つ づ き 4
もうすぐ完結です。あえみ自身感慨深いです。
夜会に出席してみましょう、との教官からの提案。場慣れするには数をこなすべき、とのことで。
「でも、私、園遊会とか、ああいう方々のお見えになるパーティーすら、参加したことがないんですけど」
一般参賀すら、避けて通っている普通の市民なんですけど。
その提案を受けて、ジョージはちょっと真剣に、
「そうだな、紀恵。夜会に出席する必要はないんじゃないか。大体国事行事以外、紀恵は出なくていいし、サロンも開かなくていいって」
「う、うん。ジョージがそう言うなら」
「そう言うと思ったわ、ジョージ兄!」
ひらりと部屋のドアが開き、ルイーズさんが入って来た。
「なんでお前が……セキュリティ!」
護衛の男性が一人、もじもじと、
「お言葉でございますが、緊急の用はお取次ぎするとお伺いしておりました」
ジョージはきっと睨み付けたが、すぐルイーズさんの顔に視点を定めた。
「お前まで裏切るなよ、ルイーズ」
「違うわよ、ジョージ兄。私は助けてるだけよ。彼女を一生王宮内に閉じ込める事が出来ると本気で思ってるの?しかも紀恵は全く経験がないのよ。恥をかくのは彼女なのよ」
ルイーズさんは私の隣に腰掛けると、私の両手をぽんぽん、と叩いて、美しく微笑んだ。すごい、こういう時の彼女の優雅な笑顔はかなりの武器である。ジョージは苦虫をつぶした顔で、
「俺が守るさ……。紀恵を……一生……」
あまりといえばあまりの惚気、第三者で聞いている分には感動ものだが、実際私は自分の耳を疑った。うわ、恥ずかしい……。ルイーズさんは興味津々で、私とジョージを交互に見比べている。恥ずかしいよ……。
ジョージも言った後自分で顔が真っ赤になってるし、私も卒倒寸前で多分身体中真っ赤になっていると思う。こ、こんな時なんて答えればいいのかしら。学校では教えてくれなかったよな、こんなの。えーっと。
「ありが……とう」
やっとの事で声を絞り出すと、ルイーズさんはゆったりと聖母のような慈愛のこもった眼差しで私を見つめ、
「さ、紀恵、これがあなたの出席する夜会とお茶会のスケジュールよ。教官はあなた?よろしくね」
教官は、頬を上気させて、はい、と元気よく答えた。え?あの恥ずかしいセリフすべて完全無視?流石王女様。何があっても自分の目標物に確実にヒット狙っていく。
ジョージは継続顔を赤くしながら、
「……分かったよ。確かに、ルイーズのいう事は正しい。何か失敗したとしても、今なら練習期間だし、学習もできるからな。」
それは……
つまり、今の状況を形作ったってことだ。
私は今、メイドさんたちに助けられながら、ドレスの着付けをしている。
薄藍色のイブニングドレスで、結局はティアラを付けた。そして胸元には、ジョージから贈られたサファイアとダイヤの首飾り。
重い……。
無くすことはないと思うけど、無くしたらいくらなんだろう。
ティアラだって、これはスワロフスキーじゃないよな、ガラス玉でもないだろうな。台も銀でさえない、プラチナだ。指には、最近貰ったダイヤの婚約指輪。全部でいくらなのか、ジョージは指輪以外は皆お下がりだときっぱり言うけど、やっぱり気になる。
基本に戻ると、ドレスは絹だ。
小さな花柄がたくさん縫い込まれて、未婚の婚約者に相応しい可憐さと贅沢さを表わしている……とか。
自分の通常の生活では、絶対に手に入らないもの。そして絶対に着用することもないもの。そんな物を着付けされて、正直嬉しくない。
でも、鏡に映ると、確かに馬子にも衣裳。目立つことは目立つ。
ドレスと宝石のおかげで、ね。
ジョージは着付けが終わった後、そそくさと私の部屋に入って来た。
「わー、綺麗だよ、紀恵。いやー誰にも見せたくないな……。あんのやろう、後で絞めてやる」
私は慌てて言った。
「やめてよ、ルイーズさんは私の為を思って言ってくれてるんだから。ねえ、これ重いんだけど、無くしたらどうするの?」
「無くしたっていいさ、事故なら。盗られたら警察に届けるけど、無くしても同じ物かそれ以上のものを俺があげるよ。それが俺の仕事だし、紀恵は何も思わなくていい」
「そ、そんな物なの?」
「そうだ」
きっぱり言い切るジョージに、私はそれ以上突っ込めない。
「でも……」
やっぱりちょっと不安。ジョージはニコッと笑って、
「いいんだ、紀恵。紀恵は楽しんでくれればいい。今回のホストのフランク・デア・ブランデン・シュテチン伯爵は社交家だし、マルゲリア伯爵夫人は親日家だ。確かロレーヌ・アルデンヌ男爵も夫人ともども参加するよ。夫人は日本人なんだよ」
「そ、そうなの?」
あのネットで調べた人かな?
「分かってるんだ、ほんとは。紀恵はもっと外に出ないとね。だけどやっぱり……俺はすべての人間に嫉妬してしまう……」
許してくれ、と彼は私の両手を強く握り、私の顔を真正面から見つめた。日本人としては照れてしまう。どうしたら、何を言ったらいいんだろう。
戸惑った私をジョージは複雑な目で見ている。
「な、何よ……緊張してるだけなんだから……」
「分かったよ、もう何も言わない。ただ楽しんで」
そのまま言葉通りに受け取っておこうっと。
夜会やお茶会の参加にあたって、自分は社交的ではないと思うなら、とにかく微笑んで話に参加していればいい、との教官の教えを守ることにした。
私は日本ではホームパーティーなどが好きで、自分で料理したり、デザインしたり、準備を楽しんで、気軽にポットラックをしたりしていたのだが、ブルテリアに来てからは、知り合いもいないので、すっかりこういう集まりの存在を忘れていた。
誰が誰だかは、写真と名前を教官から覚えるように言われていたので、それの実地での復習。まるで模試を受ける気分。
婚約者ではあるが、まだ身分は一般市民なので、少し早目にお伺いする。一人ではいけないので(めんどくさー)、エスコートとしてニールさんが来てくれた。こういう時こそ役に立つ爵位だ!
……とは心の中で思っただけです。
ニールさんは、当然運転手付きの車で来てくれたが、ジョージの離れまでは車を付けられないので、少し一緒に外を歩いた。王宮内の車で移動は出来るが、歩くのも練習なので断った。
「紀恵、最高に綺麗ですよ!この格好で会社に行ったら、間違いなくもてるでしょうね」
「いやー、仕事にならないですよ。宝石がうっとうしくて。今もすごく緊張しています」
「どうですか?歩きにくくないですか?」
「この高さに慣れないですね。普段ローヒールかミュールなもので。ほんと練習命ですよ」
「ジョージは、身分柄かなり後で来るでしょうから、あんまり緊張しないようにした方がいいですよ」
「ニールさんは、こういうの慣れてるんですよね」
そう言うと、ニールさんは肩をすくめ、
「まあね。でも実家は武官ですから、あまり出席しないようにはしてるんです。貴族といっても色々いますから、人それぞれなんですよ。ジョージだって、滅多に夜会には参加しないんです。だから、今回は皆さんとも是非『殿下にご挨拶を』と思ってるかもしれないですね」
つまり、人だかりができるであろう、って事ですね、ニールさん。
「王族って人気者ですよね」
私が冷たく言うと、ニールさんは大きく笑った。
「嫉妬するんですね、紀恵さんも。安心しましたよ」
「そ、そんなつもりは……。一般論です」
車に乗って、ここから二十分ほどの市外にある、シュテチン伯爵家へ向かう。
ニールさんが少し休んだら、というので、車内でぐっすり寝込んでしまったのはジョージには内緒。
なので、到着した時は、はっきり言って頭が回っていなかった。頑張れ、紀恵。日本の市民代表として、お貴族様たちのパーティーに殴り込みだ!(と思ったのも、教官には内緒)
中に入ると、それはそれは素晴らしい高貴な空間が広がっていた。しかも、皆タキシードやドレス。映画でしか見たことのないような空間だ。室内楽も心地いい。
まだそんなに多くの人はいなかったが、自分でもはっきりわかった。目立っている。何故かというと、皆それぞれ愛らしい美男美女がそろっており、自分は平均(以下?)なので目立つのだ。見劣りする、とも言う。
平均以下で目立つって事も、ありなんだなあ。
コンプレックスうんぬんより、現実分析をする方に頭が逃げている。
こんなのの中で、これからやっていけるんだろうか、自分。とは言え、微笑みを絶やさないように、と心に念じ、ニールさんの先導で、部屋の真ん中まで歩き、今回のホストの伯爵夫妻にご挨拶した。
「可愛らしいお嬢さんだねえ。ようこそ、わがブルテリアへ」
シュテチン伯爵が私の手を取ってキスをする。
そして、マルゲリア夫人と私は、両頬を合わせて口を鳴らす。これが女性同士のあいさつになる。
夫人が、
「清楚な感じがしますわ。マンチェク第二王子殿下も、ようやく落ち着かれますね」
ニールさんが伯爵と握手し、夫人の手にキスをした後、口を開く。
「紀恵様には、リラックスして我々社交界にお出でいただきたいと思い、こちらにお連れしました」
「それはいい選択ですわ、モリー子爵殿。外国の方々にもっとわが王国を知っていただくのも、我々の務めですしね」
ずっと微笑みを絶やさぬように……。しかしこの訓練は、何かに似ている。あれ、秘書のトレーニングかなんかにあったような……。
ニールさんはさり気なく、近くの出席者たちに私をエスコートしていった。
予習のおかげで、誰が誰かはわかる。ルーシャス卿、パーマストン卿、レディ・ウィトバ、レディ・クリスティーヌ、そして……レディ・イングリッド……公爵令嬢だ。
「田中様は、最近日本に戻られてますか?」
秘書トレーニング中に、モナリザの微笑みをイメージした訓練を思い出し、穏やかにニールさんを見ていると、パーマストン卿が尋ねてきた。
「いえ、今年はまだです」
回答は簡潔に、そして微笑みを絶やさず。……秘書と同じだわ、これ。
日本のOL時代、自己啓発にと秘書検定準一級を取った時の講習が今になって役立つとは。
「日本へ是非旅行したいわ、今年のイースターとか。桜が見れるかしら」
レディ・ウィトバが可愛らしくため息をつく。彼女は三十歳のはずだが、小顔で、切れ長の目で、とても若く見える。
「私は行くとしたら、夏ですよ。真夏の沖縄は楽しかったな」
ルーシャス卿(二十三歳)が答えるが、私は沖縄に行ったことがないので、というか国内旅行はほとんどしたことがないので、そのまま微笑み続ける。
レディ・クリスティーヌ(二十二歳)が、
「イースターは、バーデン=バーデンに行くので、私も夏か秋だわ」
それをつなぐパーマストン卿(二十八歳)は、
「オペラですか?私はザルツブルグに夏に行くつもりですよ」
音楽会か……。私もクラシックは好きなんだけど、マニアではない。フィニッシングスクールで改めて音楽を教養として習ったけど、お貴族さんたちの教養レベルって、日本じゃマニアと言うか、「おたく」に匹敵すると思う。正直引いた。なのでもちろん、そのままモナリザに徹する。
小一時間ほど、ニールさんと他の出席者のおしゃべりに微笑みだけ浮かべながら参加して、そろそろ限界だと、お手洗いに行くことにした。
お手洗い自体も大きく広く、パウダールームは隣に別に設置してあり、お手拭き用の清潔な布タオルがバスケットに積まれている。とにかく別世界だ。
ジョージの離れといい勝負、というか、離れでの私の部屋は元々空き部屋だったものだから、お手洗いごときはこれほど大きくはない。当たり前だけど。
個室に入ると脱力感が来て、いったいいつになったらジョージは現れるんだと切れたくなった。
しかし、他に手段はない。携帯メールに、ちゃんと夜会にいるのよ、とメッセージを打って、さて個室を出ようとすると、パウダールームの話声が聞こえた。
「ねえ、あの日本人、殿下の婚約者よね」
「日本の女って、泥棒猫ってほんとだわ。ベッドで男を骨抜きにするんだから」
「殿下もあんなアダルトビデオにしてやられるなんて」
は?
耳を疑う発言だ。
第一、私はジョージと寝てない。
第二、私はあんなビデオなど見たことない。
第三、私は泥棒などしない。
心臓がどくんどくんとして、音が耳の中で大反響しているかのよう。怖い、怖い……。駄目だ、落ち着け、紀恵。
「何人も男がいたに決まってるのに、あの女ペテン師だわ」
「今も二股かもよ。日本の女なんて娼婦と同じよ」
大したことじゃない。
そう、女性にとっては意外、というか、私個人は驚いたが、日本のアダルトビデオは、世界市場でも大きく独占している。販売量は、日本国内をしのいで、海外市場の方が大きいのだ。
だから、ブルテリア人の何人にも、日本のアダルトビデオは面白い、と肯定的に言われた。面白いと言われても、見たこともないしこれからも見ることはないと思うので、いやーよく知らないです、と返事したが、彼らには信じられないことらしい。
日本人男性=変態すけべ
日本人女性=やられて喜ぶ
間違った人間関係の一つの認識が、こうやって増えていく。
大したことじゃない。
だけど、心臓だけはとくんとくんと大きく早く鳴っている。どうしよう。ここで今出たら、話の主たちと鉢合わせしてしまう。それは何か嫌だ。正しいのは自分だ。だけど、何だか嫌。
じっと待って、話の主たちが去ってから、私もパウダールームへ行った。
鏡の中の自分を見る。
大丈夫、いつもよりは綺麗だ。メイクも濃いし、装飾品も豪華。
だから……自信を持たなきゃ。自分は自分だ。泣いちゃ駄目だ。負けちゃ駄目だ。でも……やっぱり恐い。嫌だ。
ぶるっと、携帯が震えたので、メッセージをチェックする。
「今着いたよ、どこだ?」
そう、ジョージがいれば大丈夫だよね。私は、お手洗いの外に出た。
ジョージには、私が浮かない顔をしているのが分かる。浮かない心をしているのも。
「どうした?」
挨拶もそこそこに、ジョージがこっそり私に聞く。彼には隠し事は出来ない。良い意味でも悪い意味でも、私の無意識を感じ取ってしまうんだもの。だから正直に、でも出来るだけ簡潔に答えた。
「誰かに、泥棒猫って言われたの。日本人が王族を盗んだって」
ジョージは途端に怒りで真っ赤な顔になった。あれ、こんなに短気だったっけ?やんちゃとは聞いていたけど。
「分かった。来いよ」
と、そこに中年の男性二人が近づいてきた。
「ご紹介いたします、殿下。日本の額田晋大使です」
ブルテリアの外務卿が、日本大使と一緒だったのだ。
「このたびはおめでとうございます、マンチェク第二王子殿下。私は、日本大使館の額田晋と申します」
ここでさすがというか、腐ってもというか、ジョージは顔色を戻し、にこやかな笑顔で、
「どうもありがとうございます。これからも日本とは良い関係を保っていきたいと願っております」
額田大使は私にも向けて、
「田中紀恵様ですね。これからもよろしくお願いいたします」
日本人スマイルで対応した。多分これで合ってるよね。
で、今度は軽く私の腕を彼の腕で組んで、一緒に伯爵夫妻へご挨拶。
そして、アルデンヌ男爵夫妻にも声を掛けられた。
夫人が日本語で、
「これからブルテリアの為にも、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ微力ですが、頑張ります」
「紀恵様は、こちらに来て五年ほどとか。私は三十七年おりますので、何かあったらお申し付けください。また私たちのサロンにもぜひいらしてくださいませ」
「は…はい」
そうやって挨拶をしているうちに、私もようやく平常心を取り戻してきた。
世の中善人半分、悪人半分。こうやって、歓迎してくれる人たちもいる。これで十分ではないか。そうだよね……。
そうだよね、ジョージ。
気分がやや持ち直したので、にっこりとジョージを見つめる。
ジョージはいつの間にか女性たちに取り巻かれている。やっぱりモテるんだろうなあ。
後で、帰宅途中ジョージは何気に、汚らわしい話を紀恵に聞かせたやつに罰を与えといたから、とぽつりと言った。
「それって、何?」
「知らなくていいよ。俺の気が済むようにやっただけだから」
「益々気になるじゃない……」
「それより紀恵、俺のこと嫌いにならないでくれ。何をしたとしても、俺のそばにいてくれ。俺自身もコントロールできないんだ……。あんな事紀恵に言うなんて、気が遠くなって、俺も歯止めが利かなかった。それだけだから……」
「分かった分かったって。やり過ぎたのね?分かったわよ……。私の為なんでしょ?だからもういいから。私こそお礼を言うわ。どうも有り難う。今夜は疲れたけど、勉強になりました」
「本気か?」
「本気です」
今度は私がジョージの身体を抱きしめた。車の中だから、誰に見られるわけでもない。
そして髪の毛にそっとキス。柔らかくて、ドキドキする。このまましばらくいようね。
いよいよ最終!