夢想の戦士 3話
午後10時を過ぎたころ光介はマンションの玄関口に立っていた。高さは20階近くあり、表面はレンガ色のタイルで覆われている。
出入り口は自動ドアになっており、内側には郵便受けともう1つの自動ドアが設置されている。こちらのドアは横にあるインターホン付きパネルで、住人にあけてもらうか、暗証番号を入力することで開くようになっている。
光介はパネルに番号を打ち込み扉は開く。中に進みエレベーターが来るのを待つ。
エレベーターに乗り込むと、ポケットの中で携帯電話が鳴り出した。手にっとてみるとメールを一通受信していた。矢星からだ。
〈お前は、俺では理解できないことを背負っているようだが無理はしすぎるなよ。何かあったらいつでも力になるぞ〉
メールを一通り読み終えると返信文を入れて送信する。
〈ありがとう。今のところ大丈夫〉
メールしている内にエレベーターは目的の階にたどり着くと、降りて廊下に出る。
携帯電話の画面に目を戻すとメールは送信されていた。
光介は廊下を進み目的の部屋に入る。
「永森か、少しおそかったな」
部屋では2人の男が待っていた。1人は黒いスーツに黒縁メガネをかけた雨野教授だ。人の『夢』について研究しており、久遠唯理は彼の元ゼミ生であった。もう1人は雲原という雨野の助手である。
「ほら、今日もちゃんとやるぞ。怪夢を止められるのはお前だけなんだからな」
雨野は唯理同様、怪夢の存在にいち早く気づいた人物である。
「わかっています。お邪魔します」
部屋に踏み込むと何に使っているかわからない、スピーカーらしき物やパラボラアンテナのような物まであるある。配線の類もグチャグチャのままだ。
光介は雨野のデスクのすぐ近くに置かれている椅子に深く腰を掛ける。すると助手の雲原が網目状の脳波計を光介の頭に装着させる。
「教授、いかがですか?」
雲原は雨野に確認する。
「よし、準備は完了した。思う存分、怪夢を退治してこい」
雨野が許可を下す。
〈ともに戦うぞ〉
幻武も光介に呼びかける。
「はい。行ってきます」
光介は眼閉じて意識を幻武と一体化させる。
融合した意識は雨野達が開発したアンテナから飛ばされ、怪夢に襲われている人を探し出す。本来ならば光介が直接触れなければならない行為を簡略化できるのである。
「・・・いるな」
怪夢の存在を探知できると、すぐにその人の悪夢に介入する。
幻武・想甲と光介達の意志が怪夢に取り付かれた人の精神に進入する。
他人の夢に入り込んだ場合、大抵は空から降ってくるように幻武・想甲は現れる。今回も同じである。場所は、木々の生茂るジャングルである。恐竜図鑑に出てくるプテラノドンの様な巨大な怪鳥が2匹見える。
「あれだな」
幻武・想甲は近くいる方の怪鳥にターゲットを絞り、背中の大剣に手をかける。敵に気づかれなければ一撃で仕留めることは可能である。
思惑通り怪鳥は幻武・想甲の一撃を受けた。大剣が怪鳥の首元に突き刺さる。錐もみ状態でジャングルに墜落する。
怪鳥は木々を薙ぎ倒し地面を抉るように押し潰れた。
幻武・想甲は大剣を首元から引き抜く。傷口から血が吹出し白い体に赤い血痕が付着する。普段の光介なら悲鳴を上げているところだ。
「さて、次だ」
幻武・想甲が歩き出した途端、何らかの強い衝撃に襲われた。
力尽きたと思われた怪鳥が息を吹き返したのである。顎が引き裂けんばかりにくちばしを開き、幻武・想甲の右腕に噛み付く。
「うぅぅぅっ!」
鋭い牙が腕を噛み砕き、怪鳥から距離をとった時には幻武・想甲の右腕はなくなっていた。傷口が炎上しているかのような痛みである。人間ならば立っていられないであろう。
怪鳥は再び口を開き噛み付いてこようとする。
幻武・想甲はそれを避け、食いちぎられた右腕の有りかを探す。大剣がなければ反撃の仕様も少ない。
何度も噛み付き攻撃を仕掛けてくる怪鳥を高い跳躍で回避する。着地すると同時に前転し、右腕と大剣の元へ移動する。
左手で大剣を掴み、怪鳥の顔面目掛けて切り上げる。
怪鳥の顔は頭ごと裂け、動かなくなる。
幻武・想甲は念のため首も切り落としその場を離れた。空中からもう一体の怪鳥が狙っているはずである。
「くそっ、傷が痛む」
大木の陰に隠れ一呼吸置くが、腕を再生させる能力などない。
「やるしかない!」
幻武・想甲は大木の上に飛び乗り、あえてもう一匹の怪鳥に発見される。
怪鳥が餌となる虫を捕食するかのように突っ込んできた。
「アァァァッ!」
奇声と共に光介は眼を覚ました。座っていた椅子からはズレ落ち、脳波計は外れていた。
「戻ってくるのが随分と早いな。まだ30分も経っていないぞ」
雨野は至って冷静であった。光介の脳波を知ることができても、夢で何が起こっているかまでは把握できない。
光介はゆらゆらと立ち上がると仕切りに自分の体を確認する。特に右腕を何度も動かし気にしている。
「さっさっと席に着きなさい。もう一度行って来てもらう」
「休憩も無しですか。こっちは腕をもがれるは、体に穴あくはで死にかけてるんです」
「所詮、夢の中の出来事で君は五体満足だろ。幻武の能力があれば殆どの怪夢は楽に倒せるのだよ。君に休んでいる時間など無い」
光介は再び椅子に座り直す。首元や背中が汗でびっしょりと濡れているのがわかる。
「怪夢の事件を解決できるのは君だけなんだ、頼むよ」
助手の雲原が脳波計を付け直しながら話かけてくる。励ましのつもりかも知れないがちっともうれしく思えない。こんな事に気を使うぐらいなら雨野に休息の必要性を訴えてほしい。
光介達の意識は怪夢との戦場へ向かって行った。
「教授、正直に言いますが、永森君を酷使しすぎでは?」
「仕方がないだろ、彼しかいないのだから。代わりになる人物がいるなら欲しいぐらいだ」
「教授がほしいのはただの実験台ではありませんか」
「ふんっ。この活動で人の精神の謎が解けるかもしれんのだぞ」
雲原の問への回答からして、雨野は光介を実験動物にしか思っていない。
おそらく、光介の意識が戻り嗚咽吐いて苦しがっても雨野は見てみぬ振りをするだろう。彼の介護役はいつも雲原だ。それはこれからも続くであろう。
ホームルーム前の教室に光介の姿はなかった。
同級生の矢星は教室に掛けられている時計と自前の腕時計を見比べながら光介を待った。しかし、教室に入ってくるのは他の顔ぶればかり。
「なあ矢星、今日の1時間目の授業潰れるらしいぞ。全校朝会だってさ」
クラスメイトの1人が矢星に情報を与えてくれた。
「ほう、情報源は? あと理由は知っているのか」
「それはすれ違った先生達から教えてもらったんだよ。なんでも内の高校で夢遊病殺人未遂が起こったてさ」
矢星は昨日の出来事を思い返した。突如、用務員の人が光介と千華に襲い掛かった事件。やはりただ事ではなかったようだ。
教室のスピーカーから呼び出し音が鳴り響いた。
「3年5組、3年5組の矢星君、至急生徒指導室までお越しください」
スピーカーからは同じ台詞が繰り返される。
「おいおい、矢星呼ばれてるぞ」
「その様だな、ちょっと行ってくる」
矢星は教室を出て生徒指導室へ向かった。
生徒指導室は本来、素行の悪い生徒や何らかの事件を起こした人物が呼ばれる部屋である。真面目に生活していれば無縁のはずである。
「失礼します」
そう言って矢星は指導室の扉を開けた。すると部屋には数人の教員の他に光介と千華だいた。
「矢星君、君も昨日の夢遊病事件の関係者だね。話を聞かせてもらうよ」
ここに集められた生徒は夢遊病事件の被害者のようだ。光介が教室に来なかった原因も納得がいった。
矢星は殆どの質問に正確に答えた。ただ1つ、光介が用務員の頭を掴んだこと以外は。
ある程度、質問が終わると教室に戻された。10分程すると担任がやってきて廊下に並ばされ体育館へ移動する。
全校朝会は案の定、夢遊病事件についてである。全校生徒の前で校長が昨日の事件の説明と、何故か校長先生が学生頃の昔話をされた。夢遊病事件が世間を騒がしているのは周知のことであり、解決策すらない。人はただ、自分が加害者にも被害者にもならないことを祈るだけである。
全校朝会の影響で授業は3時間目からの開始になった。
「いやー、昨日の今日だから2人とも心配したぞ」
「昨日の今日って・・・、うん、言いたいことはわかるけど」
矢星は光介とあえてご機嫌のようだが、光介としては晴れた気持ちになれない。学校に到着するとほぼ同時に生徒指導室によばれ、部屋にはすでに千華がおり、彼女の頭には白い包帯が巻かれていた。
心配した生徒や先生方が声を掛けてくれるが千華は「大丈夫です」の一点張りだ。
「永森はよほど久遠のことを気にかけているようだな」
「やっぱりばれちゃう」
「何となくお前の考えは予想付く。だがな、自分自身の心配をするべきだ」
光介は一瞬ビックとした。矢星にすべてが見透かされているように思えたからだ。
「確かに僕は千華のことを心配しすぎているかもしれないけど、自分のことも一応考えているつもりだよ」
「その割には、眼の下にクマができているぞ」
矢星には言い訳できない、と光介は痛感した。一層ここで自分が夢に出てくると噂の純白の戦士だと真実をつげてもいいのかもしれない。現に矢星には用務員へ憑依するところを確認されている。
「矢星、僕は・・・」
「永森、メールにも書いたが、俺はお前の味方だ。ここでは話しづらいことじゃないのか」
「うん、そうだね」
光介は確信した。矢星にはもう正体がバレていると。
授業終わりの放課後、部活動もなくなった3年生は帰宅するか、だらだらと教室に残るか2パターンに分かれる。
千華は席に座ったままの光介にこっそり近づき襟元へ手を伸ばす。
「うぉわっ!」
不意を突かれた光介は変な声を上げてしまった。
「千華か、また何イタズラしてるんだ」
「いやぁ、光介君が元気なさげだったからさ。ちょっと刺激を与えてみようと思って」
千華はいつも通り笑顔を浮かべているが、頭の包帯が何とも痛々しい。
「しかし、相変わらずの冷性だな。寒くないの」
「慣れっこだから平気だよ」
冷性とは慣れるものなのだろうか。
「私この後、病院行かなきゃいけないから、またね」
「病院ってその怪我のこと」
「うん、今は大丈夫だけど一応ね」
千華の発した「今は」という単語が光介の胸にチクリと刺さる。今は、ということはその前はそれなりの傷だったということだろうか。
千華の後姿を見送る光介は改めて自らの不甲斐なさを実感する。
「永森、俺達も行こう」
今度は矢星に話しかけられる。
「そうだね」
2人はまた、誰もいない教室を探しそこで話し合うことにした。昨日に引き続き2日連続で矢星に相談するとは思ってもみなかった。
「矢星はさ、純白の戦士についてどう思っているの?」
「うーむ、・・・夢遊病事件を唯一解決できる存在だな」
「他には何かある」
「俺だってそんなに詳しく知らないんだ。一般人の意見として受け取ってくれ」
矢星の言うとおり、幻武のことは一般的に知れわたっていない。むしろ知っている方が怪しい。
「僕がもし、純白の戦士だったらどうする?」
ストレートに訊ねてみた。
「俺もそのことをずっと思考していた」
「それで答えは出たの」
矢星は一言ひとことを選ぶように口にしだした。
「俺には特別な能力などない。だからお前の力にはなれないかもしれない。ただ、その、何というか・・・」
光介は黙って聞き続けた。言葉に詰まっても焦らすようなまねはしない。
「・・・今までと変わらぬ、永森は大事な友だ。これからも友達としてたのむ」
「ありがとう。これからもよろしく」
本来、光介が相談する立場だったはずだが、いつの間にか役割が入れ替わっていたがそんな細かいことはどうでもよかった。2人は今後も変わらぬであろう友情を確かめることができた。
「矢星、君には心底感謝してるよ」
光介は帰路を1人で歩いていた。体感で気温がどんどん低くなっているのがわかる。もう間もなくで冬が訪れる。夢遊病事件に巻き込まれる前は、高校生最後の冬をどう楽しむかなど考えていた。将来の進路についてもあれこれ悩んでいた。過去を振り返ると自分の悩みが贅沢な選択しだったと思い返す。
幻武と出会ったあの日から光介の日常は崩れ去った。大学が襲撃されて久遠唯理が亡くなった日でもある。いや、そのほかにも死亡した人は大勢いる。不幸な目にあったのは自分たちだけではない。
そんなことを思い返しているとまだ唯理のお墓参りも何もしていないことに気が付いた。 真っ直ぐ帰ろうとしていたが、千華の家によることにした。
大学には何度も顔を出していたが、いざ久遠家を前にすると必要以上に緊張してしまう。
玄関のインターホンを鳴らし家の人が出るのを待つ。
「はい、どちら様ですか?」
女性の声だ。母親だろう。
「永森光介です」
「あら、光介君。今あけるから」
扉を開けて母親で迎えてくれた。
「千華はまだ帰ってきてないけど、どうしたの?」
「はい。唯理の仏壇に手を合わせようと思いまして」
「そう、ありがとうね。唯理も喜ぶわ」
光介は母親に案内され仏壇の前に座った。ロウソクに火をつけて合掌する。心の中で唯理の成仏を願う気持ちと、己の不甲斐なさを詫びる思いが交差する。
瞳を開けるとロウソクの火に目が行く。わずかに揺れる火は何かを物語っているようにも見える。孤独に怪夢と戦う光介を褒めているのか、千華に怪我を負わせたことを怒っているのか、どちらにも捉えることができる。
「光介君、本当にありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
ロウソクの火を消すと、今度はリビングの方へ呼ばれた。
「唯理はね、私達家族によく色々なお話を聞かせてくれたの。研究の事だったり、貴方のことも」
「僕のことですか。何だか恥ずかしいです」
「貴方のことをよく、こうちゃんって読んでいたわ。まるで、お姉ちゃんに甘える弟だったみたい」
光介は初めて自分がどのように想われていたのかを聞いた。
「光介君と千華が仲良くしているのが何よりの喜びだったみたい」
「僕もそのことで何度もいじられましたよ」
「年下をからかい過ぎるのもよくないわね」
「そんなことはありません。僕としても嬉しかったし、楽しかったです」
あの頃を幾ら懐かしんでも戻ることは出来ない。死んでしまった人間は記憶の中にしか居ないのである。
「そう、ならいいけど」
「そろそろ帰りますね、ありがとうございました」
光介は母親に一礼すると玄関の方へ向かった。
「えぇ、気をつけてね。今度は千華がいるときにでも遊びに来て」
「はい、また来ます」
光介は家を出ると帰り道を進んだ。あの日のことを思い出しながら。
光介が幻武と出会いは奇跡的なものだったらしい。幻武とは誰でも一体化できるものではない。幻武の発する周波に限りなく近い脳波が必要とされる。光介は唯理の実験で以前脳波を調べられていたため、幻武との適合率が高いことは判明していた。
大学が襲撃されたあの日、千華がいなくなり光介と唯理の2人きりになったあと、教授の雨野達が現れた。そこで初めて幻武の情報を得た。
幻武は始め、水槽のなかで氷の結晶のような姿をしていた。
雨野は「君は選ばれた存在だ」の「君がやらずに誰がやる」などと言って光介を幻武と接触させた。光介が触れると幻武は強く輝き、光介の体に取り込まれていった。
1つ器に2つの魂が宿ってしまったショックから光介は一時的に意志を失ってしまった。その後、襲撃事件が起きた。
あの時、幻武に触れさえしなければと悔やむこともある。だが、いずれは運命のいたずらか何かで幻武との一体化は決められていたことかもしれない。
矢星が予定以上に頼もしいキャラクターへ成ってしまいました。
気弱な光介と男らしい矢星、2人が危ない関係になりそうで怖いです。