アドヴェント
アドヴェント=キリストの降誕を待ち望む時期。
宗派によって違いがあるようですが、今回は「四回の主日」の期間とさせていただきました。
11月25日(日)
今日から、セーターを編む。彼の暮らす場所はここよりも北だから、ざっくりと太い糸の暖かいものがいい。体にあてて寸法が採れないから、本のとおりのゲージで。
11月26日(月)
メールに「疲れた」って書いてある。毎日遅くまで、お疲れさま。食事はちゃんと摂ってるかな、こんな時間じゃ自炊できないだろうけど。毎日コンビニのお弁当じゃ、栄養失調にならないかしら。
11月27日(火)
今日の風は、とても冷たかった。慌てて厚手のタイツに穿き替える。冬なんだね。彼の住む場所は、もう厚手のコートだという。冷えた部屋が嫌で、エアコンのタイマーをセットしてから出勤だとメールが来た。
11月28日(水)
友達が、結婚するって言う。理沙はまだ?って聞かれて、答えに詰まる。私だけで決められることじゃないもの。彼がどう考えているのか、聞いたことない。
11月29日(木)
昨日の友達の話に、なんとなく拘ってる。会いたいときに会いにいけない相手は、バーチャルな恋人なの?時々、とても不安になる。転勤の多い彼は、はじめて会ったときから二つ目の任地。同じ場所に戻ることはない。
11月30日(金)
明日は休みだ。頑張って、後ろ身頃を編み終えてしまおう。深い緑色は、森の中のみたいかしら。いつか一緒にフィンランドに行こうって言ったよね。覚えてるかしらん。
12月1日(土)
休日出勤だったのね、お疲れさま。慣れない場所で人間関係を構築しながらのハードワーク、私には想像もできない。ただこっちで心配してるだけ。会いたいな。
12月2日(日)
前身頃の編み模様をひとつ作ったところで、間違いに気がついて十段解く。そんなに難しい模様じゃないのに。肩が凝るけど、喜んでくれれば嬉しい。
夜に来たメールで、彼が風邪をひいていることを知る。熱はないそうだけど、咳がひどいらしい。加湿器を使うように返信した。ひとりの部屋で、咳き込んでる彼を思う。
12月3日(月)
駅前は、華やかにライトアップ。夕方から降り出した雨で、指の先が冷たい。前を歩くカップルは、ひとつの傘の中で腕を絡めてる。恋人が近くにいるって、私に見せつけるみたいに。
会いたいな。先月の転勤のあと、会いに行ってない。まだ部屋の中が片付かないって言ってたけど、どんな部屋に住んでるのか知らない。行って、一緒に片付けてあげたい。
12月4日(火)
来週の忘年会の出欠表が回ってきた。あんまり行きたくないんだけどな。仕事にプライベートなことを混ぜるの、苦手。それよりも、セーターを編まなくては。前身頃の編み込みが、思いの外難しい。喜んでくれるといいな。
12月5日(水)
忘年会は欠席に印をつけたのに、出席しろと念を押される。営業の三元さんが、私を出席させろって言ってるらしい。実は三元さん、苦手なんだけど。背が高くて頭が良くて、タレントの誰かに似てる。だけどちらっと、他人を見下してる部分が見えちゃう。離れてる彼氏なんて何の意味もないやんって関西弁で捲くし立てられて、悲しくなった。意味はあるんだと思う。少なくとも私は、彼と言葉だけでも繋がっていることに安心してる。でもね、本当は言葉だけじゃなくて……
12月6日(木)
彼と会えるまでの日数を、数え始めた。今年は連休だから、私が移動しよう。新幹線のチケットは、しっかり準備した。金曜日の夜から行けば、まるまる三日間一緒のはず。
12月7日(金)
友達と待ち合わせたら、彼氏と一緒に現れた。挨拶だけして、すぐに帰ったけど。本当に女同士なのか確認しに来たんだって、友達が笑う。疑り深くて独占欲ばっかり強くって、なんて言ってるけど、本当は嫌がっていない。そんな風に干渉されるのは嫌だけど、執着されることが少し羨ましい。
12月8日(土)
メールの返信が来ない。また今日も仕事なんだろうか。風邪はすっかり良いのかしら。顔が見られない分連絡が欲しくて、そんな自分は重いかなって反省してみたり。彼にだって、スケジュールとか事情とかはあるんだから、返信が難しいこともあるのに。
12月9日(日)
前身頃は、まだ半分も残ってる。間違えては解くを繰り返してしまったので、スピードアップしなくちゃ。肩が凝って仕方ないから、今日は長風呂しよう。
やっと来たメールの返事で、新しい職場の人たちと一日出かけていたことを知る。今度の任地は職場の中の仲が良いみたいだ。アウトレットで買ったっていうコートの写真つき。私の知らない持ち物が、きっと増えているんだろう。私も、髪型変えちゃおうかな。
12月10日(月)
営業の三元さんが、彼の話を聞きたがる。はっきり言って、うるさい。職場の人だから、あんまりすげなくしたらいけないかなって思うんだけど、放っておいて欲しい。遠距離恋愛なんて考えられないって言うけど、そんなことは人それぞれじゃないの。どんな人なのってしつこいから、金融の男らしく理論的で堅い人だって答えた。そんなやつ面白くないやろって言う。ふたりだけの時にまで、そんな顔してるわけないじゃない。三元さんにそう主張する気はないけど。
12月11日(火)
朝から、冷たい雨が降ってる。寒い日って何か人恋しい。一人用のお鍋で湯豆腐して、片付けながら寂しくなった。早く、セーターを編まなくちゃ。
12月12日(水)
インターネットで取り寄せたニットの丈が、画面と違ってがっかりした。これを着て彼のところに行くつもりだったのに、考えていた組み合わせと今ひとつ変わりそうで、クローゼットの中身と相談したら夜が更けてしまった。明日こそ、前身頃を仕上げよう。
12月13日(木)
前身頃、完成!頑張ったね、私。嬉しくて、ひとりで祝杯を挙げる。高揚したまま電話して、嬉しいことがあったのかと確認された。いけないいけない、プレゼントはまだ内緒にしておかなくちゃ。
12月14日(金)
憂鬱な忘年会。思ったとおり、三元さんが隣に来る。バーチャルな彼女より身近な女や、彼氏浮気してるでえ、なんて言われて悲しくなる。ちゃんと存在してるし、電話の声はやさしいもの。
同僚は気軽に、狙われてるねなんて言うけど、これが三元さんの好意の示し方なんだとしたら、私は三元さんなんて好きじゃない。案の定帰りがけに、会える彼氏のほうがいいでしょなんて言うから、会えなくても今の彼が好きだと断った。男の下半身は別人格やで、なんて下世話な言葉。つきあうのって、それが目的じゃないのに。
12月15日(土)
メールの返信が遅い。それに、文面が短い。三元さんの言葉が、頭の中を通り過ぎる。そんなこと、考えちゃダメ。来週の今頃は、新幹線に乗ってるんだから。
12月16日(日)
右袖、二日間で完成。目が疲れた。彼からは電話。早く週末にならないかなって、嬉しそうに言ってくれた。待っててね、私も待ってるからって返事して、幸せな気分になる。早く会いたい。一週間眠っていたいと思って、でもそうするとセーターが出来上がらないなって考え直した。早く、早く早く、週末になれ。
12月17日(月)
私が風邪を引いちゃったらしい。喉の奥に違和感がある。手足を温めて、早く寝なくては。でも、セーター。明日の昼休みにも、編もう。
12月18日(火)
微熱が出て、会社を休む。仕事を休んでいるのに、編み物は進めちゃう。社会人失格かも知れないけど有給はたくさん残ってるし、熱があるって嘘じゃないもの。
彼にも熱があるって言っちゃったから、寝る前にも週末を心配したメールが来た。高熱出したって行くって返信した。本当だよ。
12月19日(水)
おとなしくしてれば、熱は下がるんだなと思う。本当はセーターを、仕事を休んで仕上げてしまいたかった。急いで帰宅して左袖を編み上げて、全部綴じあわせたら夜中になってしまった。
彼は職場の忘年会だったらしい。理沙の話をさせられちゃったよ、なんてご機嫌な声で電話があった。恋人がいるんだって公表してくれるのは、とても嬉しい。
12月20日(木)
襟ぐりを編みはじめたら、思いの外時間がかかる。明日の支度をしなくちゃいけないのに。いいや、新幹線の中で仕上げよう。キャリーバッグに三日分のパッキング。職場からまっすぐに行くから、部屋の中も片付けて行かないと。
彼も、やっと会えるねってメールをくれた。今日は髪もトリートメントして、パックもしなくちゃ。それと、それと……嬉しくて、落ち着かない。早く早く、明日になれ。
12月21日(金)
終業のベルと共に会社を飛び出した。向こうで彼が出迎えてくれると思うと、それだけで何も手につかなくて、仕事は上の空になって小さなミスをたくさんした。新幹線の中で襟ぐりの仕上げをして、用意してたパッケージに収めた。隣に座る人には、多分迷惑だったと思う。新幹線の駅までは迎えに行けなくなったって途中でメールがあったけど、そんなの平気!
乗り換えたターミナル駅で方向を見失ったけど、どうにか彼の住む街にまで辿りついた。私の住む場所よりも、ずいぶん寒い。
車で迎えに来た彼に私は何か照れてしまって、しばらく顔が見られなかった。久しぶり、元気だった?って顔を確認されて、とても恥ずかしい。
やっと、顔が見られた。やっと、会えた。やっと、やっと。会いたかったの。とてもとても会いたかったの。
12月22日(土)
理沙って名前を呼ばれる、それだけが嬉しい。髪が伸びたねって肩に添える指が嬉しい。一緒に朝食を食べて、まだ荷解きしてない荷物を解く。彼の部屋に調理器具は殆どなくて、小さな冷蔵庫にも食料品なんて入ってない。つまり、お料理する人はいないってことだ。
街を案内するって言われたけど、それよりもスーパーマーケットがいいと答えた。一緒に出かけるよりも、彼に私の料理を食べさせたい。普段出来合いばかりを口にしている彼に、少しでも暖かいものを食べてもらいたい。気を遣ってもらいたいわけじゃない、彼の生活に関わりたいだけなの。
昼過ぎに早々に出したセーターを、彼は子供みたいな顔で受け取った。サイズが間違っていなくて、一安心。思ったとおり、深い緑色は彼にとてもよく似合う。いつかフィンランドに行きたいって言ってたね。私が編みながら思い出していた言葉を、彼も口にする。そう、いつか一緒に行ってね。返事をしたら、やわらかな笑顔で応えてくれた。
出来上がったばかりのセーターを着た彼と、スーパーマーケットを一緒に歩く。こんなに幸福なことは、日数に限りがあるっていうのに。
12月23日(日)
ごめんねって彼が言う。今連絡があって、明日は出勤しなくちゃならないって言う。いいの、仕方ないよって言いながら、悲しい。私と仕事を比較してくれと言うことはできなくて、精一杯今日を楽しもうと思う。でも、あんまりだ。まる三日間って楽しみにしてたのに、一日少なくなっちゃうなんて。がっかりした顔を見せちゃいけないと思っても、本当は泣きそう。
一緒に街を歩いて、少し洒落たカフェでお茶を飲む。そんなことより、彼と少しでも触れていたい。私の話を聞いて欲しいし、彼がひとりの部屋で何を考えているのか聞かせて欲しい。
好きだよって言葉だけで繋がっている私たちが不安で、おそろいの指輪を買ってもらう。小指用の指輪は細く心細く、でも確かに光ってる。
12月24日(月・ただし祝日)
朝早くに出勤する彼を見送って、片付け物をした。新幹線に乗る夕方までの時間、ひとりで街なんて歩きたくない。そんなことをするくらいなら、まだ整いきらない部屋で彼の気配を感じているほうがいい。
休日出勤、断れなかったのかしら。そんな風に思ったら、涙が出そうになった。新幹線の時間は、伝えてある。仕事の終わりが読めないって言ってたから、無駄な期待はしないことにしよう。早めに駅に行って、職場へのお土産を用意しよう。大丈夫、お正月には会えるんだから。
恋人たちが世間で一番大切にするイベントが、こんなことになるなんて思わなかった。一緒に贅沢なランチをして、腕を組んで歩くつもりだったのに。
部屋を出る時間になっても、彼は帰ってこない。メールくらい、くれてもいいのに。でも仕事中じゃ、こっちからの連絡はできない。
最後に顔くらい、見て帰りたかったな。キャリーバッグを曳いて、とぼとぼと歩いた。
ポケットの中で、携帯電話が鳴った。今どこ?少々慌てた彼の声が、私を呼ぶ。ちょっと早めに出たから、もうじき新幹線の発着駅に着くと言うと、すぐに行くと言う。ぎりぎりでも、必ず顔を見せるからと言う。嬉しいけど、間に合うのかしら。それに、別れ際に泣いてしまいそうな気がする。
ホームに滑り込んできた新幹線に気を揉みながら、階段の下で彼を待つ。電話は繋がらない。間に合うの?
息を切らして走ってきた彼は、深い緑色のセーターを着てコートを抱えていた。慌てて私と一緒に新幹線の中に入って、間に合ったと笑う。この顔が見たくて、ここまで来たの。忙しかったのに、ここまで走ってきてくれたことで、満足。私たちはバーチャルな恋人同士じゃない。だってほら、私の手を握る彼の手は熱いじゃないの。
新幹線発車のアナウンスがあって、彼はドアの外に出た。またねって何度も手を振って、まだ大丈夫ってもう一度ハグして。一秒が惜しい。ダメ、泣いたらダメ。もう何日かでお正月のお休みなんだから、それまで笑った顔を覚えていて……しゅうっとドアの閉まる前触れの音のした刹那。
「えっと……ドア、閉まっちゃったよ?」
「ははは……乗っちゃった。ひとりで帰すんだと思ったら、なんかたまんなくなって」
彼は私と一緒に、車上の人になった。
12月25日(火)
眠い目をこすりながら、彼は朝一番の新幹線で帰っていった。少々遅刻してしまうらしいけれど、頭を下げるのは無料だからと、苦笑していた。人生で何度もない日なんだから見逃してもらうと、そんな風に言い訳して。
結局私の部屋まで送ってきてしまった彼は、仕事中ずっと落ち着かなかったそうだ。私の帰りの新幹線の時間ばかり気にして、却って仕事がもたついてしまったと。
「会うたびに、離れる時間が怖くなる。俺のところに来てください」
それは私も、ずっと望んでいたことだ。転勤の多い彼と一緒に暮らすってことは、方法はひとつしかない。
嬉しいときでも、涙は流れるものだと身を持って知った。彼は一晩中、私の手を握っていた。
神様。
私は宗教を持ちませんから、どこかの聖者様。
私は本日、人生に於いて大切な大切なプレゼントをいただきました。
だから、世界中の人々に申し上げます。
メリー………!
fin.