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夢で生きる  作者: 中田あえみ
第二章
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ひ と り の 準 備 3


何か新しいことが起こっても、私は大抵蚊帳の外だ。

ひとりには慣れている。

だから、新プロジェクトに呼ばれなくても、全然平気。


……なはずがない。


三か月間の短期とはいえ、外部から人を呼んだのだ。会社にとってもそれなりに意味のある、また仕事的にもやりがいのある、プロジェクトに違いない。


どうして咲子ばっかり。


幸せひとり占めの人って、この世にはいるんだよなあ。

自分の才能不足を棚に上げて、しばらくは自分を慰めてみる。

パソコンに翻訳文を打ち込みつつ、これが自分の仕事なのだ、と言い聞かせる。

と、さわさわとまた周りの空気が動いた。

あ、心療内科のお医者さん決めなきゃ。


と、思ったところで、ニールが何かを探しているのが見えた。

「何を探してるんですか?」

「あ、ペンを……」

ささっと、自分の机の上から、ボールペンを取り上げて、ニールへ渡す。

「どうぞ」

「どうも。えーっと……」

「初めまして、田中紀恵です」

「ああ、ノリエ。有難う。日本人ですか?」

「ええ、そうです」

この質問は、ブルテリアに来てから、百万回は聞かれている質問だ。

それを察したのか、ニールは

「すみません、つまらない質問をしました」

ようやく私も笑顔になった。

「いえいえ。私たち外見では分かりづらいですもんね」

「自分も、祖母が日本人なんです、日本語は出来ないのですが」

そういうニールの顔を、まじまじと見つめてしまった。

確かに、切れ長の目は、伝統的な日本人顔かも知れない。

「そ、そうなんですね。でもそんな昔に、ブルテリアへ嫁いだって、すごいですねえ、おばあ様」

「スチュワーデスだったんですよ。それで日本へ出張に行った祖父と出会ったらしいです」

そういう人生の勝ち方もあるよなあ、と負け組はしみじみ思うのであった。

「運命ですねえ」

しかし例え負け組ではあっても、亀の甲より年の劫、取り繕うだけの社会的態度は身に付けている。爽やかな、夢見がちな笑顔を作れば、それでこの会話は終わるはずだ。そしてテリーも軽く微笑み、

「ええ、そうですね」

と会話を終えた。


ちょっと小さく、でも深めの深呼吸をする。ニールの後ろ姿を見ながら。

大丈夫だ。もう涙もないし、痛みもない。どんな会話をされても、自分で対処できる。大丈夫。


『負け組なんて、そんなに自分を卑下しなくても。』

咲子も、他の既婚者たちも、口をそろえて私に言うけど、事実は事実として受け止めるだけだ。


誰も私を愛してくれない。


つまりは、私の人生の中に、愛情の点で、足りない部分がある。ただそういう事。単なる事実。


ビビアンは、打ち出した原稿を、元の原画と比べつつ、

「何か色がくすんでいて、うまくないわねー。もっとはっきりした色合いにしないと駄目だわ……」

私も私で、長くなりすぎた翻訳文にこれで十回目くらいになる校正を入れている。

マーケティング部として、社内広報、社外広報を受け持っている私たち、年中残業に明け暮れていた。


咲子は、営業事務として、営業部に所属しており、その明るい性格と社交性で、私に時折社内情報を提供してくれている。

まだブルテリアに来て三年目なのに、もう片言で、皆とコミュニケーションが取れるのだから、天性の営業肌なのだろうな。


同じ『田中』なんだけど。


また落ち込み気味の私に、はい、とペンが差し出された。

え?と顔を上げると、ニールがいる。

「ニールさん?」

「ペンを返しに来たんです。どうも有り難う」

「いや、わざわざ……どうせ会社の備品ですし」

ニールは深々と頭を下げて、「これって、日本人はよくやるよね」

「いや、わざわざ結構ですので」

元「お役人」に頭下げられたら、あとはどうなるのか想像するだに恐ろしい。


しかしその後すぐ、咲子から「社内情報」が来る。

ニールの元職場は、軍隊で、彼は実は子爵、代々軍の大将を務める武官の家柄なのだそうだ。だからやっぱり、マンチェク侯爵の護衛、といったところなのだろう、と。

侯爵といい、子爵といい、うちの会社は一挙にセレブ『様』の仲間入りだ。

普通のローカルの企業だったはずなのに、なんでまた、王族の目に留まったんだろうか。


日本だったら、ああいったやんごとなき身分の方にお辞儀されたら、周囲が黙ってないかも。自分自身、かなり居心地の悪さを感じるかも。


日本では経験できないこと、難しいことを、さらりとできるのが、海外生活の醍醐味だよね。


そう自分で自分を引き上げてみる。そうする度に、自分が一人で日本の外に出たのが、間違いではなかったんだと、ちょっとは思えるから。


後悔はしていないのだけど、やっぱり日本で夢見た憧れの海外生活は辛い。

夢の生活を手に入れるために、諦めた夢だってある。

それが、「ひとり」でいる選択。


また溜息をつきそうになると、今度もさわさわと身体の中が動き始めた。

これって……

そっと隣のビビアンを見ると、さっき立ち去ったニールを目で追っていて、私の変化に気付く余裕もないようだ。


しばらくして、身体が火照るように熱く感じ、ふわっと浮き上がったような気がして、心が嬉しくなった。

気分は落ち込んでいるのに、心だけ嬉しくなる。

何が自分に起こってるの?


周囲を見回すと、誰も気にしている人はいない。そりゃそうだ、私の内面の変化など、誰が気づくだろう。顔色は変えていないつもりだし。


顔でも洗おうか、気分転換になるだろう、と席を立って通路に出ると、またふわっとした暖かい気が向かってきた。ふと振り向くと、そこには、マンチェク侯爵が立っていた


侯爵……第二王子殿下……


軽く会釈をして、また前を向く。と、

「久しぶり」

殿下は私に向かって、声を掛けた(らしい。他に人もいなかったので)。

私は慌てて再度振り返る。

「えーっと、あの、久しぶり、でしょうか?」

相当間抜けな顔をしていたらしく、殿下はぷっと吹き出した。

「そうか、覚えてないんだ。それならそれで構わない。じゃ、初めまして、ノリエ」

そう言われるとかなり気になるが、何も思い出せないので、私も復唱した。

「初めまして、マンチェクさん」

ひょろりとした長身に、少しウェーブのかかった栗色の髪。茶色の目は大きくパッチリしていて、よく見るとお人形さんみたいだ。

「あの、さっきはニールを助けていたけど、ニールの事が気になる?」


……侯爵なのに、新人なのに、もう社内恋愛の情報収集か。インターンが、聞いてあきれる(けど、それを指摘するほど、私も若くはない)。


「もちろん気になります。マンチェクさんも二人とも。まだ初日ですから、分からないことも多いと思います。私はここの職場に三年半いますので、何でも聞いてください」

社交辞令です。

ウザいが本音です。

殿下は、私の顔をじっと見つめながら、

「紀恵は思ったより大人なんだね。意外だけど、頼もしいな」

インターンのあなたよりは、年上です。

ビビアンによれば、殿下は確か、博士課程を終えたばかり。飛び級をしてるとのことなので、二十五歳くらいではなかったか。

残念ながら、私の歳はそれに十を足します。四捨五入で四十歳、どうだ、参ったか。

「年上ですからね。大したことではないです」

「そうそう、年上だって、大したことはないよね、今時。それに精神面も大切だから」

……どういう話をしてるのだ。王族って、恋バナしか興味がないのかしら。そんなことはないだろうけど。まあこういう話を出されても、全く動じないように精神は日々鍛錬しているつもり。そう、私には関係ない。私は大丈夫、と。


私には関係のない話だと、ずっと自分に言い聞かせてきた。

ひとりで大丈夫、ひとりで楽しい、と。

寂しくても、ひとりは辛くない。辛いと思うのは、体調不良のせい、とか。


こうしてだんだん平気になっていく。

三十直前で、ブルテリア行きを決めたとき、直前に恋人と別れて、さあ今度は、新天地で次を探すんだ、と意気込んでいたのは確か。

しかし、現実はそう甘くはない。

ホーンは、国際都市だけあって、日本人を含めた外国人居住者もかなり多い。

つまり、誰かを探そうとして、好きになっても、外国人だった場合数年でブルテリアから移動してしまうし、例えばアメリカやオランダなどヨーロッパに配置換えがあった場合、自分はついていけるのか、その覚悟があるのか、とかうっとうしいことが出てくる。


現に、この5年の間で、自分の周囲の人間はかなり入れ替わった。

アパートで、隣の部屋に住んでいた女の子は、オーストラリアへ。以前アパートをシェアした子も、シンガポールに。

ある人は韓国、またある人はドイツ、そしてある人はイギリスへ。

来月は、いよいよ最初の職場の元同僚が、ニュージーランドへ彼を追って移住する。


モテないうえに、次にどこへ行くのかわからないときては、ようやくホーンに引っ越ししてきた当時、誰とも会いたくない、と思うのが自然ではなかったか。


気持ちの上ではひきこもりになってしまい、もうひとりで結構、と思う気持ちが大きくなった。



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