夢想の戦士 1話(前編)
紅葉を終えた葉が地面に落ちて道を彩る。風が吹けば葉は舞い上がり景色をわずかに変える。秋という季節は冬に向かう切ない時期でもある。
高校3年生の永森光介《ながもりこうすけ》は人通りの少ない小道を歩きながら空を見上げた。彼の目にはどこまでも続く空が映りこんでいた。背後から近づく足音に気づくことなく。
光介の首元を冷え切った何かがぬるり、と触った。
「ふぉあぁぁぁぁ!」
素っ頓狂な声を上げて飛び上がる。
「いいリアクションだよ。流石、光介君だ」
振り返ると中学生時代からの付き合いである久遠千華《くおんちか》が笑っていた。光介と同じ高校3年生であるが童顔で幼く見え、下級生に間違われることもしばしばある。
「何かすごっく冷たいものを首につけたよね」
「ではここで問題です。光介君の首を触ったのは何でしょうか?」
千華はまだ笑っている。
「えーと、自動販売機で買った、・・・冷たいカンとか」
「ブッブー、違うよ」
顔の前で腕を交差さえてバツ印を作る。
「で、答えを教えてほしいんだけど」
「正解は、私の冷えた手でした」
そう言って千華は光介の首元に手を伸ばす。
「待てまて、自分の冷性をちゃんと自覚しなさい」
光介は首元を触らせないよう相手の手を押さえ、2人の姿勢は力比べをしているようになる。どちらも平均的な体型であり、特出した技があるわけでもない。そのため、力比べは男子である光介の方が強い。
「女の子相手にムキになったら駄目でしょ」
「いや、そんなにムキになってはいない」
互いに手を放し、自然と並んで歩き出す。
「これから何所行くの」
「唯理さんの所でも行こうかと思ってる」
「あっ・・・お姉ちゃんの所か」
「一緒に行く?」
「・・・うん、じゃあ行こうかな」
普段明るい千華の返事がにごっていた。
「そうだ、手袋貸そうか」
光介はズボンのポケットから手袋を取り出した。
「おっ、紳士的な対応だね。ただ、私も持ってるから大丈夫だよ」
千華もスカートのポケットから手袋を取り出す。
「冷性ならちゃんと手袋をしなさい」
光介はあきれた様に溜息をつく。まだ息が白くなる寒さではない。
「だって、手袋していたら光介君を驚かせないでしょ」
「驚かせなくていいの」
光介と千華はある国立大学の校門まで来ていた。目的は千華の姉である久遠唯理《くおんゆいり》に会うためである。唯理は大学院生であり、教授の元で睡眠時に見る『夢』の研究をしている。
「ところで、お姉ちゃんにどんな相談するの」
「具体的には自分でもわからない。頭の中がもやもやして考えがまとまらないんだ」
「なるほどね。自分自身のこともはっきりしなくなるとか」
「・・・本当はわかっているのかもしれない」
光介は呟く様に言ったため、千華は上手く聞き取れなかったようだ。
「今、何て言ったの?」
「わからない振りをしているだけかもしれないって思っただけ」
2人は大学の敷地内に入りビルの様な校舎を目指す。
すれ違う大学生は制服ではなく私服である。どこか自由な雰囲気を感じる。校舎に入れば学生の数はより多くなる。制服を着ている彼等は大学内では目立つ格好だ。
2人は校舎に設置されているエレベーターに乗り込む。光介は10階まで表示されているパネルの8階のボタンを押す。
「ここの学生じゃないのに手際いいね」
千華が関心するように言った。
「よくお邪魔しているから」
「まったく、これじゃあお姉ちゃんを光介君に取られちゃうよ」
「べ、別にそういう、へ、変な理由じゃないから。ちゃんと正当な理由あるから」
光介の顔が赤くなり上手く呂律も回っていない。
「顔赤くして何考えてるのさ!」
「正常だから、何もイヤらしいこと考えてないから」
光介は額からにじみ出る汗を袖で拭う。
「その発言が考えている証拠だー!」
千華が光介の胸倉を両手で掴んで力一杯揺らす。
「いい、お姉ちゃんにちょっとでも手を出したら私が許さないから!」
「わかりました、わかったから放して」
そうこうしている内にエレベーターは8階にたどり着いた。
青ざめた顔で光介はエレベーターから降りる。一方、千華は何事も無かったかのようにしている。幸いエレベーターを待っている人が居なかったため血の気の引いた顔は誰にも見られずにすんだ。
「さっ、お姉ちゃんの居る部屋まで行こう」
千華は光介の腕を引っ張る。
「少し待って、息を整えさせてほしい。そうでないと要らぬ心配される」
「男子のくせにだらしないなぁ。軟弱なままじゃお姉ちゃんを振り向かせれないよ」
「唯理さんは千華みたいに乱暴じゃないからその辺の心配はいらないと思う」
「私を乱暴者にしないでよ。ちょっとイタズラしているだけでしょ」
千華は再び光介の胸倉を掴んで振り回しそうな勢いである。
「乱暴は過剰表現だったけど、千華の子供っぽいところが唯理さんと大きな違いだよ」
光介は強く言ったつもりではなかったが、その一言で千華は俯いてしまった。先ほどまであった勢いも消えてしまっている。
千華の口がわずかに動いているため何か発言しているようだが、小声すぎて光介には聞き取れなかった。
「ごめん、きつく言ったつもりはなかったんだ」
光介は謝ったが、千華はまだ俯いたままである。
「本当のことだから謝らなくていいよ」
千華がわずかに顔を上げてくれた。
「光介君の言うとおり私はイタズラ好きの子供ですよーだ」
「自虐ネタに走るところも子供っぽいな」
「自覚してやってますから」
今の千華は作り笑いしているだけであろうと光介には思えた。空元気だとしてもその様に振舞うことができる彼女を羨ましくも思える。
「とりあえず、唯理さんの所に行こうか」
光介は研究室の扉にノックをした。
「光介です」
「どうぞ」
扉の向こうから女性の声がした。
「失礼します」
光介が扉を開けて部屋に入る。千華もその後に続く。
「いらっしゃい、こうちゃん今日はどんな悩みかしら」
部屋にでは久遠唯理が待ってくれていた。他の人は居ないようだ。
「あら、千華も居るのね。2人とも本当に仲がいいのね」
「光介君に着いてきちゃった。お姉ちゃんこそ何してたの」
「見ての通り今は誰も居ないから休憩中ね。お茶淹れるから適当なところに座っていて」
光介と千華は言われたとおり空いている席を見つけて腰を掛けた。研究室といっても大学の先生1人に1部屋あたる小さな個室である。席の数も4つしかない。
「緊急速報です。またしても、夢遊病殺人事件が起こりました」
点けっぱなしになっていた24か26インチ程のテレビから速報が流れてきた。
夢遊病者による殺人事件。ここ3ヶ月ほど前から世間はこのニュースで騒がしい。寝ていた人が突然起き上がり周囲の人間に危害を加える。単に暴れるだけでなく台所から包丁を取り出す等、明確な殺意を持った行動である。
今テレビから流れている情報によれば、70歳のお爺さんが家から鉄製の大型スコップを持ち出し、下校中の中学男子生に殴りかかったらしい。それも、背後から後頭部を狙い、倒れたところにスコップを突きたてたという。夢遊病や認知障というレベルではない。
「また、このニュースだね。光介君は本当に夢遊病だと思う」
「難しいな。始めは責任逃れのいい訳だと思っていたけど、犯人達が揃って同じこというだろ『夢の中で怪物に襲われた』って。嘘ではないのかもしれない」
この事件の加害者は皆、怪物に襲われる夢を見ていたと言うのだ。身体検査をしても脳に以上はなく、薬物中毒による幻覚とも異なる。一部では催眠術による洗脳、未知のウイルス等、様々な憶測が飛んでいる。
「私は嘘であってほしいな。変な夢を見ちゃったら殺人鬼に成るなんて絶対に嫌だ」
そんなの誰だって嫌に決まっている。夢を見ないようにするなどできるわけがない。不眠不休で行動するにも限界がある。
「2人ともお待たせ。熱いから気をつけてね」
唯理がお盆で緑茶の入った湯のみを3つ持ってきた。
「いつもありがとうございます。いただきます」
「光介君、いつもってどれ位の頻度でお邪魔してるのさ」
千華が光介に対して鋭い目を向けた。
「どれ位って言われても困るな、1週間に、えっと・・・どれ位かな」
「大体、3回から4回は来てるわね」
光介が言葉に詰まっているところへ唯理が割って入った。
唯理の言葉を聞いて千華の目がさらに鋭くなる。光介は危機感を募らせた。
「ほ、ほら、僕は優柔不断だから、色々と相談者がほしいだけだから」
「千華、そんな目でこうちゃんを睨むと嫌われるわよ」
妹をなだめる様に唯理が声を掛ける。
「だって、光介君がお姉ちゃんにデレデレするからだよ」
「それは言い掛かりだ、デレデレした素振りしてない」
光介は弁明するが信用性は皆無である。
「週に3,4回って、2日に1回は来てるってことでしょ。通いすぎなの!」
「それとこれは、別問題だろ。話が咬みあっていない」
2人が口喧嘩になりそうな雰囲気であったが、唯理は千華の両肩を後ろから優しくさする。姉というより母といった印象である。
「2人とも後少しで高校を卒業するんだから、お互いのことを許せるように成らなきゃ」
唯理の言葉で張り詰めていた空気が薄れていく。穏やかな口調で相手を静める、それが、大人の話し方なのだろう。
3人はそれから、お茶を飲みながら他愛ないお喋りをした。光介と千華を見つめる唯理の姿はやはり、母親の様であった。
「お母さんからメールで買い物頼まれちゃったから、先に帰ってるね」
千華の携帯電話に母親から連絡があったようだ。
「日が沈む時間帯だから気をつけてね」
「それじゃあ、また明日」
唯理と光介が別れの挨拶をする。
「またね光介君。お姉ちゃんも遅くならないようにね」
千華は2人に軽く手を振りながら研究室を出て行った。
唯理は千華が部屋を出て2分ほど経ってから光介に話しかけた。
「ちょっと真面目な話題だけどいいかしら?」
「はい、僕が答えられることでしたら」
光介は残っていた緑茶を飲み干した。
「こうちゃんは、千華のことどう思ってるの」
光介がたった今飲んだばかりの緑茶が口に戻ってくるほどの衝撃的な台詞であった。唯理の表情はいたって真剣なものであり、冗談で発した言葉ではないようである。
「まぁ、何て言うか、千華は元気で明るくて子供っぽいですね。一緒にいても楽しい人だと思います。えっと、他の良いところは・・・」
制服の上からでは判らないが、光介の背中は汗でびっしょりと濡れている。
「無理して妹の良いところを挙げなくていいのよ。ただ、こうちゃんの気持ちが知りたかったの」
「・・・僕の気持ちですか」
光介には唯理の意図が掴めなかった。何故、自分の気持ちを探りたがるのか。時々、実験の被験者をやるため様々な質問をされることはある。新しい実験でも始めたのであろうか。
何と答えるのが賢明か思考する。だが、良い答えは思いつかない。
「あの、これは何の質問なんですか」
光介は正解を求める様に訊ねた。
「千華のこと好き?」
唯理の一言によって脳みそが高速回転するように働く。高校生相手に『友達として好きか嫌いかは』まずありえない。質問の意図が見えてくる。おそらく『異性として好きか嫌いか?』であろう。
光介にしてみれば千華のことは嫌ではない。しかし、好きだと言い切れるほど彼女のことを想っているだろうか。
「僕と千華は友達として仲は良いです。何かあれば力にも成るつもりです。ただ、唯理さんが訊ねている関係とは違うと思います。」
「よかったわ、妹のことを大切に思ってもらえているだけで十分よ」
唯理はなにやら満足した様子であった。
光介には唯理が満足している理由がわからなかった。捻くれた受け取り方をすれば、千華のことを女性として見ていないとも取れる。
「こうちゃん、私からの一生のお願い聴いてもらえる」
光介の背筋が跳ねるように伸びる。心臓の辺りが熱くなり自分でも感じ取れるほど行動が強くなる。
「無理難題なことでなければ」
千華の恋人に成れとか、ゆくゆくは結婚しろとか言われるのではないかと思ってしまう。
「私にもしものことがあったら、千華のことを頼める?」
「え、もしものことって、どういうことですか」
光介の抱いている不安がまったく別のものにすり替わる。『もしものこと』、自身の命に関わる危険な状況があるのだろうか。
いや、ある。夢遊病事件なら誰がいつ遭遇するか見当が付かない。
「側にいるだけでも、影から見守るだけでもいいの。ただ、妹の、千華のことを守ってあげて」
唯理の言葉は段々深刻なもの変わっていく。
「あの、どうしてそんな話を僕にするんですか、僕はそんな強い人間じゃありません。自分のことすら覚束ない弱い奴なんです!」
「そうね、あまりにも重い話題を振りすぎたわ。ごめんね」
話が終わっても光介の足は貧乏揺すりのように震えていた。
一度に長く書くと読みづらいと思い前後編に分けています。
後編でやっと物語が動きます。