8 日本と相性のいい世界?
夕食の時間が近くなり、私たちはヨランの民の住処をお暇することになった。
子竜に別れを告げ、すり鉢の部屋に戻る途中で、ふと先生がゲンマさんに言った。
「頭領さんたちが、ここにこうしているということは……昔ここに来た日本人は、日本に帰らなかった、ということですよね」
はっ、と耳を澄ませる。ゲンマさんはうなずいた。
「そうなりますね。帰る手段がなかったのか、それとも手段があっても帰らなかったのか――それはわかりませんが」
先生は苦笑し、私はうつむいた。
……ゲンマさんが言ったように、帰れなかったのか帰らなかったのかはわからない。でも、私たちが帰還の希望を失わないように、あえてそう言ってくれたんじゃないかな。本当は、帰れない可能性の方がずっと大きいとしても……。
「また、こちらに伺ってもいいですか」
先生が尋ねている。
「もし、昔の文献などがあったら、見てみたいんですが」
「もちろん、お見せしましょう。私たちも上にはしょっちゅう行っていますが、シガもヒサナもどんどんこちらに遊びに来てくれていいんですよ」
ゲンマさんは優しく微笑んで、私を見た。
「子竜たちも、あなた方を気に入ったようですしね」
私も笑みを返す。
うん、そうだな、落ち込みそうになったら子竜ちゃんと遊ばせてもらおう。
すり鉢の部屋では、竜のお世話に関する仕事についての打ち合わせ中らしかった。ここは集会所というか会議室というか、そんな場所みたい。
そこにいた人たちにも「またおいで」「遊びに来てね」と声をかけてもらい、私たちは外壁に通じる洞窟まで戻ってきた。
いい人たちだったけど、やっぱり初めての場所なので緊張していた私は、すーっはーっと深呼吸する。
気がつくと、外壁に出るすぐ手前にランプを持った人が立っている。もう外は陽が傾き始めているみたいだから、足元を照らしてくれるんだろう。
アイレに続いて、先生がその人に「どうも」と声をかけながら階段を上って外に出た。私も、「すみません」と続こうとする。
急に、ランプを持った人が一歩踏み出し、私に近づいて低い声で話しかけた。
「日本に帰りたいか?」
はっ、と足を止め、顔を上げた。
さっき私たちをじっと見ていた、怖い顔の男の人だった。ランプの明かりが、茶色い瞳に映ってゆらめく。
「……も、もちろん、です」
驚きにつっかえながら返事をすると、彼は
「それならいい」
とつぶやいて下がり、進めというように顎をしゃくった。
夕陽に照らされた外壁に出る。水平線に、溶けそうな夕陽が接しようとしていた。
先生に追いつこうと、ワンピースの裾を片手でからげてもう片方の手で手すりを辿りながら、早足で通路を進む。
後ろからヴィントも追いかけて来た。
「何? 今の質問」
追いついた彼に聞かれ、首を傾げる。
「わかんない……。……今の人、誰?」
聞くと、ヴィントは教えてくれた。
「頭領の息子の、セーゴさんだよ」
ふうん……と流しつつも、あの怖い顔と低い声が、頭から離れなかった。
ヴィント、アイレと一緒に、食堂で夕食を採った。
その日のメニューは、粒の大きなお米(たぶん)で炊いたお豆ご飯と、貝と野菜を蒸し煮にしたもの。一日中お城の中を探検してお腹がぺこぺこの私は、美味しく食べることができた。
「うう、疲れた……でも、これからまた階段をせっせと登って、お部屋に戻らないといけないんだね」
食べ終えた私が大きくため息をつくと、ヴィントが可笑しそうに言った。
「大丈夫。昇降機があるから」
「昇降機?」
私は相槌を打つように聞き返す。
昇降機って、どの昇降機? 聞き間違いかな?
でも、その昇降機だったのだ。
食堂を出てヴィントが案内してくれたその先の行き止まりに、鉄柵の門が二つ並んでいるのを見て、先生がびっくりした声を上げた。
「エレベーターか!?」
「ええっ!?」
私もびっくりした。だって、電気ないでしょこのお城!? どういう仕組み?
「ニッポンでは『ねれべーた』って言うのか?」
聞き返しながらも、ヴィントが鉄柵に手を駆けて横へ引いた。柵は折りたたまれる。
そこには半畳ほどの空間がぽっかりと空いていて、恐る恐る乗り込むとヴィントが鉄柵を閉め、壁のレバーを下ろした。
がくん、という振動があって、すぅーっと胃が浮くような感覚があった。目の前、鉄柵の向こうで岩壁が下へスクロールし始める。
本当だ、本当にエレベーターだ。そんな、誰がこんな岩城にエレベーターがあると思うよ!
止まった所は、『上の発着場』のすぐ近くだった。また鉄柵をあけて、降りる。
ヴィントとアイレを質問攻めにして説明してもらったところによると、このエレベーターは隣り合わせに二基あって、滑車を介してケーブルでつながっている。で、片方が上がると片方が下がる振り子式になっているんだそうだ。後は油圧がどうとか……とにかく、電気なしでも動く仕組みなんだって。
『上の発着場』と『下の発着場』の二つの階(?)しか行き来できないんだそうだけど、それでもあるのとないのとでは全然違う。助かったー。
これがあったら、ヨランの民の所にお邪魔する時も楽そうだ。
「デンキって何なのかよくわからないけど、一日の最後に驚かせちゃったね。じゃあ、また明日!」
「お疲れ様!」
ヴィントとアイレは面白そうにあいさつして、またその昇降機で下へ降りて行った。
「ねえ先生、これ」
部屋に戻るなり、私は寝台に駆け寄って足元からリュックを持ってくると、取り出した塾のテキストをテーブルのランプの明かりの下に置いた。うちの塾オリジナルのテキストだ。
「明日から、少しずつやろうかなと思って。またわからない所教えてくれる?」
「……帰った時のために、か?」
椅子に腰かけながら苦笑する先生に、私は大きくうなずいた。
「だって、まだ帰れないって決まったわけじゃないんだし。もし急に帰れて、勉強してなかったせいで浪人とか、嫌だもん」
へへ、と笑いながら言ったけど、語尾はちょっと震えちゃったかもしれない。ごまかすように、テキストをテーブルの上でトントンと揃え、また置く。
「……わかったよ」
先生はうなずいて、ぽん、と私の手に自分の手を重ねた。軽く、握られる。
こちらに来てから、先生はこうやってよく、安心させるように手を握ってくれる。……嬉しかった。
「あのさ……」
先生が、何か言おうとした。
何だろう? 見つめ返す。
その時、突然遠くの方で、ズシーン……という音がした。
先生の手が、私の手からふっと浮く。
私たちは口をつぐんで、耳を澄ませた。
「……雷?」
つぶやく私に、先生が答える。
「……いや、もしかして……竜の女王じゃないか」
「あ」
私は、女王が岩山に身体をぶつけていたのを思い出した。また、具合が悪くてぶつかっちゃってるんだろうか。
「……シャーマさんが、竜は自分たちの危機に異世界から誰かを呼ぶとか、そんなようなことを言ってたよな」
片肘をついて、先生はランプの灯りを見つめた。私も先生の向かい側に座る。
「うん。危機って何だろう……女王が具合悪そうだっていうこと? でも、異世界の扉を開くとか、その辺はただの言い伝えだってフォーグさんが」
フォーグさんの言葉を思い出して言うと、先生はうなずいた。
「うん。でもとにかく、明日フォーグさんかシャーマさんに会って聞いてみないか。その、伝承とやらがどんなものなのか、もう少し詳しく。俺たちが帰る糸口が見つかるかもしれない」
「うん」
私はうなずいて、あくびをかみ殺した。さすがに今日は歩き回って疲れた……。
ふと、先生がひとり言のようにつぶやいた。
「俺たちって、恵まれてるのかね」
「え?」
私は目をこすりながら、返事をした。
「恵まれてる? いきなりこんな場所に来る羽目になってるのに……?」
「昔、日本から来た人がいるからってことで、こっちの人は事情をよくわかっててもてなしてくれる。それどころか日本人を先祖に持つ民族までいて、見たこともない人々しかいない場所に放り込まれるよりは、気分が楽。……な? ショックが少ないと思わないか?」
「それは、そうだけど……偶然じゃないのかも。元々日本の人が来てるくらいだし、日本と相性がいいとか……この世界」
「うーん」
先生はうなる。
ああ……もうだめ。眠い。
両肘をついて支えていた頭が、かくん、と落ちる。
先生の声、もっと聞いてたいのに……。
「こら。男にベッドまで送らせるとは何事だ」
耳元で、先生の声。
うん……その、ちょっと怒った声も好き。
好きだよ、先生。
一緒に帰れるといいね。