3.せんぱい7
えっと、いろんな意味で、いっぱいいっぱいだったの!! ほっとして、少し緊張が和らいだ。
せんぱいの腕の中は、とても温く気持ち良かった。怖くないよ、ね。
少し体をずらして、深呼吸してみた。
せんぱいは、そんなあたしの行動に笑いを堪えているようだった。顔は見えないけど。これだけせんぱいにくっついてたら、想像できるよ。
そうやって、いつもいつも。あたしのやることなすこと、せんぱいは、笑ってばかり。
お風呂上がりのいいにおい。
石鹸の、やさしい、香り。
「いい、におい……」
せんぱいのささやく声が甘い熱っぽさを帯びて、低く、響いた。
あたしがせんぱいに対して思ったのと、そっくり同じこと。
せんぱいも、今、思ってた?
大きな右手が、あたしの頭のてっぺんにやさしく触れた。
そのままゆっくりと、せんぱいはあたしの頭を2度撫でて、髪に触れる。
すごく気持ちよくて。あたしも、そっとせんぱいの背中に腕を回した。夜の空気がやわらかくなったように感じられて。
夢の中にいるみたい。
虫の鳴く声まで、あたし達をやさしく包み込んでくれているよう。
せんぱいの吐く息は、熱い。
旅館の片隅で、二人ひっそりと。
夜の闇が作り出した神秘的な世界の中で、お互いのぬくもりを感じ合った。
「髪、まだ、ちゃんと乾いてない」
「せんぱいも」
お互いにしか聞こえないくらいの、ささやき声で。
せんぱいは、右手であたしの洗いたての髪をすくい上げたようだった。
せんぱいが体を動かす気配がして、あたしが顔を上げると、右手ですくっている髪に、顔を近付かせた。
「いい、匂い……」
「もう、大分経つよ。
さっき階段を降りて来た人、行っちゃったんじゃ、ない、かなあ?」
せんぱいは、右手であたしの髪をいじりながら、左手はあたしを引き寄せたまま。
「まだ、行ってない」
そうかなあ。
それに、誰かジュースを買いに来たらどうしよう。
真弓先輩も、戻るのが遅いって心配してないかな。
あたしがそういったことを言うと。
せんぱいは、難しい表情になった。何か考え込んでるみたいだった。
「せんぱい? 」
あたしが呼びかけると、せんぱいは、あたしを至近距離から真剣すぎる目で、覗き込んできた。
あたしの表情から、何か探るように。
そして、急に、少し不機嫌そうな顔になった。
なんか、怒ってる。
なんで急に?
あれ、でも、すぐに、にっこりと笑った。
「いいことを考えた」
……悪い予感が、する。
ほら、何かわかんないけど、嬉しそうだよ、とってもとっても。
「一緒にいるための正当な理由があれば、問題ないだろう。
バスでも、ずうっとくうくう寝ていたから、まだ、眠くないよな。
コーラと、たこ焼きと、ソフトクリームのお礼もまだしてなかったし」
あたしは、記憶から葬り去りたい昼間の惨事を思い出して、震え上がった。
とっさに、玄関の方へ逃げようとしたけど、あたしの行動を見越していたせんぱいに、すでにがっしりと両腕を掴まれていた。
今日、せんぱいは、災難続きだった。
あたしは、1度目の休憩の時、席を立とうとして、せんぱいに思いっきりコーラを引っかけてしまって。
更に、その休憩の時、せんぱいが弦巻先輩達と、サービスエリアのベンチに座って話してたら、
「たこ焼きあつあつっす! 先輩達、食べませんか?」
と、罪のない笑顔で子犬のように近付いて来た光輝が、目の前で思いっきりつまづいて、せんぱいの上に、買ったばかりのたこ焼きをひっくり返したらしい。
せんぱいは、とっさに両手でかばったけど、たこ焼きが1個、首の所から、着ていたTシャツの中に入りこんで、火傷しかけたそうで……。
そのサービスエリアでの休憩が終わり、バスが走り出すと、あたしは、すぐ眠くなった。いつの間にか体が傾いて、せんぱいの膝の上で爆睡してて。
あたしが起きるまでせんぱいは寝ないで我慢してくれてたみたい。朝早かったから、起こしたらかわいそうだと思って、って。足がビリビリに痺れて、ものすごく痛そうだった。
次の休憩の時、あたしは、真弓先輩とソフトクリームを買った。
座席に戻ってバスが動き出した時、大きく揺れて、せんぱいの服にそのソフトクリームを、
べちゃっ!
っと、やってしまった……。