9.ミラクル!!1
5日目の夜。
「疲れが溜まってきてるよねー、今日はちょっと早目に寝よー」
真弓先輩にそう言われ、今は就寝時間の、少し手前。
みんなの疲れもピークに達していて、咳をしたり、熱を出したりする人が、1年にも、先輩達にも出始めていた。
あたしも、見ず知らずの土地にやって来て。
深い闇に囲まれた旅館の中にいると。
牢屋に閉じ込められているみたいで。
心細くて、大阪の、自分のベッドが恋しくなる。
はあ、何て遠いのか。
ちょっぴり感傷的。
ホームシック。
あたしは、自販機でジュースを買うため、部屋を出た。
階段の手前で、せんぱい達の部屋の前を通る。
右側の、その白いドアのへんで、少しペースをゆるめて、耳を澄ます。
不自然じゃない程度に、ちらちらと見ながら。
でも、いつも。
なあんにも、聞こえなかった。
毎回毎回、通るたんびに、せんぱいの気配を漏れ聞きたいって思ったけど。
ドアは無情にも冷たく閉じられていて、あたしの期待に応えてはくれない。
監督達の部屋は、いつもテレビや話し声がうるさいくらいなのに。
運良く、出て来たせんぱいとばったり!ってことも願ってみたけど、ドアが開くことはなかった。
いやに白さが際立って、今日は立ちはだかっているみたい。
せんぱい、メールもくれなくて。
それで、さっきは、もう、遠矢を応援するんだから!って心の中で強がって見たけれど。
もう寝てる人もいると思うので、そうっと階段を降りて行った。
ジュースを買ってまたまた慎重に、そしてペースを落とし、せんぱいの部屋の前を通り過ぎる。
どうか……。
ちょっとでも、あのひとの気配を感じられますように、と。
どきどきしながら歩いたら、カクカクな歩きになってしまった。
でも、残念ながらあたしの祈りは届かないようで……。
がっかりしながら通り過ぎた。
今日は遠矢の部屋でのあんなことがあったり、外で二人が話してる声をうっかり聞いてしまったりだったけど、一度もまともには話せなかった、と気付いた時に、だからあたし少し落ち込んでたんだな、と、寂しさが胸に迫った。
そして、はあ、と溜め息が出たので、良くない傾向だと気を取り直し、歩調を早めようと思ったら。
ガチャ。
通り過ぎた左後方から、ドアの開く音が聞こえた。
反射的に、ぱっと振り向くと。
あたしに気が付き、とたんに情熱的な目元に、晴れやかな笑顔を浮かべるひとがいた。
ミラクル!
ミラクルだよ!!
あたしが言葉を発するよりも早く、そのひとは、開いたドアをすばやく閉じて、自分の口の前に右手の人差し指を立てた。
「し」
せんぱいは、辺りを気遣う様子を見せて、誰もいないのを確認すると、あたしに向かって小さく両手を広げた。
「……あず」
小声で呼びかけられた。
「おいで」
あたしは、やさしく温かく響くその声に、胸がじんと来ながら、一も二もなくその腕に飛び込んだ。
いつもなら、誰かに見られたらどうしようって思うけど、せんぱい欠乏症の今は、そんなのふっ飛んでいた。
温もりも。
感触も。
匂いも。
確かな実感として、今ここにあった。
さっきまでの不安と心細さは、完全に消え去った。安心してくつろいだ気持ちになってゆく。なんて単純。
そんな自分をおかして、笑いが込み上げてきながら、せんぱいの背中にぎゅっと腕を回した。右手にジュースの缶を握ったままだったけど、これ以上はないってくらい、せんぱいをきつく抱きしめた。
ぎゆうううっ。
目も、きゅっとつむって。
「今日は積極的……。
けっこうそっちもハードそうだな。でも、真弓について、よくがんばってる」
せんぱいは、あたしの髪をそっと撫でた。
あたしは、かぶりを振る。