執行スル者
グチャリと、また粘度を持った液体が地面に叩きつけられる音が重なった。
「ん?」
赤黒いそれを制服で拭きながら、不思議そうに音がした方を見つめる少年は、そのつり上がった口をうっすらと開くと、音のした方へ歩きだした。
***
随分と荒れた町だった。竜巻に襲われたように、壁にはヒビが入り、崩れている建物まである。
だが、それが自然現象が原因でないということは、そのヒビの中心の赤黒い大きなシミと、足元に転がる鋭利なもので切られた、それらが証明している。
「う゛ぅ゛…帰りたい…」
「どこに?」
小夜のある意味正しい質問に、泣きそうになりながらも歩き続ければ、いつの間にかいつも後ろにいる白い姿がいなくなっていた。
「小夜!?」
どこに行ったのかと慌てて来た道を戻れば、白とは真逆の黒い人影があった。学生服のような制服をきた少年の手には、胸元をつかまれ、うめき声を上げる人が掴まれていた。その光景に小さく悲鳴を上げれば、
「?」
少年は数珠丸を視界に収めたが、不思議そうに見るだけでこちらに襲いかかってくる様子はなく、そのままもう片方の手で握っていた刀で、その人の首を落とした。
力なく倒れた姿に、数珠丸は悲鳴を飲み込み、天魔につけこまれた人かと、刀に手をかけれた。だが、少年は刀をしまうと手帳を取り出し、何かを書き始めた。
しばらく、その行動が理解できず固まってしまったが、気を取り直すと、刀を抜き、少年に向かって駆け出す。
「……やはり、執行対象ではない」
なにか手帳を確認しながらつぶやいたが、すぐに少年も同じように刀を抜いた。刃が触れ合い、音を立てる。
刃が触れ合うたびに、相手の実力はお互い理解するが、両者は譲ることも、刀を収めることなく、一度、間合いを取ると隙を伺う。
そして、数珠丸が微かに悪い足元に目をやった瞬間、少年は一気に間合いを詰め、その刃を首に向かって突き上げ、数珠丸も少年ごと切ろうと刀を凪いだ。
「なにしてるの」
突然、2つの刃の間に白い少女が現れた。
少年の刀は少女の頭の真横で不自然に停止し、数珠丸は少女に気がつき、慌ててその刀を止め、少女と少年を寸のところで、その刃は止まった。
「小夜!そんな急に出てきたら危ないよ!」
「小夜……?」
「危ないも何も、なんでアンタが獄卒と切り合ってるの」
「獄卒?彼のこと?」
「そうよ」
知らなかったのかと、改めて獄卒のことを簡単に説明した。
「獄卒っていうのは、本来、地獄にいる罪人の刑を執行する役目の鬼のこと」
「ってことは知り合い?」
地獄の管理をしていた小夜なのだから、獄卒のことは知っているのだろう。
「全員を把握してるわけじゃないから……こいつは知らない」
「じゃあ、もしこの子が止めてくれなかったら、どうする気だったの!?切られちゃったかもしれないんだよ!?」
2人がもう少し気がつくのが遅れれば、小夜が切られていた。そのことに怒れば、小夜はめんどくさそうに少年の方に目をやると、少年は腕をだらりと下げていた。
「大丈夫よ。獄卒は私に手を出せないから。閻魔がかけた呪いみたいなのでね」
獄卒は閻魔と小夜に対して、殺傷行為を認めないというものだ。その呪いのおかげで、殺傷行為を行おうとすれば、強制的にその行動を止められる。それこそ、例え獄卒の腕や肩が破壊されようとも、関係ない。
事実、目の前にいる獄卒は先程から肩から腕にかけてのすべての筋肉や骨が壊れ、刀すら握れない状態だった。
「それにしても、獄卒はこっちでも仕事してるのね」
「はい。罪人の刑の執行は、必ず行われなければならないことですから」
地獄から騒ぎに乗じて逃げ出した罪人たちを捕まえることも重要であるが、獄卒たちには地獄に戻すことはできない。そのため、獄卒を数名派遣し、その場で刑を執行している。
「小夜様にお会いすることがあれば、協力は惜しむなと角助さんから伺っています」
「あら……角助のところの」
どうやら少年の上司とは知り合いらしく、小夜が驚いたように声を上げていた。
「知ってるの?」
「いつも、御中元にベーコン送ってきてくれるの。結構、美味しいから今度、アンタにも食べさせてあげるわよ」
本当にそのベーコンは安全なものなのか、材料は一体何なのか、少し不安でもあったが、少年の表情が少しだけ嬉しそうにほころんだのが見えて、その言葉は飲み込んだ。
「私たちにできることであれば、なんでも」
「たち?」
「獄卒は2人以上で行動します」
「じゃあ、もう1人は?」
「今は、もう1人の罪人の刑の執行に向かっています」
少年は手帳を取り出すと、小夜に見せた。本来、獄卒以外に見せることはしてはいけないが、小夜は別だ。
その手帳には、罪人の名前、現在の場所、刑の内容、執行日時、執行者名、最終執行日時、残り刑回数が書かれており、確かに少し前にこの近くで、別の名前の獄卒が刑を執行している。
「仕事熱心ね。そうね……なにか異界な気配をまとったのはいなかった?」
なんとも漠然とした内容だが、少年は少し考えると首を横に振った。
「坂本にも聞いてみます」
「坂本ってもう1人の?」
「はい」
その坂本という獄卒があろう場所へ、3人で歩いていけば、頭の潰れ無くなった体が壁に叩きつけられていた。
その光景に数珠丸が小さく悲鳴を上げるが、他の2人は全く同じていない。
「コレ?」
「いえ、これは坂本に執行された罪人です」
こうも平然とされると、逆に自分がおかしいのかと思ってきて、2人から目を離し、別の方を見れば、ズルズルと何かが這いずってこちらに向かってきている。
「中岡ァ…中岡ァ…!!」
その這いずってこちらに来ているそれが、呻くように声を上げている。
「さ、さ、ささ小夜!!小夜、小夜っ!!」
幽霊でも見たように、小夜の袖をつかむと、それを指差して訴えかけた。2人は、数珠丸の指さす方を見ると、小さく口を開く。
「坂本ですね」
「上半身しかないけど」
「そうですね。普段は下もあるのですが」
「なんでそんなに平然としてるの!?」
ずりずりと両腕だけで地を這ってくる坂本が、3人の足元までくると、疲れたようにため息をついた。その間ずっと小夜の袖を握ったままだ。
「いつまで怖がってるのよ。アンタだって、これくらいできるわよ」
「できなくていいよ!!」
確かに本体である刀さえ無事であれば、何度でも再生できる。だが、痛いものは痛いし、そもそも見た目として上半身だけはお断りしたい。
しかし、この2人と這いつくばっている坂本ですら、妙に慣れた様子だ。
「アレ……?そいつら、ダレ?」
「小夜様だ」
「小夜サマー……?アー……アレ?小夜サマって、メッチャ美人じゃなかったっけ?こんな“ガキ”じゃなくね?」
ガキという言葉に、ピクリと小夜の眉が反応し、今まで坂本の姿に怖がり、小夜の袖を必死に掴んでいたが、その空気にそっと手を離した。
坂本には小夜が本物であることは中岡が説明し、なぜそんな状態になっているのかと聞けば
「なんか、向こうに行ったら、でけェオッチャンがいい素材だ!とか言ってさー!」
「それでやられたのか」
「イキナリだし、生者だし、オレら手ェ出せないしさ」
獄卒は、生きている者に対して手を出すことはできない。小夜にかかっている呪いほどではないが、それがルールだ。
「そだ!今日、焼肉食いに行かねェ?」
「今は仕事中だ。小夜様の手伝いが済んでからだ」
「じゃあ、“モドキン”!早く終わらせようぜ!」
「モドキン……?」
「だって、モドキじゃん!」
「……ふふっ」
妙に柔らかい笑みに、数珠丸が手を合わせ、固く目をつぶるのと、小夜がその手にもったペンチで露わになっていた坂本の肋骨を挟み、割ったのはほぼ同時だった。
「イッテェェェエエエエエ!!!何すんだ!!コノ――!!」
その痛みに坂本が小夜に掴みかかろうとするが、その腕も呪いによって潰れる。
「イギッ…!?」
「小夜様に手を出そうとすれば、こっちが壊れるのは常識だろ」
相棒がひどい目にあっているというのに、平然と言う中岡に何か言いたかったが、耳に入ってくる骨が砕ける音と独特の粘着音、それに坂本の悲鳴、そして小夜のうすら笑いに、何も言えなかった。
しばらくそれが続いたあと、すっかり首から上だけになった坂本は、半泣きの状態だ。
「スッキリ」
驚くほど清々しいその笑顔に「よかったね」とは、もちろん返せない。
「さて、話せるように首から上は残してあげたんだから、感謝しなさいよ」
「ヒドイ!!モドキン!!」
「あ……目は話すのに必要なかったわね」
「ゴメン!!モドキン!!」
「すみません。坂本は少し、頭が悪いので」
「そうみたいね」
困ったように微笑みながら、しっかりとその右手は坂本の両目を抉っていた。
「それで、そのでけェオッチャンは、どんな人間?」
「でけェオッチャン……」
同じ言葉を繰り返す坂本に、小夜が次はどこを引きちぎろうかと構えるが、坂本がまだ何か言おうとしているのに気がつくと手を止めた。
「たぶん、焼肉屋」
「焼肉屋?」
「切ってる時、ホルモンとかナントカ言ってた」
それで先程、焼肉に行こうと言う話をしたのかと、納得しかけたが、肉になりかけた人の言う言葉じゃない。
そう簡単に死なないという意味では同じではあるが、実際、自分が同じ状況になった時、同じ言葉が言えるとは到底思えない。
「って、アレ!?小夜は!?」
またいつの間にか小夜がいなくなっていた。隣にいる中岡は、不思議そうに首をかしげた後
「探しに行ってきます」
それだけ言うと行ってしまい、自然と坂本と2人きりになってしまう。音を立てないように、自分も探しに行こうとすれば
「オレ、1人!?サビシイ、ヤダ!」
おそらく手があればバタバタとさせていたであろう坂本に、数珠丸も困ったように頬をひきつらせた。
誰が好き好んで、首だけの獄卒と一緒にいたいものか。いっそのこと、首だけ置いてあったほうがまだいい。そういう生き物かと諦められる。だが足元には、そこから首が取られたであろう肉片まであるのだ。
できればすぐにでもここから離れたい。
「中岡ァ…中岡ァ…」
だが、泣きそうな声でそう言われては、見捨てることはできなかった。
「中岡君はいないけど、僕がいるから、ダメかな?」
「……イイ」
弱々しく聞こえた返事に安心したが、その目元にうっすらと浮かんだ涙ができれば透明で済んだものであってほしかった。
***
小夜は精肉店をじっと見ていた。人はいない。だが、肉は大量に並んでいる。どれも新鮮で、腐っているものも、かびているものもない。なによりも、そこから弱々しいが魂を感じる。
「いい料理には職人の魂が宿るとは言うけど……素材の魂まで宿るものなのかしらね」
まぁいいか、と裏口に回り店の中に入ると、やはり誰もいない。部屋の奥にまだドアがあり、そこから微かに冷気が漏れていた。
おそらく、肉を保存している冷蔵室だろう。鍵がかかっている様子はなく、ドアを開けようと力を入れるが、重い扉は少し開くだけ。
「あーもう…!これだから、生身なんて嫌いなのよ」
呼ぶかと、自分の影につま先を立てようとした時、その扉に手が伸びて軽々と開けた。
「……あら、ありがとう」
「いえ」
中岡はそれ以上何も言わず、小夜もそれ以上何も言わず、中に入った。少し冷える部屋には、まだ元の生き物の形を残している肉の塊が天井から吊るされている。
「ここまでくると一種の才能ね」
「?」
小夜が手をかざすと、その肉の塊の中心から光が漏れだす。
「おいで」
ホタルたちは小夜の言葉に呼応するように、肉の塊から這い出しては、部屋を柔らかい光で包み込んだ。
その魂たちを送ろうと言霊を紡ごうとした時、強い風圧が小夜を襲った。
「ぁ…?」
すっとぼけたような声の主は、肉切り包丁を握っていたはずの腕が自分の足元に落ちていることを、はっきり認識すると、自分の腕の先に目をやる。そこには何もない。
いつも赤く染まるのは愛用している包丁のはずが、今は目の前の少年が持つ日本刀が赤く染まっている。
そこまできてようやく、自分が狙われていることに気づいた、白い髪の少女が振り返ろうとした時
「ぁ…ぁ゛…ぁぁぁあ゛あ゛あ゛!!」
何かが背筋を走った。
考えるよりも早く足が動き、一目散にその場から駆け出し、逃げた。
「違う!!違う!!俺は、俺はただ、うまい肉が作りたくて…!!」
修行していた時から父に、お前の肉は何か気持ち悪くなると言われ、必死に父の技術を会得した。だが、結局、最後まで父は認めてくれることはなかった。
それでも、憧れの父と同じ職に付きたかった。しかし、食いつなぐためには売れるものを作らなければならない。最後にたどり着いたのは、人肉だった。珍しさ、なによりも自分が最もうまいと思った肉だ。町に人は少なくなったが、豚や牛に比べて仕入れは簡単。コストも自分でやればタダだ。
特に子供でメスなんて、柔らかくて脂肪がのっててとてもいい。だから、少女を見かけた時からずっとつけて機会をうかがっていたのに、
「なんて日だッ!!」
せっかく肉付きのいい少年の腿も手に入れたというのに、途端に腐ってしまった。
そんな悪い日の最後に、とっておきの素材と巡り合えたというのに、その少年と同じ服を着た少年に腕を切られた。
足がもつれ、勢いよく倒れこむ。そのおかげで、少しだけ冷静になって振り返った。まだ、あの少年も少女も追ってきてはいない。大丈夫。身を隠せば、まだ。
「ア」
つい最近、聞いたことのある声が耳に響く。
「でけェオッチャン」
振り返った先に、つい先ほどあの腐敗した腿を取ったはずの少年が、2本の足でしっかりと立って、笑顔で自分のことを指さしていた。
「さっき、すっごく痛かった。許さない」
少年は変わらない笑顔で、口を開くが、突然首をかしげた。
「アレ?ア、そっか。生者は、オレら手ェ出せないんだっけ」
仕方ないと、隣の男にコイツ切ってーって、まるでちょっとこれ持っててと荷物を渡すくらいの感覚で言っているが、男は爆弾でも渡されているかのように全力で断っている。
今のうちに逃げなくてはと、もつれる足を必死に動かそうとしたが、うまく立ち上がれず、地面を這って逃げ出そうとする男の耳に、場違いなほどに優しげに冷淡な言葉が届いた。
「私に手を出そうとして、無罪放免なんて、ありえるわけないでしょ?」
その妙に大人びた絶対的な言葉に、男は逃げ出すことも忘れ、ただ呆然と、その判決を聞く。
「今、この場より貴方は地獄行き。閻魔に正式な判決を言い渡されるまで、獄卒共に捌かれてなさい」
それが、男の聞いた最期の言葉だった。
***
香ばしい食欲を誘う香りに、パクリと一口かじると、2人は驚いたように声を上げた。
「ウマッ!」
「これは、おいしいな」
坂本と中岡は焼けた肉をかじりながら、頬をほころばせていたが、数珠丸は逆に頬をひきつらせていた。
「モドキンも食べなよ!」
「アンタ、また引きちぎるわよ?」
「ですが、体力回復のためにも食べるべきでは?」
先程、魂を彼岸へ送ったおかげで動けなくなり、数珠丸に寄りかかっている小夜に、中岡が心配そうに焼けた肉を差し出していたが、断られていた。
「一応、元人間だから、魂そのものを摂取できる体してないの。アンタたちみたいな獄卒とは別なのよ。
そうだ。数珠、アンタ食べてみれば?アンタの場合、魂を食べるとは言わないけど、食べてるようなものだし」
「ぼ、僕はいいよ……うん。本当に、気持ちだけでお腹いっぱいだから」
その肉の正体を考えると食力も失せてくる。坂本は全て食べ終えると、奥に行って、その大きな塊を持ってきた。
「コレ、持って帰ろうぜ!」
「そっちのやつは、魂送ったから、多分ここに並んでるのより味、劣るわよ?」
「えーー」
「では、そちらから切り取れば、小夜サマも食べられるのでは?」
「いやいや!!ホント!僕も小夜もそんなにお腹減ってないから!ありがとうね!気持ちだけで十分だよ!」
小夜をキツく抱きしめ、必死に首を横に振る数珠丸に、中岡も不思議そうに首をかしげながら、浮かせた腰を下ろした。
数珠丸の腕の中で、別にそっちなら食べてもいいと思っていた小夜だが、見上げた数珠丸の顔が「小夜に頷かれたら、断りきれなくなるから!」と泣きながら頼んでいるように見えて、あえて頷こうとも思ったが、この体制では出来なかった。仕方なく腕の中でため息をついただけだった。