ひ と り の 準 備 2
……そこに私は住んでいる。シェアハウスだ。畳の部屋で、八畳あるし、窓は大きく南向きで、私は気に入っている。
外は薄暗い廊下と、台所が中央に。他に二部屋あって、三人で同居しているのだ。
誰かお客が来たらしい。台所に共用テーブルがあるから、そこに通して……。
そうだ、スリッパだそうか、裸足なのもなんだし。
……え?誰が来るの?
今日はこれで目が覚める。
日本にいた時も、たまにストーリー性のある夢は見ていた。だから、驚かない。
けれど、ホーンに来てしばらくたってから、同じ場所でそれなりに暮らす夢を連続してみるようになり、まるで異次元の自分はそこで実際に暮らしているかのような錯覚すら覚える。
危ない。
カウンセラーに一度診てもらうべきなのだろうか。そりゃあ友人もなく、仕事しかせず、家族と離れて外国で過ごしていれば、多少精神に異常をきたすのかも。認めたくないが。
朝のニュースを見ようと、テレビをつけてみる。天気予報の前に、国内ニュース。何だかパレードが行われるらしい。気を付けてみると、職場の脇に馬車が通るとか。なぜだ?
私の隣に座る同僚のビビアンに尋ねると、即答が返って来た。
「週末はキャサリン妃のお誕生日でしょ。でも当日のお祝いを辞退されたので、代わりに今日、キャサリン妃の母校がパレードをするんだって。あの学校は、バンド演奏で先日全国大会優勝してるから、その凱旋の意味もあるらしいけど」
つまりは、中学校(ブルテリアでは、高校はなく、中学が六年間)の優勝パレード、ということね。
ビビアンはネットで時間をチェックして、
「紀恵、ちょうどお昼の時間にここ通るから、ちょっと見てみようよ」と言いだし、同じチーム内の同僚も誘い、総勢五人で外へ出ることになった。
咲子は、旦那さんとちょうど昼食の待ち合わせをしてしまったとかで、行かれないと嘆いていたが、私はまあ、何でもいい。
そう、ブルテリア王国は王室がある。主権もなんとこの時代に逆らうように、国王が持っているのだ。いわゆる君主主権というやつ。国民は、議会を通して「助言」するのみである。
日本の学校で民主主義と、国民主権(と平和憲法)を習った身としては少々違和感がある。国王夫妻が、贅沢な身なり(実際は華美な服装は流石にしない)で人生を楽しんでいるのを見ると、一般人としては複雑な気持ちなのだが、ブルテリア国民は総じて君主制を支持しており、あまり政治に興味はない。選挙の投票率も、いつも10%くらいだと思った。それでも、経済大国として、国際社会で生き残っているのだから、民主主義って何だろう、と思う自分もいる。
それはともかく、王家の人たち、貴族(も存在する)階級などは、一般大衆の憧れで、大きな支持を受けているのだった。
お昼になって、まずはパレードを通り過ぎるのを待とう、と、道の脇で並んで立った。かなりの人出ではあるけれど、ホーンは東京と同じくらいの人口密度なので、元々どこも混雑している。それに毛の生えた程度だった。
テリーがキョロキョロと周囲を見回し、
「平日だから、そんなに人がいないようだね」
ビビアンが答え、
「多分パレードのゴール地点に人が集まってるんじゃない?」
と中々鋭いことを言う。
のんびり待っていると、身体の周囲がふわっと生暖かくなった。まるで、何かに包まれているように。
明らかに自分の周囲の空気がおかしい。
(それか、自分の頭がおかしい。どっち?)
ふと正面を見ると、ひとりの男性が視界に入った。
あ……彼?
向こうも、私をちらっと見たようだった。
その時に、何か光が放たれたような気がした。実際、彼の目が光ったのが見えた。
あの人?見たことがある……。まさか、夢で隣に……
誰?
ビビアンがそっと私に囁く。
「わあ、あの真向いの方見える?第二王子のマンチェク侯爵でしょう。気品のあるお姿ね!」
は?侯爵?マンチェク殿下?名前は知っているけど、まともに気を付けたことはあまりなかった。
しかも、夢の彼は、その殿下のような気がした。もうカウンセリングでは駄目なのかもしれない。病院で薬貰う段階なのかもしれない。
テリーも気づいて
「護衛も近くには見当たらないな。お忍びだろう。あまり声を掛けるのもなんだし、こういう時は知らんふりが一番だよ」
他の同僚も「ああ惜しいなあ。隠し撮りさせていただきたいくらい(でもやらない)」とつぶやいている。
私は視線を外し、慌ててパレードが来る予定の方向を見た。これ以上殿下を見ていたら、何か違うことをつぶやいてしまいそうで、危険だと思ったからだ。
「まだ来ないねえ、パレード。音は聞こえるけど」
何やらバンド演奏は響いてくる。そちらの方に気をまわそうとすると、また何か強い波動が心の中に来た。
「え?」
隣のビビアンを見つめたが、何も異常はなさそうで、つまりは、私だけが感じている「気」なのか。しかし一体誰が?
気持ち悪いので、撥ね付けようとぴしゃりと心を閉ざそうとした。
すると、それ以上に大きな「生暖かな」空気が自分を襲ってくる。
これは何?
パレードを見終わっても、その後みんなでレストランに入って食事しても、その感覚はずっと続いた。
いよいよ来るべきものが来たんだ。鬱は心の風邪だから、さっさと専門医にかかって、今は良い薬もたくさんあるんだから、自分に合った薬を飲んで、とっとと良くなればいいのだ。
そう自分に言い聞かせ、咲子の「パレード素晴らしかったね!私も旦那と見たんだー」という話にほとんど上の空で答えつつ、医療保険のきく心理内科の診療所リストを眺め始めた。
なるべく、家の近くがいいなと思う。外に出るのもおっくうになったら困るし。
あとは、女性がいいかも。出来れば、海外留学経験のあるお医者さんがいいなあ、共感してもらえるだろうし。
ああ、一人だと、精神病みやすいっていうけど、本当だったんだなあ。
がっくり。
とそこに、ケビン部門長がショートミーティングをする、と言って、部門全員(総勢三十人)を集め始めた。仕方ないので、私と咲子、ビビアンもケビンの周辺へ行く。
と、ケビンの隣に、男性が二人立っていた。勿論見覚えのある顔がいる。
ビビアンも息をのんだ。
皆が集まり、妙な静けさを保っていたが、ケビンがさっと口を開いた。
「今日からプロジェクトの迅速な進行のために、リーダーとインターンをお招き、いや、その……招いた」
ケビンは結構話し上手なのだが、今回は勝手が違うのだと思う。
「ご本人の希望で、敬語や特別扱いも辞退するとのことなので、皆、普段通りに接してもらいたい。それでは自己紹介を」
ひょろっとした、でも少し筋肉質な一人が、話し始める。
「こんにちは、皆さん。私はニール・モリー、新プロジェクトリーダーとして、三か月ほどお世話になると思います。前職は、公務員で、ある役所の業務改善をやっていました。よろしくお願いします」
隣の、同じく長身で、眼鏡を掛けた男性も、静かに話し出す。
「私は、ジョージ・パトリック・ヴィン・チョン・マンチェクと申します。専攻は経営管理学と薬物学、前職は同じくインターンですが、薬品会社で開発部にいました。よろしくお願いします」
マンチェク!侯爵じゃないの?!
卒倒しそうな咲子はともかく、他のブルテリア人は、微妙な静けさの中とはいえ、いたって普通の顔を保っている。あんなに王室に敬意を払ってるくせに、いざとなると普通顔出来るのが本物の君主国国民らしい。
しかし、マンチェク侯爵!
ケビンは、ざっと周りを見回すと
「マンチェクさんも、さん付けで構わないとのことなので、よろしくお願いしたい。とにかく普通に仕事がしたいのだという事だ」
第二王子が、普通に仕事がしたいって、そんなの不可能だとは思うのだけれども、社会人も長くなると、建前に流されるのが上手くなってくる。
ケビンは最後に「プロジェクト内容は追々知らせるとして、まず参加者にキックオフミーティングの知らせを送るので、それに返事をするように。ニールの机は……咲子の隣のブロックに。先週から一つ空けておいたところに」
それは私の真正面奥、ということ。しっかし、先週空けておいた?ここ一カ月、ちまちまと席替えがあったのは、このせいだったのかしら。皆ぶつぶつ文句言っていたけど、こうなると、納得のいく動きだった。
「マンチェクさんは、テリーの隣の席でお願いします」
よかった、違うブロックだ。少なくとも、通路は離れている。侯爵と一緒なんて、そんな礼儀作法は身に付けてない。
そしてキックオフミーティングの知らせを受けたのは、咲子とテリーだった。