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夢で生きる  作者: 中田あえみ
第六章
18/34

あ り の ま ま 2


家事は苦手というわけではないが、洗濯も掃除もホーンに来て初めてやった。

実家は、二層式洗濯機なので、今のワンルームに備え付けの「全自動洗濯機」は初めて見るもの、触るもの、だったのだ。


最初のアパートは、マンションを三人でシェアしたので、シャワーの時間が被ることがあって不便だったが、とにかく安かったのでしばらく耐えた。

ホーンのマンション事情は、東京のそれに似ているという。ただ、私は実家住まいだったので、良くは知らない。


今現在、もしある一定のレベルの、独身またはカップル向けのマンションを借りるとしたら、日本円で月十五万円はくだらないだろうと思われる。

今のワンルームは激安で、ボロで多少汚くはあるが、月六万円といったところだ。ベッドとクローゼットを入れ、簡易キッチンと洗濯機があると、何と!

「冷蔵庫を置く場所がなくなってしまって……」


ルイーズさんに解説中。


「冷蔵庫がないんですか、紀恵?」

「そうなんですよー、もう引越しして二年目なんですけど、まだ買ってないんです。何とかなりますよ」

草の根国際交流大使として、私は何とか普通の人の生活を王族方に紹介しようとしているのだ。ま、私のレベルは下層階級に近いけど。

「しかも、全自動って、私使い方知らなくて、日本語のネットで説明書を探して読みました。未だに、プログラムが組み合わせ出来るか解らないんです」

「洗いとすすぎとか?」

「それはコースになってるんですけど、風乾燥とかあるんですよ。脱水までしかコースになってないので、乾燥までプログラム出来ればかなり便利」

「風乾燥、って、乾燥機能とどこが違うの?」

「そうそう、私も知らなかったんで、調べました。つまりですねえ、脱水ドラムを利用して、そのまんま室内の風を取り込んで回して、水気を飛ばすようです。確かにちょっと湿っぽい程度にはなりますかね。でも乾きはしないですねえ」


家電の説明とうんちくを傾けながら、今日は、また違った方向を私たちは走っていた。


「あ、川ですか?湖ですか?」

大きな水たまりが前方に見え、森の中を走っていたのに、目の前の視界がさっと広がった。木が高木から低木になったのだ。

つくづく、この王宮の庭は、自然と一体化したデザインだと思った。

これは西洋の庭と少し違う。ヴェルサイユ宮殿などを代表する西洋の宮殿の「庭」は、木々を剪定し、テーマに沿う形を整え、目を楽しませる。

日本の禅庭などともちょっと違う。日本の庭園は、人間の想像力を掻き立てる表現をして、感覚を楽しませる。

でも、ブルテリア王宮の庭は、もっと現実的、写実的。人の手が入っているのは明白なのだが、それを自然に限りなく近づけようとする意図がある。


「湖だよ」

少し後ろを走っているアレクサンドルさんは言う。

「湧水があるから、それが溜まってるんだ。およそ十一ヘクタール(ha)あるんだよ」

「大きいですね。十一万平方メートルかあ」

「宮廷の敷地面積は、およそ二百五十ヘクタールだから、五パーセント程度占めてるよね」

東京の上野公園で約五十四ヘクタールだから、かなり広い。森の木々全体や、空の雲がまるまる映るほどの大きな水面で水鳥が何羽か群れて、遊んでいる。

ルイーズさんは目を輝かせて、鳥さんだわーとうっとりだ。そうだ、バードウォッチングがご趣味でしたな。


少しペースを落として、湖の脇を軽いランで通過。


「ここはサイクリングも出来るんだけど、今は誰も乗ってないな」

ジョージが言うと、アレクサンドルさんがにたりと、

「ペアサイクル?」

「うっせーな、兄貴。前見ろよ」

アレクサンドルさんは「前」の私に話しかけた。

「ジョージはね、小さい頃から、運動神経抜群だから、自転車に乗れたのも僕より早かったんだ。冷や汗かいたよ」

私はジムに行き、ジョギングをしている真っ最中だが、運動は出来なかった。体育の時間は今も忘れたい恐怖の時間だ。

「私も妹の方が早かったですよ、乗れるの。あれって結構悲しかったりしますよね」

同じ長男長女(第一子)の悲哀を分け合う。次男次女(第二子)以下には絶対に分からない苦しみである。

上って損ばかりだ。そう思ってきたのは間違いない。

だから家族内でも、何となく疎外感をまとってきた。そうか……。それもかなり影響あったんだろうなあ。

「ご兄弟妹仲いいですね。羨ましいです」

三人は合わせてふふふと笑う。本当に仲良いんだなあ。

ルイーズさんが、鳥に視線を向けたままで言う。

「子供のころから、両親は忙しくて中々側にいてもらえなかったし、だから三人で何とかしてきてたの」

「実際、王位継承者第二位、第三位、第四位だから、喧嘩も出来ないしね。だから話し合いと譲り合いだよな、結局」

次男のジョージも言った。私はため息を知らずについたらしい。

「私と妹も、そこそこ交流あったんですけど、私がブルテリアに来る直前に結婚して、そうして家庭を持つと、もう話が合わないのか、音信不通みたいになりました。残念です」

おひとりさまとは、どうやら話をする時間もないらしい。

妹はそれなりに可愛かったが、もう他人だった。


子供が生まれてから、妹は言った。

「独身の人って、子育てしなくていいんだから、もっと税金払ってほしいよね」

それは、姉に対するあてつけ?

「独身の方が税率高いよ、何だかんだ言って」

「子供って次世代に必要なんだから、子育てするって社会の未来に貢献することでしょ?だから、もっと恵まれてもいいと思う」

恵まれる?

既婚者は社会的安定があるじゃない。ローンも組み易く、社会の一員として関われる事も多い。就学する子供がいれば、PTAや地域の団体にも接触が多い。でも独身者は……。

何のサークルにも入れない。一人で老後を過ごせば孤独死だ。だから必死で老後の資金を貯めようとしているのに、何が税金払えだ。


こんな人間だったかな、私の妹って。


ふと妹を見つめた。背後から。それは、人生の勝利者そのものだった。

人生の勝利者に、敗北者の事情を聞いたところで、理解するはずもなかった。妹自身は姉に勝ったと思っているのか、そもそも競争心などあったのか、それを確認したかったが、遅すぎた。

とにかく、我々姉妹は、それぞれ違った価値観を持ち、おまけに妹は違いを受け入れようとしない。


妹は結婚したくなかったんだろうか。子供は欲しいと言っていたけど。


確かにブルテリアなら、咲子のように、育児と仕事は両立できる。

ブルテリア国民ならば、育児補助として、補助金も申請可能だ。子供一人当たり月八万円くらいは貰えたのではないか。

メイドさんは月六万円程度なので、十分賄える。


歴史に「もし」や「だったら」は存在しない。

ずっと昔に学校で習った事を突然思い出し、ふっと自嘲気味に笑った。


「難しい顔して走ってるけど?」

ジョージが声を掛けてくれて、我に返った。

「あ、いや…」

「秘密?」

「いえいえ。久しぶりに妹の事を思い出してました。日本だと、結婚したらどうしても仕事と育児の両立は難しいので、彼女も辛かったのかなあ、と、今更ながら思ったんです」

ルイーズさんがそうそう、と、

「日本女性は結婚したら主婦ですもんね、確か。家にいて、夫や子供の為に家事をするんでしょう?」

それは少し時代遅れな情報のような気もするが、まあ大体そうだ。子供が出来れば特に。

「実際はそんな不公平ではないんですよ。結婚すれば、まず男性の会社の年金や保険制度を、そのまま利用できます。会社によっては既婚者手当もあって、男性の給与が増えますね」

「えー、男性だけ?女性は増えないの?」

「えっと、厳密には扶養者手当なので、被扶養者が増えた場合ですから、カップルのうちどちらかが申請できる、ってことになるんでしょうが、現実には女性が被扶養者になる例が多数ですからね」

「年金は男性が払うのに、両方もらえるの?」

「簡単に言うとそうです。支払額は同じでも、支給額が独身者と既婚者で違うんですね。そして支払者が既婚者であって亡くなっても、被扶養者、つまり女性が引き継げるんですよ」

「へー、それって、結婚したらどっちかが仕事辞める、って前提の制度だね」

中々鋭い事をアレクサンドルさんが言う。そう、その通りだ。


健康保険だって、支払者の扶養家族はそのまま利用できる。つまり、4人家族の場合、一人分の支払いで四人利用できるのだ。

やはり、社会の基本単位は、既婚家族なのだ。


「夫婦独立して、年金や保険の支払いもできますが、そうなると単純に2倍の負担額です。子育てなんて出来るわけないですよ、経済的に」

日本の制度は、現実を見れば、結婚して子供を産んだ方が得になるはずなのだ。なのに……

「いま日本の未婚率はどんどん上がってるんです。二十代で六割、三十~四十代で三割強ですし、男性の三人に一人は一生結婚しない計算です」

日本にいる私の友達も、ほとんどすべてが独身ですよ、私、三十五歳なのに。


よし、ちゃんと自分の年齢を申告しました。こういう事はきちんとしておきたい。

三十五歳か……。もっと自分は大人になっていると思ったが、現実はそんな事はなかった。相変わらずがきんちょのままである、と思う。

それはともかく。


三十五歳だ、という私の言葉は、見事にスルーされる。三人全員に。


「だから妹さんは仕事辞めたんですか?」

ルイーズさんが尋ねた。

「一応休職中なんですよ、産休で一年、育児休暇で二年休めるので、来年あたりどうするか決めるんでしょうが、私も知らないです」

興味もなかった、と言ってもいい。


「親御さんは今何してるの?孫の世話?」

アレクサンドルさんが聞く。何だか、身の上話になっている気がするが……それは気のせいという事にする。

「母は元々専業主婦ですね。父は昨年銀行を退職、今は大学で非常勤講師をやってます。多分数年したら、地域活動の世話役に戻るはずですけど」

退職者は暇だと言うが、うちの父に限っては、多忙が続いている。母は母で、地域のサークルに顔を出しているのだから、二人とも多忙で何よりだ。


たまに妹の所へ顔をだし、孫との触れ合いをしているようだが、私には何の関係もない。


「私、きっと子供が嫌いなんでしょうね。甥っ子の事、何とも思わないですから」

少し息切れがしたので、私は歩き出すことにした。ジョージが俺も歩く、と二人並ぶ。

「そんなに自分を責めるなよ、紀恵。いつもいい子でなくたって構わないんだよ、現実は」

アレクサンドルさんとルイーズさんがそのままの速度で軽いランをするのを見送って、ジョージは言葉をつづけた。

「親姉妹間の関係なんて、環境によって変わるもんさ。それに、妹が仲良くしたくないんなら、無理強いなんてできないよ。紀恵のせいじゃない。甥っ子だろうが何だろうが、子供が好きかと関係ないよ。むしろ、どっちも今は家から離れて生活してるから共有出来る事なんて少ないのは当たり前だろうし、嫌味まで言われてるのに、ぐずぐず悩んでるのは、紀恵が優しい証拠だよ」

「有難う」

「違うな、紀恵。分かってないよ」

分かってないよ……ともう一度呟くと、ジョージは止まった。続いて私も止まる。


ドキン。

また心臓が跳ねた。

違う、自分の感情で心臓が跳ねたのではない。誰かの心臓と同調したような、そんな跳ね方。


「どうかしたの?」

出来るだけ自然に、ジョージに尋ねてみた。ジョージは湖の反対側の岸を眺めている。

「いい子であるって、哀しいよな。俺はほら、式典抜け出したり、護衛巻いたりして、中学生くらいまでははみ出したかった。飛び級はしてたけど、別に勉強が好きだからじゃなく、早く自由が欲しかったからなんだ」

「はい……」

特に何もいう事もないので返事だけする。

「貴族の子たちだって、やっぱ『いい子』はいたさ。そっちの方が大多数だったな。一般市民と話したくても、近づけないものなんだ。可哀想だよな」

……

「何を勉強しようが、博士号取ろうが、将来は家を継ぐって決まってるんだ。領地を無難に管理して当たり前、失敗すれば世間の笑いもの。ひどい世界なんだ」

淡々と、どこか諦めたような口調でジョージが言った事に、私は本当に何て答えればいいのか分からなかった。だって、正直そんな風に考えたこともなかったのだから。

特権階級はその特権を享受していて、だからそれを自然なことだと信じていると思い込んでいたのだ。ノーブル何とか……だっけ、貴族階級の義務ってやつ。


だけど確かに。

私の日本での高校は、ちょっと特殊な学校で、理系大学の付属だった。

親の半分は開業医で、子供も医者になるべく期待されていた。そう、覚えている。ファッションが好きで、制服でも私服でも、いつも外国のモデルのような恰好をしていた子がいた。その子の実家はもちろん医者で、お金もあった。私のような、普通のサラリーマン家庭から見れば夢のような生活レベルだったのだが。

その子があるときポツンと言ったのだ。

「ほんとは、デザイナーになりたかった……。だけど、実家が医者だから……」


彼女は医学部に入り、そう、お医者様になったはずだ。実家を継いだのだと思われる。しかしそれは、彼女の夢ではなかった。


いい子、か。

自分はいい子ではなかったと思ったが、そう思うこと自体がいい子の証。そう言いたいのかな、ジョージ。

くす。

乾いた、しかし一瞬だけど、思わず笑ってしまった。

「お、笑ったなー、紀恵。分かった?」

「うん、多分分かりました。有難う」

じゃ、歩こうか。さり気なくジョージの右手が、私の左手を握った。

ジョージが左側、つまり水辺側を歩いている。確かに紳士なのだが、こ、これは。

「あのう……」

「何?」

「手、つながなくても……。大丈夫です、歩けますよ」

「つないでも歩けるだろ」

「それはそうですが……」

確かに手をつないでも歩けるが、そういう問題だったのだろうか?


「俺は子供の頃、獣医になりたかったな。動物のお医者さん。紀恵は?」

「私は……」

子供の頃は先生かな。いや、違う。小学生のころから、見ていた夢。

「教えろよ、何?」

「いや……ちょっと才能もなかったろうし、恥ずかしいです、言うの」

「へえ。モデルとか?スチュワーデスとか?」

つまり、モデルやスチュワーデスにはなれない、と言ってる訳ね、王子様。ふん。

「違います!……作家です」

「へー、物書きか。それなら今でもできるんじゃない?」

「いやそれが時間も余裕もなくて。本当はブルテリアの事とか、ホーンの生活とかを紹介したかったんですけどね」

たまに不定期で記事を書いているが、そんなのは本業にはなり得ず。ずるずるとOL生活を続けている。


夢、か。

久しぶりに考えたなあ、真面目に。

日本を出る時も、一杯考えた気もする。でも、ブルテリアに来てから、振り返ってみる余裕もなかった。


「いいね、書いてみたら?応援するよ」

「……有難う。でもこれって、何かが降りてこないと、書けないのです。不定期で記事を書くこともあるんだけど、毎回毎回〆切前まで絶叫してるんです」

毎回「私って才能がないんだー!頭が空っぽなんだー!」と部屋で絶叫しつつ原稿を上げているのは、まだ秘密にしておきたい。

「今の夢は……早くブルテリアの生活になれる事ですかね」

「そりゃまた現実的な夢だな」

「じゃあ今のジョージの夢は何なのです?」

「俺の夢?そりゃ決まってるさー」

ふふふん、と楽しそうにハミングする。何か、浮かれてる?



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