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夢で生きる  作者: 中田あえみ
第五章
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罠 3


違うと言っても、何が?

そう尋ねようとすると、もう着いた、とマンチェクさん。

門の入り口に立つと、自動扉じゃあるまいし、すっと両側の扉があく。当然、ドアボーイが開けてくれたのだ。


軽く会釈をして、中に入った。天井がものすごく高い。しかも、映画で見たような「お屋敷」そのもの。マナーハウスである。


こっちこっち、とマンチェクさんは私の注意を引こうとする。実際、私は素晴らしい調度品の数々を目の前にして、絶叫寸前だった。

何あの壁の絵?ルーベンスじゃない?この飾り物は、ロダンに違いない。

あれはターナーだ。いくらなんでも私だってわかる。こ、これは、ギリシャの遺物か。なんとまあ……。


ここは単なる第二王子殿下の住居。これがもしアレクサンドルさんの王太子宮殿なら……国王夫妻の住まう王宮なら、どれほどのものが飾られているのだろう。ああ、ぜひこの目で見たい……。


瞬間とは言え、王族の言葉を聞き流してしまったが、これは不敬罪?

はっと我に返ってマンチェクさんを見たが、彼はただ苦笑していただけだった。


中に入ると大きなダイニングテーブル。え?ええ??

私は目を丸くした。アレクサンドルさんとルイーズ、そして……

国王陛下……あー名前は、名前っと……

オーピン五世と、キャサリン王妃……

と思しき人物が、ホスト、ホステスとして、テーブルの端に座っていた。


あり得ない……。


大体、テーブルの中央ならともかく、何故端と端……。


ルイーズさんが声を掛けてきた。

「紀恵、こっちに座って。紹介しますね、こちらが私たちの父、オーピン陛下、そしてこちらが私たちの母、キャサリン妃殿下です」

慌てて、両側に深いお辞儀をした。何てことだ、国王夫妻の臨席?聞いてない。

そして私は、ルイーズさんの隣に座り、その右隣はマンチェクさん、私の前にはアンソニーさん。

その右にアレクサンドルさん、左にもう一人女性イングリッド公爵令嬢(と名乗った)が座って、合計八人。ダイニングテーブルに揃う。


「紀恵は今日はウチの周りをジョギングしたそうですね。いかがでしたか?」

オーピン陛下はあろうことか私に話しかけてくる。いや、ホストとしては、当たり前の礼儀作法なのだが、こちらが居たたまれない。

「空気がきれいで、変わった景色も楽しめ、大変楽しかったです」

「私たちもよく散歩するんですよ、周囲を。この頃は少し肌寒くなったような気がしますね」と、妃殿下。

「確かに。ただ走るにはちょうどいいくらいの気温です」

「金木犀をご案内したのよ、ジョギング中に」

ルイーズさんが口をはさむ。

「とってもきれいでした。そしていい匂い……」

陛下は軽くうなづき、

「そうそう、あれは日本から移植したものだよね。不思議なものだ、日本から根ごと持ってきて、植え替えたときは、正直根付くか分からなかった」

「父上ー。私は自分の職務を精一杯果たしますよー」

アレクサンドルさんが、少々すねた感じで言う。

「王太子専属やジョーンが職務熱心なのは知っているが、何しろこれは自然が相手だからな」

自然、という言葉に、少し力を置いて陛下は仰ったようだが、それは気のせいか。

「日本人は、自然を感じながら暮らしているといいますが、どう思いますか」

陛下は続けられる。

私もありったけの日本に関する知識を頭の中で総動員中である。

「季節を感じる、という事はありますね。例えば、西瓜です。西瓜って、夏の食べ物ですので、日本で冬に西瓜を見かけることはまずないと思います」

「農産物は輸入していると聞いていますが、それでも季節感があるということですかね」

「そうですね、そこが面白い点です。色々な統計はありますが、日本の自給率は四十パーセント程度、多く見積もっても六十パーセント台です。かなりの農産物を輸入しているのですが、総じて日本の季節に見合った輸入をされているようです」

ちなみに、キュウリもトマトも夏の野菜。ホーンでは一年じゅう見かけるし、西瓜だって冬でもカットされて売られている。北半球と南半球は夏冬逆なので、夏のものを冬に食べたければ、南半球から買えばいいだけの話なのである。


「ブルテリアの自給率もそれくらいだったな。カロリーベースで三十二パーセントだったと思うがね。農業はあまり人気がないのでね」

「日本も同じです。農業のような第一次産業は後継者不足です。自然を相手にしていると、中々計画的に生産できないので、どうしても不安定になるのでしょう。野菜工場などの試用運転は始まっていると思いますが、ただそれも、トマトを冬に食べよう、という事にはならないと思いますね」

「野菜工場は面白いと思っていますよ。オーガニックにも対応できるし、安心を届けられるのではないでしょうか」

中々革新的な国王陛下のようである。面白いなあ、と私は不覚にも思ってしまった。


さて、まずはグラスに水が注がれた。真水、にしかみえない。

「これは、王宮内で汲まれた自然水です。運動の後には、こういったシンプルな飲み物がいいのではと思って」

妃殿下が説明される。国王陛下が口をつけ、そして私たちもグラスを手に取った。

「!美味しいです」

びっくりした。甘みがあるような、とろけるような舌触り。日本の「名水百選」にでも出てきそうだ。

「日本は水が美味しいと聞きますね」

「確かに、日本人にとって、水は空気みたいなもので、自然を体現していると思います。でもこのお水は、とても美味しいです。ここの湧水でしょうか」

アンソニーさんが解説する。

「王宮内には、実は井戸があるんです。現在は二つありまして、一つは生活用水、もう一つは食用水に使っています。水質は日本と同じで、軟水なんですよ」

だから、味が紀恵さんに馴染むのでは?硬度は42です。

そ、そうなんですね。博識ってやっぱり心惹かれる……。

「ただ多くの設備には水道水を使っています。安全供給には、水道水の方が管理がしやすいので」

「水道水も飲めるんですよね、これも日本と同じです」

「ええ、WHOの安全基準は通過しています」


次はシーザーズサラダ。私はあまりドレッシングの入ったサラダは食べないのだが、ここのはしっかりいただいた。王族直轄地の野菜だそうだ。

そしてクラブハウスサンド。これは私の好物である。ブルテリアに来て初めて食べたホットサンド。オープンサンドも好きなのだが、ブルテリアにあって日本にないものは、ずばりこれ、クラブハウスサンドなのだ。ブルテリアなら、小さな個人の飲食店でもこれが注文できる。素晴らしい。


アレクサンドルさんが何気に尋ねてくる。

「紀恵は、普段は何を食べてるの?」

あ、しまった、大好きなクラブハウスサンドを目の前にして、会話をおろそかにしてしまった。私は口に入れたサンドのかけらをぐっと飲み込むと、

「大体は西洋料理ですね。あんまり日本食は食べないんです」

「えー毎日寿司とかじゃないの?日本人は和食にこだわってるんだと思ってた」

世界文化遺産だっけ、和食?まあ職人技はそうだろうけど、一般家庭はねえ。

「お寿司はお寿司屋さんで食べるんです。普通の家庭では作らないですね、彼らは職人ですので、プロですから。私たちの言う和食って、煮込みとか、焼き魚とか、かなりシンプルなんですよ。中華や西洋料理のように、複雑なものではないと思います」

「じゃあパン食なんだ」

「パンは好きですよ、ご飯より好きです。麺類も大好きです。ブルテリアに来て本当によかったのが、麺類の種類が多いことですね」

「伝統的に、みんな伸ばすからね、我々は」

妃殿下も参加される。

「王宮の伝統料理に、米粉を使った麺があるんですよ。ニョッキーニといって形は麺というよりパスタのようで、もちもち感があるのです」

「おいしそうですね。どうやっていただくのでしょうか」

「炒めたり、スープと一緒に食べたりもします。ジョージに今度持たせますよ」

「そ、そんな。それは結構です。ご迷惑おかけできません」

「俺は構わないよ、紀恵。来週持っていくよ、一緒に食べようよ」

ずっと黙っていたマンチェクさんが、会話に入った。

心の中で、こいつ殴ってやる、と思ったのは極秘事項です。

私の笑顔は多少強張っていたのではと思うが、何とか繕った。

「そんな。職場の皆さんも変だと思うのでは」

「大丈夫だよ、気にしなくって。他の皆にも分けるから」

は?ウチのチーム何人いると?

「は、はあ」

押し切られた。食べ物には逆らえない。食べてみたいものは食べてみたいのである。

「ど、どうも有難うございます」

「そうこなくっちゃ、ね、母上?」

ええ、と満足そうなお二方。これって……。


これは罠?何かもう結末は決まってるの?

何となく腑に落ちない私に、またふわっとした暖かな空気がつつむ。

武術……。誰が?


井戸水は美味しいし、大好きなサンドは出てくるし、最後は果物のゼリー。これもまた私の好きな桃のゼリーである。


大きな桃の片割れが中央にドン、と置かれ、ジェリーは柔らかめで口の中でするっと消える。完璧だ。うっとりする(多分)私に、妃殿下は仰る。

「このジェリーも、あの井戸水を使ったのです。そしてイングリッドが作ってくれたんですよ」

「私、お菓子作りが趣味なんです」

レディ・イングリッドが静かに微笑んだ。

上品、というのはこういう事なんだろうなあ。何か身にまとうオーラがお嬢様だ。

「見た目も大変美しいですね。私も料理が趣味です。ジェリーって、固まるまでドキドキしませんか」

「そうね。私そういった緊張感が好きなんです」

今パティシエの学校に通ってるんです。私もジョージ殿下のように、いつかは社会に出て働いてみたいと思っています。


働きたい……。変わってる……。

「珍しいと思うのかも知れませんが、私かなり本気です。今現在、女性も働くのが当たり前ですし、私だって何も一生続けたいとは言いません。自分の役割は分かってますから。だけど、結婚前の数年、または爵位をいただくまでの間は、出来れば外で働きたいんです」

レディ・イングリッドは真剣に私の顔を見つめた。お人形さんのような、王族とも引けを取らない美しさ。ルイーズさんはどうなのだろう。

私は隣を見たのだが、ルイーズさんはへへと笑っていた。

「私も、来年卒業なので、就職活動はしているの。今考えているのは、王立研究所の職員で、多分地方都市に派遣されるのではと思うわ」

陛下は、

「散々話し合いましたが、ジョーンはともかく、ジョージとルイーズは王族としての公務も少ないし、その合間なら、何をしようと自由だと思いますからね。親としては心配ですが、子供の為なら仕方ないでしょう」

「僕は大丈夫ですよ、父上。プロジェクト関係でかなり外と交流がありますからね。それなりの自由は享受しているつもりです」

アレクサンドルさんは飄々と言った。


こういうのって、性格もあるのだろうなあ。

王宮で暮らすというのは、貴族として生きるというのは、やっぱり現代でも特別なこと。与えられた環境で何とかやりくりしよう、という人間が、こういった特別な環境で生き延びることが出来るんだろうなあ。

と、日本のそういった方々を思いつつ、目の前の状況を分析していた。


「なるほど、それでパティシエなんですね、専門職ですから、女性のキャリアデザインには合っていると思います」

「有難う、紀恵。そう言ってくださって、嬉しいです」

おお、お人形さんに有難うと言われると、こちらこそかなり嬉しい。私はバリバリ民主派として、君主制と貴族制には反対派だが、何となく賛成派の気持ちも分かる。

「例えば、イングリッドさんのご公務って、どんなものなんですか?」

単に好奇心である。

「父が公爵ですから、父が領地の管理をしているわけですね。そこで例えば、学校のコンクールの表彰式とか、教育関係と、領地内の赤十字団体の懇親会とか、病院関連の会議などの出席は、母と私で分担しているんです」

「なるほど、実際に出席が必要なんですね」

「そうなんです。言ってみれば芸能人と同じです。公演があって、それに出演するという。勿論実際は、会場の皆さんが主役で、私たちはただのアシスタントに過ぎないんですが、とにかく時間が足りないですね、一人では」

「領地はどちらにあるのですか?」

「西地区です。人口はブルテリア国内では第四位です」

「かなり大きいですねえ。管理も大変でしょう」

「ええ。おかげさまで、ホーンと同じ程度の都市計画を管理しています。父は政治学を修めたのですが、弟は工学部で都市計画を学びたいそうで、彼が成人すれば私たち母娘も余裕ができると思ってるのです」


何としっかりした公爵令嬢。そして、ご子息も、ちゃんと家業を継ごうと頑張っているわけだ。うーん、何だか「特別階級」に親近感を覚えてきたような……。いや、これは絶対罠だろう。


「大変なんですね、貴族の方々の生活も。ではマンチェクさんのご公務って何ですか?」


これも好奇心である。


「俺はかなり減らしたからな、今でもやってるのは、いくつかの体育系団体の代表。あとは経済団体関連かなあ」


そしてコーヒーが。かなり香り高い。そして…これは、キリマンジャロ?酸味のある私の好みのコーヒーだ。私はキリマンジャロと、トアルコトラジャの信奉者である。

「そのコーヒー美味しい?」

私の表情に気付いたのだろう、マンチェクさんが尋ねた。

「ええ、美味しいです。というか、好きな味ですね」

罠だ……。罠に決まっている。



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