っている。
「カッちゃんはさ、メンバーに選ばれる自信ある?」
「あるに決まってるじゃない。その為に練習してるんだから」
両手に息を吹きかけながら、淡々と答える。
「だよねぇ~」
彼女ならそう答えると分かっていた。技のキレも身のこなしも部長と一二を争う存在だから。
「直花は自信ないの?」
「いや、自信はあるけど…大会が近づく度に去年敗けたこと思い出しちゃってさ」
「もう、終わった事でしょ。あれは先鋒の梓がいけなかったの。緊張で全然体動いてなったし」
それは私も同じだ。いつもの動きができておらず、一本返すのが精いっぱいだった。『絶対勝利』のプレッシャーに負けた私は大会後の三ヶ月間、練習に身が入らなかった。
「あの後、梓が辞めたのは驚いたけどね」
「うん」
あの時の儚い笑顔は、今も忘れない。
「来年は、必ず皆さんで全国行ってくださいね」
彼女はそう言い残して退部していったのだ。
「落ち込んでる暇なんてないわ。全国の切符は手に入れたたんだから、あとは思いきりやるだけよ」
カッちゃんはいつも前向きで静かに闘志を燃やしている。私はそんな彼女の背中をずっと追ってきた。彼女が心の支えだった。
だから、彼女と仲間のみんなを信じれば、今年こそうまくいく。
「だね。よし、やってやるぜよ!」
「ぜよ?」
「ねぇ、カッちゃん学校まで競争しない?」
「ヤンチャ坊主か、アンタは…」
呆れる彼女を横目に、私は駆け出す。
「置いてくよ~!」
一戦でも多く戦えることを信じて、竹刀の軋み合う音が鳴り響く道場へと急ぐ。
「おはようございます!」
「おお、来たか。今日は昼からランダム戦。その結果も加味したうえで全国のメンバー決めっからそのつもりでやるように。お前ら二人には期待してるぞ」
「はい!」
丸尾監督は私が挨拶すると、すぐに記録の手を止めて今日の内容を伝えてくれた。気づけばカッちゃんも隣でお辞儀していた。
身長百九十センチの監督は剣道部の卒業生で、私たちの先輩にあたる。過去の全国優勝に大いに貢献と担任から聞いたことがある。普段は柔らかい口調だが、不機嫌になると低いトーンで叱られる。口癖は『自分で考えろ』。その目つきから付いた異名が『猟犬』らしい。
その一方で、細マッチョな二十五歳のイケメンとして、一部の生徒たちからの人気は高い。
個人的には、結構信頼している。
防具に着替える前に必ずトイレを済ませておく。そうしないと、特に女子の場合は後々苦労するということは、入部して最初に教えられた。
剣道の場合『着替える』というより、防具を『装着する』と言った方がしっくりくる。
「よっしゃ!」
面をつけ終えて、ようやくスイッチが入った。
大会二日前にオーダーが発表された。私は先鋒だった。
「明後日でこの重圧から解放されるのか~」
「練習帰りだってのに、ずいぶんと元気ね」
「まぁね、今日の動きは自分でも手ごたえあったし。監督からも褒められたから」
「直花ってホント気分屋よね。幼稚園児みたい」
「十五だよ」
今思えば、あの時は浮かれ過ぎていた。
「ねぇ、試合の後打ち上げあるよね?」
「そりゃ、あるだろうけど…今は勝利が第一でしょ?」
だってカッちゃんと一緒だったら勝てる気がしたから。
ずっと、友達でいてくれると思っていたから。
「あと、前を見て…」
「えっ?」
でも、彼女の声は夜風と共に突然消えた。何の前触れもなく、漆黒に溶け込むように。
「カッちゃん。 ねぇ、カッちゃん…どこ行ったの?」
振り返っても姿はない。辺りを見回しても人ひとりの気配すらなかった。
「カッちゃん、返事して! 隠れてるなら出てきてよ。カッちゃんこそ子供じゃない」
やっぱり返事は返ってこない。
近くの街灯が消えた瞬間、何かの気配を感じて咄嗟に空を見上げた。
「あれって!?」
闇に染まった空で月明かりが見覚えのあるシルエットを映し出す。細身で美しい顔立ちを思わせるその影はカッちゃんを抱きかえているように見えた。
「ドラキュラ…?」
突然の出来事で頭の処理が追いつかない。
「カッちゃん!」
叫びなら走る。
なぜ、この時期にドラキュラがここにいるのか?
母から聞いた話では、二十年前にドラキュラ率いる西洋妖怪が勢力拡大を目論み、都心を占領したという。それ以来、日本政府は専門家と手を組んで対策課を発足。軍事力と技術を駆使し、彼らの撲滅を目指した。
しかし、千五百体にも満たない西洋妖怪を五万の兵力と日本妖怪たちの総力をもってしても、三分の一程度しか減らすことができなかったらしい。五年にわたる戦いは日本軍の惨敗で終幕。都心は甚大な被害を受けた。
それから日本は彼が支配する国になったそうだ。ドラキャラ一族は全員で十人。
彼らは部下である西洋妖怪たちを連れだって半年に一度、地上に降りて食事をする。
だが、今は二月。どう考えてもおかしい。
「あっ!」
影を追っている途中で交差点の信号に引っかかってしまう。立ち止まったところで、ようやく見つけた時にはカッちゃんを抱えたドラキュラは、私の家に向かって飛んでいた。
ヤバイ、と悟った時には彼の姿はなかった。信号を確認しているうちにまた見失った。
とにかく、走る。頭に過ぎる映像を、体を吹き抜ける風で掻き消す。
ありえないありえないありえないありえないありえないありえない…あり…えない…こんなの絶対ウソ。悪夢を見てるだけだよね?
どうして、この時期に?
よりよって、何で私の家に?
目の前の景色が歪んで見えて、自分が泣いていることに初めて気がついた。
いつもは帰り道にいる犬の鳴き声が怖いのに今日は気にならなかった。犬嫌いの私は、すぐにカッちゃんに助けを求めていたのに、それが日常で今が異常だということを改めて実感する。
「母さん、父さん!」
勢いよく玄関を開けると、そこは血の海だった。鉄錆の臭いが一気に鼻腔を支配する。焦る気持ちを抑えきれず、勢いのまま玄関を開けてしまったので目を逸らすタイミングを逃してしまった。
「いっ…や…」
息が詰まって、叫ぶことすらできなかった。今は手で鼻を覆うので精一杯。体が硬直して動けない。
玄関通路のドアを挟んだ向かい側のキッチンで母が倒れていた。包丁に手を伸ばそうとして力つきたのか、その手は伸ばしたまま戸棚に背を向けた格好だ。右手だけが上に上がっていることがさらに恐怖心を倍増させる。その腹には明らかに人外の爪で引き裂かれたであろう四本の傷跡が残っている。右の首筋からは赤黒く流血していた。
もう耐えられない。
玄関のドアノブに手を掛けようと固まった体に必死に抵抗していた時、私は初めてその音に気がついた。玄関を上がって左手に見える階段から足音が迫ってくる。隠れる場所なんてない。
恐怖感からか、緊張からか、絶望からかは不明だが、手汗が凄くてドアノブが回せない。回せたかに思えた瞬間が二度あったが、直後に押しても開かなかった。
暗闇に足音だけが大きく響く。そのゆっくりとした足取りが容赦なく私を追い詰める。
この時の私は無心だった。だから、さらなる絶望への合図を聞き逃してしまったのだ。
「なにやら騒がしいと思い覗きに来てみれば、私たちの他にも客人が。もしや、ココの住人の方で?」
育ちの良さを思わせる高めで落ち着いた気品を感じさせる声。
私はその声に返事なんてできなかった。息をするだけでやっとで、ただドアノブに手をかけてたっているだけの自分がそこに立っていた。
薄々気づいていたものの、受け入れたくなかった。自分で認めたくなかったのだ。逃げ場がないということを。閉じ込められている現状を。死を待つしかない運命にあることを。
だから、振り向くわけにはいかなった。
「おやおや? 体が震えていますね。まさか、僕が食事しているところを覗きましたか?」
背後のドラキュラはさらに続けた。
「貴女のお母様の血は実に美味でしたよ。今まで一万人ほどの人間の血をいただいてきましたが、中でもあの味は五本の指に入る一級品でした。しかし、お家にお邪魔した時のあの驚き様は意外でした。下等な日本妖怪と共存しているというのに、私が挨拶を差し上げた際のあの顔…今思い出しても嗤えてきます。フハハハハハハ!!」
彼は堪えきれなかったらしく、その甲高い声は家中に木魂した。
「…」
脳裏に浮かぶは母の顔。
剣道の試合に来ては誰よりも大声で応援してくれた。
母の日に時計をプレゼントした時は、泣いて喜んでくれた。
志望する高校を突然変えて父と喧嘩した時も味方でいてくれた。
その母がいないことを、私はようやく自覚した。体の震えが止まり、込み上げた怒りに拳を固くする。その中に今まで抱いていた感情すべてを掌握していった。この感覚は初めてだ。
「やっぱり、アンタが母さんを…」
嗤い声が支配する闇の中、夜目に映った一本の竹刀に手を伸ばす。
「許さないわ、ドラキュラ!」
「その呼び方は嫌いです。一般的には『二世』と呼ばれているようですが、父上と一緒にされると吐き気がするので人間の皆さんには、どうか『ローリエ』と呼んでいただきたい」
敵意はないと言わんばかりに、彼は手を大きく広げる。
その態度に、あふれる敵意を剥きだしにして正面から睨む。周囲に彼女の姿がないことに気づいたのは、それからすぐのことだった。
「カッちゃんは、どこにいるの?」
「あぁ、お友達ならすでに狼くんが私の城に…」
「うるせぇな」
「!?」
その時、ドラキュラの言葉を遮って聞こえてきた新たな声に振り返って無意識に構える。
「戻りやしたぜ、坊ちゃん」
「お帰りなさい」
「おっ、ウマそうな女だ。これは俺の獲物にしても構いませんかね、坊ちゃん?」
声の主の視線に向き直る。
しゃがれ声の男は大きな舌を出してヨダレを啜る。その巨体は暗い中でもはっきり分かった。全身が毛皮で覆われていて大きな口と頭に耳を持ってる。
「可哀そうではありますが、仕方ありませんね。覗かれていた可能性があるので殺しておいてください」
「仰せのままに」
恭しく礼をした後、牙を剥き出しにして嗤う気配があった。
「フッ」
来る!
勝てないことは分かっていた。
でも、引き下がるわけにはいかなかった。私は覚悟を決めて相手のいる方を睨む。
「くれぐれも女性には優しくするのですよ、狼くん。それと僕のことは『坊ちゃん』ではなく、『若』と呼びなさい。何度言えば…」
「はい、はい」
直後、風を感じた。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
気づいた時には激痛が走っていた。いつの間にか竹刀は折れ、私の体は宙にある。
「あっ、あああああ…放して…!」
遠のく意識の中で肋骨が折れる音がした。獣の爪が背中に突き刺さる。あの一瞬で勝負はついていたのだ。
「どこから喰われたい? 最期に選ばせてやるぜ、頭か? それとも、足からか?」
「私は…」
「何だ? 早く言わないと握り潰すぞ!」
体が締め付けられて息ができない。
「ぐっ…!」
このままだと潰されてしまう。こんなところで死にたくない!
「答えねぇなら、頭から丸呑みだな!」
「いや、ちょっ…やめて~~~~~~~!!」
やっぱ、死ぬんだ私…。カッちゃんだけでも無事だといいな。
――諦めんじゃないわよ、直花!
その刹那、誰かの声がしたが、気のせいだろう。
パチッ。
だが、体を噛み砕かれる寸前に奇跡は起きたのだ。
「ぐあぁぁぁ!!」
突然、玄関の明かりが点いたことに驚いたのか、両手で目を押さえて大声で呻く狼男。
「痛っ!」
勢いよく地面に叩きつけられた私は今度こそ、動けなくなった。
最後に視界が捉えたのは、赤い着物の女性。
――もう、大丈夫。直花は独りじゃない。
「スワリちゃん…?」
その笑顔に見覚えがあった。
私は手を上げて応えようとしたが、そこで力尽きてしまった。
*
真っ暗。
ここが天国かな?
でも、みんなが向こうで手を振ってる
「ほら、直花。バスに遅れるわよ!」
カッちゃん…無事だったんだ。そっか、今日は大会の日だった。
「みんな、今日は頑張ろう!」
あれ?
歩けない…どうして?
「みんな、待って! 置いてかないでよ」
「坂本、早く来いよ」
「何やってんの、直花?」
「みんな我慢してたのよ」
「そうよ、ヨダレが止まらない」
え?
「まったく、もうちょっと我慢できねぇのかよ…ガキども」
「だって~、美味しそうなんだもん」
「ごめんね、直花。実は私…」
「仕方ねぇな。侘びの気持ちを込めて俺が喰ってやる。なぁ、坂本。どこから喰われたい?」
「ズ~ル~イ!! 私が先ですよ、監督」
丸尾監督、みんな…どうしたの?
「じゃあ、私は腕を貰うわ」
「私ね」
ウソでしょ…これじゃ、まるで―
「そう、俺は」
「私たちは」
『狼』
悪夢だ悪夢だ悪夢だ悪夢だ悪夢だ悪夢だ悪夢だ悪夢だ悪夢だ悪夢だ悪夢だ悪夢だ悪夢。
*
目が覚めてもそこが病室のベッドの上だということに暫く気づかなかった。耳障りな機械音が一定のリズムで鳴り響いていた。そこに繋がれたモニターの中では緑の折れ線グラフが三つ走っている。
「私、生きてる」
そうだ…あの時、狼男に襲われた私は赤い着物を着た女性に―
「そういえば、スワリちゃんは!?」
頭に彼女の顔が過ぎって思わず跳ね起きてしまった。
「ッ!!」
「ようやく、目覚めたようね、坂本さん」
その反動で走った脇腹の激痛に悶えていると、自動ドアの向こうから中年の女性が歩いてきた。
「こんにちは、坂本さん。まだ痛むようね。でも、今日中に傷は塞がるから安心して」
「あなた、誰?」
銀縁の眼鏡をかけた白衣姿の女性は、その美脚を見せつけんとばかりに近くにあった丸椅子へとゆっくり腰かける。
「私は【ヴァンパイア侵攻対策本部 通称:VICH】医療班班長で妖研究家の椎名由香里。三十八歳。赤い着物姿の座敷童に運ばれてきたあなたを治療したのは私よ」
私の視線に少し驚いた様子で苦笑いして書類に目を通す。
「スワリちゃんが私を…」
「幸運だったわね。上半身の複雑骨折と出血多量で、放置されてたら二時間後には死んでたわ」
「それで、スワリちゃんは?」
「『もう会えないだろうから、よろしく言っといて』って言った後、スッと消えてったわ」
「もう会えない、って…どうして?」
「おそらく、夜の姿を見られてしまったからよ」
「夜の姿?」
「これよ」
椎名さんは分厚いファイルの端から一枚の写真を取り出して、私の前に差し出した。そこには、三歳くらいの女の子と二十歳くらいの女性が立っている。比較するように並んだ二人の隣には、それぞれの後ろ姿もあった。
「妖怪たちの中には日中と夜で姿を変えるものがいるのよ。この写真は別の地域の座敷童だけどね。別に夜の姿を見たからって何も起こらないんだけど、人間には見られたくないって子がほとんどね」
「そうなんだ」
「まぁ、ひょこっと帰ってくる可能性もあるし、心配ないわ。座敷童は基本寂しがり屋だから」
今度会えた時、絶対お礼言わなきゃ。
「リンゴ、食べる? 食べるなら剥くよ」
そう言って彼女は足元にあった鞄の中からガサガサと二つのリンゴを取り出した。
「ありがとうございます。でも、今はお腹すいてないので夕方にいただきます。」
「そう。じゃあ、置いとくわ」
「それより、何でこの時期にドラキュラが日本にいるんですか?」
「それはまだ不明よ。彼らの生態系の異変、もしくは単なる気まぐれかも」
私が真剣な顔で聞くと彼女はガッカリした様子でため息をついて、再び書類に目を落した。
「じゃあ、本題に入るわね。日本政府は西洋の吸血鬼・ヴァンパイアをこの国から追い出そうとしてるのは、知ってるわよね? 二十年前のことも」
「はい」
「でも最初の計画は失敗したの。人造吸血鬼なんて作れなかった。データは採取できてもその身体能力や特殊能力はとてもじゃないけど再現できなかったわ。技術力もコストも不足してたの」
そこまで言って彼女の顔が急に緩む。何故か自慢げに自分の顔を指差して続ける。
「政府が次に打ち出した計画は、実は私が考案者なの! その名も“ディセンダント・ヴァンパイア計画”」
「でぃせんだんと?」
「そうよ。実は日本にも普段は見かけないだけで、吸血鬼はいるの。だから、吸血鬼とヴァンパイアを戦わせよう、って計画ね」
「ヴァンパイアって、『ドラキュラ』のことですか?」
「そうよ。『ドラキュラ』は一族の名前であって、吸血鬼の英名は『ヴァンパイア』だから、日本のと区別するために公的にはそう呼んでるの」
持っていた紙の裏に何かを書き始める彼女。
「話は戻るけど、戦闘経験の少ない彼らの力では負ける可能性がある。だから、より強力な血が必要なの」
「血?」
その絵は棒人間が何かに噛みつかれている絵に見えた。
「そう、より強力な血統の持ち主…つまり、あなたのような人を私たちは捜していたのよ。存在しないと言われていた坂本龍馬の末裔・坂本直花さん」
「私?」
「そう!」
「いや、その前に指差さないでください。顔近いし」
無理やり彼女の顔を突き放す。
「まず、この十人の吸血鬼の中から今後一緒に活動するパートナーを選んで。実際に血を吸わせてみて相性を試してみてもいいかもね」
「いいかもね、って…実際そんなことしたら『吸血鬼感染』するって」
「あぁ、それは都市伝説みたいなもんよ。日本ではそんな事例ないし、それこそ西洋の一部の地域でしか確認されてないから安心して。ある一定の量を吸われると、不死身になるだけよ」
なんかこの人、信用できない。吸血とか絶対痛いに決まってるし、それに…。
「さぁ、みんな入っ…」
「ちょっ、ちょっと待って! 椎名さん、一つ確認を!」
「何? 何でも言って」
「吸血されてる時って、その…(秘密)」
「んっふふ、その通りよ」
あっ、この人…私で遊んでる。
鼻で笑った後、彼女は私の耳元でこう囁いた。
「でもね、直花さん。ドラキュラ一族さえ殲滅できれば西洋妖怪はいなくなるし、あなたの友達も助かる可能性がある」
「何でそれを?」
「それくらい知ってるわよ。だから、そのためにも私たちに力を貸して」
「でも、私には…」
「じゃあ、今度こそ中に入ってきて」
椎名さん手招きすると、吸血鬼軍団がゾロゾロと入ってきた。全員が横一列になって私を凝視する。その光景は近くの国の軍隊パレードを彷彿とさせる。
そして、隊員たちはひたすら真剣に淀みなく、その衝撃の一言を一斉に私にぶつけてきた。
あなたの血を吸わせてください。
あの日から五年-
ここは、適性者の育成強化施設。
二十歳になった私は、あの時に選んだ一人の吸血鬼と九人の仲間たちと特訓を続けている。もちろん、それぞれの仲間のパートナと共に。
近い将来、私、坂本直花率いる『怪援隊』とドラキュラ一族が対峙するその時に備えて。
「お疲れ様です。直花さん」
「お疲れ。今日も調子よかったね」
「はい。では、回復のために吸血を」
そう言ってついてくるパートナー。
「だから…いつもシャワー後で、って言ってるでしょ」
軽く汗を拭って浴室に急ぐ。
「一緒に入りましょうよ。その方が誰にも見られずに効率よく…」
「効率とかの問題じゃないから!」
「じゃあ、他に何の問題が?」
彼には、もうちょっと女子の気持ちを察してほしい。
私は未だに慣れていない。
とはいえ、ご先祖様が当時の日本の未来を託されたように、今この国の未来を託されているのはリーダーである私なのだ。いつまでも、こんな感じじゃダメなのは分かっている。
「とっ、とりあえず…黙ってついてきて」
「喜んで」
私の先祖は坂本龍馬。
その名に恥じぬ国の采配をここに誓って―