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夢で生きる  作者: 中田あえみ
第五章
14/34

罠 2

宿舎とは言ったけど、240年前に建築されたもので、装飾などは大したものだ。

私は元々歴史が好きだったので、こういった歴史的建築物を見るのは楽しい。


「そろそろいかがですか?」

(多分)護衛官の女性がノックして入って来た。

「ええ、大丈夫です。何だかびっくりしてしまって」

「ジョージ様のお客様なのですから、どうかリラックスなさってくださいね」

「はあ…有難うございます」

「あのう……差し出がましいようですが、中々ジョージ様は女性をお招きになりません。ですので、ご安心なさってください」

はあ……。

「わかりました、外へ出ます」

ちょっとだけ、大きな姿見の前でリップグロスだけつけ直すと、部屋の外へ出た。

部屋は出入り口のすぐそばだったので、私はすぐ外の出て、マンチェクさんともう一人の男性、そして女性が立っていた。皆さん見覚えのあるような……


「紀恵、紹介するよ!こっちは俺の兄貴。ジョン」

「初めまして、紀恵。ジョーン・フェルディナンド・ウィリアム・アレクサンドル公爵と申します」

「は、初めまして、アレクサンドル公爵第一王子殿下」

「アレクサンドルで結構です。本当はジョンと呼んでいただきたいが、それはまだ早いかな」

「兄貴!」

鋭い悲鳴のような、マンチェクさんの声が上がると、くすくすと笑いながら女性が握手を求めてきた。

「私はジョンとジョージの妹で、ルイーズ・キャサリン・エリザベート・ローレンス伯爵と申します。ルイーズと呼んでください、兄たちと違って、名前で呼ばれる方が嬉しいです」

「初めまして、ルイーズさん」

……外国に来て、まさか超一等級のマナーを求められる場所に放り込まれるとは、思っていなかった。

公爵、侯爵、伯爵……。めまいがする。


「走ろうよ」

マンチェクさんの掛け声で、私たちは、アップがてら、ゆっくりとジョギングし始めた。


本当に風が心地いい、踏みしめる土の地面も、時折舞って落ちる木の葉も、ゆったりとした時間を表わすようで、ここが王宮でなければ……王族と一緒に走るのでなければ、もっと楽しいと思うのに……


まあ仕方ないか。


ふと、前方に何人かの集団が同じようなペースで走っているのに気付いた。

「殿下!」

振り返った集団のうちの一人が、私たちに向けて手を振った。

「アンソニー!」

三人は手を振り返す。つまり、私以外をのぞいて、の意味。

ほどなく、私たちは彼らに追いついた。そして、いつの間にか歩き出す。

「今日はお友達と一緒にジョギングですか」

アレクサンドルさんが答えた。

「まあな。君にも紹介しておくよ、アンソニー。彼女は紀恵だ、ジョージの同僚」

「初めまして」

私は軽く会釈をする。

「初めまして。王宮内は初めてでしょうか」

全く持って初めてです。

うなづくと、優しい、人をほっとさせるような微笑みを浮かべて

「それはよかったですね、ここは自然も多く、歴史的価値も高い建物も多いので、軽めのランで、景色を楽しんだ方がいいですよ」

「そうですね。走ろう、と意気込んでたんですけど、ここに来て気が変わりました」

「でしょう。あ、あの黄色い花を咲かせている木があるのですが、見えますか?」

アンソニーさんは、左手を上げて、私たちの左前方の木々を指した。一部だけ、黄色いものが見える。花なのか。

「ええ。ちょっとばらついてますね。オレンジ色にも見えます」

「そうですね、本来はオレンジでしょう。満開の時期は過ぎてしまったのですが。あの木は、金木犀の一種なので、香りが高いのです」

「金木犀なんて、ブルテリアにあるんですか?」

意外だった。こっちに来てから、見たことがなかった。私の実家には、大きな金木犀が一本立っていて、私の部屋のそばだったこともあり、毎日あの甘い香りを楽しんでいたのだ。

「ええ、日本から持ってきました」

「は?」

「現国王陛下は、植物学者でもあるのはご存知ですか?」

「えー、そうですね」

知らない、と言ったら不敬罪でそのまま牢獄にぶち込まれるんだろうか。

昨晩、それなりに王族の系譜と家族をネットで下調べしたものの、趣味の一つ一つまで手が回らなかった。

「聞いたことがあるような気もします。ただご専攻までは存じ上げません」

上手い返しだ、田中紀恵。伊達にOLを十年以上やっていないな。

自分で自分に一瞬うっとりした。

案の定、アンソニーは突っ込まなかった。

「専攻は高山植物なんですが、たまたまご訪日の際、金木犀をご覧になって、お気に召されたようで、三本ほど持って来たんですよ」

「まあ、そうなんですか。私もあの香りは好きなんです」

「日本には雄株しかないようで、雌株をどうするか考えたのですが、結局観賞用だから、ということで、雄株のみ栽培しています」

「雌株もあるんですか?知らなかったです」

「中国原産ですから、雌株は中国にあるんですが、花は雄株の方が多いのですよ。多分それで、古代の日本人も雄株を選んだのでしょう」

情熱的に金木犀の話をするアンソニーさんを、何だか私はうっとりとして見てしまう。私、つくづく博識に弱い。それに、優しそうだし。


日本に関する話題に、飢えていたのかもなあ。


そろそろ走ろうか、とアレクサンドルさんが提案し、私たちはゆっくりめ、アンソニーさんは足早に、走り始めた。

これが出会いなのかしら……。

日本のOL時代、二十代だったこともあって、毎月一回は合コンに参加していたころを思い出すと、いささか物足りないのだけど、まあ仕方ない。これが現実というものである。


マンチェクさんが近づき、

「金木犀のところまで、行ってみようか」

「は、はい!近くで見てみたいです」

心の中も浮き立つ感じで、わくわくする。何か楽しい。なんだろ、この感覚……。

金木犀を近くで見たいとは思うけど、何だか心の中の楽しさが倍、五倍、いや十倍くらいに増幅されてる感じ。

まあ、楽しいからいいか。


ルイーザさんは鳥が好きらしい。

「私はバードウォッチングも趣味なんです。紀恵は?」

「結構好きですよ。たまに湿原地へ行きます」

「じゃあ、今度鳥見に行きましょうよ。湿原地の脇に、実は直轄地があるの。私の名義になっているので、結構な隠れ家なのよ。じっくりと観察できるわ」

「ああ、湿原地の方にはかなり観光客がいますからね。たまに、観察点に行くまで並ぶこともありました」

ホーン郊外のラムサール条約に守られた湿原地。昔は、保護地区として、事前に申請がなければ入れなかったのだが、条約締結後、一般公開をはじめ、ある種の観光地と化したのだ。比較的容易に行かれることになったのは大歓迎なのだが、問題は(特に週末の)人出。

ホーンの人口密度は、東京のそれとほぼ同じ。なので、どこへ行っても人人人……。おひとりさまには、遠出にはちょっと辛い環境だ。

「じゃあ、決まりね!来月にでも調整しましょうよ」

「は、はい……」

来月また王族に会うのか……。大丈夫なのか、自分?


木に到着した。かなり大きい。実家のと同じくらいか、もしくはそれ以上。相当の年数のものだと思われる。

「よく持ってこれましたねえ……。かなり大きいじゃないですか」

マンチェクさんが解説する。

「親父もさ、欲しいと思ったらとことん欲しいからね。王宮は広いから、大き目の木でないといけないとか主張してさ」

俺はその時未成年だから、何も噛んでないけど。と、アレクサンドルさん、

「樹齢が五十年以上のものを、という話でね。まあ木は見つかっても、掘り出すのも大変だし、運搬もそれなり。そして何より、こっちに持ってきて絶対に根付く保証もないし。あの時は緊張したよ」

僕がしょうがないから、陣頭指揮を取ったんだ。だって、プライベートな行動だから、国家予算つけるわけにもいかないので、全部私費。自分で配送業者選定までやったんだよ、やれやれ。

「私もあの時子供だったのだけど、一つの家庭内プロジェクトになってたのは感じてたわ。大人って大変だなあと思ったもの」

でも、来た木々を見て、納得。本当にきれい。可憐な花よね。と、ルイーズさんも幹をそっとなでた。


その後、ゆっくり四人で走って、宿舎まで戻った。

多少汗をかいたので、有難く宿舎のシャワー室を借り、手早く汗を流して、髪を乾かしていると、三十分くらいすぐ経ってしまう。


マンチェクさんが、お昼一緒に(出会い付きで)と囁いたので、今度こそ、とリップグロスを塗りなおした。


日本人女性のメイクは完璧だと、こちらでも有名だ。ただ残念ながら、ホーンではあまり化粧品が手に入らないので、私は一年目に早々に化粧を諦めてしまっていた。

日本にいたころは、ネイルもしてたし、眉も描いていたし、アイライナー引いてたし、ベース、ファンデ、パウダーと重ね塗り。季節によってファンデ変えてたし、口紅も色替えしてたし、ブラシ使って……。

髪も朝シャン、ブローでセットしてたし、ジェルも色々髪型によって選んでいたし、香水だって……。


……やめよう、昔話は。


しかしながら、海外の女性はあまり化粧をしない。する時も勿論ある。パーティーとかお呼ばれの時は、本気メイクだ。だけど、職場や買い物ごときで、自分の顔に手を入れることはないようだ。


という事なので、マニキュアとペディキュアもやっておらず、ブルテリアでの私の普段の外見はすっぴん、素の素である。


今日だって「出会い」とは言われたけど、正直期待してない。

ネイルぐらいとも思ったけど、普段してないのに「ジョギング」する為に塗るのは、いかにもで職場の同僚としていかがかと思われた。


なので、グロスどまりだ。でも、アンソニーさんに会うんだったら、多少はメイクしてもよかったかもなあ。

なんて、妄想で楽しめるのも、実はまったく期待せず、希望もしていないからだ。


おひとりさまである自分を受け入れたんだと思う。これで、いいのだ。これが多分、私が一人でブルテリアに来た意味なんだろう。今更他人を、自分の人生に引き入れるなんて、想像もできないし、期待するだけエネルギーの無駄なのだと分かっている。


荷物はそのままにして、とりあえず外に出ると、アンソニーさんが「待ってましたよ」と声を掛けてくれた。おお、やはりうれしいものです。

「お待たせしました。皆さんは?」

「食堂に移動しています。離れているので、車で移動しますよ」

「あ、じゃあ、荷物取ってきます」

「大丈夫です。あとで担当の者がお持ちしますので、このまま行きましょう」

かなり急ぎで車に押し込まれる。いやあ、同じ邸の中で、単なる庭内の移動で、お車を使うとは……。何とも言えない。

「食堂ってどこにあるんですか?独立した建物なんですか」

「今日はジョージ殿下のお住まいにご案内します。皆さんはそこに集まってますので」

「ああ、マンチェクさんも、ルイーズさんも、独立した建物に住んでいるんですね」

「ええ、皆様ご成人されてますので、今は陛下とはご一緒ではないですね」


そのまま十分くらい車で移動したと思う。

アンソニーさんの仕事は、王宮や宮廷の中の取り仕切りというか、王族個人につくのではなく、宮廷で働く人たちの取り仕切り、蔵人所(くろうどのところ)の事務仕事なのだと言う。


「現在、王宮で働く人間はおよそ二千人です。蔵人所は、王宮と宮廷をまとめる事務機関でして、それぞれ、食膳部、管理部、修繕部、図書部、宮庶務部、病院などや、王太子専属、現在はジョーン殿下ですね、などもあって、かなり大きな組織なんですよ」

「ずいぶん多くの人が働いているんですね」

「ええ、また王族方のプライベートで雇われる方々も多くはないですがおりますので……例えば、語学の先生とか」

「ああ、なるほど。その方々の管理もされるのですか?」

「いや、ただセキュリティは管理部の所轄なので、当然、人物調査などはこちらでやりますね」

「なるほど……。というより、ちょっと疑問なんですが……。私の人物調査も行われたのでしょうか」

コホン、と乾いた咳が聞こえたような気がした。

「紀恵さんは、なるほど、かなりの方ですね。ええ、しました。ただこれは、形式的なものというか……紀恵さんの場合、外国人ですので、元々は入国管理局が所轄ですから、我々も、ブルテリアの出入国記録を確認し、あとは日本へ犯罪履歴を問い合わせただけです」

……。自動車免許も持っていない私は、スピード違反や酔っぱらい運転ですら、引っ掛かったことがなく、きれいな経歴のはずだ。


とは言え、あんまり気持ちのいいものではなかった。


さあ、着きました。助手席のドアを開けますので、そのままお待ちください。

しかし何と、ドアを開けてくれたのは、マンチェクさんである。

「待ったよー、紀恵。運転遅くない?」

アンソニーさんは、そのまま流した。

「色々とこちらもありますので」

「終わったのか?」

「ええ、まあ、一応は」

アンソニーさんの回答に、マンチェクさんはあまり釈然としない様子。

「一応、って何だよ。俺は今聞きたい」

あのう、私はそばで立って待ってるんですけど。

ふう、と息をつくと、改めてマンチェクさんは私を見た。

「じゃ、中に入ろうか。軽食だから、あまり期待しないで」

「大丈夫ですよ。お腹空いてますから何でも食べられます」

そう答えると、マンチェクさんは笑顔になった。

「紀恵ってさ、結構すごいよ」

「何がでしょう?単なるOLですよ」

「さあね。OL稼業は仮の姿だろう。本来の紀恵は、もっと違うと思う」

また心の中に、心地よい波動が生まれて、それが全身に広がる。

これは……いったい何なのだろう。まさか、彼もそれを感じているのだろうか。

まさか。




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