は じ ま り 3
『地下鉄で切符を……』
何か、覚えている気がする。何かあったような……
マンチェクさんは目をそらして、前方を見始めた。
「悪いと思ったけど、彼女が病院って言った方が、それらしく聞こえると思った。お金後で返そうとも思ったんだ、でもまさか、その人が旅行者だとは思わなくて……」
「そ、それは……」
私もゆっくりと思い出す。十二歳くらいに見えた小さな少年、そういえば礼服っぽいものを着ていた気がする。
「ガッツリ怒られた後、税関から保安カメラのビデオを見せてもらった。次の日の朝帰るって言ってたから、割と簡単に時間が割り出せたし、行き先も日本だろうと思ってたから、案外簡単に見つかって……だから、まあ……」
私は何と返せばいいのかわからないので、無言だ。
「その後何度か入国していたのも分かっていたから、もしかしていつかまた会えるんじゃないかと思って……そしたら、五年前に長期滞在ビザに切替申請してきてたから、ちゃんと彼女と別れて、博士課程まで終えたんだ。今度はきちんと、会おうと思って」
「私は……、小学生かと思ったのですが」
「俺の事?わーまじかよ、ショック大きいよ。中六だよ、一応。飛び級してんだから。大学も気合で一年ぽっきりで終わらせたのに……追いつこうと思って」
知ってるよ、十年違うんだよな。
さらりと、マンチェクさんは流した。
再び、マンチェクさんは私を見始めた。童顔だと思われているのか、歳相応だと思われてるのか、それは分からない。
私も、彼をまじまじと見る。童顔だし、二十歳でも通ると思う。
「まああの時のことはいいですよ。了解しました。お金も別にいいですよ、あれ、余ってたんですから」
年上の余裕で、侯爵をおごってあげることに決めた。いやーすごいな、自分。
「有難う。あの時は本当に助かったんだ、パーティーに行ってあげたかったし。それで結局、分かれることになったんだから皮肉だったけど」
「私のせいだとでも?」
「それは違うけど、いいきっかけだったよ。彼女は公爵令嬢だし、これからも会うと思うから、一応知らせておきたかったし」
私が、公爵令嬢にお会いする機会は将来的にほとんどないと思いますが。
という皮肉は、大人の余裕で、口に出さなかった。
「彼氏いないんだよね?」
マンチェクさんの瞳がきらりと光った。
「いませんよ」
これ以上聞いたら、警察呼ぶぞおら、と怒鳴りつけたかったが、勿論自制した。
「だったら、週末ジムなんか行かないで、ウチの離れに来ないか?離れにもランニングコースがあって、かなり快適。シャワーもあるから心配しないで」
「は?」
確かに、王宮周りは自然にあふれ、一般人のジョギングコースとなっているが……
「外側じゃなくて、内側だよ。中々入れないと思うよ」
入れないのではなく、入りたくない、のですが。
「そ、それはすごいですねー。また今度、そのうち……」
「宮廷職員も共用のコースだから、たくさん人がいるよ。男性公務員もいるから、出会い提供するよ、俺」
「喜んでお邪魔いたします」
早くそれを言っておくれ。勿論入らせていただきます!
そして、その夜。
夢はまた同じ。
どこかのシェアハウスに住んでいるのだ。夢の中の自分は思う。昨日は散々だった、隣の部屋で、カップルの喧嘩。夜中の三時に。
お隣さんは、私と違って社交的で、色々な人を部屋に呼んでいる。
……お前は誰を呼ぶ?
心の中から、誰かが問いかける。
私は素で答える。……いいえ、誰も。
誰も、私を訪れる人はいない。
いや、誰かを待ってるはずだろう!
問いは、畳みかける。
私は無言になる。考えてみる。誰も思いつかない。
……いいえ、誰も。
続けて問いかけられる。
ブルテリア人がそんなに嫌いなのか!?
あまりの問いに耳を疑う。
……そんな事はない!ブルテリア人が私を嫌いなんでしょう!?誰も私を愛してくれないだけ。誰も。
思わず本音が出た。信じてくれたっていいのに。
悲しくて、目が覚めた。
そして気を取り戻すと、また暖かい気に包まれている。
それが、分かる。ようやくベッドから抜け出すと、軽く伸びをした。
今日は週末の土曜日。マンチェクさんのお招きに預かり、宮廷職員と合コンするのだ!見事公務員をゲットして、夢の寿退社、専業主婦へ一直線!
……というのは、少々先走り過ぎ。分かっている、単に走りに行くだけだ。取り敢えず、奇妙な夢の事は置いておこう。非生産的すぎて、解析不能だ。
私は、ジムでもノーメイク、運動服もノーブランドで、地味ななりだと思う。運動しにいくのに、何故着飾らなければいけないのか、絶対そんなことは必要ない。
王族に会うかも知れないとすると、きちんとした格好をすべきか。しかしそもそも、私はブランドの運動服を持っていないし、買う気もなかった。
どうせ一日、一回限りの訪問に決まっている。
あれから咲子にも何も伝えなかった。マンチェクさんに十年前に出会ってるなんて言ったら、一大スキャンダルになる。社内にデマを広めたくない。
彼はインターンなのだ。
三か月のプロジェクトに参加するだけで、その後は他所へ行くのだ。
または宮廷に戻るのかも知れない。そんな事はどうでもいい。私には関係ないのだ。
多少はましなニールだって、子爵だ。武官へといつかは戻るのだろう。
彼らは、ただの通りすがりの旅人たち。
それを分かって、何故今回の招待を受けた?
私は私に言う。それは、滅多にない機会だからよ。もしかして、公務員との合コンが出来るかも。本物の愛にめぐり会えるかも。
そう、本物の。
そう考えたとき、心の中で何かが震えた気がした。