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夢で生きる  作者: 中田あえみ
第三章
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心 の 蓋 2


マンチェクさんは戻って来ず、テリーとニールは席をはずし(多分)会議室へ向かった模様。

と、私の内線が鳴る。会議室からだ。


「はい、紀恵です」

「あ、ジョージだけど、そこに咲子さんいる?」

……ジョージ?

二秒くらいは出遅れたと思う。すぐに「ジョージ」と「マンチェク」が結びつかなかった庶民の私。

「あ、ごめんなさい。彼女は今日半休だったと思います」

「わかった。有難う」

ふっと暖かいものが身体の中で生まれて、そして広がった。

息をのんだ私に気付いたのか、マンチェクさんは再度言った。

「有難う」

「い、いえ、どういたしまして」

電話を切る。


今のは……。

有難う?何か含みがあったような、しかし、何か?

そう、先日も「覚えてないの?」と言われたし。何か私忘れてる?


三十半ばにもなると、確かに記憶力はガタ落ちだ。それはそうなんだけど。

日本でも宮廷ウォッチャーというか、高い身分の方々の追っかけをする人もいるし、ここブルテリア王国でも、王族の追っかけファンはいる(はず)。

しかし私はそういう趣味を持ち合わせておらず。

もともと外国人だから、知り合いも少ないし、庶民以下の生活をしている私に、第二王子のお知り合いなんているわけもないし、考えたこともない。


何もしてない。


思い出せない、のではなく、そもそも何もない。


勘違いしているのは、畏れ多くも、第二王子殿下ではないのか。


少しむっと来ている私に気付く事もなく、ビビアンがこちらを向いて話しかけてきた。

「ねえ、紀恵、この壺って、黄色だったっけ?」

彼女の指した画像をじーっと見ると、あれ?

「いや、指定は緑じゃなかったかなー。ちょっと待って」

翻訳のほかに、こういった細かいチェックも仕事に入る。ここの会社に入って、すっかり自分がガミガミばーさんになった気分だ。かなりの確率でミスが見つかるのが、日本と違う点なのだ。


私の記憶通り、そしてビビアンの指摘通り、イラストの壺の色は緑。

ビビアンはぱっと電話を取り上げ、ぱぱぱっとボタンを押し、印刷会社に連絡する。

「ちょっとイラストの色配分だけど、間違ってるのでは?」

何やら相手が言っている。

「ええ、じゃあつまり、緑にすると後ろの木が映えないって?」

おお、やっぱりミスというか、自己判断で変更したのか。


日本と違っていい意味でも悪い意味でもすごいな、と思うのは、たとえやとわれ仕事でも、彼らは自分なりの意見を持ち、彼らの判断で仕事を仕上げる点だ。

日本の場合、「ちょっと違うなー」と思っても、まずは指定通り仕上げると思う。その上で、これはどうでしょう?と提案してみる。


一般のブルテリア人は違う。まずは自分の感覚と判断で仕事を仕上げる。そして、依頼主はそれを確認後、何かあったら相手に確認、再提案するのだ。まさに、主客逆転なのだ。


だったら、依頼主の意向はどうなるのだ、とも言えるが、結果として、色々な意見を集めた方が、より良い仕上がりになるのでは、という考えが根底にあるので、こちらがぎすぎすしても仕方がない。


テリーのような、日本留学経験者は、依頼主はお客なんだから、もっとお客を大切にすべきだ、とぶつぶつ文句を言う時もあるけど、私としては『郷に入れば郷に従え』と毎回唱えているせいか、こっちの流儀に慣れてしまった。


そう、すっかり感情が平坦になった。のだと思う。恋愛だけでなく、仕事や、あらゆることに、淡白になったのかも知れない。心の蓋が、ぱっちりと閉じているせいなのだろうか。確かに昔は、私は色々なことに怒っていた。


大きくは社会正義に対して怒ってたし、小さくはピザ屋のデリバリーがなぜ三十分以上掛かるのか、遅刻するなよと怒っていたと思う。

ホーンに住み始めてからは、当初は上司に対して怒っていたし、段取りを全くしないブルテリア人に対して呆れ果てていた。(のは秘密)。

ところがいつの間にか。

多分夢を見始めてからだと思うけど、何か怒りの「エネルギー」が、吸い取られているような気がするのだ。そして感情の起伏を、ぴたりと誰かにコントロールされている気がする。あくまでも気、だけど。


そんな「気分」を一挙に洗い流すように、突然声を掛けられた。

「これまで有難う」

小さなカップケーキを渡される。辞めていく社員からだ。他の都市は知らないが、ホーンでは、退職者が辞める前に、ケーキを配るのが習慣だ。

カップケーキ、ロールケーキ、ミニケーキなどなど。私に今回ケーキをくれたのは、コンプライアンスの人、日本留学経験者で日本語がかなりできる、名前はジュディ。

「ジュディ、いなくなっちゃうんだね。寂しいなあ」

思わず本音を漏らすと、ジュディはこっそりと、

「紀恵も転職すればいいわよ、こんな会社」

そう、嫌だったら辞めればいい。これが海外での鉄則だ。


「でもビザがあるからなあ……」

結婚の事はわざと思考の隅に追いやる。寿退社なんて、ここブルテリアでは理解できないばかりか、無能だから仕事が続けられないとみなされる。これも寂しい。本当の勝ち組は、結婚、子供、キャリア、全てを持っている。負け犬は本当に悲しい。


フランス人のスタッフが、(ケーキにつられたか)ビビアンの後ろに来て、

「ビザはほんと、頭痛の種だわ。同業種同種の職種に二年以上の実務経験とか、大卒でないと難しいとか、専門職で、会社が黒字でないといけないとか、全く理解できない」

彼女は会計士で、イギリスに留学して学位も取っているため、ここでも簡単にビザが下りたとか聞くが……。

「まあ市民権取るまでは『忍』の一字だよね」

「何よ、忍って」

「禅Zenの一種だよ」

と滅茶苦茶な説明をして、ケーキを口に入れる。ニューヨークで火が付いたカップケーキブームは、ここブルテリアでも燃え続けている。ジム友の一人が、カップケーキ屋を開いたほどだ。

「この前、更新に行ったら、契約が三か月更新だからって、ビザも三か月しか下りなかった」

このイギリス人は、カスタマーサービスだが、ブルテリア語も出来ないし英語しか出来ないので、ピーク時の補助として三か月間やとわれたと聞いている。つまり、プロジェクトで忙しい人間の穴を埋める補充人員。

「そうなのよね、転職もいいけど、ビザの期間が短くなる可能性もあるし。となると転職も慎重になるから、益々ストレス溜まるよねえ」

「前の会社辞める前に、法務局に連絡して確認したのよ。雇用ビザだけど、仕事辞めても、ブルテリアに居られるか」

「それで?」

ビビアンが聞く。

「居られますって言われたの」

フランス人が、

「居られるわよ、私たち、ビザなしでプルテリアに三か月滞在できるもの」

「そうそれ。でも法務局の職員はそう言わなかったの。だから、今回雇用ビザ更新かと思ったら、新申請って言われて、茫然」


それはゆゆしき事態だ。

「前回二年間の雇用ビザ貰って、転職と同時に雇用ビザの保証人変更届を出したけど、つまりは新申請で、私の契約が三か月なので、今回は三か月ビザだけ。何か騙された気分よ」

ジュディがケーキをもう一つ、そのイギリス人に渡した。

「ご苦労様でした。永住権持つまでは、契約社員は止めた方がいいわよ、将来わかんないし」

「そうだよ、怖いよ、次に更新あるかどうか」

と私が言うと、ビビアンが、

「安定なら、結婚が一番でしょう。扶養者ビザが一番確実」

フランス人が、

「婚約はいいけど、結婚はね……。やっぱり大切にしたいもの。それに、ブルテリア人の男性って、すごく子供っぽい。自分で何も決められない」

そりゃあ、お宅が独立しすぎなんだろうけど。

そう思ったが、ありったけの礼儀をかき集め、なるほど、と相槌を打った。


「私は、出来るならヨーロッパ行きたいけどねえ」

私がため息交じりに言うと、ビビアンが、

「私もカナダに行きたいけど、仕事がなあ」

「何でカナダ?」

「伯父夫婦がカナダにいるし、大学もカナダだもん。帰れることは帰れるよ」


ジュディも、

「私もアメリカに両親と妹が住んでいるから、行けないことはないけど」

みんな国際人だなあ。日本とは比較にならない。

隣の県に行くような感覚で、国境を越えていく。

イギリス人も

「シンガポールに姉がいるから、行ってもいいけどね」と。

まあ、今のところ、ブルテリアがいいけど。

そしてみんなでうなづいた。


まあ何でブルテリアがいいのか、今までみんなの話を総合すると、仕事がしやすい、に尽きる。

交通の便はもちろんだけど、ビジネスに関していえば、みんな開放的で、まずはやってみよう、というタイプだから、中小の独立企業が多い。従って、ビジネスチャンスも広がる。また、公用語が英語というのも功を奏して、世界中から、ブルテリアへ支店を構え、商売をしようという企業や人材を集めることもできる。


日本より少し寒いのが難点だけど、それは私が東京出身だからで、東北や北海道出身なら、あまり気にならないのかも知れない。


国際的な資本主義都市、これがホーンの一面なのだ。


後は、男女が比較的平等で、ケビンの下で私の直属の上司は、女性。女性の管理職はかなり多く、多分五十パーセントに届く程度だと思われる。これは、女性にとって、やさしい社会制度であるということだろう。


ただまあ、私の直の上司、プリシラ、はひどく嫌味で、すごく苦手なタイプ。こうはなってはいけない、の反面教師である。

ケーキをみんなでほおばっていると、案の定、プリシラが飛んできた。

「ちょっと質問あるんだけど、いい?」

私にでも、ビビアンにでもなく、フランス人の同僚に話しかけるのが嫌味なのだが。

彼女が、ええ、と答え、二人は何やら会話しつつプリシラの席に動いた。PCの画面を見せてご相談らしい。

ジュディも、イギリス人も、そそくさに退散。プリシラの性格はみんな知っている。


プリシラをそこまで有名にしたのは、半年前の社内会議から始まった一連の行動だ。

マーケの代表として社内全体会議に出席した彼女、前から二列目の席で熟睡。その会議では、決裁と予算管理についてだったのだが、未だに私たちのチームは、何が起こったのか知らない。彼女自体も知っているとは思えないけど。


次に、社内イベントの委員に立候補して、なったはいいけど、自分の提案を経営陣の決裁なしで行事日程に組み入れ、案の定、最終的に予算がつかなかったそうだ。予算がない以上、イベントは開催できない、ということで、未だに代替案が上がってないようだ。(しかも当時、私とビビアンは手伝ってくれと言われ、仕方なくイベント代行業者を手配したのに、それも流れた…)


自分が何をやるのも構わないが、私を巻き添えにしないでいただきたい、というのが現時点でのお願いだ。そんなわけで、私はプリシラとはほとんど話をしない。してもかみ合わないからだ。そして最後は「自分は英語が上手くないから」と言い訳する。英語が公用語の(一つである)ブルテリアで、何を言っているのか理解できない。コミュニケーション能力というのは、実際には、あまり語学力と関係はないと、私は思っているだけに、この言い訳はかなり不愉快なのだ。


プリシラから、メールが来ていた。

「イメージ画像いつできるのか連絡して欲しい。ケビンが今日の会議で使いたいと言っているので」


あれ?そんな事言ってたっけ?私とビビアンは顔を見合わせる。


取り敢えず元メールはケビンにCCされているので、イメージ画像はもう彼の手にある。

会議予定は十七時から。間に合うように最終確認を掛けなければ。


ビビアンは必死で原画、こちらの指示メールと一番最新の修正デザイン画像を見比べはじめ、私はケビンに最終質問メールを打った。「今日の会議で使用予定のデザインは、今最終確認中ですが、これ以上ご要望有りますか、と」


わざとプリシラにCCをしなかったのだが、案の定彼の答えは、

「特にないけど、一週間前に最終デザイン画を今日までと言ったんだが、聞いてないかな?」

私はこのメールをチラリとビビアンに見せた。

ビビアンも流石にチッと舌打ち。つまりはそういう事だ。


つまりは、一週間前にケビンは指示を誰か(プリシラ)に出したが、担当者の私とビビアンは聞いていなくて、今日の今日あと数時間と言う時点で、誰か(プリシラ)が知らせてくれたわけだ。


全く、世間は善人半分、悪人半分。日本だろうがニューヨークだろうがホーンだろうが、どこでも同じである。私は、一秒たりとも無駄にできないビビアンを残し、一人でプリシラの席に行った。


「プリシラ」

「何かしら?」

かすかに口角を上げて、本人は微笑んでるつもりなんだろうが、キモイ。

「ケビンへのデザイン画確認の件ですけど、今の今貰っても困ります」

「あら、最終のデザインはデザイナーから来たんでしょ」

「それは、まだ確認していないので、最終になるかわからないです」

プリシラはにっこりして、

「じゃあ確認すればいいじゃない」

私は流石にむっと来た。

「しています。でも時間的余裕も十分にとるべきだと思います。余計なミスの可能性が増えますから」

「何かあなた方、他に仕事はあったかしら?」


これまでも何度も説明した。月初は、レポートを三種類仕上げるため、どうしても数日間は必要なこと。

翻訳業務は週末明けが一番量が多いので忙しいこと。

緊急の翻訳依頼が他部署から入ることもあること。


「翻訳がありますからね」

「今何件抱えてるの?」

「数える暇もないほどです。そして、これ以上の話は必要ないですね。ただケビンからは先週に、今日の会議で必要だと連絡が来ているはずです。違いますか?」

とたん、笑顔を浮かべていたプリシラの顔が一転した。

「私だって忙しいのよ。今メール読んだんだから」

「話はそれだけです」

「ちょっと待ちなさいよ、私が終わってないわ」

「私は終わりました」

そして私が彼女の席から離れると、

「待ちなさい。さもないと後悔するわよ」

……脅しか。あほらしい。


勿論さっさと自分の席に戻った。私は仕事では時間の無駄はしない主義だ。それに脅しに屈しるのも私の趣味じゃない。攻撃されたら、(正当防衛の)反撃、これが当たり前だもの。



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