9 崩壊した書物庫で見つけたものは
翌日、私と先生は部屋を出て、まずは食堂で朝食を済ませた。食事はメニューは選べないんだけど、決まった時間に食堂に行けば食べられるようになっている。
その日の朝食は、パン粥。食べ慣れないものだったけど、もともと好き嫌いのない私にとっては、精神面がある程度落ち着いていれば死角はない。あの豆腐みたいなのもあったしね。
むしろ先生の方が……って、やっと先生が食事してる様子にも目が向くようになったんだけど、思ったより小食。
「先生、ご飯足りてる?」
って聞いてみると、
「うん。お前は食い過ぎ」
って答える。むむ。
もともと小食ならいいけど、あまり食事が口に合わないならしんどいよね……。そういえば私、先生と一緒にご飯食べたのって、こっちに来てからが初めてなんだなぁ。
食事の後、通りかかる人たちに道を尋ねながら、フォーグさんの執務室を目指した。
お城の中で働く人々を見ていると、ここは城というよりは『砦』っていう感じなんだな、と思う。あまりチャラチャラした格好の人はいないし(スカート長い女性はいるけど)、竜に乗る人の服装もすごくアクティブで、例えば何か戦いが起こった! なんて時にすぐに戦ったり逃げたりできそうな印象なんだ。
「竜に乗らないと入ってこられない城に、フォーグさん……人間の王様がいる。これって結構すごいことだな」
先生がつぶやき、私は考え考え返事をする。
「王様、えっとゴバが、絶対確実な場所で守られてる、ってことか……外国が攻めてきても入れない場所で」
「もちろん身内にも注意は必要だけど、竜珠を預けることで、城に入る人物は厳選されてるわけだしな」
先生が答える。
急に後ろから声がした。
「まあ、ゴバだけが守られてても意味がないんだけどな」
びっくりして振り返ると、フォーグさんが立っていて「よう」と片手を上げた。
「びっくりした、おはようございます。……意味がないって?」
尋ねると、フォーグさんはもうすぐそこだった執務室まで私たちを案内しながら言った。
「俺だけ無事でも、国土を荒らされたらどうしようもないだろ。……言ったろ、この国で一番偉いのは竜だ。俺は二の次」
黒い鉄の枠のついた木の扉を開け、フォーグさんは中に入った。
「もしも国土のどこかが侵略されたら、竜を戦場につれていって炎を一発。それだけでものすごい威力だ。おかげでもう何百年も、イルデルアは外敵に侵略されたことがない。竜が育つ場所である“トローノ”が、守られることが大事なんだ」
私は、女王が口から業火を吐き散らすところを想像した。恐ろしい武器だ。
「そんな武器を持ってるなら、簡単に他の国を侵略できてしまいますね」
先生も同じことを考えたのか、淡々と尋ねている。フォーグさんは笑った。
「うん、そう考えた奴は、長い歴史の中で何人かいた。そういう奴がバカなことをしでかさないようにするのが、ゴバの一番大事な仕事だ。――ゴバには任期があってな」
「え、そうなんですか?」
「うまくできてるんだよ。俺は女王の竜珠を預かっていたから、女王はある程度俺の意志をくんで行動してくれるんだが、それは長くても十数年。老年期に入ると、竜の王や女王は次代にその座をゆずって、海に帰っていく。そうしたらゴバの任期も終わり、新しい王と意志疎通のできる次のゴバに、権力を明け渡すんだ」
「竜の力を、いつまでも一人に持たせておかないようになってるのか……」
先生が感心したように言う。
「竜の次の王って、もう生まれてるんですか?」
私がわくわくしながら聞くと、フォーグさんは
「まあな」
とだけ答えて、すぐに話題を変えた。
「ところで、何か聞きに来たんじゃないのか」
「あ、そうですそうです」
私はうなずき、先生が竜による異世界召喚の伝承について尋ねる。
「――というわけで、詳しい話をお聞きしたくて」
「ああ、それなら資料があるぞ、書庫に」
フォーグさんが言ったとき、ちょうどノックの音がしてシャーマさんが入ってきた。私たちを見てニコリと微笑む。
「お、シャーマいい所に。こいつらを古書の倉庫につれてってやってくれ」
フォーグさんが言うと、シャーマさんは大げさに肩を落として見せた。
「その古書の倉庫が大変なんです、って報告に来たんですよ。今、片づけてる所です」
大変? どうしたんだろう。
フォーグさんはニヤリと笑って、
「おう、その部屋だったのか。じゃあついでに片づけ手伝え。よろしくな」
と私と先生の肩をポンと叩いて、執務室を出て行ってしまった。私たちは訳が分からず、ポカーン。
「人使いが荒いんだから」
シャーマさんは軽くため息をついてから、形のいい唇をほころばせた。
「ごめんなさい、ちょっと今立て込んでるんです。一緒に来ていただけますか?」
一緒に執務室を出て、カーブする廊下を歩きながらシャーマさんが話しかけてきた。
「ここには少し、慣れてきたかしら。不自由はありませんか?」
「慣れては来ました。不自由はもちろんありますが」
先生はスパッと答える。そうですよね、とシャーマさん。
そりゃあそうだ、日本でやるべきことができない時点で私たちはとても不自由だから。でも、それをハッキリ言っちゃう先生に、ちょっとハラハラしたりして。
「竜が、自分たちの危機に異世界への扉を開く、という伝承が本当だったとして……シャーマさんは、その『危機』に何か心当たりはありますか」
先生が尋ねた。
すると、シャーマさんは珍しく、少し黙ってしまった。
どうしたんだろう、と思っていると、彼女はなぜか苦い笑みを浮かべて言った。
「そう、ね。後継者問題かな」
「後継者って、次の竜の王様のことですか?」
私は聞き返す。
でも、さっきフォーグさんは、もう生まれてるって言ってなかったっけ。
「ええ。ちょっとした理由があって、今のままだと引き継ぎがうまくいかないのよね。……あ、この下よ」
シャーマさんに続いて階段を下り、扉を開け放したある部屋に入ったところで、私はびっくりして足を止めた。
「どうしたんですか、この部屋!?」
さぁっ、と部屋の中から風が吹き付けてきた。
その部屋は、天井の一部が崩れ落ちていたのだ。ぽっかり空いた部分から青空が見え、陽の光が落ちている。 部屋の中央には崩れた天井に押しつぶされたテーブル、その周囲には倒れた椅子。棚も倒れて、紙を巻いてひもで縛った束のようなものがいくつも散乱していた。
「女王が壊しちゃったんですよ」
シャーマさんが振り返って苦笑する。先生が思いついたように、
「もしかして昨日の夜、ズシーンって音がしたのは」
と言うと、
「そう、女王が外からここにぶつかったんです」
シャーマさんがうなずく。
「もともとここは天井が薄かったので、念のために人が出入りしないよう、あまり使わない資料だけ置くようにしてたんです。ですから、怪我人は出ないで済んだんですけどね」
中では男性二人が片づけをしていて、一輪の手押し車みたいなのに岩を積んで、廊下に運びだそうとしていた。
「そろそろ大きな岩は片づくわ。申し訳ないんだけど、いったん書物を廊下に出して、その中から伝承に関する書物を担当者に探してもらうから、ご自分の部屋に持っていって読んでもらえるかしら?」
シャーマさんの八の字に下がった眉を見て、私はパッと片手を上げた。
「手伝います!」
その方が早く書物が見られるなら、と先生を見ると、先生もうなずいてくれた。
シャーマさんは他にも仕事があって、申し訳なさそうにしながらその場を去って行った。
よく日に焼けた男性二人が細かい岩をどんどん片づけてくれ、その傍らで私と先生は書物をせっせと廊下に運び出す。
紙の巻物が一つ、少し大きめの岩の下敷きになっていた。
「よっ」
岩を横に転がして巻物を取ろうとしたとき、きらっ、と何かが陽の光を反射した。
何だろう、と細かい砂礫の中からそれを探り当て、拾い上げる。しゃらしゃら、とそれの表面を砂が滑り落ちる。
汚れてはいたけれど、ピンク色の楕円形のガラスのように見えた。薄くて、大きさは手のひらくらい。お皿か何かが割れた破片だろうか。
その時、廊下に出ていた先生が中を覗き込んだ。
「尚奈、司書さんみたいな人が来てくれたぞ」
「あ、はい」
あわてて私は、その破片みたいなものと巻物を持って立ち上がり、廊下に出た。
「シガーとサーナね、よろしく!」
ふくよかでちゃきちゃきした女性が、私と似たような服装(印象はまるで違ったけど)で立っていて挨拶してくれた。
「あらー、すごいことになっちゃって、困った困った」
部屋をのぞいてそんなことを言いつつも、全然困ってない風。巻物の山のそばにしゃがみこみ、次々に開いて中を見始める。私と先生は、残りの巻物を部屋から運び出した。
「竜の伝承について探してるんですってね。これは違う。これは違う。あ、これ、“トローノ”の成り立ちだから関係あるわね。あ、これも竜のだわ」
司書(?)の女性は目指す書物を見つけると、私の手の上に次々と積み上げ始めた。わあ。
「あと、これとこれ。こんなところかしら。読み終わったら、サス・ゴバに連絡して頂戴な。それまでに新しい書物庫を確保しておくわ。空いてる部屋がないか確認してこなくっちゃ」
立て板に水でそう言って「じゃっ」と片手を上げ、体型に似合わない機敏さで廊下を去って行く女性を、私は
「ありがとうございまーす」
と見送った。
五、六本もある巻物は、一本一本が分厚い紙で出来ているので結構重い。抱えなおしながら振り向く。
「先生、部屋に戻ろう。……先生?」
廊下に先生の姿がなかったので、壊れた部屋(旧書物庫)の中を覗いてみた。
先生は、壁にかけられたタペストリのようなものを眺めていた。
外れかけて斜めになったそれを見ているので、先生も上半身を傾げていておかしい。
「先生、何見てるの。行くよー」
声をかけ、先生が私に気付いたのを確認してから、先に廊下を歩きだした。後から先生が追ってくる。
「お、結構あるな。持つよ」
「じゃあ半分」
「いいから全部よこせ、ほれ」
笑いながら巻物を渡す時に、気がついた。
あ、さっきのガラスの破片みたいなの、持ってきちゃった。まあいいか。
◇ ◇ ◇
私が覚えてる限りでは、確かこの後くらいから、先生の様子が変わり始めたんだ、と思う。