目 覚 め 2
次の日、朝一でケビンに呼ばれる。
会議室で話そうと言うので、二人で会議室に。
「ニールから話があったんだが、君が一身上の変更があると」
「そ、そのようですね。私も未だにすべてを把握していませんが……」
ケビンの顔はにこやかだった。
「君の事は個人的に心配していたよ。一人で日本から来るのはすごいことだと思うし、働きぶりも真面目でそつがない。誰かいい人がいないか、と考えていたくらいだ」
もっと早く誰か紹介してくれていたら、こうはなってなかったかも、とちょっと恨めしい。
「有難うございます。仕事は今のところ、辞める予定はありませんが、多少私生活が変わりますので、残業が難しいかもしれません」
「それは調整が必要だろうな。日本語となると、やっぱり咲子に頼むしかないんだろうか」
「そうですねえ、他部署ですけど、それ以外ないと思います」
コンコン。
ドアがノックされる。で、入ってくるのは、ジョージだ。
「すみません、遅くなりました」
ケビンが、私の隣の椅子を示した。
「どうぞ。今始めたところです」
ジョージが座って、口を開く。
「今回の記者会見では、会社名を公表するつもりはないのですが、多分マスコミはすぐにかぎつけると思います」
「ビルの警備を強化するように庶務部に言っておきますよ」
「私は、プロジェクト終了次第引き上げますが、肝心のプロジェクトの進行が遅れ気味です」
「ニールはあと二か月くらい必要だろうと言っていたので、予算次第だと答えたんですが……」
咲子の言っていた「残念な結果」の影響だろうなあ。
「紀恵の計画はまだ私も知らないんですが……」
と、ケビンとジョージは私を見る。私も私の計画を知らないんですが……
「平日週三日、火曜と、木、金ですが、大変申し訳ありませんが、定時帰社でお願いします。これは今日から五週間続きます。あと、有休を何日か取るかと思いますが、まだ決まっていませんので、後日連絡いたします」
「私は、蔵人所と広報に昨日相談したんですが、記者会見は交際宣言でして、婚約発表ではありません。婚約発表は、プロジェクト終了後に行う予定です。その際に、式の予定なども公表します」
「紀恵はこのまま仕事を続けるのか?それとも辞めるのか?」
ケビンは案の定この質問をしてきたが、私にとってもこれは難問だった。
仕事を見つけるために、わざわざ日本から、ブルテリアまでやって来たのだ。
結婚後、仕事が続けられないのだとしたら、結局は日本と同じだ。皮肉だな。
ジョージは私の方を一瞬見た。
「紀恵、出来たら、婚約発表までは仕事を続けてもらいたいな。一緒にプロジェクト終了させないか」
「そうね……。私も、今すぐ辞めるのには抵抗あるし、区切りはつけたい」
話を終えた後、私は何とも言えない複雑な気持ちだった。
妹は悪阻がひどくて会社を辞めたけど、それまでは兼業でバリバリ働いていた。母親は自身が子供が出来るまで働いていただけあって、「女の子は手に職をつけなさい」とはっぱをかけてたし、父も家事は一通り出来る。本当に普通の家庭で育ったのだ。
王族になったら、仕事を続けるなんて望むべくもない。はたは、早く子供を、とせかされるのが落ちだ。これって……。
駄目だ、ここで暗くなっては。
私は、ジョージににっこりして見つめた。
「頑張っていこ!私、色々新しい事をやらなきゃいけないし、歳も歳だから、不安だけど、何とかやってみるよ。ジョージ、守ってくれるよね」
ジョージは優しく私の両手を取り
「もちろんだよ、俺はいつでも紀恵のそばにいるからさ。婚約発表後は、王族講習として、歴史とか社会体制とか、もっともっと学んでもらう事がある。でも紀恵なら出来ると信じてる」
「うん」
心の中からまたじわっと震えが全身まで広がった。誰かにサポートしてもらえる、信じてもらえるというのは、なんて素晴らしい事なんだろう。
「それにしても、ウチの両親をどうやって説得すればいいんだろ」
そうため息交じりに言うと、ジョージはちょっと眼鏡の縁を押さえて、
「ご両親には、俺も直接ご挨拶したい。ので、今専用機を手配中なんだ。上手くいけば、今夜にはこちらに来ていただける。だから蔵人所と相談したんだよ」
「ウチの両親が、ブルテリアに?信用してくれるかなあ」
ピッと、ジョージの携帯が鳴った。メッセージを受信したらしい。
嬉しそうに携帯メールをチェックして、にっこりした。
「来るよ、ご両親。今日はフィニッシング・スクールの後、王宮に来てくれ。ご両親に説明するから」
「夜中になるんじゃない?大丈夫?何時到着予定?」
「到着は、ブルテリア時間で十六時だから、十七時には王宮に入れるだろう。通訳も付けるから、ご両親は俺がまず面倒見るよ。紀恵は今日が最初の授業なんだから、安心しな」
私が抜け出すと思ってるな……。
「勉強第一ね、分かりました……揉めないでね?世代が世代だから、国際結婚も駄目なのよ、あの人たち」
「紀恵の親御さんだよ、俺にとってもVIPさ」
ジョージが言うと何だかうれしくって、ちょっと恥ずかしかった。
後から父と母から聞いた話はこうだ。
私からのビックリ電話を終えた後、両親二人で静かに会話を確認したところ、結局「彼氏が出来ました」発言だったのだろう、との事で、その日は終わった。
次の日の朝、呼び鈴が鳴らされて、インターフォン画面で確認すると、男性と女性の二人が門の外に立っていた。勿論配達ではない。
「ウチは間に合ってますから」
と父が答えると、女性は手紙を開けてカメラに向けた。
「私たちは、ブルテリア王国より参りました。国王陛下の命により、田中様のお宅をお伺いしております。なにとぞ、お時間を頂戴したく存じます」
流ちょうな日本語だったが、馬鹿丁寧だ。勿論ドアを開けるわけにはいかない。
「国王陛下ですか?ウチには関係ないはずですが」
「大変恐縮ですが、我が国の第二王子殿下が、田中様のご息女紀恵様とご交友させていただいております。この件につきまして、ご連絡いたしたく、国王陛下が私たちを派遣しております。どうかこれをご確認ください」
と言って、私たち二人が並んで映っている写真をカメラに向けた。
「二人の写真?ど、どんな?」
私は気が遠くなった。自分の両親はどちらかと言うと、いえ、はっきり言うと保守的だ。ど、どんな写真なの??
母がぷうっと、吹き出した。
「紀恵が、彼氏と手をつないで仲良く笑ってる写真よ」
「何を想像していたんだ?」
父も少々イライラしている。
「いいえ、何も。……それで、ドアを開けたの?」
「仕方ないだろう。外国人をウチの前にずっと立たせておくわけにもいかない」
そうね。実家は、東京圏とはいえ、外国人がぞろぞろ歩いている地域ではない。というより、かなり目立つだろう。
二人は、ブルテリア大使館から来たため、どちらも日本語が堪能だった。
色々と説明があり、取り敢えず専用機に乗ることに二人で決めた。
「お前が騙されていやしないかと、それだけが心配だった」
父がポツリと言うと、母もそれに同意し、
「お父さんも私も、やっぱりお前を一人で海外に出すんじゃなかったと、後悔していたから、尚更ね」
「えー、後悔していたの?でも来る前はそんなに反対しなかったじゃない」
「そりゃあ、会社つぶれてから再就職ともなると、日本ではあまりいい条件じゃないだろうし、紀恵の性格からして、ずっと派遣で働くのも無理だろう。大体、お前は本心を話し過ぎるんだ。それだったら、お前がおとなしく帰ってくるまで、静かに待っていた方がいいじゃないか」
「一人暮らしだって初めてだから、やっぱり実家がいいんだ、と分かってすぐ帰ってくるんじゃないかと、期待はしてたのよ」
父と母の「素敵な誤解」話にはびっくりだ。おとなしく帰る?やっぱり実家がいい?……それはまずない。ジョージとの一件がなくても、私はまだまだブルテリアにいたと思うもの。
となると、私は実家住まいが嫌だったのだろうか?
ブルテリアに来たころは、日本の友人たちを置いてきてしまって、毎日とてもとても寂しくて、ほとんど話す人もいない生活が続いた。
それでも……、私は実家を離れたかった……んだ。ようやく、自分で自分の本音に近づいた気がする。
毎日帰社後、おさんどんをしていた。でもこれは私の趣味が料理だからであって、美味しい美味しいと両親や妹に食べてもらうのが楽しみだったはずだ。
妹の恋バナ(必ず振って終わる。彼女は恋の猛者だ)を聞いて笑ったり、父の人生訓や母とテレビを見ながらの感想を話し合うのも、悪くはなかった。ただ何となく、自分の居場所はここにはないんだと、心の隅で思ってはいたけれど。
自分の居場所がないから、一所懸命居場所を作ろうとしてたんだ。
だから料理をしたり、家族の話し相手になろうと、必死だったんだ。
それが偶々、会社を辞めざるを得なくなったことで、きっかけが訪れた。自分の居場所を探すチャンスが訪れたのだ。そして私は、それを逃さなかった。
……なるほど。道理で、寂しくても帰ろうと思わなかったはずだ。だって、帰るにも戻る場所がなかったんだもの。
この話は流石に両親には出来ない。ただ聞き流した。
「そうなんだ。で、こっちに来てどうしたの?」
「専用機で到着したら、入国審査をしないでそのまま入ったんだ。外交官と同じだったよ」
父が誇らしげに言う。そ、そうか、そう思うのね。
「そして国用車で王宮に入った。何やら応接室みたいなところで、待っていたらジョージ君が来た」
『君』付けか???
すっかり打ち解けて……さすがね、王子!
「会社早退したのかなあ?それで?」
「通訳を付けて、今までの経過を聞いたよ。会社の同僚で親しくなって、まあその何だ……将来を考えてるって。ただ俺は父親として、そんな急な話は断る、と言ったんだ」
父はもっと誇らしげである。娘が感激すると思ってるのか、母親の手前格好つけたかったのか、両者であろう。
「ジョージ君もな、その気持ちは分かると言ったんだ。でもこれは自分の誠実さの表れだと言って、婚約発表はまた後日改めるから、結婚の申込は、また改めてご挨拶する、と」
私は急にどうでもよくなってきた。この二人、馬が合うに違いない。
「中々真面目な男性だったよ。交際宣言については一応認めたからな、仕方ないだろう、あそこまできちんと説明されたら」
その脇で母がうっとりと父を眺めている。この二人も……。私は何だ、ツマミか。